夏の日の空気のにおいとか、草の色とか、風の感触とかが、
昔から、子どもの頃から、私の中の「何か」を呼び起こすような、そんな感覚があって、
高校生の時に中原中也の「少年時」という詩を読んだ時に、一気になにかが弾けたような、おおもとの心象風景を垣間見たような、そんな衝撃を受けました。
今も時々、何かのきっかけでふわりと私の横を通りすぎます。
今日もそうでした。
少年時
黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。
地平の果に蒸氣が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。
麥田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
翔びゆく雲の落とす影のやうに、
他の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――
夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……
私は希望を唇に嚙みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫、生きてゐた、私は生きてゐた!
……でも、大人になってからは夏は苦手。しんどい。
あたすも好きです~
最初の出会い小学校の時で、サーカスでした~(´∀`∩
おお、かめたんもかー。
いいよねー、中也。
> 最初の出会い小学校の時で、サーカスでした~(´∀`∩
おお。おませさんじゃのー。
…って、教科書に載ってたのかな。