というわけで。
昨日の個人懇談で、ですね、
おかげさまで娘も担任の先生に褒められたんですよ。
すごく素直で素敵なお子さんですね、と褒めてもらえました。
ちなみに、お勉強のことは何も言われませんでした~。
まぁねー、めっちゃ問題があるわけでもないけど、飛び抜けてよくデキるわけでもなく、超ふつーだというのは親がよーく分かってますんで。
「ありがとうございますー。でもあの子、少しばかり天然ですよねー。」
と、ゆーたら、先生も笑ってました。
はい。
娘、ちょっとばかし天然入ってます。
というか、「天然温泉が湧いてる」という感じです。
いつもお世話になってる霊能師の先生に娘の名付けで相談した時に、この名前は「おうちのお風呂に天然温泉が湧いてるような感じ」という表現をしてもらったんですが、ほんとにそんな感じです。
癒し系…とも違うんです。
天然温泉が湧いてて、自宅で温泉に毎日入れるねー、って感じなんです。
着眼点は興味深いことが多いし、発想はユニークだし。
それは、もともとの気質がそうである上に、ダウン症の兄との関係性がその気質を上手に引き出しているように見えます。
これが上下反対だったら、うまく行かなかっただろうねー、とおとーちゃんとも話してたのですが、
ほんとにこの組合せの妙といったら、すごいな!と思います。
と、
懇談で娘を褒めてもらったその夜。
湯船につかりながら自分の子供の頃のことをなんとなくあれこれ思い出していました。
小3の時からずっと一番仲良しだった友達のことも思い出していたのですが、
彼女はとても頭が良くて、おそらく学年で一番IQが高かったんじゃないかと思います。
その後の彼女は見事にエリートコースを進んでいます。(←あまりに自分と違い過ぎて素直に凄いな!と思ってます。)
弟2号も学年一番のIQでしたし、おとーちゃんも子供の頃にどうやら弟2号くらいのデキだったようなのです。
なので、おとーちゃんが子供の頃に感じていたことを聞くと、弟もそんなふうに思っていたんだろうな…と感じることがあります。
そして、友人にも多かれ少なかれそういう部分があったんだろうな、と思うことがあります。
科学者になりたかったのに頭のデキが超ふつーだった私にとっては、IQが高いことはとても羨ましいことなのですが、
確かにね、頭がいい子は「他のみんなと同じようにバカになれない」ところがあるんだろうな、と大人になった今なら分かります。
でも頭がいいからバカになれないところを見せないので、子供の頃はちっとも気づきませんでしたが。
ですから、自然にバカになれてた子供の頃というのは、実はとても大事なことだったのかもしれないな、と湯船の中でしみじみ思っていました。
そうだよなー。
実際、友人は勉強はもちろん、なんでもソツなく…というか、高レベルでやってて、同じ美術部だったけど、デザイン画なんてダントツで巧かったもんなー。
……でも、あたしはいつも「なーんかちょっと面白いもの」を作ってたんだよなぁ。
ちっとも巧くはないけど、なーんかちょっと面白いものを。
自然にバカバカしいことを真剣にやってたもんなぁ。
小学校の高学年の時にやった劇のシナリオも私が1人で書いて、それを見た低学年だった弟2号がすげー面白かった……って、大人になってからゆーてたもんなぁ。
そいえば、高校生までの私はめっちゃ面白かった、って弟たちがゆーてたもんなぁ。
何がどう面白かったのかは分からんけど。
でもって、大学生になってから温泉が枯れちゃったけど。
あ、でも、またちょっと温泉が出てきてる気がするなぁ。
子供産んでからだよなー。
あー、てことは、娘の天然温泉湧いてる部分ってのは、私の遺伝もちょっとあるんかなー?
と、つらつら思ってたんです。
私も(娘ほどじゃないにしても)温泉湧いてた子供だったんだ、って、ようやく気付いたんです。
なので、お風呂をあがってから、おとーちゃんにそのことを話したら、
「それをギフトって言うんとちゃうの?だからあんたは絵が描けるんじゃないの?」
と言われました。
おとーちゃんも子供の頃からデザインをしたり造形物を作ったりすることがとても巧かったそうなのですが、
そういう巧さはあっても、天然温泉は湧いてなかったと言うのです。
やっと、腑に落ちました。
私は、巧くないです。ソツなく上手にできません。
でも、私の中に温泉の源泉があって、そのギフトがあるから私は私の絵を描いてもいいんだ!ってようやく思えました。
大学生になった頃から、温泉が枯れた…というか、源泉のところのバルブを閉め過ぎちゃったのだと思います。
でも子供を産んでからまた少しバルブを開けたんですね。多分。
まだバルブは全然全開ではありませんが、自然に少しずつバルブが開いていくといいなぁ、と思います。
自分を信じる、って、こういうことなんだな、とちょっと分かった気がします。
(もちろん精進はするよ!)
*************
と、ここまで書いておいたところで、
さきほど、おばーちゃんのところは雪降ってるのかなー?と娘がオカンに電話をしまして、
娘からバトンタッチして私が昨日の懇談会で息子についてはこんなこと言われたよーこんなに成長してたんだよー、とか、娘はこんなふうに言われたよー、とか話したら、
オカンは私がゆうべこんな気づきを得たなんて全く知らないのに、
「あ~、ほんとにあんたの娘やねぇ。小さい頃のあんたにそっくりやん。あんたが(先生や周りの大人から)言われてたことと同じやよ?」
と言い出したので、内心ちょービックリしましたよ~。
まるで追い鰹。
おれも褒めろにゃー。
たみえさんはたしかに子供の頃から特別超優秀だったわけではないですが、
小学生の時に授業参観で――
「大きい魚が小さい魚を食べる」
――と発言したことが象徴しているように、筋がいいといいますか、
勘所を掴む才覚があったように思います。
もしかしたらそういう所も子らに受け継がれているかもしれませんね。
たみえさんの高校生の頃までの面白さは、理屈とかでなく、思いつきで話す
瞬発力と、わーとかきゃーとか騒ぐ十代くらいの女子特有のエネルギーが
絶妙の配合で混ざっていたからだろうと、勤め先の大学で、女子大生を
見ていて、思うことがありますナ。
そうか、あたしは筋がいいのか。
そういうことにしとく!
そして絶妙な配合だったんだな。
高校生の頃のあたし、すばらしいなおい。