肉体は単なる「器」…だけじゃないらしい。

久しぶりに「ものもらい」になりまして、久しぶりにいつものクリニックに行きました。昨日。
(そこの先生はもともとは眼科医さんなんですよ。)
去年の秋以来です。
身体がどーにもしんどくて仕方がなかった頃はずーっと月に2回のペースくらいでお世話になってたので、
そう思うと、私ってばかなり元気になりましたねぇ~♪いえーい♪♪
さて。
この記事で、散々「うまく言えないけど、肉体って思ってるよりスゴいんだよー!って、理論とかすっ飛ばして感覚として感じるんだけど、整理できなくて説明できないー。」と言っておりましたが、
すぐにいろいろヒント満載となりました。
まずは、じぇいど♪さん。
メールであーだこーだとやりとりしておったのですが、その中で彼女か自身の昔のブログ記事をひっぱり出してきてくれました。
これです。
http://plaza.rakuten.co.jp/californiajade/diary/201007270000/
もちろん、アップされた当時、読んだのは覚えてます。
ああこういう記事だったね、と思い出しました。
でもね。
その時はね、
これは自分とはかけ離れた世界のお話
みたいなね、そんな感覚で読んでたんですよ。
この感覚、多分、分かってくれる人も多いんじゃないかな、って思うんです。
だってねー、こんなの「普通」やないやん?
こーゆー「導管」みたいなことが「できる人」ってのはねー、
先を行く人たち
であって、今の自分では起こりえないことやーん!
……みたいなね、そんなのがね、無意識のうちにあって、
そういう無意識の「決めつけ」「思い込み」を持ったまま、「へー。すごいなー。なるほどなー。」って読んでる、って人、けっこーいらっしゃいません?
私はそうです。
そうでした。
ここで「羨ましいなー。」とでも思えばいいのかもしれないんですが、私はそれすらめっちゃ希薄で、
いつか…って現世中なのか来世なのかは分かりませんけど、いつかそーゆー境地にも辿り着くんだろうけど、
でもそれは今じゃないし、直近でも無さそうなので、自分は自分のできることをコツコツやるしかないよねー、
という、ある意味「超マイペース」な考え方をしているんです。
下手に「私もああなりたい!」という欲が強すぎると、それはそれでどえらい厄介なので、これはこれでいいとは思ってるんですが、
当事者意識が薄すぎるというのは、やはりちょっと問題なのかもな、と思いました。今回。
あ、それで、話を戻しまして。
いくら「これは先を行く人のお話であって、私には関係ないわー。」って思ってたとしても、
今回の
「普段の『私』だと認識してる意識状態の私」……とは別の、
「観音様モードの私」を、『私』が認識して……というか、観音様モードの私とリンクが『私』とも繋がったといいますか、
とにかくそーゆーふうになりまして、
そして、中二病的表現をすれば、「阿弥陀如来をココに召還した」……
のもね、
天と地をつなぐ導管
だった、と認めざるを得ないわけです。
観音様モードになる…というか、高い次元に在るバカデカいトータルセルフの中の観音様と呼ばれている範囲から任意のカタマリにアクセスした…ことで、天と地をつなぐ導管という役割を果たすことになった、のだろう、と認めざるを得ないのです。
あ。
ここで、なんで天使じゃなくて、観音様で、阿弥陀如来かといいますと、
日本人だからね、「救ってくれるのは阿弥陀如来」という観念が強いからなんだと思います。
阿弥陀如来だから、自動的に観音菩薩になりますわね。
観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身と言われてますからね……って、今こうして書いてて、ビックリしましたけど、
だからあんなに『私』が慈悲深かったのかーーーーー……。
やー、あんなに慈悲深い感覚って、初めてでしたからね。
慈悲深いって、こういうことか、みたいなね。ほんとにね。
あ、脱線ばかりですみません。
それで、ですね。
じぇいど♪さんの記事を読んで、お?と思ったのです。
「天と地をつなぐ」という言葉。
これって、五井先生もゆーてたなぁ、って反射的に思い出しました。
白光真宏会の故・五井昌久先生の世界平和の祈りにご縁をいただいたのが、もう15年くらい前ですかね。
それで、ちまちまお祈りをしてたんですが、
息子が1歳になる頃から、急に五井先生の本を読み始めたんです。何冊も。
これがまた何故か、当時住んでた名古屋のとある街でですね、近所にそーゆーコアな本がたくさんおいてあるコアな本屋があったんですよー。
お祈り貯金が貯まったのか何なのか、それまでは教えてもらったお祈りをただただしてただけなのに、急に先生の本が読みたくなったんです。
それで、講和集みたいな本を何冊か読んだんですが……
ここから半年間がえらいこっちゃでした……。
今でこそ、ネットにもスピな情報がごまんと溢れてますけど、その頃はそんなことなくて、
もともと霊感の強い家族がいて、見えない世界の話ってのは、どっちかってゆーとよく知ってる方だと思ってたんですが、
そーゆーのとも違うんですよねーーーー。
たとえば、金星は(先生はアセンションという言葉は使ってないですが)先にアセンションして、金星人たちは地球人たちを見守り支えてくれてるんですよ、
なんてお話をね、すんなり受け入れられるわけないじゃないですかーーーー。
金星ってどーゆー星か知ってます?
地表面温度が400度くらいあるんですよ?
温室効果で灼熱地獄な星なんですよ?
生物なんているわけないでしょーーーー。
昭和30年代40年代にこーゆーお話をしてるんですよね。
五井先生。
そして、表層意識の私は嘘やーん!って思っても、嘘じゃないって心の深いところで分かっている…みたいな感覚がハッキリしていたので、逃げるわけにはいきませんでした。
そして、自分の中のいろんなものを見直して、壊して、再構築して…というのに、半年かかりました。
科学的思考をする私と、科学の範疇を超えたものを(それまでよりさらに深く)感じて思考する私とが、ちゃんと両立できるようになるための再構築でした。
もちろん、五井先生の言葉とて「方便」なんです。
目覚めていない凡夫の我々に説明するために言葉にしてるものなので、方便なんです。
どの宗教の言葉も、スピの言葉も、すべて方便だと私は思ってます。
けれど、そのたくさんある方便の中でも、私には五井先生の言葉が一番分かりやすく、理解しやすいのです。
この世界というもの、霊魂というもの、人間というもの、神というもの。
それらの「説明」が、私には一番分かりやすいので、私の中でベースとなっているのは五井先生の説明です。今でも。
その五井先生も、ご自身のことを「天と地をつなぐ者」っておっしゃってたよなー、と、反射的に思い出したのでした。
それで、本棚にある五井先生の本を取り出して……こなくてですね、
ネットの海に検索に出かけたのでした。
すると、こんな記事を見つけました。
http://kemono666.seesaa.net/article/262739182.html

長いです。
そして、クセがあります。
なので、読みにくいかと思いますが、よかったら読んでみてください。
これを読むだけでも、かなりいろんなことが「頭で分かる」と思います。
それは、感覚的に分かってたことが言葉になる、という意味でもありますし、まずは情報から分かる、という意味でもあります。
ちょいとばかしお時間を作って、ぜひ。
で、ですね。
ここで言われてるとおり、五井先生は何度も何度も、「肉体は単なる器」とおっしゃってるんです。
このブログ主さんのひっかかりどころがココで、これについて反論しています。
それを読んで、ハッとしたのでした。
そうか。
五井先生は、昭和30年代40年代に、今みたいなスピの知識があるわけでもない、苦しみからどうやって逃れられるのか、を知りたいばかりの人たちに対して、その時の苦しみに囚われないように、こういう方便を使ったんだな…。
と、分かったのです。
当然、「肉体は魂の器」というのもほんとうのことですが、それだけじゃないんですよね。
でも私は、「肉体は魂の器」という部分に、少し強く囚われてたんだな、と分かったんです。
そう分かって、何度も読んだことのあるこの文章を読み返してみると、それまでに感じたのとは違う感覚が沸き上がってきました。

私は常に神々の生命を交流し、自分の本体がどこにいるかわかっています。
肉体でこうしてしゃべっている自分がおります。
しゃべらせている私もいるわけです。
ズーッーーとズーッーーと高い所に五井先生がおって、
白髪であごひげの長い先生がいるんです。
衣冠束帯の格好をしている時もあれば、白髪三千丈ではないけれど、
眼光炯々とした大きな先生もいるわけです。
それはやはり私なんです。
よく村田さんの『霊界通信』に、霊界へ誰かが行くと、
白光燦然として光の中から五井先生が現われます。
「五井先生って肉体に生きているのに、どうしてあっちにいるのかしら」
と思うけれど、あっちにもいるんです。
あっちは本物で、こっちは偽物ではないんだけども、こっちは分生命なんですね。
向こうは神界におりますから、こうこうと輝いて宇宙を照らしているのです。
その神界の光はズーッと肉体に来て、
肉体界の代表として五井昌久という人がここにいるわけなのです。
いうなれば天と地をつなぐ光の柱です。
天と地をつなぐものの、今この私が中心になっているわけです。
皆さんも実は、天と地をつないでいるのです。


そして、このブログに引用されている日月神示のこの言葉がぐあんぐあんと響きました。

「今までの宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、
肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か」
「この世ではそなた達が神であるぞ。
あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。
それがカミと申してゐるものぞ。
あの世の人をこの世から見ると神であるが、
その上から見ると人であるぞ。
あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって、
限りないのであるぞ。
裏から申せば、神様の神様は人間様じぢゃ。
心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな」


肉体は魂の器で、魂が課題をやり遂げたいから肉体に宿る、というのもほんとうなのだけど、
裏から言えば、確かに『肉体なくして宇宙神(創造主)は存在し得なかったのである。』なのだと、思いました。
科学の世界にも「人間原理」というものがあります。
http://jein.jp/jifs/scientific-topics/513-topic34.html
この宇宙が、あまりにも「できすぎている」ので、このような考え方をする学者さんも出てきたのです。
さらに、シュレディンガーの猫ってのもあります。
こちらがすご~く読みやすくて分かりやすいんですが、長いです。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/neko1.html
これが(1)で、ここからどんどん続きます。(4)まであります。
そこからさらに多世界解釈の話につながります。ちょー面白いです。
科学をスピに安易に結びつけるべきではないと思うのですが、これらのことからしても、「裏から言えば、肉体無くして宇宙神は存在し得ない」というのも、なんとなく感じられるんじゃないかな、と思います。
ですからね。
オモテからしか見ていなかったので、先を行く人たちは天と地をつなぐ導管となり得るけれど、凡夫の私はまだまだそんなことないよねー、とお気楽に捉えていたわけですが、
ウラから見てみると、
そーゆー意識に目覚めていようがいまいが、誰もが天と地をつなぐ者
なのだ、と、いうことなんですね。
導管を流れるものは、上から下へも、下から上へも、どっちもあって、
それはどっちも等価なんですね。

って、今、ふと生命の樹が頭に浮かんだので、ウィキペディアを見てみたら、ケテルの説明がこんなんでした。

第1のセフィラ。思考や創造を司る。数字は1、色は白、宝石はダイアモンドを象徴する。惑星は海王星を象徴し、王の横顔で表される。神名はエヘイエー。守護天使はメタトロン。同時に最後の剣として称されるマルクトと通じ合っている。


一番上と一番下が通じ合ってるんですもん。
メタトロンとサンダルフォンなんですもん。
なるほどなぁ…。
てことでね、
じゃあ結論は何なのよ?と問われたらですね、
この身体も精神も心も丁寧に扱って、かつ鍛える
ってことなんですけどね。
とにかく、私は毎日やってる大腰筋エクササイズなどを、これからも続けますよ、ってことですよ!

おれはAmazonからのお届けモノとは違うぞ。

観音菩薩

やー。
昨日今日と体調イマイチでしてー。
ブログに書きたいこともいろいろあるんですが、明日もまだ日曜日で子供たちもいるしねー、
まだまだがっつり書けそうにないので、ここはひとつ、むかーしに描いた観音様の絵でも貼り付けておこうかと思います。
では、どうぞ。
観音菩薩
一言でも感想をいただけると嬉しいです。

「魂」の問題じゃなくて、「器」の問題 …その3

コレの続きです。
ワーム駆除なんて妄想に過ぎない…と、ちょっと前の自分なら若干でも思う部分があったんですが、
おとーちゃんのアレがあったばかりなので、駆除はほんとうにされて、なんらかの身体的改善がされていくのだろう、というのは、ほとんど疑いませんでした。
…あ、ごめんなさい。まったく疑ってません!(←叱られた。今。)
ワームを取り除いてもらい、なんらかのバグ潰しもしてもらった後、そのまま眠りに落ちるのかと思いきや、そうではありませんでした。
おとーちゃんのアレの時には、成仏してなくて子孫に悪影響を及ぼしてしまうご先祖さんたちに対して、むきー!って怒ってしまってた私だったのですが、
ワーム駆除とデバッグのおかげ……なんでしょうね。きっと。
めちゃめちゃ慈悲深くなっていました。
いつもの自分ではありえない感じの慈悲深さでした。
まるで自分は観音様の一部にでもなったのかしら?と思うくらいでした。
通常モードでは考えられません。アレは。
すると、ここに阿弥陀様が現れました。
……や、何ゆーてんの?たみえさん?
って言われてるとは思うんですけどね、でもそうとしか言えなかったんですもん。
てか、昔々もこういうことがあったんですが、それと同じような感覚でした。
言い換えるならば、めっちゃ細い線だけど阿弥陀様とちょっとだけリンクがつながった、ってことでしょうか。
すると、一時的にとてもとても慈悲深くなっていた私の意識の一部が、そうするのが自然であるかのように、ご先祖さんたちに呼びかけ始めました。
阿弥陀様の救いの手は、すでにいつも、さしのべられているし、貴方自身もすでに阿弥陀様の光の中に居るのに、
その目を固く固く閉じているから、それに気がつかないのですよ。
ですから、目を開けてください。
自分を救うのは自分しかない、というのは、そういう意味です。
救いの手は目の前にありますが、目を開けるということは自分でしなければならないことなんです。

実際にどれくらいの間、こうして呼びかけていたのかは定かではありませんが、自分の感覚としてはかなり長い間「目を開けろー目を開けろー」と呼びかけていました。
そして、呼びかけている『特殊モードの慈悲深い自分』を見つめてる『通常モードのちょっとナナメな自分』が平行して、
私って何様よーーー!
ってセルフつっこみをしていました。
あ、「私って何様よー!」は、最近よく言う言葉です。私が。
そうこうしてるうちに、特殊モードの方が呼びかけを終え、南無阿弥陀仏と唱え出し、さらに阿弥陀如来のご真言を唱え始めました。
唱え続けるほどに、今ここに阿弥陀様がいるという感覚が強まり、その光もどんどん強まり、金色の光で空間すべてが満たされきってるような、そんな感覚になっていきました。
光が強烈だったせいか、いつの間にか通常モードの方は黙ってしまいました。
と、そのうち眠ってしまったのですが、
なんとなくですが、私の肉体を通して、ご先祖さんたちにもちょっとは伝わったんじゃないかなー?と思いました。
てか、思いたい、というべきかな。
ほんとに上手く説明できなくて申し訳ないんですが、
自分自身もよく分かってないんですが、
どうも、この肉体というものは、魂の器というだけじゃなくて、もっとこー……多機能なんだろうな、と思います。
いや、多機能というより……そもそもがすごーーーく不思議な存在なんだろうな~、と思います。
科学的に観察し、考察するだけでも、不思議なことがいっぱいですし、
魂が物質世界の、この地球上で人間として、何かやりたいことがあって、それを遂行するために必要な「器」として準備されたモノ……というのも、一面でしかなくて、
なんかねー、もっとねー、思ってるよりうんとスゴいんだよ!肉体って!
と、感じたのです。
「私の肉体を通して」と感じたのも、そういう……アンテナ?みたいな、どこでもドア?みたいな……よく分からないけど、そういう役割もあるからこそなんだな、と、思ったのでした。
…と、再確認したのが、日曜日の朝でした。
いつもより少し早く起きた日曜日の朝でした。
いつもの癖で、ぼーっとした頭でNHKのEテレをつけました。
ぼーっとした頭のまま、番組から流れてくる音声をなにげに聞いていました。
「心の時代」という番組の再放送だったようです。
車椅子に座った女性が、聞き手の方にいろいろ語っていました。
後から検索してみたら、ちょうど私が聞いていた部分がYouTubeにありました。

事故の後に重い余病を発症されて、たいへん苦しまれたようです。
そして、癌になり手術をされたのですが、数日後に胸の動脈が破裂しての緊急手術となったそうなのですが、
全身麻酔をしたばかりなので、再びの全身麻酔は意識が戻らない可能性があるとの判断で、麻酔無しの手術となったそうなのです。
ぼーっとしていた頭で聞いてましたが、一瞬で目が覚めました。
麻酔無しの開胸手術なんてありえないでしょー???と。
でもほんとうにあったんですね。そんなことが。
ものすごい痛みのため、気絶したそうなのですが、その時に手術室のライトに光の十字架が見え、それが一瞬でお母様の顔に見えたそうです。
そんなありえないような経験をして、手術後に目覚めた時に、自分の身体をとてもとても愛おしいと思われたそうです。
「私」を生かそうとしている「身体」に深く感謝したのだそうです。
このあたりは、ぜひ動画で直接ご本人の言葉を聞いていただきたいです。(4:40以降です。)
まだほんの数時間前に、『肉体って自分が思ってるよりもうんとうんとスゴイものなんだよー!でもそれがなんだかはよく分からないけどー!』と感じたばかりで、朝イチにこんなお話を聞いてるなんて、タイミング良すぎです。
ちゃんと自分の中で消化吸収しなければないんだろうなー、とは思いました。
が、昨日の今日で、身体が少しばかり重いなー、と感じつつ、8時までに出発できるようにバタバタと家事を片づけ始めたので、あまり深くは考えませんでした。
後回しにしました。
で。
無事に約束どおりの時間に名古屋に到着し、3人でスタバでお茶もし、初のジャニーズショップで写真も購入し、3人ともニヤニヤが止まりませんでした。
とても充実しておりました。
身体は重いなー、と感じてはおりましたが、そんな程度でした。
しかし。
Nさんが用事のために離脱し、月子さんと2人で椅子に座って休憩し始めた途端、なかなかの強度でしんどくなってしまいました。
しんどかったり楽になったりが波のように入れ代わるので、少しは話をすることができましたが、まったくもって調子が出ません。
2人で会っていたら、いつもはバカみたいにおしゃべりしまくるのに、めっちゃペースがゆっくりだったのです。
私の調子が良くないのを察して、月子さんもペースを合わせてくれていました。
んもー!
せっかく久々に会えたのに、なんでこうなってんのよー!
と、心の中で誰にともなく悪態をついたところ、
「(月子さんと)まぜまぜしてるから。」
と、スコンと言われました。
誰かに。ミカエルなのかなー?誰なのかなー?
しんどかったので、誰かなんてのも確かめる余裕がありませんでした。
月子さんに
「まぜまぜしてるからしんどいらしい。なんやねん。まぜまぜって。」
と報告したんですが、苦笑いされました。
そりゃそうだ。苦笑いするしかないよねー。
ごめんねごめんねー。
不思議なんですが。
月子さんと私はいろんなことに親和性が高いのに、いろんなことが正反対なのです。
今までも、月子さんに会うと一時的にですが、しんどくなることが何度かありました。
正反対のエネルギーに私の身体がへにゃっとなってしまうからだろうって、2人で仮説を立てておりました。
なので、意図的にまぜまぜされたら、そりゃしんどくなるってー、と、正直イラっとしました。
せっかく名古屋に来てるのに、しんどくておしゃべりも弾まないって、なんのイヤガラセやねん!と。
しかし、ちゃんと理由はあったようなのです。
(そりゃそうだ。)
カフェに移って、お茶をしていた時に、月子さんがとあるものを見せてくれました。
お花ちゃんの作品です。
これです。
あー、お花ちゃんの日記で見たやつやーん。
貸してー見せてー。
と、手にとってじーーーーーっと眺めていました。
しんどくて頭が回りにくくなってるのもあって、ぼーーっと眺めてました。
すると、
ほんの一瞬でしたが、蟹座のマーク付近が(光の加減とは思えないくらい)ピカっ!と光り、またしてもスコンと言われました。
「蟹座の成分が足りないから、まぜまぜしてるんだよ。」
って。
ねーねー。
蟹座の成分が足りないから、まぜまぜしてるって言われたー。
ごめんねー、蟹座成分をちょっともらっちゃってー。
と、蟹座の月子さんに報告すると、またしても苦笑いしていましたが、「プロテクトが弱いから、蟹の殻でも少し分けてもらってんのかなー?」なんて話したりしてました。
それから少しして月子さんともバイバイし、地下鉄に乗り、動物園に行ってたおとーちゃんたちと合流しました。
車に乗り込んだ途端、あれだけしんどかったのが嘘みたいにケロっと楽になりました。
なので、やっぱりまぜまぜされてたからしんどかったんだなー、と思いました。
といいますかね、そもそもですねー、前日の夜にワーム駆除やらデバッグやらをされた、ということからしてですね、
月子さんから蟹座エキスを分けてもらう、というところまで計画されてたんだな、と、高速道路走行中の車の中でやっと気づきました。
Nさんが朝から2時間だったら時間があるよ、ってのも含めてですね、キッチリ計画されてたんですねぇ…。

そして、帰宅して、片づけをして、
寝ころんでリラックスしながらスマホでmixiを見てみたら、
さつきのひかりさんが、これを紹介していました。
http://www.pixiv.net/member.php?id=2032542の、
「死んで生き返りましたレポ」です。
ふら~っとアクセスしてみたのですが、壮絶なレポで息が止まりそうになりながら一気に(8)まで読みました。
(8までしかアップされてなかったので。)
……ちょっと待って、ちょっと待って。
今朝のテレビ番組の衝撃をまだちゃんと消化できてないのに、さらに追い打ちかけますか?

そんな気持ちになりました。
正直言いますとね、今もまだちゃんと整理できてないんです。
意識って何だろう。
肉体って何だろう。
魂って何だろう。
今ここでこうしてこのように生きてる「私」って、何だろう。

今までも散々いっぱい考えてきたことですが、おそらくここに来て、今までの自分が思いめぐらせていたレベルを超えなければならないんだろうな、
……と、それだけしか分からないのです。
なんか、すごいんだよ。
自分で感じて思いこんでるような、そんな程度のものじゃないんだってのだけは分かるんだよ。
でもそれが何かはよく分からないんだよ。

とても、もどかしいです…。
ひじょーにもどかしいです。
というわけで。
オチがちゃんとついてなくて、読んでくださってる方も一緒にもぞもぞさせてしまったかもしれませんね。
ごめんなさい。
いちおー、この話はこれでおしまいです。

おれの肉球でも見ておけー。
★おまけ★

初ジャニショでゲットした写真の中から超お気に入りの2枚を飾っております♡
むふふ♪

「魂」の問題じゃなくて、「器」の問題 …その2

コレの続きです。
先週の火曜日の夜に浄化と思われるアレがあり、水曜日の夜におとーちゃんのアレがあり……で、土曜日の夜です。
翌日の日曜日に名古屋に出かけることになっていました。家族みんなで。
しかし、行動は別々。
おとーちゃんと子供たちは名古屋の動植物園に行き、私はエイター仲間の月子さんとNさんと人生初のジャニーズショップに行く、という予定でした。
というのもー、
土曜日と日曜日にー、
大阪で関ジャニ∞のイベントがあったんですがー
それにハズれましてー、
めっちゃガッカリしておりましてー、
せっかくおとーちゃんに休みも取ってもらってたのでー、
名古屋に行く!とゆーたらー、
子供たちも動物園か水族館に行きたいと言うのでー、
そういう予定になったのでした。
そしたら、何かと忙しいNさんも、午前中の2時間なら会えるというので、朝の8時に家を出る予定になりました。
水曜日以降、私もおとーちゃんも体調は悪くないし、イケるイケる、と思っておりました。
てことで、早めに寝ようと思い、早めからコマゴマした準備をしておりました。
…が。
21時頃、急に心臓がバクバクしてきました。
そのうちそれは治まってきたのですが、どうもあまり「いい感じじゃない」のです。
イヤな感じ…とまでは言わないけど、でも「よろしくない感じ」が続いていました。
発作になりそうなほどではないけれど、よろしくないなーという感じなので、やはり不安になりました。
てかね、
子供の頃からそうなんですが、楽しみにしてるイベントの前に自律神経が乱れて気持ち悪くなり動けなくなることが時々あるんです。
最近はそれでもそーゆーのもかなりクリアされてきましたが、急な体調変化に、「また?」と思いました。
そこで、(準備を整えてから)お布団に入り、緊急MAPのコーニングをオープンにしました。
まずはガイドのテオとの会話から始まりました。
あ、会話と言いましても、
ガッチリとした言葉での会話よりも、イメージと共に言語になってないものを伝えられて、それをいちいち翻訳している、という感じ…の方が多いので、なかなかうまく表現できないこともありますが、うまいこと汲み取っていただけるとありがたいです。
で、ですね。
テオに言われたのが、
私は「拡大すること」を恐れている、私は「救われること」を恐れている
ということでした。
アクセルとブレーキを一緒に踏んでるようなもの、というたとえがよく使われますが、この恐れのせいでそういう状態にずっとなっている、と言われました。
拡大することを恐れている、というのは、表層意識の自分でも認識していましたが、
救われることを恐れている、というのは、かなり意外でした。
「え?」っと一瞬聞き返したくらいでした。
でも、テオの言葉に思い当たる感覚がふっと沸き上がってきたのでした。
うまくソレを掴みきれないので、とてもざっくりした言い方になってしまいますが、
何かザラっとした異物があるかのような感覚とでもいいますか、
淀んだ泥水みたいに停滞していたいという感覚…が、自分の中にあるのがうっすらと分かったのです。
救われることを恐れている、というのは、深いところに隠れているコレが関わってるな、というのはうすうす勘づきました。
が、はっきりと掴みきれないまま、すぐにその感覚は消失してしまいました。
すると、「じゃあ、視界を広げて確認してみようね。」とテオに言われたかと思うと、
あくまでイメージですけどね、自分の意識がどんどん地球から離れ、太陽系すらも離れ、かなり遠くまで連れていかれました。
「ここから自分を見てごらん。」と、テオに言われて、こんな遠くから見えるわけないやーん……と思ったのですが、見えたんです。
見えた、というか………確認できたんです。
自分の中に何かが在るということが。
ここから、会話の相手がミカエルに切り替わり、意識も身体のところに戻ってきました。
「何があるのかなー?これなに?」と訊くと、ミカエルは答えてくれました。
…が。
私の知識が足りなくてうまく翻訳できないんですけど、むりくり言いますと、
先祖からのカルマみたいなもの…って感じです。
おとーちゃんに張りついてたヒトデ状のものは一時的なものらしいのですが、ざっくりおおまかに分類すれば同じようなモノ…みたいです。
ただし、表面に張りついてたヒトデ状のものとは違って、私の背骨の中にいる、とミカエルに言われました。
「取り除くか?」と問われてたので、「よろしくです。」と答えると、ミカエルの手が私の(みぞおちのあたりの)背骨の中に入っていきました。
…というイメージがですね、かーなーりはっきり見えたんです。
ミカエルの手はキレイだけど大きかったです。
ふと気づくと、ウリエルもサポートしてくれていました。
そして、ミカエルが私の背骨から取り出したのは、デカい白い芋虫状のものでした。
体長10cmくらいの、まるまる太ったカブトムシの幼虫みたいなのを想像してください。そんな感じでした。

ひー!
こんなのがいたの?
と、驚いていたら、他にも「ワーム」がいるから、と、左の耳の下辺りからも、小さめのを取り出していました。
ひー!
すると、ワーム取りは終了したのか、ガブリエルとラファエルが「手当て」をしてくれました。
私の背骨など、ワームのいたところを癒してくれていました。
……って、よく考えたら、四大天使にお世話してもらうなんて、めっちゃ豪華ですよね!
今気づいたけど。
ありがたいねぇ。ほんと。
手当をしてもらってる私に、ミカエルがワームを見せながらアレコレ説明してくれました。
……が。
これまた、うまく翻訳しきれなくてですねぇ…。
またしてもざっくり言いますが、このワームが背骨の中を行ったりきたりして、嬉しい楽しいワクワクな気持ち(エネルギー?)を横取りしてたらしいのです。
そのせいで体調にも悪影響が出てたそうなんですが、なんでそーゆーワームがいるのかというと、
「楽しんではいけない」とか「(家や村の)外に出てはならない」みたいな、まさに淀むように停滞する方向での思い込みが先祖のどなたか…またはそういう傾向がみんなにあったのかもですが、なんとも重苦しい思い込みが「呪い」とまでは言いませんが、それに近いようなカタチで影響を及ぼしていた、ということみたいです。
それを、私のイメージではデカい芋虫という形状になっただけなんだと思います。
おとーちゃんのヒトデ状のものも同じですね。
私のフィルターを通すとこーゆー形状になったよ、ということですね。
そして、ミカエルは他にもバグがあるから、今やってもいいバグ潰しをついでにやっとく、と言って、何かやってました。
これについては記憶がほんとーに飛んでます。
その時はすごーくはっきり見えて、説明もよく分かったんですが、寝て起きたらすっかり飛んでました。この部分だけ。

……と、まだ続きます。
まだあるのーあるのよー。


おれは箱から出たくない。

サンダルフォンからGiftsを受け取ってみる?

昨日の続き……は、ごめんなさい。
明日アップできるように頑張りますっ。
で。
今日はですね。
サンダルフォンの絵です。
お客様が、ご自身の絵とお母様の絵を注文してくださいました。
まず、お客様の絵を描きました。
オラクルカードはサンダルフォンのGifts from Godでした。
大天使サンダルフォン
そしてその翌々日。
お母様の絵を描こうと、オラクルカードを引いたところ……
……同じカード、サンダルフォンのGifts from Godではありませんか!
今まで、親子それぞれでのご注文というのが何枚もありましたが、親子で同じ天使はともかく、同じカードというのは初めてでした。
「うーん。どうしよう。これ、カードを引き直した方がいいかなー?」
と、サンダルフォンのカードを見つめながら思ったのですが、すこんとイメージが頭の中に展開されました。
ああ。
これは、対の絵になるんだな。

と思いました。
そして、出来上がったのがこの絵でした。
大天使サンダルフォン
並べるとこんな感じです。
2枚の絵は、太陽と月、昼と夜、陽と陰……のような、そんな対になってるんだなぁ~、と感じました。
サンダルフォン2枚
それで、ですね。
もちろん、オリジナルはお客様のものですが、
この画像を通してでもOKだと思いますので、陽と陰のどちらか、今の自分に足りないなーとか、必要だなー、と直観で感じた方のサンダルフォンから、Giftsを受け取ってみてはいかがでしょうか?
まーまー、せっかくですからね、ギフトをもらうイメージをしてみてください♪

「魂」の問題じゃなくて、「器」の問題 …その1

最近、おとーちゃんが毎日「頭が痛い。」と言い続けていました。
仕事があるので、仕方なく鎮痛剤をちょこちょこと服用しておったようですが、偏頭痛では無さそうで、種類としては、おそらく緊張型頭痛なんだろうなー、という感じでした。
なので心配はしていなかったのですが、あまりに毎日痛い痛いと言うので、私がだんだんと心配になってきました。
そして、先週の水曜日…だったかな。
子供たちはとっくに眠っていて、私達もそろそろ寝るかねー、という頃に、
「そいえばさー。いつ頃から頭痛いーってゆーてるっけ?」
と、ふと思って、おとーちゃんに質問しました。
即答しないおとーちゃん。
ちょっと間があってから、言いました。
「…あのさ、おばーちゃんの法事に行ってから。」
てことは、1カ月近く毎日頭痛がしてたのかー、とあらためて心配になりました。
…いや。
そこじゃなくてね。
法事に行ってからずっと痛いって、あやしすぎます。
違う意味で心配になりました。
「なんかあったん?」
「…実はさー。」
と、おとーちゃんが説明をしてくれました。
詳しいことはちょいと言えませんが……ちょーざっくり書きますと、
おとーちゃんちの本家のご先祖さんたちが、ちゃんと成仏してへんくて、それが今の子孫たちにあまりよろしくない影響を与えてる、ということを、何十年も前から本家のおばさんも承知しとってね、
んじゃってことで、私とおとーちゃんがずーっとお世話になってる霊能師さんが紹介してくれたお墓の先生んとこに、おばさんが何年か前に相談に行ったんやけど、なんでか話がそこからちっとも進まなくなっとって、どうすんのかねー?とは思ってたけど、うちは分家やし、分家のことだけちゃんとすればいいって霊能師さんにも言われたから、おばーちゃんが死ぬちょっと前におじーちゃんのお墓モロモロをお義父さんとお義母さんができると範囲でキッチリ整えてくれたんで、間に合ってよかったよかったと思ってたんやけど、
とうとう本家のお墓の整理整頓のことはあきらめたらしい。

という話をですね、おばさんから聞いたんだそうです。法事の時に。
あ、ちなみに、私は子供たちの授業参観&学級懇談会&PTA総会のため、法事欠席だったので、おばさんがあきめらたらしいという話は、その時に初めて耳にしました。
えっとですね。
もう何十年も前から、私の周りではこの手の話は山ほどあって、それはもうたくさん耳にしてますし、
実際に、オカンや弟に起こったアレコレや、私自身に起こったアレコレ、おとーちゃんに起こったアレコレを検討してみてもですね、
成仏してないご先祖が、すがってくる、というのは、ありがちなこと
だと感じているんです。
違う言い方をするなら、
先祖のネガティブな想念が、DNAを通じて、子孫の身体意識感覚に影響を及ぼしている
みたいな感じなのかもしれんなー、とか思ってます。
なんにせよ、「魂」としての自分のカルマというより、「器」の方に付随してきている問題、ということだと思ってます。
そういうことを信じないという人は、それでいいと思います。
ただ、私は自分の経験から、そういうことはあると思ってますので、そのテイで話を進めますね。
さて。
その話を聞いて、私はイラっとしました。
おばさんにイラっとしたのではありません。
申し訳ないけど、おとーちゃんのご先祖様の中で、ちゃんと成仏してない方々にイラっとしたのです。
おそらくね、おばさんがね、ちゃんと整理整頓して、かるーくしてくれる、と期待してたのに、やってくんないからってガッカリして、おとーちゃんに「ねー、なんとかならないのー?」って感じでのしかかってきた……から、おとーちゃんはずっと頭痛がしてるんわけやんね。片側だけ。
そんなのねー、どれだけ辛い苦しい悲しい体験をして、ネガティブな想いが溜まっちゃったか知らないけどね、もうね、自分でなんとかしなさいよーーー!
子孫を温かく見守るならまだしも、悪影響及ぼしてんじゃないわよー!
自分のことは自分で救うのっ!

と、イラっとしてつい大声でゆーてしまいました。
そして、もう横になるっ。
でもって、ミカエルになんとかならんか訊いてみるっ!
と、布団に入りました。
そして、
「ねーねー。ミカエルー。どしたらいい???」
と、質問した途端、
「そんなに怒るな。」
と、速攻でたしなめられました。
ひー!ってなって、布団からガバっと半身おこして、これからお布団に入ろうとしてたおとーちゃんに、
「怒るなってミカエルに言われたぁぁぁ~~。」
と、報告しました。
おとーちゃんは笑っていました。
腹立たしくはあったのですが、確かにね、ご先祖様だって好きでそうなってるわけじゃないのは重々承知してますからね、怒っちゃいけませんね。
というわけで、分かりましたごめんなさい、と態度をあらためまして、そこからミカエルとなんやかんやと脳内会話が続きました。
とにかく、私はおとーちゃんの頭痛をなんとかして欲しい、ということをお願いしました。
すると、すぽんとイメージが湧いてきました。
かなりハッキリとしたイメージでした。
お布団の中で横になって目を閉じていたのですが、
おとーちゃんの「ぼんのくぼ」から(頭痛のしてる側の)肩のあたりにかけて、変形的なヒトデみたいなものが貼りついてるのが観えたのです。
うげー、と思っていたら、私のハイヤーの1人であるタミエルがやってきまして、
おとーちゃんに張りついてるヒトデ状のものの端っこをむぎゅっと掴んだかと思うと、
べりべりっ!っと勢いよく剥がしたのでした。

剥がされたヒトデ状のモノはうにゃうにゃ動いてましたが、タミエルがソレをミカエルにポイっと渡して終了、という感じでした。
ええー?
もしかして、これでおとーちゃんの頭痛が治っちゃうのー?
と、私はまさに「キョトン」という感じだったのですが、その後は眠ってしまいました。
で。
翌日から、おとーちゃんの頭痛は治まったのでした。
ほんとうに治まったんですよ!
1カ月近くほぼほぼ毎日続いてた頭痛が、治まったんですよ!

もちろん、これはおとーちゃんの頭痛を引き起こしていた部分を取り除いた、というだけで、根本的に解決したというわけでは無いのは分かってます。
それでも、おとーちゃんの頭痛が消えたというだけでもビックリするのに十分でした。
や、信じてないというわけじゃなかったんですが、
こんなに即効性のあるものだとも思ってなかったもので……。
とにもかくにも。
肉体の不具合というのは、いろんなレイヤーでの不調和によって起こっていて、
そこを修正したり、取り除いたりすれば、ほんとうに肉体の不具合も治るんだなー、ということを、あらためて見せつけられた・教えられた
…ような気がしました。
…と。
これが、続くんですよー!


おれのご先祖様も白黒ブチ猫に違いないな。

日本酒はお好きですか?

そして。
日本酒の熟成酒はお好きですか?
えー。
大学時代の同級生が、家業の造り酒屋を継いで、お婿さんと共に頑張っているのですが、そこの看板商品が日本酒の熟成酒なのです。
知る人ぞ知る酒蔵なのです。
そんな酒蔵が、とても面白そうなことをしてました。
こちらです。
http://www.daruma-masamune.co.jp/item/kaityujyukusei.html

ね?
面白そうでしょ?
さてさて。
どんなお酒になっているでしょうねー。

おれにはお酒じゃなくて、またたびプリーズ!

運命の輪は回るよ、ぐるぐると。

じぇいど♪さんのこの記事
http://nanigamieterujpn.blogspot.jp/2014/05/3.html
にリンクされてたコレ
iPhoneh版
をスマホにインストールしましてね、早速やってみました。
私はマルセイユ版のタロットって持ってないので、せっかくだからとそれを選択。
1枚引きをしてみました。
そして出たカードがコレでした。

運命の輪(の正位置)。
運命の輪って、いいですよねぇ。
なーーんか好きです。
運命の輪が動き出したのなら、もう流れに乗るしかなくて、
そこで不安や自信の無さから後ろ向きになったり、躊躇したりしたら、その流れからはみ出してしまう……みたいな、そんなイメージがあります。
でも、このカードは大アルカナ22枚の真ん中のカードなんですよね。
終着点はあくまで「世界」というカード。
ということは、人間という存在は、いつかは運命の輪から脱していかなければならないんだろうなー、と、思ったりもしてます。
というわけで。
マルセイユ版ということで、時々チェックしているタロットリーダーさんのブログで、運命の輪について説明している記事を探してみました。
これです。
http://ameblo.jp/mvoler-tarot/entry-11363016587.html

そうして、自分の内なる「運命の輪」と外側の「運命の輪」の照応を少しずつでも実感し、合一させていくと、自分のコントロールによって外側の「運命の輪」を動かす(作用させる)ことが可能になってきます。
もちろんすべてということは難しいのですが、それでも確実に、自分の意志で自分の運命を変えていく(ように見える)ことができ始めます。
これがマルセイユタロットの「運命の輪」の力と効果なのです。


自分の内なる「運命の輪」と外側の「運命の輪」という捉え方と、
それを少しずつ合一させていくという志向。
なるほどな~、確かに自分に必要な、難しいけど必要なことだな~、と、スクショした画像を眺めながら思いました。
ちなみに。
ウェイト版タロットの解説本なら持ってるんです。


いや、すごく面白いんですがね、
どうも「シンボルを読む」ということが、私はあまり得意ではないようでして、解釈してもらったのを理解することはできても、自分では深く読むことができないんです。
それはホロスコープも同じことです。
月子さんの解説は「なるほどー!」ってある程度理解しつつ聞くことはできますが、同じように読んでみろと言われたらお手上げです。(もちろん、勉強が圧倒的に足らないというのはありますが、もともとの資質として得意じゃないということが言いたいの~。)
人間、どうしたって得手不得手ってあるので、仕方がないですねぇー。
はうん。

おれの運命は、おねーちゃんが「この子をおうちで飼う!」とおとーちゃんにゆーてくれた時に決まったがな。
おねーちゃんは運命の女神やな。
……でも、おねーちゃんは抱っこが下手くそだからヤダ。

久しぶりのアセンディッドマスターカード

昨日なんですが。
お客様の絵を描こうと、机の引き出しからオラクルカードを出し、シャッフルし始めました。
あれ?
これ、アセンディッドマスターカードやん!
と、かなりシャッフルしてから気づきました。
気づくの遅過ぎ!
アセンディッドマスターカードは横に置いて、
大天使カードを出してシャッフルして、カードを引きました。
やれやれ。
さ、カードをしまいますかねー…と思ったところで、
そいえばアセンディッドマスターカードをずっと触ってなかったなー、と思い出し、ちょいと引いてみました。
3枚。
すると、最後の一枚が、浄化というカードでした。

何を浄化せんとあかんのかなー?
なんて呑気に思ったくらいで、カードを片付けました。
さて。
夜になり、夕飯の後片付けを始めたところで、お腹が急に痛くなりました。
かなり痛いやつです。
断続的に痛くなって、トイレに何度も行くやつです。
ちょー痛いやつです
下痢になって、出し切った時は、痛みだしてから2時間経っていました。
つーかーれーたーーー。(痛みに耐えるのってヘロヘロに疲れるよね。)
なんか合わないものを食べたのかなー、
よくないものを食べたのかなー、
そいえばさっき、胃腸風邪が流行ってきてるよー、とおとーちゃんがゆーてたなぁ…、
娘の友達も高熱と腹痛で今日はお休みしてたって、さっき娘がゆーてたしなー、
でも、たまになる浄化かな……
はっ!
ここで、あのカードを思い出しました…。
あいやー…。
実際のところ何が原因なのか分かりませんが、何にせよ「お掃除」には間違いないんだろうなぁー…、と思います。
はい…。
今朝は、喉も痛いし微熱もあるし怠いし、なので、風邪っぽくもあるんです。
そんなわけで、これもお布団の中でスマホを使ってチマチマ打ち込んでます。
みなさんも体調管理には気をつけてくださいねー。

おれはいつも元気だぜー!
ペロペロ。

顔が見えないと言いやすいってのはありますがね。おおいに。

以下は、一昨日に私がツイートしたものです。
セルフコピペ。

私がフォローしてる某さんに対して、
あなたのアカウントの内容はこれこれこういうものなので鍵をつけた方がいいですよ。マナーですよ。
というリプがついてた。
もの言いは丁寧だし、本気のアドバイスなんだろうと感じた。
言われた方は、不快な思いをさせてすみません、と返してた。
それを眺めてて、なーんかもにょっとした。
そもそもそのマナーってのが分からない。
本当にそれはマナーなのか?
Twitterのマナーにそーゆーのがあるのか?
誰がいつ決めたの?
「それはマナーです。」という言葉は、実は相手をコントロールしやすい言葉なんじゃないか?と思った。
Twitterで時々見かけるが、いきなりのリプで非難を浴びせるというのは、ものすごく不思議で、不快なら読まなきゃいいのに、と思うのだが、それができなくて、勝手に内圧を上昇させて、非難したくなるんだろうなー、と推測してるのだけど、やはり不思議。
そーゆーのは論外だけど、でも、いきなりのアドバイスというのも、かなり暴力的だなぁー、と感じたのだ。
リアルでは、いきなりのアドバイスなんてしないだろうし、いきなり非難するなんてしないだろうし、
ネットでの人との距離感って独特だなぁー、と、あらためて思った。


これに先立って、この数日は、私がフォローしてる何人かの方が、似たようなことをツイートしているのを見かけていました。
いきなりタメ口のリプが来るのって苦手、って書いてる人もいましたが、苦手っていうその感覚の方がまっとうだと思うよーって、スマホ片手につい声に出しちゃいましたよ。ええ。
フォロワーさんにしたみたら、ツイートを毎日読んでるうちに、相手のことをよく知ったような感覚や、身近に感じるようになったとか、そういうのもあるのでしょうけど、
リアルだとそんなことないだろうに、なんでネットだとこーゆー不思議な距離感になっちゃう人が多いんでしょうね。
ネット上の自分というものは、ペルソナなんでしょうかね。
日常生活の地味な自分とは違う自分……とか???
ほんとうの自分じゃないから、(言われる方にしたら)いきなりの非難とか、いきなりの(求めてもいない)アドバイスとか、いきなりのタメ口とか、そーゆーことができちゃうのでしょうかね…。
強度の差こそあれ、どこか暴力的だな、と感じます。
なーんてことを今朝もまたちょっと考えておりました。
や、また見かけたんでね。朝から。
そしたらですね、
あれ?
なんか、この感じって、ちょっと覚えがあるぞ…。
と、なってきたんです。
……ああ。
スピに傾倒してる人にもあるやん。こーゆー不思議な距離感って。
と、気づきました。
もちろん、みんながみんなそうというわけじないです。
…わけじゃないんだけど。
たまにいるんですよね。
そんなに面識がない(または知らない)人なのに、求めてもいないアドバイスをいきなりくれる、とかね、そーゆーの。
もちろん善意で、なんですけどね。
でね。
これがね、
『的確なアドバイス』もあれば『(ちょっと困惑しちゃう)お節介』とに分かれるんですよーーー。
上のセルフコピペは「お節介」だと思うんです。私。
自分の考えの押しつけなので。
でも、事実のお知らせ系は、言葉が普通(←高圧的でないとかね)だったら当然OKですよね。
(……まぁ、その「事実」ってのが何かってところでモメるってのはまた別の話になりますが。)
しかし、スピの場合、「事実」というのを規定するのは難しいですよね。
ミカエルがこう言ってましたー。
○○がこういうのを見せてくれましたー。
つながっちゃって、分かっちゃいましたー。
事実でしょう。
アナタにとっては、それは事実でしょう。
言われたんでしょう、見たんでしょう、分かったんでしょう。
でもね。
それはアナタだけの事実なんです。
そこが抜けてる人が、時々いるなーって感じるんです。
客観的に証明できない自分だけの事実を、求めていない人に伝えるという場合って、ものすごーーーーく慎重にならないといけないし、
伝えなきゃいけない、という動機がよほどのものじゃないと、いきなりのアドバイスなんてすべきじゃないだろー、って思うんです。
そこまで慎重になれる人の言葉なら、いきなりでもやっぱり入ってくるんです。これが。
でも、それができない人ってね、多分だけどね、憶測だけどね、
スピを知って、いろいろ……やって、「なんかちょっと分かる、見える、感じる」みたいなのがね、できるようになってね、
どこか浮足立ってるってゆーか………こっそりエゴがざわざわしてるってゆーか……そーゆー印象を感じてしまうんです。
それが極端に肥大すると、あさはらしょーこーになるんだろうな、って思います。
や、ほんとにめっちゃ極端な例だけどね。
でも構図は同じかな、って感じます。
なーーーんてね!
お節介おばさんの私が言うのも片腹痛いよな!
はっはっはー。
とにもかくにも。
人と人との距離感をいかに上手く量って絶妙なポイントを見つけるか、というのは、日々の鍛練しかありませんよね。
リアルもネットもスピも同じですー。

洗濯機と棚の間の距離をちゃんと測ってだなー…。
ここに入り込んでだな、おれは落ち着きたいんだ。
『やめて。どいて。』