年賀状受け付け開始ですよ!
でもまだ年賀状買ってないですよ!
あ、でも、年賀状で使う写真は決めてますっ。親馬鹿ですからね。子供たちの写真ですよ。毎年。ひひひ。
さて。
前記事のつづき…です。
人間って「変わりたい。」と言いつつも、実は心の深いところでは変わりたいと思ってないコトが多いんじゃないか?話の続きですね。
自民党圧勝のことじゃないですよ?
私個人のことです。
喉がガラッガラからの咳げほげほ、現在は咳は半減したものの鼻水ばーばーになっとります。
お医者さんにも行って、お薬もちゃんと飲んだんですけどね、なかなかよくなりません。
そんな中、先週の半ばですかね、久々にちゃんとMAPをしたら、いろいろ出てきましてね。
(このところ少しご無沙汰でしたの。)
元気で丈夫になりたい、と表層意識の「私」は常に思っているのですが、深いところにうっすらと何かがあるのは分かっていました。ほんとうは。
それを見ないようにしてたんだと思います。多分。
とうとうそれに触ってしまったような、そんな感じのMAPセションになりました。
多分、どこかがとても悪いという身体じゃないんですが、とにかく自律神経のバランスがすぐに乱れやすくて、
乱れると寝込むことも多く、しんどいんです。
死ぬ病気じゃないんです。
残念ながら最近は更年期障害も加わってますが、それでもやっぱり死ぬ病気じゃないんです。
死ぬ病気じゃないけど、20歳の頃からずーーっとしんどい。
それは、自分が引き受けたものをチビチビ小出しにしてるから、と、すぱんと頭の中に投げ込まれました。
一気に「消えていく姿」として出してしまったら、死んじゃうかもだけど、ちびちび小出しにしてるよね、と。
え?
って、一瞬たじろぎましたが、納得する自分も同時にいました。
認めたくないんですけど、そこで認めざるを得ませんでした。
自分でそういう現実(健康問題)を創り出しているということを。
大切な人たちが苦しむくらいなら、私が引き受けて苦しむ方がいい
という思考が深いところにある、というのを、認めるしかありませんでした。
今回の人生…ではなくて、どこぞの誰かの時に築いてしまったものだと思われます。おそらく。
これは、表層意識の、このブログを今書いている「私」という意識にしたら、厄介極まりない思い込みです。
こんな思考を持ってるなんて、困りまくりです。
でも困りまくりなんですが、分からんでもないんです。
特にね、子供が病気で寝込んでると、「代わってやりたい。」と思うことも実際にありますからね。
全く分からんでもないんです。
…いえ。
分からんでもないどころか、子供のこととなると、本質的(←ココ大事。普段の私はそんなふうには考えていない。)にはそーゆー想いがベースとして在るような気がするんです。
こうなると、さらに厄介度が増します。
こんな思い込みは捨ててしまえばいい!……と、簡単に思えないからです。
もちろんね、たとえば娘にそんな思い込みがあって、私みたいになっていたら、そんなのイヤですよーーー。
そんな勝手な思い込みを持つなーーー!って怒りたくなりますよ。
立場が違えばそうなります。
なので、自分のこの思考・思い込みが「正しい」か「正しくない」かで判断したら、「正しくない」んだとは分かってるんです。
でも、手放すのに躊躇している自分がいるのです。
元気で丈夫なおかーちゃんになりたいって切望してるくせに。
(そして、そんな自分を眺めながら、人間ってややこしくてめんどくさくて面白いなー、と思う自分も同時におるんですよ。)
もちろん、いづれ手放していくことになると思うんですが(というか、このままではアカンやろってのも分かってます)、
今すぐというわけにはいかないので、焦らず、もちょっと地道に向き合ってみようと思います。
ただの思いつきで生まれた思い込みではないでしょうし、いろいろあってのことだと思うので。
もしも自力でなんともならんかったら、またその時に考えます。
というわけで。
人間って変わりたい変わりたいってゆーてても、深いところでは変わりたくないから全然変わってないんちゃう?
というお話でした。
自撮りお猫