潜在意識に書かれた厄介なプログラム

昨日の夜は息子が早く寝てくれたので、のんびりとブログの記事を書いておったのですが、いざ保存…となったらココログがビジーだったのか何かで、うまいこといかず、結果的に記事は飛んでしまいました。
あらら。結構時間かかった記事なのに。
んでも、こーゆー時は載せなくていい、ということなんだろうとスッパリ諦めました。
さてさて。
今朝のことです。
早く寝た息子は当然のようにいつもより早起きしました。
30分くらいは1人で遊んでいたようですが、だんだん腹が立ってきたようで、玄関で寝ころがりながら怒ってました。
そんな息子の手をひいて、居間(寝室)に連れてきたところ、「もう起きようよ。」と起こしてもまだ寝ている旦那さんの姿に、「しょうがないなー。」って感じの気持ちになりまして、丁度息子もお父ちゃんに突進していたので、そのまま突進させてみました。
無防備に寝ているお父ちゃんの上にどかーんと息子が乗り上げたわけです。
ビックリなのと痛いのとで、お父ちゃんは大声を出しました。
結構、この人ね、こーゆー時に(若干オーバー気味に思えるほど)大声を出すんで、息子も私もちょっとビックリしちゃうんです。分かってても。
なんてかね、ちょっと前に下痢気味でもよおした途端にオムツの中でウンチをしてしまうことが続いた息子に対しても、「ちょっとー!なんで言わないのー!」と、見つけた途端に大声で言うもんだから、少々息子が萎縮してしまってたこともあったくらいでして。
本人(お父ちゃん)はそんなつもりはなくて、おそらく自分の中ではナチュラルな反応なんだろうと思うんですが、普段がどっちかって言うと聞き取りにくいくらいの話し方をする人なので、咄嗟の時の大声とかって言うと、なんだかこっちがビックリしてしまうくらいに感じてしまうのです。
それにね、私は旦那さんと19歳の時からの付き合いなんですが、学生のうちは付き合っていても相手のことなんてよく分からんもんでして、時々のことではあるんですが、ちょっとしたことでも威嚇されてるような物言いに、すごーく顔色をうかがうようになってしまったんです。私が。
今では信じられんような話ですが、ほんとにそうでして、付き合っていても実はとっても息苦しかったのを覚えてます。(息苦しかったんだ、というのは、旦那さんが1年先に卒業して身近にいなくなってから気がついた。寂しいくせにいなくなってスッキリした気分になった自分に驚いたのであります。)
それが、なんやかんやとずーっと一緒にいるうちにだんだんいろんなことが分かってきまして、旦那さんは別に威嚇してるわけでもなんでもないことや、たまにちょっとしたことを怒ったような言い方をしてしまうのは、お義父さんに似ちゃったんだな、というのもこちらに引っ越してきて、頻繁にお義父さんに会うようになってかよーく分かるようになりましたし。
仲良し夫婦のお義母さんお義父さんですが、一度だけ、お義母さんがお義父さんのそーゆーところに対して「やんなっちゃう。」と漏らしたのを聞いたことがあります。
ああ、やっぱりお義母さんもイヤなんだけど、仕方がないって諦めてるんだなぁ……、と新しい発見に不思議な気分になったりもしました。
私だって物言いが悪いことが多々あるだろうし、旦那さんも私に対していろいろいろいろ我慢してるんだろうから、と思って普段はあまり指摘しないんですが、時々やっぱりカチンときてしまいます。
(若い頃はそーゆー物言いをされると萎縮してたのが、数年後からはカチンと腹を立てるようになった、というわけです。こうやって女は図々しくなっていくのですな。)
おそらく、旦那さんもお義父さんのそういう物言いは好きじゃないと思うんですが、知らず知らずのうちに取り込んでいるんでしょう。
私がオカンのイヤなところばっかりソックリなのと一緒です。
人間って、どうしてこーゆー取り込み方をしてしまうんでしょうね?
あ、それで、です。
お父ちゃんに息子がダイビングした話の続きです。
お父ちゃんは私が意図的に息子にそうさせた、と思ったようです。
半分はそうなんですが、半分は息子の好きにさせただけなんですがね。
それに、お父ちゃんの大声にちょっとビックリしてたら、怒った旦那さんに先に言われてましいました。
「あんたって、本当に謝らんね。」
ええ、私は旦那さんに謝るのが苦手です。
本当に悪いことやどうでもいいことは謝りますが、その中間のことって謝るのが苦手なのです。
なのに先にそんなこと言われたら余計に謝れんがね。
私が悪いんですけど、なんだかだんだん腹が立ってきましてねぇ。
あんただって物言いがよろしくないこと、多いやん。
自分が不安や心配なことがあると、私に怒ったように言うやん。
自分の不安やイライラを私にぶつけること、結構増えたぞ。あまり言わんようにしとるけど。
なんて、普段はスルーしていることが沸き上がってきてしまい、どんどん腹が立ってきてしまいました。
いけませんね。
自分の悪い部分を指摘されて、素直に聞き入れないばかりか、相手の悪い部分に対する愚痴を心の中で繰り返してるんですから。
もーー、私の周りからイヤ~~な波動がどよーーんと出まくっているな、と自分でも分かってたんですが、こうなるとなかなか止まらんのです。
お祈りをしても続かないし。
あー、そんな自分がやんなちゃう~~、と思ってる反面、怒りがなかなか収まらんのです。
そうしいるうちに、だんだん怒りが自分の中の何かに向かっていこうとするし。
なんだろ?
自分の中の何に向かってんだろ??
で、家事をしながら怒りながら、ふと思い出したのです。
私がなぜ、(家族に対して)謝るのが苦手になったのか、を。
まだ小学校に上るか上らないか、だったと思います。
何かしでかして、オカンが激怒して、私を家から追い出したんです。
私は追い出されるのがイヤで、泣きながら「ごめんなさい。ごめんなさい。」って言ったのに、オカンの怒りは収まらずに追い出されてしまったのです。
一通りわんわん泣いた後、私はすごく怒りを感じました。
私が悪かったのには違いないないけど、私は謝ったやん。
なのに、追い出すなんてヒドい。謝ったってどうせ追い出されるなら、謝っても意味ないやん…ってね。
だから私はひどくスネてしまって、祖母や隣のおばさんがなだめにきてくれても、なかなか家の中に入ろうとはしませんでした。
同じ反応を、下の弟がしたことがありました。
気持ちが分かるから、私がなだめに行きましたが、弟は絶対に家に入ろうとはしませんでした。
その気持ちもよく分かりました。
同じようにされた時、弟1号は追い出されてもぐるりと回って玄関など、違う入り口から入り込んでケロっとしていたので、同じ兄弟でも事柄の受け止め方は全然違うんですね。
今なら、オカンだって未熟な人間だから、子どもに対する躾けと怒りを混同してしまって、泣いて謝ってる子どもに対して『諭す』なんてことができなかったんだろうな、とよーーーく分かるんですが、小さい子どもには分からんわけですよ。
だから、私はオカンの『怒り』に対して自分の中に『怒り』を蓄積させていくしかなかったんでしょう。
こんな昔々の出来事を、突然思い出したのです。
そして、「あー、だから、私はオカンのイヤなところばっかり似ちゃったんだなぁ~……。」と、分かりました。
旦那さんがお義父さんのマイナス面と(無自覚のまま)似てしまったのも、子どもの頃に同じようなメカニズムが働いたんだろうなぁ、と思いました。
みんな、そうやって『厄介な偏り』を潜在意識に植えつけられていくんですね。
斎藤一人さんの言葉を借りれば『劣等感』ってことになりますね。
これは、決して『個性』ではなくて、本当に厄介な偏り、しこりになって、何かの事象に対して自動的に(だいたいは良からぬ方向に)反応してしまう元凶になってしまうわけです。
潜在意識の力はとてつもなく大きいので、いくら顕在意識で「こうなりたい。」と思っても、潜在意識のプログラムを書き換えない限り、思ったような人生には決してならないわけです。
健康になりたくても、健康になっちゃダメだと反対方向に無自覚のままひっぱられたり。
お金持になりたくても、自分はそんな能力が無いと潜在意識の中から強く信じきっていたり。
幸せになりたくても、幸せになる価値が自分にはないと知らず知らずのうちにプログラムされていたり。
このようにプログラムは自動的に運用されてしまうのです。(でもね、それを書き換える方法はいろいろあります。その気になれば大丈夫。ただ、そういう仕組みに気がついて、その気になるかどうかが難しいところ。ほんとに難しいですよねぇ……。とほほ。)
てなわけで。
最後にお薦めの本の紹介。
斎藤一人さんの『地球が天国になる話』です。
すぐ読めますし、なんてったってCDがついてますから、通勤時間などを利用して何度も何度も聞くと良い思います。
何度も何度も聞いていると、それこそ潜在意識の偏ったプログラムの書き換えができちゃうんですねぇ。これが。

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