母の日ということで、娘からもらいました。
そんな娘のことですが。
昨日の夕飯を作ってる時に、娘が台所にやってきたので、なんやかんやと普通に会話していたのですが、
何だったかなー……何かの私の問いかけから、ちょっと様子がおかしくなりました。
あれ?と思っていると、娘が
「こんなことお母さんに言っちゃいけないと思ってたんだけど…。」と話し始めました。
お兄ちゃんが時々自分を睨むこと。
それをとてもイヤだと思っていること。
お兄ちゃんのことは大好きだけど、お兄ちゃんをイヤだと思ってしまう自分がイヤなこと。
お母さんはお兄ちゃんのことが大好きだから、私がそんなふうに思っていると知ったら絶対に悲しい顔をすると思って言えなかった、と娘は言いました。
知的障害のある息子にしたら、妹の方が何でもできるという事実に葛藤があるのかもしれません。
そして、そんな妹と意見が食い違うと、上手く言えなくてムッとした顔で睨んでしまうことも増えてきたようなのです。
息子が中学生になってからそんなことが増えてきたようです。
健常の子でも中学生というのは不安定さが増す時期だと思いますが、ダウン症児でも同じなのでしょう。
料理の手を止めて、私は椅子に座り、娘を抱っこしてやりました。
娘はわんわんと泣き出しました。
「そんなのね~、普通だよ~。大好きな人に対してもイヤだと思うところがあって、そこは嫌いだ~、イヤだ~、と思うのなんて普通だよ~。大丈夫だよ~。」
と、背中をぽんぽんしながら泣いてる娘に話しかけました。
「それに、お母さんが悲しむからって言えなかったなんて、娘ちゃんは優しいねぇぇぇ。大丈夫やよ~。そんなことくらいで悲しくならへんよ~。普通のことやからね~。」
と、さらに続けると、娘はもっと大きな声で泣きました。
彼女なりにいっぱい考えて、ずーっと溜め込んでいたんだなぁ、と思うと、私までホロリと涙が出ました。
そんな母の日でありました。
親子ペンデュラム
たみえはペンデュラムを手にいれた!
…と、喜んでいたのですが、このチェーンが切れてしまいました。
自分でなんとかしようかとも考えたのですが、ここはプロに任せた方が絶対にいい、と思いまして、お花ちゃんにリメイクを依頼しました。
それが昨日届きました!
なんと、もう一つはお花ちゃんからの「母の日のプレゼント」で、親子ペンデュラムとして戻ってきたのです。
いえ、もちろん私はお花ちゃんの友達であって、母でないのですが、まぁかなりの年の差もありますし、若い頃に私が産んだ子だとゆーても通るくらいの年齢差ゆえに、お花ちゃんはどこか私にオカン風味を感じていてくれているようなのです。
珠ちゃんは私のことを大学生の頃からずーっと「ママン」と呼んでくれるし、やはり私はどこかオカンちっくなのでしょう。
そんなわけで、母の日のプレゼントペンデュラムと一緒に戻ってきてくれた我が水晶さん。
ネックレスから完全にペンデュラムとして生まれ変わりました。
相変わらずよく動いてくれます。
そして、子供ペンデュラムは実子の娘にあげました。
とっっっっっっっても喜んでいました。
すぐに手にして、
「時計周りに回ってください……ああああ、回った~。」
と、くるくるやっていました。
するとですね、
「お母さんのはYESだと縦に動くのに、私のは横に動くよ~。」と娘が言い出しました。
あら?そうなの?と、私も手にして試してみたら、本当にそうでした。
石によって違うんですね~。面白いですね~~。
これでお花ちゃんはペンデュラムも作れるようになったわけですので、欲しいな~、という方は、お花ちゃんのお店からオーダーしてみたらいかがでしょうか~♪
おすすめです♪
(お花ちゃんも商品として陳列すればいいと思うよ~♪)
記憶の中のマルデックは緑の惑星だった。
ちょっといろいろありまして、なかなかブログを更新することができずにおりました。
さて。
今日のお昼前にエイトのライブDVDが届いたので、早速見よう…と思ったのですが、何故かそこからお絵描きモードになりまして、
まず、アクリル絵の具でガーっと描きまして……でも、今日は曇天のためか写真が綺麗に撮れませんので、その絵についてはまた後日。
で、その次になんとなく色鉛筆で描きたくなりまして、ぼ~っと描いていましたら、
「これ、マルデックだなぁ……。」と思いました。
……もう破壊される寸前という感じ。
2週間前くらいですかね。
これまた何故か急に昔購入したこの本を読み返したくなりました。
拾い読みをしてたのですが、な~んとなくマルデックのところは割とじっくり読みました。
その意味は、数日後に分かったのですが(←これもまた落ち着いたら後日ちゃんと書きます。)、なんとも久々にマルデックがこうやってちょいちょい出てきます。
私の中で最初にマルデックのことが出てきたのはコレだったのですが、もうこの数年はほとんど思い浮かぶことがありませんでした。
なので、久々にマルデックのことをフォーカスしている自分に対して、ちょっと不思議な感じすらしてます。
こんな私ですけど。
以前、こんなことを書きましたが。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1297.html
この数日後、浜松のお寺に行ったのですけど、そこは浄土真宗のとある宗派ですから、もちろん「他力本願」なお話をしてくださるわけです。
そして、私たち夫婦(や家族)が豊橋の先生と20年近くも縁が続いてるというのは、「(他力本願による)救われの道」に入っているからだ、と言われました。
「他力本願」を本来の意味とは違った使い方をしている人も多いかと思いますが、めっちゃざっくり言いますと、すべての人間が救うという阿弥陀如来の「本願」によって我々は救われる、ということです。
五井先生の教えも「お任せしきる」ですし、小学生の頃に2年間ほど教会に通って聖書の教えを聞いていたのですが、イエスの教えも私からすると同じに思えていました。
振り返ってみると、私の場合は自力で救われようとする方法ではなく、神霊(神・仏・高次の自分…などなど)にお任せしきるという道を進むように促されていたんだなー、と思います。
もちろん、全員がその道を進んでるわけではないです。
私の場合は、です。
そして、浜松のお寺さんに「自力も他力もどっちもと、中途半端なのがよろしくない。」と言われて、内心きゅうううう~となりました。
『信頼すべきは、高次の自分、神なる自分しかないやん。』と思えたにも関わらず、どうしても「自分」でなんとかしようという意識が知らず知らずに浮かんできますからね。
お任せしきる、というのは簡単なことではありません。
下手に知識や経験がある方が余計にアカンですね。
親鸞が「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」って言ってますけど、そりゃそうだよなー、と思います。
自分のことを悪人だと自覚しているなら、こんな悪人の自分が救われるのは阿弥陀如来への帰依しかない、という心境になりますもんね。
イエスが癒しの奇跡を起こした時にも「貴方の信仰が貴方を救った」と言ってるところがありますしね。
まぁ、でもですね。
それを分かった上で、宗教についてもスピについてもあれやこれやと分析し考察し、自分の中で組み上げ続けているんです。
遠回りなんだろうなー、とも思うんですが、おそらく誰かに語るための言葉が欲しいのだろうと思います。
私は誰かを救うことはできないけれど、私の魂を語ることで、誰かに「それが私たちなのだ」と伝えたいのだと思います。
で。
最終的には、言葉で語らなくてもそこに居るだけでそれを伝えられる可愛いおばーちゃんになりたいですね。
そのためには、お任せしきるしかないんですけどね。
これ見て~♪
これ見てみてー。
マツコデラックスを見た外国人から「イタリアにもほぼ同じ人がいる。プラティネッテ(Platinette)って言うんだけど」と教えてもらって探してみたら本当にほぼ同じだった。人種が違うのに体型も声も喋り方も仕草もこんなに似てるってすごい。 pic.twitter.com/Sq7HVzLmLu
— ブタ (@butaille) 2017年4月17日
ほんとに「ほぼ同じ人」ですなぁぁぁ!
テオに甘えてしまった。
咲くのが遅かった今年の桜ですが、例年以上にぱーーーっと咲いてぱーーーっと散っていってます。
ちょっと私のガイドの話をば。
おかげさまでここ2ヶ月ほど体調がそこそこ良かったのですが、4月になってからカクンと調子が下がってきまして、
でもって(前回は3週間遅くきたのに)1週間早く来た生理が、閉経前の頑張りを見せているのか、今回はどえらいことしんどくてですねぇ…。
さらにそんな時に限って、いつもはおとーちゃんが息子をスクールバスのバス停に送っていってくれるのに突発的に用事ができまして、どうしても私が送っていかないといけない状況になったりしたわけですよ。
しんどい時に車の運転はしたくないんですが、息子をバス停まで送っていかないと息子は支援学校に行けませんからね。
どうしても行かないといけません。
ですから、漢方薬も飲みましたし、ヒーリングもしまくりましたが、重い重い生理のしんどさは治まりませんでした。
しんどいながら、なんとか運転してたのですが、やっぱり辛いわけです。
すると、運転中にふとガイドのテオの顔(←っても私の勝手なフィルターを通した顔なんだけどね)が浮かびまして、
「ああああー。テオ、お願いだー。君のエネルギーで包んでおくれ~。」
と、いつもならそんなことお願いしないのに、しんどさのあまりお願いしたのでした。
で。
バス停に着いて、時間調整で少し車の中で息子とおしゃべりして、バスが来たら息子をバスに乗せて、他のママさんと少しだけ新年度のお話をして、車に乗り込んで帰路についた……ら、
「あれ?いつの間にか楽になってる……。」
と、気づいたのでした。
お願いしといてこんなこと言うのもガイドに失礼ですが、正直驚きました。
まさかこんなにすぐ楽になるなんて、思ってもいなかったからです。
や、漢方薬が効いたんだろう…。
や、ヒーリングが効いたんだろう…。
と、思ったりもしましたが、テオのおかげが大きい気がしてならなかったので、素直にお礼を言いました。
てなことがありまして。
昨日もまだしんどくてダラダラしつつも、ブログ記事を書いていたらですね、またしてもふとテオのことが頭にふと浮かんだのです。
そして、テオだけでなく、いろんな存在が守護してくれてるんだよなぁ……と、彼らに対して想いを向けた途端、つけっぱなしにしていたテレビから聞いたことのない歌…だけど、聞いたことのある歌声が流れてきました。
NHKのみんなのうたの、今月・来月の歌でした。
V6の「太陽と月のこどもたち」でした。
http://www.nhk.or.jp/minna/
うああああああ!
と叫びそうになりました。
ちょっと泣きそうになりました。
うん。
ほんとうは知ってるんですよ。
彼らがこんな感じだってのは。
でもですね、なんだかね、甘えちゃアカンと思ってる自分がいるんですよ。
正確に言うと、「上手に甘える」のと「甘え過ぎる」のと「依存する」のと……そこらへんの線引きがイマイチよく分からんのです。
多分彼らは、アカン方向に甘やかすなんてことはしないと思うので、甘えたって大丈夫だと思うんですがねぇ~。
変なところで長女気質が発動してるようです。
……いや、分からん。
テオはあまあまに甘やかすかもしれん。私を。
氣乃さん太っ腹
春ですね~。
名古屋に住んでる時もそうでしたが、ここに引っ越してきても家のすぐ近くに桜の並木道があるので、桜が咲くと一期に風景が変わります。
春ですねぇぇぇぇぇ。
さて、そんな春のお知らせをひとつ。
私もよくお世話になっている氣乃さんが、またしても太っ腹なことをしてくれております。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12261486683.html
氣乃さんは、ヒーリングエネルギーを受け取るだけでは勿体ないよ、というスタンスで、さまざまな実践方法も提示してくれています。
特に、無料でエネルギーを受け取るというのは、なんて言いますか…「収支が合わない」ように私は感じてしまうところが若干あるので、『自分だけで欲張らず周囲におすそ分けしまくる』というのが私は良いなぁ~、と思っております。
(や、もちろん長期的・多角的に見てすべて収支は合うようになってるんでしょうけどね。)
ピンときた方は上記リンク先にアクセスしてみてください。
春だしね。
新しい環境であわあわしてる人もいるでしょうしね。
私みたいに体調がイマイチの人もいるでしょうしね。
(ここんとこずーっと調子がそこそこ良かったんですが、4月になったら途端にイマイチになっとります。春のせいや~。)
というわけで、お節介おばさんからのお知らせでございました♪
それは、誰かの心にちゃんと残る。
今朝、FBが『去年の今日、こんな記事を書いてましたよ?』と一年前の記事を出して来ました。
それは、10日間行方不明になってたブ子が帰ってきた、という速報記事でした。
あの記事にはブログを読んで下さってる方々がブ子の帰りを祈っていてくれたコメントもありまして、それも一年ぶりに読み返し、人の心の温かさをじんわり感じておりました。
きっとコメントしていない人の中にも「ブ子ちゃん、無事に帰ってくるといいなぁ。」と思ってくださってた方もいらっしゃったと思うのです。
人間の善性は、温かいです。
人間の善性。
その現れ方は様々ですが、ご近所のおじさんの現れの1つは、ボランティアでほぼ毎日小学生の下校に付き添う…というものでした。
田舎なので、そこそこの距離を付き添うことになるのですが、それをほぼ毎日何年もやってくださいました。
ヤンチャな子をガッツリ叱ってもくれていました。
そんなおじさんでしたが体力的にしんどくなってきたのか、確か娘が1年生の時だったと記憶してるのですが、ボランティアを引退されました。
それでも、息子が在籍していた支援クラスの行事に招かれると、愛用のカメラを持って参加してくれました。
写真もよく頂きました。
しかし、先日。
おじさんが亡くなりました。
町内のお手伝いとして、おとーちゃんもお通夜の式と告別式に行きましたが、お通夜には卒業生も何人か保護者と一緒に参列していたそうです。
息子と娘も連れて行こうかと思いましたが、息子が(おそらく斎場の雰囲気が怖くて)行かないと言うので、お通夜の式には参列しませんでした。
が。
おとーちゃんが帰宅すると、
「○○さんのお顔はどうだった?」と息子は真剣な表情で訊きました。
やはり最後におじさんの顔を見たい、と息子が言うので、斎場から帰ってきたばかりのおとーちゃんが私達を連れてってくれました。
息子が行くと、おばさんたちが喜んでくれました。
おばさんたちに息子が
「○○さんは、ぼくをずっと見守ってくれてたんだよ。」
と、言いました。
おばさんは、
「息子くんがくれた(学校で書いたお礼の)お手紙、(おじさんが)全部どこかに仕舞ってあるはずだよ。」
と、教えてくれました。
人の善性の現れは、誰かの心にちゃんと残るものなのだろうな、と思いました。
吸引力が変わらないただひとつの黄色いくま
お花ちゃんに手持ちの水晶のリメイクをお願いしたのですが、その荷物の中にコレも入れておきました。
今回は選んだ紙の性質もあって、油性マジックで線を描きまして、色鉛筆でガシガシ塗りました。
最後に白色ペイントマーカーで光を入れておきました。
今回くまえるが持ってるワンドはダイソンです。
あれやこれやを吸い取ります。
娘がこの絵を見て、
「このワンドはイナリソが黒くなったのと同じ理由だね。」
と言いました。
それから、右手に持ってる「玉」ですが……これはよく分かりません。
分かりませんが、意味深だよなぁ~~、と描いてて思いました。
お花ちゃんがこのくまえるの絵を気に入ってくれたみたいだったので良かったです♪
反省せず後悔と悲しみに逃げるから同じこと繰り返す、は名言。
先日、数年ぶりに子供たちと餃子を作りました。
餃子を前回作った時も息子はパチンと挟むヤツを使ったのですが、これがもぉぉぉカオスでした。
娘は娘で手包みが上手にできずにカオスその2。
それが今回、2人とも手先の動きに明らかな発達を認められまして、上手に包むことができました!
かーさん感動しました!
さて。
昨日、こんなツイートが回ってきました。
こういうひと、せっかく妥当な指摘をもらっても「反省」をせず「後悔と悲しみ」に逃げちゃうので、延々と同じことを繰り返すハメになるんだよなぁ… https://t.co/QwqAcX21X8
— わかり手 (@ganbare_zinrui) 2017年4月3日
(上記ツイートがRTした元ツイートは以下です。)
嫉妬ちゃんと彼氏くん④
感情にまかせてもろくな言葉は出てこない pic.twitter.com/c0Vque6Imv— いつまちゃん(大体23時に漫画更新) (@1256hima) 2017年3月10日
反省せず後悔と悲しみに逃げるから同じこと繰り返す、は名言だ。
と、すぐにツイートしました。
自分自身にもガッツリ思い当たるからです。
反省することと、後悔や悲しみや卑下などに逃げてしまうことは全く違うことなのに、後者に流れる人の方が圧倒的に多い気がします。
もちろん私もです。
するとですね。
このようなツイートを読んだ直後に、娘がやらかしました。
もうすぐ新学期が始まるので、小4の一年間で使った教科書やノートやテスト用紙などを段ボール箱に退避させていたのですが、
1月末に学校に提出するように娘に渡しておいた大事な大事な書類が封筒に入ったまま出てきたのです。
お金に関することなので、たみえかーさんは娘を叱りました。
しかし、その後も教頭先生から渡されて、娘がおとーちゃんに渡さなければいけなかったPTAの大事な書類も出てきました。
たみえかーさん更に叱りました。
当然ながら娘は泣きますわな。大泣きです。
泣きながら、私はバカだ~!と言い出しました。
「あー。さっきのツイートそのまんまだなぁぁ~…。」と、泣きまくってる娘を見ながら思いました。
なので私も反省し、叱るのはピタっと止めて、娘に以下のことを(叱るのではなく、理解を促すように)言いました。
・この書類を学校に出さなかったことで、どういうことが発生し、困るのか、ということ。
・今は子供なので責任の取りようがないため、ごめんなさいと謝るしかできないし、それで許されるけれど、大人になって仕事で提出期限を守れないと、責任を取らなければならないし、誰かからも信用されなくなり、自分がとても困ることになる、ということ。
・以上の説明により、自分が今回やらかしたことの意味を理解したことで、泣いて後悔して自分を卑下したくなるのはとてもよく分かるけれどそれをしてしまうと、本当には反省できない、ということ。
・なので、私はバカだと言って自分を責めることは止めて、反省をしなければならない。
・反省するということは、やらかしたことの意味を理解し、申し訳なかったと心から思い謝り、じゃあどうして私はやらかしてしまったのかを自分を客観的に見て分析し、その分析を元にどうしたら今後はそれをやらかすことなくできるかの方法を考える、ということ。(ここで、彼女がディスレクシアだと判明したことで、弱点を知り、対処法を具体的に考えることができて、それを実施したおかげで、漢字テストの点数が上がった、という成功体験があるのも意識させた。)
娘は片付けが苦手だったり、若干パニックになりやすく、慌てると「とりあえず」の行動をしがちです。
そういう弱点がある、ということを娘も自覚していたので、それをしっかり自覚することが大切だと教えました。
それは自分を卑下するために自覚するのではなく、自分の弱点をしっかり把握することで、それをカバーするための手順やシステムを自分自身で工夫し、その工夫した手順等をキープする努力を続けることができ、結果的に弱点を補完できるのだ、ということを教えました。
去年も同じようなことがあったので、「このファイルフォルダーにプリントは入れるようにしなさい。」と去年の春に私から言ったのですが、言われただけではダメだった、自分でちゃんと反省して意識しないと同じことを繰り返してしまう、ということを娘は泣きながらも理解した様子でした。
すると、数時間後、郵便局に向かう車の中で娘が「自分で考えた手順・方法」を言い出しました。
新学期からそれを続ける努力をして、同じ失敗をしないようにする、と言ったので、「がんばれ!」と励ましました。
夕方、(学校への連絡等について私がLINEで相談してたので、娘のやらかしについては知っていた)おとーちゃんが帰宅した時に、娘はおとーちゃんに謝り、そして自分の弱点をカバーするためにこういう方法を考えた、と説明しました。
すると、おとーちゃんは、
「社会人になると、失敗に対しては始末書というものを書かないといけないんだよ。失敗したこと、失敗が何故起こったかという分析、それに対する対応方法、の3つを書かないといけないんだよ。なので、娘ちゃんもそれをちゃんと紙に書いておこうね。書いたけどまた同じ失敗をしたら、その時はまた叱られて、また始末書を書かないといけないからね。」
と、言いました。
娘も納得していました。
これで本当に提出物を埋もれさす…ということが無くなるのかは分かりませんが、親から「こうしなさい。」と言われるだけじゃなくて、彼女なりに反省して分析して自分で考えたので、見守ろうと思います。