【今日のちょっとしたデキゴト】
夕飯をごちそうさました娘。
お薬を飲ませようとしたら、ごはんとお味噌汁が少しずつ残っていたので、
「(大好きな)トウモロコシをおかわりして、ごはんとお味噌汁を残してるってのはあかんよ。そういうのあかんよ。分かっとる?あんたのためにゆーとるんやで?」
と、かーさんが娘にゆーたんです。
でも、『あ、最後のは完全なる蛇足やった。』と言った途端に心の隅でチラリと思ったんです。
すると、ちょっと離れたところでゴロゴロしていた息子が間髪入れずに、
「それ、違うと思うな。」
と、言ったんですよーーーーー。
「…え?あんたのためってゆーのが違うってゆーの?」
「うん。違うと思うな。」と、笑顔で言う息子。
ちょっとちょっとー。
「あなたのためなのよ。」という親の言葉は、ほんとうにそうなのか、というのはありがちなものですけど、
ここでそんなツッコミを何故入れる?息子よ!
なんかねー。
たしかに息子が言ったんだけどね、そのツッコミの言葉やタイミングや笑顔がね、息子なんだけど息子じゃないみたいで………
まるでミカエルのように見えたの!
こわいこわい。
夏のホラーですか?これは。
いや、夏の奇跡ですよね?
そうですよね。
そうだと言って。
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さてここから本題です。
じぇいど♪さんがこんな記事を昨日アップしてましたね。
http://nanigamieterujpn.blogspot.jp/2014/07/blog-post_9194.html
政治的な出来事にしても、個人のめっちゃ狭い範囲での出来事にしても、
怒りと不安という感情が、関係性を非常に複雑にしてしまうものだ、というのはめちゃめちゃ明らかなことですよね。
今、イスラエルがガザ地区に武力攻撃をしていますね。
それでたくさんの市民が犠牲になってます。
多くの日本人にとっては地理的に遠い上に、歴史的にも宗教的にも自分にとっては身近な問題ではないので、
「もうやめようよぉぉ~。仲良くしようよぉぉぉ~。犠牲者を出すのはもうやめようよぉぉぉぉ~。」
って、単純に思える人が多いのではないかと思うんです。
でも、
「ご近所の国があんなことゆーたよ!こんなことしたんだよ!このままじゃご近所さんたちのやりたい放題だよ!」
って、自分たちのことになると怒りや不安がすぐに沸き上がってしまう人も多いと思うんです。
今現在、ドンパチをしてるかしていないか、という違いは大きいですが、心理状態においては同じようなカタチになっているというのは否めないと思います。
戦争はイヤ。
世界が平和になって欲しい。
誰も傷つけたくないし、誰からも傷つけられたくない。
でも、隣国は信用できないから、大切な人たちを守るために何かあったら戦わなきゃ。
三次元(現象界)の肉体を持った存在の、それも覚醒からはほど遠いところにいる私なので、もちろんその怒りも不安もあります。
そうやって人類は矛盾しっぱなしのまま、今まで散々戦い続けてきているのも、ある意味「人間の性」のようなものかもなー、と思ったりもします。
人類はこのまま自滅してくしかないのかもなー、と暗い暗い気持ちになることもあります。
たまたまこれも昨日なのですが、この記事を読みました。
http://lovegrace.exblog.jp/20669517/
これはサイキックアタックについて主に述べられていますが、目に見えないエネルギー的なことだけではなく、現象として現れていることも同じですよね。
相手が居るようで、実は居ない。それが、三次元マジック。
この法則がお腹に落ちると、全ての考え方が変わる。
けれど勿論、定着までに時間はかかる(何年、ゆっくりコースならば何十年とかかる)。そして、テストは たくさんやってくる。めげずに頑張ろう。笑 テストをしかけているのさえ、自分自身なのだから。。。
ほんとーーーーーーーーーにそうなんだよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
と、唸っちゃいました。
いえね、ほんとに最近ね、めっちゃ矛盾してるんですよ。
出来事そのものはグローバルなものから、1対1の小さなものまで、さまざまなスケールさまざまな深刻度…と幅は広いのですが、基本構造は同じなんですよね。
現象界に生きるふつーの人間の、ふつーの反応としての「怒りや不安」から発生する言動に対する共感と、
ちょっと高い次元から観てるような視点から感じるモノゴトへの理解とが相容れなくて、バリバリ矛盾するんです。
「ちょっと高い次元から…云々」というのが、引用部分の「この法則がお腹に落ちると」なのだと思うんですが、
まだ完璧にはお腹に落ち切っていないんでしょうね。
だから矛盾するんです。どっちも分かるーって。
ちょうど、うさみみさんも今日、こんなツイートをしていました。
https://twitter.com/usamimix/status/489215376916348930
(下のリプライ欄も続きになってるから読んでね。)
自分の現実に登場する他人すら、大局的に見れば、自分という脚本家・小説家が書いた世界の一部なんだね。
「大局的に見れば」っていうのが、「この法則がお腹に落ちれば」とも「少し高い次元で見てるような視点」とも同義なんでしょうね。
だからって、誰か1人が気づいたことですぐに人類の集合意識を変えちゃって平和な世界を出現させることができる……なんて安易なことは考えてませんが、
そういう方向で1人1人が「あ、そうなのか。」とお腹の底から分かることでしか、平和を築くことはできないんじゃないかなー、とも思ってます。
お腹に落ちきってないなー、というのは分かるけど、
それが分かってるからって、お腹にすこんと落ちるかというと、そんな簡単な話ではなく、
逆にすげぇぇぇもにょもにょしてしまうんですけど、
こういうのもプロセスの1つなんだろうなー、と思って、がっつりもにょもにょさせてもらっております。
はい。
で、ですね。
ここからが本題の本題です。
昔、ブログかmixiの日記かは忘れましたけど、書いた覚えはあるのですが、探すのがメンドクサイので、書きます。
(そっちの方がめんどくさくない?というツッコミは無しの方向でよろしくお願いします!)
上記のブログに、
感情は、自分自身の物事への反応を通じて自らを知る材料として、自分の中で味わいつくそう。感情を否定 するのはよくない。抑圧が、別の問題を産む・・シャドウセルフやパラレルを生み出してしまう可能性もあ る。自然な反応である感情は、自分でまずは認める。そして自分の中で味わいつくす。決して相手にはぶつ けない。ぶつけたっていいのだけれど(その人の人生だから)。けれど、怒りや嫌悪感や批判精神などネガ ティブなものであれば、必ずそれは、アタックとして相手を攻撃するし、当然ながら跳ね返って自分に戻っ てくる。。。自分が、あえて傷付いたり、オーラを損傷して運気を下げたり健康を害したりすることを望む 人は居るでしょうか?
・・居ませんよね。だから、感情は、相手にぶつけずに自分が味わうことで消化して、できれば透明な水に なるまで、濾過できればベスト。純化してしまう。そのプロセスは自分自身を知る作業であり、認めたくな いことでも自分で受け入れて呑み込み消化することで、純化が完成する。モヤモヤっと立ちこめていたエネ ルギーがなくなる訳だから、何が起きるかというと、相手がコロっと変わったり、嘘のように現実にあった 問題が消えて行く。
とありますよね。
でも、『感情は自分で味わい尽くして濾過しちゃいましょう』と、言われても、それができないから困るんだよね~という人も多いんじゃないかと思うんです。
でもね。
これね、ほんとにそうなんですよ。
私はこれを五井先生の教えをいろいろ解説してくれる人の記事を読んで知りまして、自分でもやってみたんです。
コツをお教えします。
まず、世界のデキゴトとかそーゆーのじゃなくて、家族に対する「腹立つわー!」が良いと思います。
ここで不安や悲しみではなく、まず怒り、それも身近な、旦那やオカンなど、ちょー身近な人との頭がカッカするようなケンカの直後が良いと思います。
なぜならそーゆー怒りというのは、その増減がすごく分かりやすいからです。
そういう状況になったら、どこか1人になれるところに移動します。
そして、目をつぶって、じーーーーーーっと自分の感情のみを感じます。
この時に、『旦那が悪いのよっ。あんなこと言うからっ!』などと、言葉にして考えてはいけません。
思考(言葉)は横に置いておいて、ただただ沸き上がってくる怒りの感情のみを感じるのです。
感情に対してあれこれ思考を結びつけるので、感情を味わい尽くすことも濾過することもできないんです。
そして、おそらく感情を感情としてのみ感じる、ということは、言葉を獲得して使いこなすようになってからは、ほとんどしなくなっちゃったんじゃないかなー、と思うんです。自分を省みても。
なので、思考せずに(怒りの)感情だけを感じる、ということをしていると、そのうちものすごーーーーく居心地が悪くなったりします。
じっとしてられなくなったり、思考したくなったり、逃げ出したくなったりします。
でもここがガマンのしどころです。
それでも逃げずに思考せずに感情だけを感じていると、とある瞬間がやってきます。
まるでお風呂の栓がぽんと抜けたかのような、そんな瞬間がやってくるのです。
そうなると、しゅるるるるる~と(怒りの)感情が抜けていくのです!
ほんとうにしゅるるるるる~と抜けるんですよぉぉぉぉぉぉー。
その瞬間の感覚はまさにお風呂の栓が抜ける、という言葉でしか私は表現できませんが、なんとなく伝わるといいなぁ~と思いつつ書いております。
表現が貧困でごめんなさいねぇぇぇ。
もちろん、『感情を味わい尽くして濾過する』というのは、もっともっと深い意味なのだと思いますが、
一度この体験をしてみると、感情というものに対しての向き合い方や取り扱い方が変わると思います。
旦那さんや奥さんとケンカして怒りがふつふつと湧いて来ちゃうようなことがあったら、
すっと1人になって、試してみることをオススメします。
(旦那さんと仲良しでケンカなんかしないのー♡って人は……どうしましょ?)
お熱下がったねーちゃんに抱っこしてもらったぜ。
良かったな。ねーちゃん。
おとといくらいに『考えるな,感じろ』いう言葉が
自分の中でぐぐっと浮かんできていたので
今回のたみえさんの記事を読んで,
やっぱりそこがポイントなのか・・・と改めて思いました。
お風呂の栓がスポン!な感覚を味わうべく,
ダンナとのケンカの際にでも試してみようと思います。
よいきっかけをありがとうございます!
コメントが消えているので、一度テスト
させて下さい。^^
たみえさん
こんばんは!
息子さん、もしかしたらテレパシーで
たみえさんの考えを感じとられたのかな?
とも、思いました。^^
いずれにせよ、ブラボーです♪
何かで落ち込んで、たまにその理由を
すぐ忘れ(爆)、感情だけ残っちゃう時
この年になってから(この身体になって
からと言うか)あります。
なんで、落ち込んでたんだっけ?
と、理由が思い出せないので、
感情もすぐ消えます!^^
その逆バージョンか。。。と、思いました。
感情は味わい尽くす。。。とか、
目にしますが、思考が伴うと
やはり感情も、もれなく付いてくる感じが
するので(味わい尽くしてないからか)
たみえさんに教えて頂いた方法は
とても新鮮でした☆
ぜひ試してみたいと思います!
ええ、夫婦のちょっとしたことが原因なんだけどめっちゃイラっとする、ってのが試すのにはちょうどいいと思います!
だって原因はほんとにどーでもいいことですもんね~。
感情だけの問題なので、試すのに一番いいと思います。
すぐに忘れちゃって、感情も「あれ?なんで怒ってたんだっけ?」ってすぐに消える…なら、それで十分ですよね~。
要らんものは忘れちゃえばいいのですっ。