昨日の記事に、「私もたみえさんの絵と文章が好きですよ。」というコメントをいくつかいただき、
ありがたいなーありがたいなーー、と感謝の気持ちでいっぱいになっております。
エイトのみんなもこーゆー気持ちなのかなー、と思ったりしました。
もちろんその数は比べ物にならないくらい全然違うけれど、その気持ちは同じなのかな~、娘の言葉のとおりなのかな~、と、思ったりました。
ありがとうございます。
それでですね。
いただいたコメントの中に、楓さんからのこんなコメントがありました。
こんにちは。
あの、もしかしたら…なんですけど、送り手も受け手も同じくらいのエネルギーが双方向で流れているのではないのかな、とか思ってしまいました。
感謝を送る側も、感謝を受けとる側も、同じようにエネルギーを受けとる器ってのが潜在的にあるのかもしれないなって感じました。
私は、コンサートとかほとんど行ったことありませんが…友達に誘われて行った時に、エネルギーが循環しているのを感じました。
舞台上に立つボーカルに向かって流れるエネルギーが、ボーカルの歌声と共に青い光となって会場全体を包み込んでいました。
歌もすごく上手かったのですが、それだけじゃなくて声そのものにも凄い力を感じました。
10年以上前の事ですが、今でも鮮烈に思い出せます。
ただ自分にはそれだけのものを受けとる器なんて無いって信じているから、受け取り拒否していることもあると思うんです。
もしコンサートや総選挙みたいな非現実的な空間でなら受け取り可能だというのなら、ストッパーさえ外す事が出来たら…。
それに対して、私はこんな返事をさせてもらいました。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
コンサートでアーティストとファンの間に双方向にエネルギーが流れている、というのは、私も多分そうなんだろうなー、となんとなくですが思ってました。
といいますか、感じていました。
やっぱりそうですよねぇぇぇぇ。
そして、「自分にはそれだけのものを受け取る器なんて無いって信じてるから、受け取り拒否していることもあると思う」というのも、そうだろうなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー、と思いました。
私だけじゃなくて、たくさんの人がそうなんだろうな、って思いました。
私は、諸事情であまりに大きなエネルギーが流れるとぶっ倒れるということを繰り返してきたので、そんな器じゃないと思うことは、まったく不必要なことだった…というわけでもないのかもしれないのですが、
もうそろそろそーゆーのは要らないのかもしれないなー、と楓さんのコメントを読んで更に思いました。
この記事に書いたように、月子さんから「蟹座エキス」を少し分けてもらったわけですが、
これは、まさに堅い殻が必要だからなんだろうなー、と思っているんです。
月子さんに言わせると「あっぱっぱー」な私ですが、その「あっぱっぱー」加減にもかーなーり変動がありまして、
「けっこー開いてる時」と「閉じ気味の時」というのが、数年周期に入れ代わります。
「けっこー開いてる時」というのは、新たな人とのつながりもどんどん増えていきますが、ずーっとこのモードではいられないようで、「閉じ気味の時」というのがやってきます。
実はこの2年ほどは「閉じ気味」だったんです。
オーバーフローを起こす前に閉じるのか、整理整頓をするために閉じるのか……ともかく、そういう変動があるんです。
このような変動があること自体を良いのか悪いのか…と判断することはできませんが、
絵を描くという今のお仕事をこれからも続けていく上では、変動は無い方がいいよな、と思っていました。
無い……というのは無理でも、変動の振幅はより小さい方がいいよなー、と思うのです。
そのために、自分に足りないものはなんだろう?と考えてみると、どうしても結論はコレになるんです。
境界がふにゃふにゃ
これです。
人間にはいろんな「境界」があるんだろうな、と思うんですが、
どこの部分かはハッキリ分かりませんが、どこかの一部がふにゃふにゃだよなーと、自分でも自覚してるんです。
(あ。りゅーらたんもだぞ!私だけじゃないぞ!)
殻がある・境界線がちゃんとある、というのは、自と他を区別するということで、
スピでいうところのワンネスの概念とは反することかもしれませんが、
この現象世界・物理世界で生きるということは、その境界をしっかり持つ、ということに他ならないのだと思うのです。
自と他の境界線を適度な強度で引くことで「自己の世界をより善く、より美しく創りあげる」ことができ、
そうすることで、「他者の世界も正しく尊重する」ということができるような気がするのです。
自分というものがちゃんとカタチを得てこそ、ワンネスを目指せるのではないか、と思うのです。
おそらく、境界の強度が強すぎるのも問題なのでしょうけど、ふにゃふにゃな部分がある私にしたら、蟹の甲羅のような「自と他を分けるもの」は必要な要素なのだろうな……と、ここ数年のアレコレを通して感じるようになりました。
柔らかい中身を守るために、エゴを強くするという方法もあるかと思いますが、それは賢い選択でないのは明白ですしね。
エゴはこの物理世界で肉体を維持するために上手に使うべき道具みたいなものかなー、と思うので、柔らかい中身を守るために使うというのは、用途が違うよなー、と思うんです。
なんでも用途を間違えると、うまいこといきませんよね。
それで、話を戻しますとね、
大きいエネルギーが流れるとぶっ倒れていた、というのは、
過去世からのさまざまなブロックがエネルギー管にどっさり詰まっていたためだったわけですが、
最近ではそれだけじゃなくて、境界の甘さもその要因の1つなのではないか、と考えるようになったんです。
もちろん「そうじゃないかなー?」と考えるようになったのは、ワームを取り除いてもらって蟹エキスを分けてもらってからです。
そんな感覚がジワジワ~っとするのです。
あ、そいえば私のホロスコープには蟹座の「惑星」って1つもないや~。小惑星とかは分からんけど。
そして蟹座の守護星である「月」は海王星とハードアスペクト取ってるしー。
そりゃふにゃふにゃだよなー。あっはっはー。
そこに楓さんのあのコメントだったので、
「もしかしたら、そろそろもうストッパーを外しても良さそうな時期に来てるってことなのかな?」
と、思ったのでした。
境界がハッキリしていれば、自分にとって良い影響を与えてくれるモノだけ受け取ることもできるようになるのかも、と思ったのです。
なーんてつらつらと思っていたら、mixiでPさまがこんな動画を貼り付けてくれていました。
他の方の日記に貼り付けてあったそうなのです。
バシャールの動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=4ExfcLqJGrM
もうそろそろストッパーを外してもいいんだよ。
そして外したら、このように周波数のチューニングを「自分にとって望ましいところ」に合わせ続けなさいよ。
それができるなら、恐れることは何も無いんだよ。
と、言われてるようにビリビリと感じました。
今まで何度も何度もこーゆー言葉は耳にしてきましたが、今までとは少し違った感覚で私の中に入ってきました。
とりあえずー
ええところにチューニングを合わせにくくなったら、
ゆるゆる上機嫌なタミエルにチューニングを合わせるように心がけようと思いますー。
自分のハイヤーなんだから、合わせやすかろう!
おれはいつもゆるゆるだぜ~。
友人が育てたトウモロコシです。
今年お初です。
うまうまでした~♪♪
ありがとうございます。
バシャールの言葉は、今の自分に一番必要なことでした。
こんにちは。
ガビーンとなりながら、この記事を読んでました。
ここ最近の記事を読んでいて、コメントを書こうとして…途中まで書いて消してしまったのが何回かありました。
でも、昨日のはどうしても書きたくてコメントしたのですが、送信を押すのにちょっと勇気が必要でした。
もう一つ、伝えたいことがあったので勇気を出して書いてみます。
ストッパーはそろそろ外す時期だと思います。
今すぐじゃないですよ、この夏の間に…そういう感じです。
かつては必要だったストッパーも、今では形骸化して無意味なものになっているものが多いみたいです。
どれが不要になったストッパーで、どれが今も必要なストッパーなのか分からないので、一度リセットする必要があるみたいなのです。
リセットには、自分自身を真正面から見る必要があるから、今はキツい状態の人が多いのだと思います。
逆に今まで辛かった人には、嬉しいギフトが届いているのかもしれません。
> ありがとうございます。
>
> バシャールの言葉は、今の自分に一番必要なことでした。
おお~、それは良かったです~♪
お互い、ええところにチューニング合わせ続けていきましょう♡
> こんにちは。
> ガビーンとなりながら、この記事を読んでました。
> ここ最近の記事を読んでいて、コメントを書こうとして…途中まで書いて消してしまったのが何回かありました。
> でも、昨日のはどうしても書きたくてコメントしたのですが、送信を押すのにちょっと勇気が必要でした。
>
> もう一つ、伝えたいことがあったので勇気を出して書いてみます。
>
> ストッパーはそろそろ外す時期だと思います。
> 今すぐじゃないですよ、この夏の間に…そういう感じです。
> かつては必要だったストッパーも、今では形骸化して無意味なものになっているものが多いみたいです。
> どれが不要になったストッパーで、どれが今も必要なストッパーなのか分からないので、一度リセットする必要があるみたいなのです。
> リセットには、自分自身を真正面から見る必要があるから、今はキツい状態の人が多いのだと思います。
> 逆に今まで辛かった人には、嬉しいギフトが届いているのかもしれません。
鍵付きのコメントではなかったので、勝手ながらブログの記事に流用させていただきました。
ビックリさせてしまったようで、申し訳ありませんでした。
コメントを書くのにも勇気が必要というのは、すごーく分かります。
そして書いて消して止めて…って、私もほんとーによくやります。
そんな方が勇気を出して書いてくださったコメントだからこそ、そこから学ぶことができました。
ありがとうございます。
本格的にストッパーを外すのはもう少し先……というのは、なんとなく分かる気がします。
その前に地ならしとして、チューニングをやっておかなきゃいけないんだろうな~、と思っていたので、
またしても勇気を出して書いてくださったコメントを読んで、「ああやっぱりそうなのかー。」と安心しました。
そうなんですよね。
まだ必要なものと、もう要らなくなったものとの区別をするための時間も必要なんでしょうね。
自分と真正面から向き合うために。
チューニングをするのも、そういう面での効果もあるのかもな、と思いました。