金曜ロードショーでは時々ジブリの作品を放送してくれますね。
新聞を見て、「お。今日は見なくちゃ。」と、ついつい何度目でも見てしまうのが、ナウシカとラピュタと、そして今日放送された『耳をすませば』です。
トトロと魔女は、気が向けば見る程度だな。
ナウシカとラピュタは自分の中でど真ん中なんですが、耳をすませばは自分の中では異色です。
でもね、見ずにはおられんのです。
なぜなら、私の中の『女の子』が見たがるからです。
見るたび、『彼女』がキュンとしてます。
別に雫ちゃんみたいな中学生生活を送ってたわけでもないし、あーゆータイプの女の子でもなかったんだけど、耳をすませばを見るたびに私の中の『女の子』が喜ぶんですなぁ~。
実は小さい頃から『女の子』であることが、違和感とまでは言わないけれど、少しシックリこない感じを持ってました。
それを『男の子だったら良かったのかなぁ?』と幼いながらに自己分析したりもしましたけど、それもちょっと違ってたんですよね。
私の中の『女の子』は、私の中の『少年』に憧れ続けていたのです。それもかなり強烈に。(理由は知らんがな。)
なので、言語脳が確立する8歳頃から、私は徐々に実生活において少々ややこしい想いを持つようになりました。
それを象徴するのが『女の子であることが少しシックリこない感じ』なのです。
今から思うとね、がっつりと『女の子』を満喫してれば良かったのに勿体ないなぁ、と思うんですけどね。
まーー、憧れと同化しようとするのは、よくあることだから仕方がないかーー。
それも無意識だったしな。
そんなわけで、どこか不完全燃焼の『女の子』を抱えたまま大人の女性になってしまった私は、耳をすませばを見るたびに、私の中の『女の子』を喜ばせてあげているのです。
多分、少女漫画(今はほとんどLaLaばっかりだけど)が止められないのも、『彼女』の存在が大きいな……。
すると、ナウシカとラピュタが『ど真ん中』な理由も明らかですねぇ~。
てへ。