【mixiより転記 5月4日】
小学校に上る前のこと。
お月さまはいつも私と一緒でした。
私が歩けば一緒についてくるし、私が止まればお月さまも止まる。
ある時、その当たり前だった事柄を疑問に思うようになりました。
なんで、お月さまは「私」と一緒なんだろう?
そこで、隣の家に住んでた1つ年上のマーちゃんと、私の2つ年下の弟のタカちゃんにお願いしました。
「タカちゃんはここにじっとしとって。マーちゃんはあっちに走ってって。私はこっちに行くで。みんなお月さまがどうなったか見とってね。」
そして、マーちゃんと私がタカちゃんのところに戻ってきました。
「マーちゃん、お月さまはどうやった?止まっとった?マーちゃんについてきた?」
「ぼくについてきたよ。」
「タカちゃんは?」
「お月さまは止まっとったよ。」
「……おかしいなぁ。お月さまは私についてきとったのに。」
大きくなって、それがどういうことかの謎解きはできたのですが、あくまで現象としての謎解きです。
この出来事は、忘れることなく私の中にずーっと在りました。
そして、今日になって、分かりました。
そうか。
お月さまは、いつも「私」と一緒なんだ。
「私」が止まれば止まる。「私」が走れば走る。
その認識で良かったんだ。
タカちゃんの月も、マーちゃんの月も同じ月だけど、「私」と「私の月」との関係は、唯一のものだったんだ。
そして同時に、「タカちゃん」と「タカちゃんの月」との関係も、「マーちゃん」と「マーちゃんの月」との関係も、それぞれが唯一のものだったんだ。
あの時、私とタカちゃんとマーちゃんが同じ『世界』に存在していたのではなく、「私の『世界』」と「タカちゃんの『世界』」と「マーちゃんの『世界』」がオーバーラップしていたのだ。
オーバーラップすることで、お互いの『世界』はより豊かになるのだけれど、私は「タカちゃんの『世界』」にも「マーちゃんの『世界』」にも決して【介入】することはできないのだ。
なぜなら、タカちゃんは止まっていて、マーちゃんはあっちに走っていて、私はこっちに走っているから。
こっちに走っている私が、タカちゃんの月を動かすことなんてできっこないのだから。
だから、「私」は、「私の『世界』」に責任を負う者、「神」なんだ。
と、今日になって気がついたのです。
ですから、まずは「私の『世界』」の調和を祈り、そして、それぞれの『世界』がオーバーラップする『超・世界』が大調和するように、「世界平和の祈り」で祈っているんだなぁ、と、いまさら……ほんとに今頃になってハタと分かったのです。
何年、お祈りしてるんだかね~~。てへへ。