大きな「縛り」の中で


娘がお熱出して寝てるので、隣の部屋でだらだら落書きしてました。
さて。
こんなツイートが回ってきたんですけどね。


前々から思ってるんですけど、
黒柳さんって死なない気がするんですよねぇぇぇぇぇぇ。
そして。
昨日の夜なんですけど、こんな記事を見つけました。
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述を読んで
http://astrologia89.blog54.fc2.com/blog-entry-394.html

本当なら、渡辺被告が「30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し」た時がそれを始める合図だったのだが、彼はそのメッセージを誤って解釈してしまった。それが残念でならない。


占星術の細かいところは横に置いたとしても、この言葉はとても切なく響きました。
こうやって犯罪を犯してしまうのはほんの一部の人だとしても、いい大人のある時期にそういう状態にあることに気づいて絶望に近い気持ちになる人って、案外少なくないのかも……と思いました。
時代の在り方とか、家庭環境とか、本人の資質とか……いろんな要因がまぜまぜになって人生のハードさがそれぞれのものになっていくのだと思います。
ですから、誰とも比べようが無いんだなぁ……と、最近はよく思います。
「あー……こうしたらいいのに…。」とか個別で思うことは多々(!)ありますけど、それは(その人の人生ではなく)「私の人生におけるBetterな選択」でしかないわけです。
なので「人は自分の生きたいように生きてるんだなぁ。」というところに、どれだけアレコレ考えても結局は戻ってきてしまいます。
魂がお膳立てした人生(時代・環境・資質)を、どのように生きるか、でしかない……と思うと、気力がガクンと減ってしまう人もいると思いますし、私も一時期はそうでした。
でも、今はそうでもないんですよねぇ。
黒柳さんほどポジティブではないけれど、あの被告人ほどネガティブでもないので、ぐるぐるしても最終的には「まーいいかー。」って思えるんじゃないかな~と、自分のことを感じたりしてます。
時代の縛りというのは、体感しているよりも実はすごーーーーーく大きいのだろうな、と思います。
そして環境、特に家庭環境の縛りもすごく大きいと思います。
親を好きだろうが嫌いだろうが、親の価値観を無意識に取り込んでいる部分って、自分で思うより大きいと思いますし。
生まれ持っての資質は言わずもがな。
そういう「縛り」の中で、ネガティブを突き詰めてもそれがこの人生の答えになり得るし、ポジティブを突き詰めてもそれがこの人生の答えになり得るし、真ん中あたりでぐるぐるしててもそれがこの人生の答えになり得ますよね。
それこそが「この自分」次第なんですものね。
大きな縛りのある中、できるだけ「風通しのいい感じ」になるように選択できたらいいなぁ、と思います。
黒柳さんには遠く及ばなくても。

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