「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!

これです。

「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる! 「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!
(2012/07/03)
藤本 靖

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あまぞんでふらふらしていたら、たまたま目にしまして、
「お?」と思ってポチりまして、ちびちびと読んでおりました。
これ、なかなかいいですよ。
感覚器(身体のセンサー)の使い方が悪いと、身体も疲れやすくなり、心も身体もブレやすくなる、というのは納得でした。
ですので、
目をゆるめるとか耳をゆるめるとか、緊張しないですむ視線の合わせ方「ストロー呼吸」などを気づいた時、必要な時にやっております。
お仕事でコンを詰めすぎる傾向のあるお花ちゃんに、この本を送ったところ、この本すごく良いです!と言ってくれたので、どなたが読んでもこの本に書かれていることのどれか1つは役に立つんじゃないかなー、と思います。

最低限のお金が無いと、人間はダメになるからね。

いつも、ちんこちんことおっしゃってる岡田ぱみゅぱみゅ氏が以下のツイートをされてました。

「婚外子や、その母親を社会的に支援すべき」って時に出てくるのは「癌の人も痴呆老人も先天性障害者も低所得者も虐待児童も交通遺児もいる中、なぜ婚外子だけとりわけ厚遇する必要があるの?」って話で、「婚外子【も】充分に支援すべし」という話にした時、どこにリソース求めるかって問題になるのよ
そん時に「これ以上、俺に税金払えってのか!」という不公平感が出てくるので、「障碍者も高齢者も交通遺児も婚外子も、一律で一定の生活保護」とか「子なし独身者も利用できる公営住宅の拡充」とか「ベーシックインカム」とかで、「アンタも税金払ったらメリットあるから…」の構図にしないとダメぽ。
受益者と負担者が時期的に違うのは、まだいいですよ。「若いうちに年金払って高齢者を養い・・・」みたいな。難病や障碍者支援、あるいは雇用問題による困窮も「いつか、俺もそうなるかも知れないし、将来の自分への投資だ」と考える事ができる。
ただ、もちろん婚外子も祝福されて生まれ社会で育まれるべき存在ではあるが、「受益者と負担者が全然異なる」という構図だと、納税者が納得しないので、考える必要があるんじゃないですかねという話なんですが、まぁ別に僕は財務官僚じゃないのでどうでもいいです。
***
僕は、同性婚だろうが離婚家庭だろうが不倫による婚外子だろうがシングルマザーだろうが最低限文化的な生活を送れるよう金銭的に支援すべきだし、それを道徳や倫理で否定的に語るつもりは一切ないですが、誰かが突出して優遇されるのでも冷遇されるのでもない構図が必要だし、税負担は軽い方がいい。


で。
これらをリツイートしてから、私も、

ベーシックインカム的なものを実現しようとしたらいろいろ難しいのだろうけど、でも年金とか生活保護とかアレコレ全部ナシにして基本はベーシックインカム的なのになれば、「みんな生きてていいんだよ。」という国になるということだと思うんですよ。
で、そういうシステムを維持するには、働ける人はみんなしっかり働いて、税金納めようね、いい国にしていこうね、って子供の頃から教えていけばいいんじゃないかなー、なんて思うわけですよ。

と、ものすご~くざっくりしたツイートをしたのですけどね、
まぁご存知のとおり我が家にはダウン症児がおりますので、ここらへんのことは頭良くないなりにも考えざるを得ない、常に頭から離れない懸案事項の1つなのですよ。
障害児の親としては、自分たちが死んでも障害のある我が子が生きていけるかどうか、が一番の心配事なので、
この国に『誰もが最低限文化的な生活をおくれるようなシステム』があれば、そんなありがたいことは無いわけです。
そしてそれが、誰かが突出して優遇されるのでも冷遇されるのでもない構図であれば、障害児の親としてだけでなく、日本国民としてもとてもありがたいことです。
障害者だけに優しいシステムであるよりも、みんなが生き易いシステムであってくれた方が良いに決まってますから。
貧困の問題が取り沙汰される昨今、給食費の滞納とか修学旅行欠席とか、高校生なのに家計を助けるために掛け持ちでバイトとか……子供たちにも大きな負担がかかっているのですから、よりよいシステムの模索を真剣に大人たちがしていかないと、と思いますもん。
憲法改正の前にやるべきことが満載なんじゃないのか、と思ってしまいます……。ほんとにもぉ。
それに、ですね。
人間ってのは、どうしても損得で考えてしまう生き物なんだと思います。
すぐに不公平だー不公平だーと言いたくなるんですよ。
もうそれは仕方がない。
だからこそ、「アンタも税金払ったらメリットあるから…」の構図にしないとダメなんですよね。
なんとか、いい塩梅のところに持っていきたいものですねぇ。
お金は大事よ。
ほんとに大事。
貧しいのも自己責任だって言う人もおるかもしれんけど、
そんなことゆーてたら、「国」という集団である意義がほとんど無くなるっちゅーの。
……ってもね。
知的障害のある子供を授かって、ほんとにそこらへんのことを初めてしっかり考えることができた…という、情けないオトナなんですけどね。私も。
がんばれ、日本のオトナたち。
本気見せないと!

嵐は大天使。エイトは……?

数日前に、mixiの方でTOMOKOさんと月子さんと関ジャニ∞話をしておりましたら、
TOMOKOさんが、
嵐は、大天使。
エイトは、七福神。
私の中で、そんな、イメージです*^^*

とコメントしてくれて、なんてピッタリなイメージなんだ!と感心しておりましたのよ。
すると、手元にあった雑誌の表紙が、まるで大天使たちじゃありませんかー。
大天使な嵐
やっぱり嵐は大天使だ~。
なんか降りてきてるよーー。
私には光の環が見えるよーーー。

(昔、あたしもこんなこと書いてたしね。)
ああ、さすがだねぇ。
やっぱり嵐は大天使だねぇ……と、ニヤニヤしながら、久々にこの雑誌をペラリとめくったら……
七福神なエイト
うむ。
エイトは大天使じゃないね。
たしかに七福神だね。ピッタリだよ。

もぉ、ほんと笑っちゃいましたわ~。
なんなのよー。この差はー。ぷぷぷ。
ちなみに、月子さんが言うには、
大黒天…おーくら
恵比須…マル
寿老人…ヒナ
福禄寿…ヨコ
弁財天…しょーた
毘沙門天…亮ちゃん
布袋…すばる

だそうで。
弁天様は文句無くしょーちゃんだよね!

ミニ・ミカエル

腹八分目なくまえるに続き、本日2枚目の絵でございます。
100均で購入した小さい額に合わせて、小さいミカエルを描いてみました。
ミニなミカエル
額をもっと買ってきて、ラファエルやウリエル、ガブリエルも描いてみようかしらん。

今日は憲法記念日ということで。

今日のマジメなツイートをこっちにもコピペしとこうかと思ったんで、しときます。

憲法記念日ということで。
96条を改正して憲法改正をしやすくしたい方々もいらっしゃいますが、
みんなが本当に改正が必要だよねと思えることじゃないと改正できないという状態は良いことではないかと思います。
改正が必要かどうかをめいっぱい議論して国民みんなで考えないといけないですしね。
ざっくり言うと、「人任せではアカン」ということです。
そんなわけで、世の中の「お母さん」たちは、自分の子供が「選挙なんて誰に入れても同じじゃーん。」とか「自分一人じゃなにも世の中変わらないしー。」とか、考えること・行動することを放棄するような人間にならないようにするにはどうしたらいいかを、真剣に考える義務があると思うのです。
責任重大なのですよ。母ってもんは。


そゆことです。

正義を振りかざす時は慎重に。

さきほど、Twitterでこんな記事を見つけました。
http://www.asahi.com/national/update/0501/OSK201305010192.html?tr=pc
小さい子を見ていると、だいたい女の子がやるんですよね。
お母さんや先生に「言いつけに行く」というのを。
ウチでも娘が家事をしている私のところにわざわざ来て、
「おにーちゃんが○○したのー。」
と言いつけることが時々あります。
小学生になると、掃除をせずに遊んでる男子を少し気の強い女子が怒ったりしますね。
(そして男子が「うるせー、ブス!」とかゆーて、「先生に言うわよっ。」「お前ブスのくせに性格も悪いなー。ばーか。」「なんですってー!」……なーんてバトルに発展したりしますわな。)
小さい頃から人には、『私は正しい。あなたは正しくない。』という意識はあって、正しくないことを正したいという気持ちはあるということなんだろうと思います。
しかし。
「私は正しい。あなたは正しくない。」
ということを激しい怒りを伴って表現する場合は、ものすごく慎重にならなければならない、ということは、さまざまな日常の体験の中で学ぶことができると思うのですが、
学べていない人が、想像力を欠いたまま「自分の正義」を暴走させてしまうのかもしれないですね。
といいますか。
そもそも「正しい」ということがどういうことであるか、を問うてみたことも無い人たちが暴走するのではないか、とも思います。
便利な言葉なので、「正しい」という言葉を時々私も使いますが、私の場合は
「お薬は決められた用法容量を守って正しく飲まなければならない」というような意味合いの「正しい」を使っていますが、
「正義」という意味合いの「正しい」は極力使わないようにしています。
だって、正義というのは立場によっては正義では無いことが多いからです。
怒りを伴って正義を振りかざす前に、それがほんとうに何かを良い方向に変えることができるやり方なのかどうか、をよくよく考えることができるのなら、
人を追い詰めるようなことにはならないだろうに……と、思います。
「怒り」は「正しく」使わないと、無駄に人を傷つけることになると思うのです。
自分の中で生まれた「怒り」をただ吐き出しているだけでは、何も生み出さないし、破壊的であるだけですもんね。
「怒り」を「何かを良い方向に変える」ための推進力にするというのは、高い知性と豊かな想像力が必須だと感じます。

先生なザドキエルとパキっとしたチャミュエル

ミカエルの剣について、いろいろコメントをありがとうございます。
たいへん興味深く読ませてもらっております。

☆☆☆
さて。
今日は、大天使ザドキエルと大天使チャミュエルの絵です。
こちらがザドキエル。
オラクルカードはTeaching and Learningでした。
大天使ザドキエル
こんな先生ならお勉強が捗りそうです。
そしてこちらが、チャミュエルです。
オラクルカードはPeaceでした。
大天使チャミュエル
比較的パキっ!っとした絵になりまして、
力強さを感じました。
心の平和を獲得するための強さ、みたいなものなのかもしれないです。
「たなぼたでは平和・安らぎ…そういうものってやって来ないのよ。」…みたいな。
こちらからお迎えに行かないとね……くらいの。

ちょっと、怖い。

雨が、それもけっこー横なぐりやないのーって雨が降る中、
どしても必要なものがあったので、本屋に行きましたの。
そして、ついでにブラブラしていたら、このマンガが目に入りましたの。

エルハンブルグの天使 (Feelコミックスファンタジー) エルハンブルグの天使 (Feelコミックスファンタジー)
(2013/03/08)
あき

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表紙見ただけで、一目惚れして購入しましたの。
なんで、こんなに細かく綺麗に描けるんだろう……。
と、まじまじと表紙だけに5分くらい見入っておりました。
おそらく、バッチリな下書きがあって真似しながら描く…というのなら、時間かければできなくもないと思います。
(あ。40代になってからだんだん目が遠くなってきてるから、ド近視用の眼鏡を外してじゃないと描けないな。)
でも、自分ですべてデザインするなんてのは到底無理。
そこが一番のポイントなのにぃぃぃぃぃ。

自分がこういう絵を描きたくても描けないので、表紙を5分も眺めてしまうわけです。
で。
以前なら、
「あー。いいよねぇ。絵の巧い人って~。羨ましいわぁー。」
で済んでたんです。
だって『絵は巧くなりたいけど、ならなきゃいけない理由は無い』からです。
なので、いいなーこんなふうに描けたらいいなー…と思っても、すぐに「自分は巧くなくても別に問題なかったんだっけー。」とするりと諦めて終わりで良かったんです。
(そして、10年ほど絵を描くこと自体をやめてしまったくらい。)
しかし、今はそんなふうに逃げられないんだよなぁ……と、この表紙を眺めながら、ため息をつきながら、思い知らされました。
もちろん、こういう画風になりたいとかって意味じゃなく、もっと全般的に……もっともっといろんな絵が巧く描けるようになりたい、という意味で、です。
だって、経緯や理由は何であれ、絵を描くことがお仕事になっちゃったんですもん。
今までずーーーっと「どうせ私は才能ないしー。」と簡単に諦めるという選択がOKだったけれど、これからはそれが通用しないんだな、と思ったら、ちょっと怖くなってきました。
…うん。
怖いです。
怖いなぁぁぁぁ……。
足元が、すーっと透けて薄く薄くなっていくような、そんな怖さ。
ひぃ。
(こういう怖さって、何度か経験してても、ひぃ…ってなるなぁ。)