お腹に「怒りのマグマ」が溜まっていないか?

ちょっとツイートもしたんですが、
今朝のNHKの「あさイチ」で夫に暴力をふるう妻ってーのをやってたんですね。
その中で、「誰でもなりうること」というようなことが言われてたんですが、いやいやいやー、やっぱ「暴力」に至るか至らないかの境界ってデカいぞ、と思ったんです。
夫婦の関係なんて夫婦の数だけあって、もちろんいろんなケースがあるとは思うんですが、
でもね、「暴力」となるケースというのは、暴力をヨシとする背景が少なからずあると思うんですよ。
なにかしらの「暴力をヨシ」とする背景……親がすぐに怒鳴る手を出す、というようなね。
そういう学習を無意識にでもしてしまってる気がするんです。
「やめたくてもやめられなくて苦しい」
と、暴力妻は口を揃えていいますが、それって依存症と同じですよね。
些細なことでも夫が自分の思ったとおりの「反応」をしないと、強い怒りという感情が噴出してきて、それをコントロールできなくて暴力という方法で解消してスッキリしてるだけなんだろうな、と思ったんです。
で、スッキリしてから罪悪感に苛まれることになるわけなんでしょうけど、
『夫が思ったとおりの反応をしないことに強い怒りを感じる』というのも問題だし、
感情をコントロールできないのも問題だし、
それを暴力という形で表現してしまうというのも問題だし、
なかなか根深いよねー、と思いました。
昨日、月子さんが遊びに来てくれて、2人で映画「天地明察」を見に行ったんですけどね、
ウチに帰ってきてから、似たような話をしてたところなんです。
もちろん「暴力をふるう妻」という形態ではなく、会社の「困った先輩」という形態での話だったのですが、
私も「困った先輩」にトホホとなった経験がありまして、2人でいろいろ話してたのです。
で、
やはり、「自分の思ったとおりに人が反応しない」ことに強い怒りを感じ、それを暴言やらモノに当たるやらということですぐに反射的に表現してしまう人というのは、
お腹の中に「怒りのマグマ」が溜まってて、ちょっとしたことにすぐにそれが刺激される
んだろう、という結論になったんです。
きっとそういう人は、「相手が悪い」と信じ込んでるんだろうけど、他人から見ると「そんなふうに怒るようなことでもないし、なんでそんな反応になるの?」と不思議でしょうがないんですよね。
夫でさえ、反論してもしょうがないから何も言わない……となりやすいんですから、他人ならなおさらですよね。
だから自分の中の「回路」の歪みに気づくことも難しくて、どんどん悪化しやすいんだろうなー、と思います。
怒りのマグマ溜まりがお腹にできちゃうような人って、多くは「すごく不安定」だと思うんです。
どっしりとした根っこを形成できないまま大人になっちゃったような、そんな不安定さがあると思うんです。
本人もとても生きにくいだろうし、周りも正直とても迷惑です。
だから、あさイチでもチラっと言ってましたが、紙に(激しく反応した出来事に対しての)自分の感情・考えをアットプットして、それとはまったく別の考え方を冷静になって考えて、それも紙にアウトプットして……というのを続けてみることで、自分自身の認知の歪みに気づくことはとても大事だろうな、と思います。
それができないと、自分の中の怒りのマグマ溜まりの存在になんて気づけるわけないでしょうしね。

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