今日はエイプリルフールですね。
嘘の日なので、嘘について気づいたことを書いておこうと思います。
私は嘘つきです。
その場を乱さないように嘘をつく……と言えば聞こえはいいですが、嘘は嘘です。
「嘘も方便」なのも分かっていますが、「本当のことを言う勇気が出ない」だけなのだと思います。
自分の意見を言う勇気が無かったり、いい人で居ることをやめられなかったり、非難されることが怖かったり…と、そんなところです。
何故なのかなー……と、地味にずーーーっと自分に対して思ってはいたのですがさっぱり分かりませんでした。
しかし先日、「あ!」といきなり分かりました。
子供の頃のことです。
父親の会社の取引先が倒産し、父親の会社も倒産しました。
それから借金返済催促の電話が自宅にもかかってくるようになりました。
すると、父親が自宅に居るのに、子供の私に電話に出て「お父さんは居ません。」と言うようにお願いされるようになりました。
その時、私はイヤだとは思いませんでした。
父親が困っているのを助けることができる自分になっていることが嬉しかったのです。
嘘をつくことが親を助けられる喜びとリンクしてしまっていたのです。
そのこと自体を忘れていたわけではありません。
しっかり覚えていました。
けれど、それが私の本来備わっているであろう「正直さ」を汚染しているとは思ってもいませんでした。
それにハッと気づいたのでした。
親だって凸凹があり、そして必死に生きています。
多かれ少なかれどうしても親の在り方が子供を「汚染」してしまう部分はあるのだろうと思います。
それを嘆いたり恨んだりしても意味が無いので、そこを自分で掃除していくしかないし、それが「学び」の1つなのでしょう。
……そして、私が子供たちの何かを汚染している部分もあるんだろうな、と思いつつ。