人生には、「この年がターニングポイントだったよな。」と感じる年がいくつかあると思いますが、
1985年が私にとって、その年の1つです。
高校2年生でした。
学校でも学校外でも交遊関係がぐっと広がり、それだけでもインプットされるものが格段に増えたというのに、
ある友人からは計り知れない影響を日々受けることとなり、
彼女が今の私の「感性」のベースを形成してくれたと言っても過言ではないと思っています。
進学クラスでしたから勉強もそれなりにしなければならず、今から思うとよくあれだけの「インプット」をどんどん受け入れていたなぁ、と感心すらしてしまいます。
それほど濃い、とてもとても濃い1年でした。
そんな16歳のとても濃い「インプット」を受け入れる「窓」が開いたのが、5月の半ばのことでした。
土曜日だったのか、(3学期制なのでこの頃にあった)中間テストの時だったのかは覚えていないのですが、
ある日、お昼頃にバスに乗って学校から帰宅しようとしていました。
いつもは友達とわいわいおしゃべりしながら帰るのに、その日はどうしてか1人でした。
そして席に座って、少し窓を開けて、ぼーっと外を見ていました。
すると突然、まるでそれまでつながっていなかった脳の中の線がつながったかのようになり、それまでもこの目で見えていた「初夏の木々の緑色」が全く別のもののように見え、
ほんとうはこんなにも美しかったのか!
と、身体が震えるほど感動してしまったのです。
またしても、ここで私の目は脱皮したのだと思います。
実は、小3の春にも同じような体験をしているのです。
突然、目の前の世界がハッキリ見えるようになたったのです。
もちろん、目に異常があったわけでもなく、その瞬間の前にもちゃんと見えていたのですが、
つるんと目が脱皮した瞬間に見えた世界があまりにクリアで、
じゃあ今まで私が見ていたのは、まるで水の中のぼんやりした世界だったんだな、と思うくらいの違いだったのです。
当然ですが、物理的に目が「脱皮」なんてするわけもなく、あくまで比喩です。
シュタイナーは7歳までは夢の中と言ったそうですが、私が「目覚めた」のは8歳のその瞬間だったのかもしれません。
そしてたしかに、そこを境に自分が変わった、とすごく感じています。
「精神」がそこまででようやくReadyとなり、あの瞬間からGO!とシグナルが変わった…という感じだったのでしょう。今から思うと。
「目」が脱皮することで、受け入れることができるインプットの量がぐんっと増え、
それを契機に、8歳の時も16歳の時も友人関係がなぜかびっくりするほど広くなりました。
受け入れ態勢が整ってから、モノゴトが動いたのでしょうね。
ですから、16歳の5月にバスの中からみたあの美しい緑の色を、私は忘れることができません。
と。
16歳の私が、5月の半ばにそんな体験をしていた頃に、大好きな関ジャニ∞の大倉くんが生まれたというのも、なんだかちょっと嬉しいやないのー♪と、おばちゃん1人でニヤっとしてしまいす。
5月16日の今日で、28歳ですよね。
若いなー。
いいなー。
お誕生日おめでとうございます。
もっともっといい男になってください。