火山学の授業で、先生が
「火砕流って言葉は、一般の人は知らないでしょうけど…。」と言ってたのをなぜかすごく覚えてて、
その数カ月後だったはずです。雲仙普賢岳で「火砕流」 が発生したのは。
「こんな形でみんなが『火砕流』という言葉を知るなんて…。」と残念でなりませんでした。
しかし。
ああ、あれくらいはほんとに小規模な火砕流だよなぁ…。
飛騨地方の火砕流堆積物の大きさを考えたら、あれくらいはほんとにごくごく小さな変動でしかなよな…。
そんな小さな変動でも、人間はあっけなく死んでしまうんだよな…。
と、死んでしまった人たちへの哀悼の気持ちを持ちつつも、テレビを見ながら、自然の驚異のほんの「片鱗」を見てるんだな、という自分がいました。
そして。
17年前の朝。
寝ぼけた目で見たニュース番組の映像は、一瞬私の頭をフリーズさせてしまうほどのものでした。
それでも、あれすら「片鱗」でしかないとも思いました。
活断層が動いただけだもの。
プレート境界型が起きたら、これくらいじゃ済まないだろう…と思いながら見てる自分もいたのです。
あの津波でさえ、そうです。
地球上の生命は、幾度となく大量絶滅を経験しています。
ペルム紀末の大量絶滅においては、地球上の95%近くの種が絶滅していると言われているほどです。
それほど「地球」は変動が激しい惑星なのです。
そんな惑星に生まれて生きているというだけで、人間ってのはなんとも悲しく逞しく愛しい存在だよなぁー…って思います。
多くの癒しがもたらされますように。