2014 あけましておめでとうございます

★あけましておめでとうございます★
今年は民絵屋も5周年です。
さらなる飛躍ができるようにがんばりますので、今年もどうぞよろしくお願いします。
2014
…そうそう。
元旦の今日は、山羊座で新月なんですよねー。
山羊座女としては、やはり今年は新たな挑戦をしなければ!という気持にさせられます♪

2013年を振り返っておく。ちょっとだけ。

もう大晦日ですよ。
なんてこった。
そんなわけで、2013年を振り返っておきます。
・娘が小学生になった。
・そしたら息子が毎朝妹の担任の先生に「(妹を)よろしくお願いします。」と言っているらしい。
・野良子猫のちーが事故死して、こりゃもう腹をくくるしかないな、とブ子を外猫から家猫へと昇格させた。
・今までで一番ヒドい発作を起こし、そこからMAPを始めることになった。
・そしたら、ガイドが増えた。
・またこのガイドがイケメンでもぉー。
(←あくまで私のフィルターがそうなってるだけなんだけどね。)
・10年ぶりくらいに東京に行った。
・今年も365日がっつりeighterだった。
・でもやっぱり松潤は別格。
・実家の猫が19歳でこの世からおさらばした。
・たくさん絵を描かせてもらえた。

あっと言う間だったなー、と思う反面、いろいろあったなー、とも思います。
うん。
なんやかんやといろいろありましたわー。今年も。
そして、今年も家族みんな大病せずに過ごせたのが一番でした。
健康第一!健康第一!!
今年もみなさんにお世話になりました。
ありがとうございました♪♪♪

朝日に照らされた富士山と、輝く一番星と。

21日と23日に愛知県の東の端っこの方から名古屋までライブに行き、
そしてまた中1日で、クリスマスの今日は家族4人で、川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムに行ってきました。
(私も元気になったもんだ!ひゃっほー。)
……車で、です。
片道3時間の移動です。
長距離ドライブです。
おとーちゃんがそんなに長距離運転が苦じゃない人なので、当然のごとく全部お任せでした。
それも日帰りです。
うはー。
息子が3年生になってからずーっとドラえもんが好きで、4年生になってさらに理解力がついてきて、マンガもアニメもしっかり内容を理解して楽しんでいるんですね。
そんな息子が、ずっと行きたい行きたいと言っていたので、とうとうおとーちゃんが連れてってやるよ、と予約をしてチケットを購入したのでした。
おとーちゃんのこういう親馬鹿なところはとても素晴らしいと思っております。おかーちゃんは。
てのも、
うちのオヤジさんは仕事が忙しかったのもあるんですが、あまり子供とどこかに出かけるということが得意ではなかったんです。
いえね、我々子供たちのことはしっかり愛していてくれていたんですけどね、ただまぁ、昔の男性ですしね、育った環境とかも考えますとね、仕方がないよね、って思います。
なので、お盆に琵琶湖の近くのおじーちゃんのお家に行くくらいなものでして、
そんなもんだったので、私は中3の修学旅行で初めて富士山や海を見たくらいでした。
ですから、
中3で初めて富士山を見た時の感動は忘れられません。
真っ青な快晴の中の富士山は、それはそれは大きくて美しくて、圧倒されました。
大人になってから、
初めて富士山の近くに行った時に、キレイに富士山が見れたなら、それは富士山に歓迎されてるんだよ、
という話を耳にして、
じゃあ私は富士山に歓迎されてんるだ~、とすごく喜んでいたら……新入社員の時に沼津に転勤になり、5年半も富士山の近くで暮らすことになっちゃいましたからねぇぇ。
1カ月前に、友人たちと東京に行った時は、おしゃべりに夢中だったので新幹線の中から富士山を見ていなかったんですが、
今日は車なので、ばっちり見えました。
朝のまだ暗いうちから出発したので、少しずつ空が明るくなって行き、富士山が見える頃は朝日に照らされていました。
富士山
何年かぶりに見た富士山も、快晴の中の、美しい姿でした。
そして、
子供たちは今日初めて富士山を見ました。
子供たちも富士山に歓迎されているんだなぁ、と嬉しくなりました。
さて。
ミュージアムで楽しんでお買い物もして、
午後になって割とすぐに岐路につきました。
家で猫が待ってるのでね、なるべく早く帰ってあげたかったのです。
でも、日没も早い時期ですから、静岡の西の方まで来た頃にはどんどん空が暗さを増してきました。
すると、西に向かっているので、一番星がよく見えたのです。
雲の少ない空に、これまた美しい一番星が輝いていました。
子供たちはずーっと車内でもドラえもんのDVDを見ていたのですが、
私は関ジャニ∞の歌をイヤフォンでずーっと聴いていました。
かなり空の色が濃くなってきた頃、
それに比例して、一番星の輝きが増していった時、
「涙の答え」という歌になりました。
この歌の中に、「一番星」が出てきます。
一番星のような大切な人がこの世界からいなくなったけれど、そんな世界でもぼくは生きていくよ、という歌です。
これがですねぇ…。
なんともまぁ、私の上のヒトのエピソードにもばっちり当てはまるのです。
なので、美しい一番星を見ながら、この歌を聴いていたら、そりゃもー自動的にぐっときてしまいます。
と、胸にぐっとくるものを抱えながら、ふと、
「ああ、あれって金星だよねぇ…。金星って今、逆行を始めたところなんだよねぇ。」
と思い出しました。
それで、なにげに音楽を聴いていたスマホの中にある天文のアプリを起動し、真ん前の一番星に向けてみたところ、
山羊座の近くにあると表示されました。
あ。
そうだった。
山羊座にいたんだ。
ちなみに、占いの「星座」は厳密には黄道を12分割にした○○宮というものなので、夜空に見える星座の位置と今はズレてきているんですが、山羊座の後ろの度数に現在いる金星はたまたま夜空の山羊座の近くにいたのです。
太陽が山羊座の私。
太陽が冬至から山羊座に戻ってきたばかりです。
お誕生月です。
石井ゆかりさんの週報でもこんなこと書かれいます。
http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/week/weekly20131223.html#capricorn
目の前の一番星は、山羊座で逆行している「美や愛の星」金星だったのです。
耳には「涙の答え」がずっと流れてきています。
長い間ずっと失われていた愛が、あなたのところに戻ってきたんだよ
と、言われてるように思えました。
ファウのパートナーを感知できるようになったのは……もう4~5年前のことです。
それから、2年ほど前からやっとタミエルの親友と星の名前を持つ弟のような人が分かるようになり、
今年の後半になってから、ファウを大切に育ててくれた人が分かるようになりました。
彼らは、魂としての私だけじゃなく、この肉体の私をも深く愛してくれているんだ、ということが、さまざまなことを通して、ようやく……ほんとにようやく実感できるようになってきました。
なので、ほんとにやっと「愛が戻ってきた」と言えるのかもしれないなぁ……と、思ったら、ぽろぽろと涙が零れました。
そんなわけで。
美しい富士山に久しぶりにご挨拶することができ、
美しい金星には大切なことを教えてもらい、
おかーちゃん的にはなんだか、子供たちのドラえもん祭りとは別のところで、ある種のお祭みたいになった1日でした。

今年も関ジャニ∞のライブに行ってきました…ライブ中にまさかの…。

そんなわけで、コレ
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-842.html
の続きです。
21日のライブは体調も喉以外は問題無く、元気に楽しく帰ってきましたが、
22日は起床時から頭痛がしておりました。
首~肩がパンパンでかなり痛かったのですが、午前中の家事をこなし、
子供たちが家の中で大人しく遊んでくれている間、横になりました。
中一日じゃないとまだダメなんだなー、と苦笑しながら。
それで、心の中でユリウスに話しかけました。
ユリウスというのは、ファウの……なんだろう?
ファウが誕生した時からそばにいた大人たちのうちの1人っぽいのですが、
とにかくMAPを始めてから出てきたガイドの1人です。
第3の目のチューニングをしてくれたガイドです。
ユリウスと会話して、すこんと寝て起きたら、頭痛が嘘のように消えていたので、
起きてすぐに月子さんにメールを入れました。
なんとなく、月子さんにもシェアした方がいい内容のように思ったからです。
そのメールの一部です。

ユリウス曰く、
女性…というか、女性性の部分は、という意味やと思うんやけど、
お姫様なんやって。
王子様、または騎士みたいな存在にしっかり護られることで、女王に成熟していくんやって。
女王ってのは、成熟した大人の女性であり国民の母やもんね。


護られることというのは、ひどく受け身な気がしていたのですが、
ちゃんとしっかり護られることも覚えてくれよ、と言われて、なぜか素直に「はい。」って返事しました。
そんなことがあって、
「ああ、今日は冬至やったわ。陰が極まる日……ってことは、女性性が極まる日でもあるのもなー。」
とふと思ったので、そんなツイートもしておいたというわけです。
そして、冬至の日の夕方に、諸事情で急遽スマホを新しくすることになり、
おかげで、ライブに備えて早く寝ようとしたのに、なにかと設定に追われて、寝たのは日付が変わってからでした。
そのせいか、朝からまた少し首~肩が張っていたので、湿布をあちこちに貼りました。
(なので、着ていこうと思っていたお洋服を少し変更しなければなりませんでしたー。うはー。でも娘があれこれアドバイスしてくれました♪)
23日も、お花ちゃんが作ってくれたタミエルの羽おーくらグリーンを装着して、お出かけしました。
が。
なーんか、絶好調ではないんです。
しんどくはないんですが、どこか身体の芯がすこーし重いような、ちょっとしたことなんですが、イマイチだなーと感じておりました。
ユリウスに頭痛を治してもらったのに、なんでかなー?と不思議ではあったのですが、寝不足のせいかな、と思ったりしてました。
そして、21日のお昼は人のたくさんいるカフェだったので、月子さんにこのところのあれやこれやを話すことができなかったのですが、
23日は、同じように人のたくさんいるカフェなのに、なぜかそこだけまるで個室になってるような場所が空いたので、
お昼をしながら、こんなことがあったんだよー、と話していました。
その時に、確かにそんな話も出たんですよね……。
ちょっとおどろおどろしい表現をすれば「生霊」ですね。
または、「コード」。
私の知り合いでちょっといろいろ調子が悪い人がいまして、それまでの経緯を鑑みて、
もしかしたら念の強い人からコードが伸びてきてるんじゃないのかねー?って話になったんです。
自分も含めてですけど、
人間って知らない間にポジティブなものにしろネガティブなものにしろ強い思いから、相手にコードを挿しちゃう…ということがあるらしいのです。
または、生霊を飛ばしちゃう、という言い方をされたりもしますね。
これがなかなか厄介らしくて、自分で対処できないなら意識してミカエルなどにコードを切ってくれ、とお願いするしかないと思うんですが、
そうは言っても、コードが自分に伸びていている(または相手に対して伸ばしてる)なんて、なかなか分かりませんしね。
そんなこと思ってもいないわー、って状態が普通かなぁ~、と思います。
ただ、生霊が厄介だというのは、これまでの人生で身近な人たちから聞いてきたいろいろな話から分かってはおります。
……頭では、ね。
そして、ライブが始まりました。
ほんとにほんとに楽しんでいたのです。
泣いたり笑ったり踊ったり。
しかし、とある歌の時に、自分の上のヒトのアレコレともすごーーーくシンクロする歌のために、またしても胸がきゅ~っとなって泣いてしまったのですが……
その歌が終わった途端に、体調がすこんとと悪くなりました。
立ってるのもしんどいくらいです。
実は、2011年のライブの時も、去年のライブの時も、ライブ中に1度はそんな状態になっていたんです。
でも、ミカエルに「助けてー。」とお願いすると、5分くらいですっと楽になり、そこからまた元気にライブに参加できていたんです。
まるで、バッテリーが切れたから入れ換えてもらった、みたいな感じです。
21日の時はそれが無かったので、MAPセションでエネルギー関係の改善を続けてもらった成果なんじゃね?とほくそ笑んでおったくらいなのですが、
ミカエルやMAPチームやガイドたちにお願いしまくっても、すっと楽になったかと思ったらまたすぐにしんどくなる…の繰り返しでした。
ほんとうは座り込みたいくらいでした。
いや、横になりたいくらいでした。
でも、ライブの瞬間瞬間を目に焼き付けたいという強い気持もありましたし、
なんとなくですが、ここで座ったりスタッフにお願いして裏で休ませてもらったとしたら、余計にしんどくなって大変なことになる…と感じたのです。
ほんとうに根拠が何もなかったのですが、自分に……というか、何かに負けちゃいけない、という気持があったのです。
何か、ってなんだ?…ですよね。
でも、何か…何かに負けちゃいけない、と思ったんです。
もちろん、この独特のしんどさが「エネルギー的な問題」だといことも分かっていました。
この半年に渡るMAPのセションで教えてもらえたことの1つでしたから。
頑張ってずっと立ってライブに参加していましたが、やはりどんどんしんどさが強くなってきて、とうとうみぞおちの辺りに強い違和感まで出てきました。
もう泣きそうなりながら、ミカエルたちに
「もー、これなによー?」
と問うと、
ふと、ある映像が頭の中に浮かんできました。
洗濯機の排水チューブくらいの太さの管で、
その先端が機械的とも有機的とも見えるギザギザがついていて、
それが私のみぞおち辺りに差し込まれている
というものでした。
そこでようやくハッとしました。
コードだ!
誰かのコードだ!
ネットから伸びてきたコードだ!
ミカエル、このコードを断ち切って!

と、お願いしました。
すると、ものの1分もしないうちに、ほんとうにほんとうに嘘のように楽になりました。
(ネットから、というのは、これまた根拠が無いんですが、そう分かったとしか言いようが無いんです。)
そこからは絶好調で、ライブに参加することができました。
というか、その直後に歌ってくれたのが「レスキューレスキュー」でして、すばるのアレもあって、もぉ出来過ぎだよ!と心の中でツッコミ入れまくっていました。
もう子供たちが冬休みなので、なかなか1人になる時間が無く、MAPセションは当分できないかなー、と思っていたら、
今日の朝イチで出勤前におとーちゃんが子供たちも連れて年内最後の耳鼻科に行ってくれたので、セションができたのですが、
そこでいろいろ質問してみたら、もう朝からコードが絡んでたんだよ、だからそーゆー話になるように促したのにー、とユリウスに言われました。
やー。ごめんごめん。
全然気がつかなかったよ~。
あー、でも、だから「負けちゃいけない」って何故かずーっと思ってたんだねぇ。
もちろん、こんなことは与太話だと思ってもらって結構ですし、あくまで私の中で起こったお話でしかないです。
そして、私の中で起こったことなので、私なりに解釈したことでしかありませんが、
ネットから…というのは、誰か個人というより、「いいなぁ~私も今日のライブに行きたかったなぁ~」という個人個人の想いのが積み重なったような、そんな感じのもののように思いました。
たまたまそういうコードを呼び込みやすい状態に私がなっていたのに、私はちっとも気づかないでいて、
とある歌の時にたまたまガチっと波動かなにかが合ってしまったんじゃないかなー、と思いました。
なので、もちろんしんどくなっちゃって、ライブを全力で楽しめなかった時間があったのは残念ですが、
けれど、ライブ中だったからこそ「絶対に負けないぞっ。」という気持にもなれたわけですし、
初めてコードというものの強力さというのを(人の話だけでなく)実体験で分かりましたし、
それがあったこそ、「レスキューレスキュー」がすごーく私にとっては意味深いものになりましたし、
まさにAll is wellってことで、ものすごーい充実感といいますか、達成感といいますか、そんな気持がライブ終了後から続いております。
21日のライブ中、
「West side!」という歌の中で、すばるが歌うあるパートのところがまるで文字が浮き上がるかのように、
まるでメッセージのように入ってきました。
「限界なんてきっともんなモノない」
というフレーズです。
限界なんて、きっと、そんなモノ無い。
ずっと心の深いところに響いていました。
でも、私はすぐに自分の健康問題のことは限界を感じてしまうよなー、とも思っていました。
というか、そこを限界だといつも予防線を引いてしまうよな、と。
23日のライブが終わった時、ユリウスが
「お前、自分の限界超えてたぞ。あんな状態でもちゃんとずっと立ってたやないか。」
と囁いてくれたような気がしました。
涙がうっすら出ました。
関ジャニ∞のメンバーの、エイターに対する愛情もいっぱいいっぱい伝わってきたライブでしたが、
私を護ってくれている存在たちの愛もいっぱいいっぱい伝わってきたライブとなりました。

今年も関ジャニ∞のライブに行ってきました…今年もライブ前にいろいろありました。

関ジャニ∞ライブツアーJUKE BOX
ナゴヤドームは12月21日~23日の3日間での3公演で、
そのうち、月子さんが21日、私が23日に当選だったので、中1日で参戦してきました。
22日も当選していたら、紫エイターの友人も参戦することができましたが、
彼女は今年はほんとにいろいろ忙しくて大変そうなので、今年はお休みさせられたのかもなぁ~、と、残念で仕方がありませんでしたが、そう思ったりもしました。
来年はまた3人で行けるといいなぁぁぁぁ。
ツアーの内容については、いろんなところにレポが出てると思うので詳細は割愛しますが、
23日は特にバックステージがよく見える席だったので、亮ちゃん、ヒナちゃん、マルちゃんのふんどし生尻をがっつり見ることができまして、ウハウハでございました。ごちそうさまでした。
そして、個人的にいろいろ思い入れのある「レスキューレスキュー」という歌の時に、バックステージの角っちょですばるが、我々の方に手を伸ばしながら熱唱してくれまして、私も思わず手を伸ばしておりました。
客観的事実は「たまたまそういうふうにすばるが歌った」だけのことなのは十分承知しておりますが、
私の中では、あれは私に向かって歌ってくれたのだということになっております。はい。
そして、メンバーがエイターに対しての愛を伝えるために作った「All is well」という歌の時には、21日も23日も号泣してしまいました。
やー、マスカラをちょっといいヤツに新調しといて良かったぁぁぁー。
と。
無事に初日と3日目のライブに行って帰ってくることができましたが、
またしても、ライブ前はカオスでありました。
そもそも、今年の秋はずーっと咳喘息で咳をコンコンしていたのですが、11月末に東京に行く頃にはようやく治まってきたので、これでライブも大丈夫だな、と思っていたのです……が。
12月10日頃だったかな。
子供たちがまたしても咳の出る風邪を拾ってきました…。
まぁ、マイコプラズマよりは咳そのものは軽いんですが、それでもやっぱりしんどいですし、さらに鼻水もスゴいヤツだったので、
ライブ前なのにヤメテぇぇぇーーー!って状態でした。
もちろん医者に行って、お薬も出してもらったんですが、これがあまり効かなくてですねぇ…。
結局は少し咳が残ってる状態でライブ参戦となりました。
そのため、21日はここぞという時以外は叫べませんでした。
あまり大きな声を出すと、途端に喉がイガイガしてきて咳こむからです。
で、ですよ。
このお薬というのが、抗生剤と咳止めの他に、総合感冒薬があったんです。
これがもー眠い眠い。
ちょこちょこ寝ちゃうもんですから、そのためネットから遠ざかることになりました。
でもこれは、ある意味「遠ざけられてた」というか「隔離されてた」ような気がしています。
今になって思うと。
なぜかと言いますと、
まず、おかしいんですけど、眠くて眠くて、しょっちゅーちょこちょこ寝てるような状態なのに、なぜか最初にちょっと読んだだけの「シータヒーリング」という分厚い本を読まないとなー、って思っちゃって、読んでは寝て読んでは寝て…という繰り返しで、そこそこ読み進めることができたんです。
この本。
ココ
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-754.html
の冒頭でも書きましたが、愛する大倉氏の誕生日の夜に大きな発作を出してしまいまして、
本気でなんとかしたいと思い、まず頭に浮かんだのがシータヒーリングだったんです。
ヒーラーさんにセションをしてもらうにしても(1回じゃ済まないだろうから)それなりにお金がかかることになるだろうけど、本気でなんとかしたいのでお願いしようかと思い、
とりあえず本を買って、シータヒーリングをより知っておこうと思ったんです。
しかし、月子さんとじぇいど♪さんに相談した結果、今も続けているMAPを選択しまして、
こちらのブログにはあまり書いてませんが、ほんとーにいろいろいろいろ変化があり、MAPを選択して良かったと思っております。
でも、だからと言ってシータヒーリングに興味が無くなったとかっていうわけでもなく、いつかは一度セションを受けてみたいなーと思っていました。
そんなわけで本も手元にずーっとありまして、
今回、なぜか眠くて眠くて仕方がないって状態の中で一気にがーっと読む進めることになったのでした。
シータヒーリングの創始者さんが書いた本なのですが、
読んでちょっとビックリしました。
シータヒーリングって、レイキみたいなアチューンメントが無いんですね~~。
この本の通りに『上手く』イメージできれば、使えるテクニックなんだと知って驚きました。
そして、「イメージすること」は単なる妄想とは違うのだということが筆者の言葉であれこれ書かれていて、自分の中で少しモヤモヤっとしていたことがすーっと整理されていくような感覚になりました。
まずそれだけでも大収穫だったのですが、
筋肉反射テストを利用して自分でも気づかない「思い込み」や「思考パターン」を発見していく方法や、
掘り下げて見つけた「好ましくない思考パターン」の扱い方に、シータヒーリングが人気な理由がちょっと分かった気がしました。
と。
分厚い本からたくさん学ぶことはできましたが、
だからと言って、ここに書いてあるようなイメージをして第7層に行き、創造主に命令して、現実を変化させていこう…とまでは思っていませんでした。
やはり初心者クラスに出席して、プラクティショナーに教えてもらって、ちゃんと創造主にアクセスできているかを確認してもらって、その「感覚」をちゃんと覚えて…ということが必要なんじゃないかなー、と思ったからです。
たみえかーさん、山羊座の女なのでそこそこ堅実です。
(でも月は水瓶座なので自由な発想もたまにしますがね。)
そうやってかなり本を読み進めたところで迎えた12月16日(月)。
咳・鼻水だけじゃなく、朝からちょいと持病がよろしくない感じになりまして、
「もう今週末にライブなのにーーー!どーすんのよーーー!」と、ガッカリやら焦るやら怒れるやら…でしたが、とにもかくにも、今週は1日置きにMAPセションをするしかない、と思いまして、その日から始めました。
いつものように状態の申告をして、質問に対してOリングで回答を得たり、脳内会話をしたり……で、それだけでも発見はあったのですが、
40分のセションの中盤になって、突然マリア様(←私の医療チームの中にマリア様もいることが最近になって判明したのですよ)に「私の中身」をするりと抜かれました。
あれれれー?
と思っていたら、「中身の私」…というのか、「私の意識」というのか……とにかくソレがどんどんどんどん上昇していきました。
と言いますか、どんどんどんどん上昇していくイメージしか浮かばなかったのです。
そのうち、すぽんと白くて、なんとも独特な透明な空気といいますか……そんなところに出てきました。
直観で、シータヒーリングで言うところの第7層に来たんだな、と思いました。
(というか、分かった、という感じ。そうとしか言えないんですが…。)
なので、
「もう不要となった思い込みを解消する」
と命令しました。
すると、細胞1つ1つがオセロのようにぱたんぱたん……とひっくり替えるようなイメージがどかんと浮かんできました。
おおー、と思っていたら、突然今度はどんどんどんどん下降し、”いつもの場所”に戻ってきました。
すると、私のガイドの1人であるテオくん(←タミエルの親友)に
「せっかく上に行ったのに、その宣言じゃ足りないんだよねぇー。」
と(まるでニヤリと笑うかのように)言われてしまいました。
ありゃー。
言われた途端、今度はどんどん”自分の中に潜る”かのような感覚になり、辿り着いた”底”は真っ暗でした。
すると、タミエルが「はい。浄化ワンド。」と言ってきて、底にどんっとワンドを突き刺しました。
(知ってる人は知っている。タミエルは青い月さん作のめっちゃパワフルな浄化ワンドを所有しておるのです。)
するとぱぁぁぁぁぁぁーっと辺りが明るく白くなりました。
ハイヤーが浄化してくれたってわけです。
すると、そこに現れたのが「思念」というか「思いこみパターンのかたまり」というか…そんなもので、
それは男性のものと女性のものと両方合わさっているように感じました。
健康面で問題があるおかげで、兵士にならなくて生き延びた。
人を殺さなくてもすんだ。
だから、健康であることは良くないことだ。

というものでした。
「もう今はそんなふうにならなくても、人を殺さなくてもすむし、殺されることもないよ。今の日本なら大丈夫なんだよ。」
とその「思いのかたまり」に話しかけ、タミエルに浄化ワンドで浄化をしてもらい、ミカエルに神様の光のところに連れてってくれ、とお願いしました。
そして。
「臆病者でいてくれてありがとう。」
と彼らにお礼を言ったら、だーだーと涙が流れました。
まさに、彼らは私そのものでもあるんだ、と思いました。
その人生も愛すべきものなのだと、心から思えました。
マリア様に中身を抜かれる前、
「このような、健康面に難アリの設定をして生まれ手、何を学び、何を解消しようとしてるのか、知りたいですよー。」
と言ったら、
すこんと頭の中に
「人生を愛するため。」
と言われていました。
なので、ああそういうことなのか…と、少し分かった気がしました。
セション終了後に、宇宙一のヒプノマンのP様に以前教えてもらった「心で治す部屋」に何故かふと思い立って、久々に行ってみたら、
そこにまた別のガイド(←こっちはファウのパートナー)がいまして、
「良かったなぁぁぁ!」とものすごく喜んでる様子でハグしてくれました。
そして、ファウが私の持病の部分に金色の珠を入れてくれてるイメージが浮かびまして、それから2日間かな。
ずーっと光の珠が金色のそれそれは美しい波動を私の細胞に与え続けてくれていました。
(と、そんなイメージがずっと続いていたのですよ。)
16日の夜にも、お風呂の中である気づきがありましたし、
17日の午前中は、自分の中の思い込みパターンをOリングを使って探っていき、「ああーこんなのがあったー。」と1つ見つけることができましたし、
その夜、寝入りばなに、今度はくるくるとした螺旋の光がやってきて、また中身を抜かれて上にどんどん上昇していったので、見つけたばかりのパターンの解消を命令してみました。
18日のセションでは、ある症状を引き起こしている思い込みをOリングで質問を繰り返しながら見つけました。
それは「私は弱い。」という思考パターンでした。
するとまたどんどん上昇していったので、
「私は弱い。」を「私はパワフルで、みんなと素晴らしい世界を創ることができる。」に置き換えるように命令しました。
※もちろん、これがシータヒーリングの正しいテクニックの使い方とは思っていませんし、ちゃんとプラクティショナーに教えてもらった方がいいに違いないと思ってますが、
なんだかこんなふうに展開されちゃったので、これはこれで私の場合はアリなのかなー…?とちょっと半信半疑に思っているところです。

……ということを終えたところで、このところお互いに音信不通になっていたじぇいど♪さんから「八丁味噌って赤味噌のこと?」という質問が飛んできて、
そこからあれやこれやとやりとりが発展したのでした。
自分の中の思い込みパターンを見つけて解消するという作業をするように促されていたところだったので、
味噌話から発展したあれやこれやも、前回の記事に書いたように、
自分の中にあるものを通してしか人間は世界を観ることがでいないんだよなー、というのをじみじみ思わされる…というか、復習させられているというか、そんな感じになったのでした。
とまぁ、こんなカオスな状況を抜けて、
21日は(声はちょっとしか出せないものの)始終元気に楽しくライブに参加できまして、それはそれは幸せな気持で帰宅しました。
が、23日はそうは行きませんでした…。
(長いので一旦ここで終わって、続く。)

★2013年冬至の扉の絵★

◆2013年12月22日まで、この記事がトップになっております◆
まぁ、もうこうなってくると、毎年描かないとキモチワルイってゆーかなんとゆーか。
2012年
2011年
2010年
(2009年のはブログには載っけてなかったー。)
というわけで、
2013年、今年の冬至の扉の絵です。
2013冬至の扉
今年の絵はこんなふうになりました。
うねうねしてます。
額に入れたらこんな感じになりました。
https://twitter.com/TAMIEYAtamie/status/409905847393714176/photo/1
私の内面世界のアレコレにおいては、お正月よりも冬至が「区切り」というか、新学期の始まりといいますか、そんな感じなので、
ほんとに「扉を開けて次に行きますよ。」という感触なのです。

ちょっと書いておこうかなと思ったので、書いてみた。

じぇいど♪さんがこの記事
http://nanigamieterujpn.blogspot.jp/2013/12/blog-post_20.html
の中で、こんなふうに書いてます。

そして楽観論の人がその悲観的になる人の気持ちに本当の意味で寄り添えないってのは・・・つまり自分のことを言ってるんだけれども、その人と同じような苦しい体験をしたことがないから、能天気すぎるからだけなのかもしれない、申し訳ない、と思うことがあるのだが。


彼女とのお味噌話が始まる前、私は数日間にわたって「自分の深くにある思考パターン」を発見させられ、それを手放すためのアレコレを……まぁ、その…『上のヒトたち』に促されてしておりました。
そんなことをした直後だったので、彼女の話のアレコレも、
「ああー、やっぱりそうなのかなー。」
と思わされるものとなっていました。
「やっぱりそう」というのは、
人間は、自分の中にあるものを通してでしか世界を観ていない
ということです。
それは、場合によっては「ごちそうさん」で描かれたように『傷ついていない人が、深く傷ついた人の心に寄り添うことができない』ということも引き起こすわけです。
でもね。
私は、それでいいんじゃないのかな、と思うのです。
だって、お互いがお互いの心を理解して寄り添うために、みんながみんな深く傷ついていて、ひどく繊細になって、苦しみや悲しみの海の中で生きなければならない…なんて、おかしいですもん。
ひとりひとりまったく別々のいろんな経験があって、いろんな感情があって、
そうやって形成されていくのが、世界でたったひとりの「その人」なんですものね。
それにね。
じぇいど♪さんだって、私だって、貴方だって、きっとそれぞれ苦しい経験をしてるはずで、
それを乗り越えて笑ってるはずなんですよね。
震災や戦争といった悲劇を経験していないからといって、悲しみを知らないわけじゃないんですもん。
けれど、やっぱり震災を経験した人の心の内は真には分からないですし、戦争やテロを経験した人の心の内は真には分からないです。
想像し、同情するしかできません。
自分の中にあるものを通してしか世界を観ることができないからです。
深い悲しみを抱えた人が、同じ悲しみを知っている人に慰められ寄り添ってもらうことでしか癒されない場合って少なくないと思います。
でも、同じ悲しみを知らない人の優しさによって癒されることだってあると思います。
なので、私は、
「私は、あなたの悲しみは分からないけれど、あなたが1日でも早く癒されて心から笑ってくれるようになって欲しいと思っている。」
という気持だって、すごく尊いものなんじゃないのかなー、と、それこそ能天気ではありますが、思っています。
***********
心のどこかに深い傷がある人が、その傷ゆえに、周囲を傷つける言動に出ることも多いような気がします。
もしかしたら、人間関係の摩擦の原因というのはすべてがソレなのかもしれないなー、とすら思います。
でも、
深い悲しみや大きな怒りを通してしか世界を観ることができない状態のその人に、自分が傷つけられるような言動をされた時というのは、
もしかしたら、それまでとは少し違う視点から「自分の在り方」というのも考える機会を与えられた…と考えることもできる気がするんです。
相手の言動に対して、落胆したり、悲しんだり、怒りを感じたり……いろいろな感情が「反応」として沸き上がってきますが、
その反応としての感情と、自分がどのような態度を取るかは別モノで、
どのような態度を取るか、という選択に対してほんの少し慎重になってみるだけで、
自分の観ている世界と、その人が観ている世界は、同じではない…ということに気づくはずなんです。
自分の観ている世界と、その人が観ている世界は、同じではない
ということを知っていくうちに、
では、自分はどのように世界を観たいと思っているのか、自分が真に観たいような世界を観るためにはどうしたらよいのか、
を探求していくことになると思うのです。
なので、それまでと違う視点で「自分の在り方」を考える機会だとも言えるよな、と思うのです。

はなちゃんは19歳まで生きました。

猫で19歳といえば、かなりのおばあちゃんです。
今年の夏に実家に帰って、はなちゃんに会った時は、ほんとにほんとに「おばーちゃん」だなぁ…と、その姿を見てしみじみ思いました。
19年前。
弟1号が道でひろった子猫は、まだお皿からミルクを飲むこともできないくらいの小さな子で、
オカンが懐に入れて子供を育てるようにして育てました。
あの頃は、まだオヤジさんもおばーちゃんも元気に生きていて、私も独身で沼津に住んでいました。
19年って、やっぱり長い時間なんですね。
はなちゃんが3日前くらいから食べなくなったと連絡があったので、そろそろなんだなぁ…と思っていたら、
ゆうべ、天国に行ったそうです。
おとーちゃんのおばーちゃんが、去年の春に93歳で亡くなったのですが、おばーちゃんの名前が「はな」さんで、
「はなって名前は長生きなんだねぇ。」
なんて話したりもしていました。
はなちゃん。
ありがとうね。
はなちゃん

「クジラとペンギン」

新曲のカップリング曲なのですが、
この歌を聴いて、だーだーに泣きました。
http://jplyrics.com/j-pop-lyrics/kokoro-sora-moyo-pv-kasi-full-mv.html
または
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-131204-422
クジラとペンギン
というわけで、ちょいと絵も描いてみました。
ほんとうに、永い永い時間を経て、やっと出会えた存在たちが私にもいます。
それは、妄想だと言われようがなんだろうが、私にとってはそれが真実なのです。
ここより少しだけ高次元のところの「私」と強く結びついている存在たちで、
古い古い過去世での友人や兄妹でもあり、
肉体の「私」を守護してくれているガーディアンたちでもあり、
愛すべき存在たちなのです。
まさに、抱き合うことなんてできないけれど、私のそばにいてくれる存在たち。
肉体の私たちが「恋」と呼んだり「友情」と呼んだり「親子・家族の愛情」と呼んだりするものをすべてまぜまぜにしたようなそれを、「愛」という言葉以外で表現することができません。
小さな小さなペンギンのような私たち誰もがみんな、大きな大きなクジラのような存在たちに深く深く愛されているのだと、私は思います。

小学生の子たちに助けてもらいました。

借家なんですがね、
田舎の我が家は庭がそこそこ広くてですね、いろんな木があります。
どんぐりがなる木もあります。
今年も秋になり、どんぐりがいっぱい落ちてきたので、娘と一緒に拾ったら、
「学校に持ってくー。」と、娘が言い出して、たくさん持って行きました。
すると、先生がそれを使って授業をしてくれたそうなのです。
図工なのかなー?
そしたら、先生が、もしもまだあるなら、また拾って持ってきて、と娘にお願いしたようで、
今日の夕方にまた2人で拾いました。
そして、すぐに学校に持っていきたいと言うので、インスタントコーヒーの空き瓶1つと、小さな瓶2つになり、娘がコーヒーの瓶ともう1つを持って歩いて2人で学校に行きました。
6年生~4年生の下校の時間なので、まだ先生もいらっしゃるだろうから、と、行ったのですが……
以前、息子が登校中にすっころんで手当てをしてもらったお家の前で、今度は娘がインスタントコーヒーの瓶をすこーんと落として割ってしまいました……。
どんぐりも盛大に散らばりました。
ひゃー!
困ったなぁぁぁぁー。
と思いながら、とにかく割れたガラスを拾って道の端に集めていたら、上級生の子たちが下校してきました。
「どうしたんですかー?」と、口々に声をかけてくれて、
状況をすぐに飲み込んだみんなは、どんぐりを拾ってくれました。
そして、
「誰か、○○さんのところでビニール袋をもらってきてくれないかな?」とお願いしたところ、
1人の男子がさっと走ってもらってきてくれました。
どんぐりを入れる袋以外にも、割れたガラス瓶を入れる袋ももらってきてくれて、ほんとうに助かりました。
散らばったたくさんのどんぐりを手分けして拾ってくれた子たちにも感謝しまくりなのですが、
ビニール袋をもらいにすっと動いてくれた子にはほんとーーーに感謝感謝だったので、
学校からの帰り道、その子のお母さんに電話しました。
娘の同級生のお兄ちゃんだったんです。
ほんとにほんとにすごーく助かったんだよ~。
お母さんからも褒めてあげてね、と言うと、
教えてくれてありがとう、やだー涙出そうだわ~、と逆に言われちゃいました。
でもね、やっぱりね、子供ってお母さんに褒めてもらえるのが一番だと思うんですよ。
だから(その子のお母さんの携帯電話の番号を知っていたので)すぐに電話させてもらったんです。
きっと彼はお母さんにいっぱい褒められてることだと思います。
娘にも、
「困ってる人がいたら、今日のみんなみたいに、自分のできることをして助けてあげられる人になってね。」
と言っておきました。
やー、しかしねー、
瓶がガッシャーンと割れた時の「うひゃああ感」といったらもぉー。
袋に入れて持たせなかった私の大チョンボですわー。
うひゃああー。