P様のお話を、ともこさんが絵と共に紹介してくれています。
というわけで、こちらです。
『ひとの成功を喜ぶ』
http://tomoko7art.blog85.fc2.com/blog-entry-849.html
これを読んだ時にですね、
「なーんだ。人の成功や幸福を、素直に喜べばいいんだー。」
と、思えたんです。
他人が成功した時に、素直に喜べないのは、
自分が損してるわけじゃないけれど、相手のラッキーが大きければ大きいほど、相対的に自分がカクンと落ち込むような感じになるからなんだろうな、って思うんです。
そして、それに加えて、人を羨むことは良くないという道徳観念みたいなものがあるために、そういう気持ちも抑え込まなければならなくて、しんどいんだろうな、と思うのです。
でも、そんなの、とっぱらっちゃえばいいんだー、と、思えたんです。
他人の成功を自分のことのように喜べば、いつか自分にも(カタチや規模はどうであれ)その幸運の流れはやってくるんだから、素直に喜んじゃえばいいし、
素直に喜んでいるなら、羨ましいという気持ちも素直に明るく「いいな~♪」って思っちゃってOKだよな、と思ったんです。
考えてみれば、
「不幸」と思われる状況の場合って、人によってその受け取り方も違うだろうし、その立場になってみないとその人の気持ちなんて分からないことの方が多いですよね。
なので、同情することや寄り添うことはできるけど、同じように悲しむことはできないような気がするんです。
でも、「成功」や「幸運」に対する喜びは、だいたい同じような感じだと思うので、同じように喜ぶことって比較的簡単なのかもしれません。
そして、他人の喜びと同じ大きさではないにしても、素直に「良かったね~♪」と一緒に喜ぶことができれば、自分も楽チンだし、世界はどんどん良くなるし、そのうち自分のところにもラッキーが訪れるし、いいことだらけですもんね。
とは言っても、それができないからしんどいのよー、と言う方には、
こちらを読んで、自分に合ったマントラを唱え続けてみたらいかがでしょうか?
『あなたをサナギから蝶に変身させる方法』
http://tomoko7art.blog85.fc2.com/blog-entry-855.html
おれの狩りの成功を、おかーちゃんはどうして喜んでくれないんやろ?
民絵屋アルバムを更新しました。(2年分!)
我が家の子供たちは、時々「ほんとに私とおとーちゃんのDNAを引き継いでるのか?」と首を捻りたくなることがあります。
夏休みの宿題をあらかた7月中に片づけてしまう
のです。
私が「やれ!」と強制するわけでもなく、自分たちでさっさと片づけてしまうのです。
1年生の時から息子が自主的に初日からコツコツやっているので、それを見て育った娘もそれを真似してるようです。
偉いなぁ。
私はというと、
さすがに全部最終日まで残しておく……というわけではなかったのですが、
ダラダラ~っとテキトーにやってて、最後にめんどくさいのが残ってる…というのが毎年のことでした。
(なので、高校野球が終わると、今でも妙に焦る気持ちが出てくるのですよ。毎年その頃から焦り出してたから。)
その精神構造はなかなか変化するものではないらしく、
仕事となるとそれなりに管理はちゃんとしてるのですが、「まぁ~いいや~。」と思ってしまった業務についてはとことこん後回しになってしまいます……。
というわけで。
2年分の画像を、民絵屋アルバムにアップしました。
http://tamieya.kagishippo.com/
ブログで紹介していない絵もたくさんありますので、良かったらどうぞ♪
なお、この記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-807.html
で紹介した画像だけ、私のPCからサーバにコピーするのを忘れていたようで、抜けていますが、
今夜中に加工してアップしたいと思っております。
追記)アップしました~♪
2年前って、おれ、生まれてないにゃー。
『覚悟をもって生きて下さい。』
先にお知らせをひとつ。
りゅーらさんがお店の5周年記念としてプレゼント企画を立ち上げてます。
http://tiaracrownryura.blog63.fc2.com/blog-entry-323.html
ぜひご覧ください★★
****************************
で、本題です。
この記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-605.html
で紹介した本の著者である蓮村先生のツイートでよく勉強させてもらってるんですが、このツイートは特にお腹にどーーーんと響きました。
https://twitter.com/fundocq/status/509200659577442304
覚悟をもって生きて下さい。あなたは誰かの代わりにはならないし、誰もあなたの代わりにはなりません。あなたは、あなただけの意思をもち、ダルマを生きるんです。その覚悟を決めて下さい。苦しくても、辛くても、覚悟があればなんとかなります。
ダルマってなに?って方がいらっしゃると思うので、ちょっとリンク貼っておきますね。
これとか。
http://natural-eating.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-0534.html
私は、私のダルマが何なのか分かってはいませんが、なんとなくですけどね、ダルマからかけ離れたところで生きてるというわけでもないんじゃないかなー?と思うんです。
ネットでこうしてちまちま書いてるのも……もうどれくらいになるかなー? 20年近くになると思うんですけど、場所を変えつつもちまちまちままちま…と書いてて、決して読者が多いわけではないけれど、それでもその時その時に誰かにとってちょっとしたヒントになってたりしてるみたいでしてね。
でもね。
そう言ってもらえると本当に嬉しいんですけど、だからと言って「誰かの役に立つぞ!」なんて思って書いてるわけじゃ決してなくて、好きで書いてるんですよねぇ。
自分が書きたいから書いてるだけなんです。
絵だってそうで、ベースにあるのは「絵を描くのが好き」って気持ちなんですもん。
あれよあれよで絵を描くことがお仕事になって、お仕事になったからこその大変さというのはいろいろありますけど、なんだかんだでベースに戻るんです。
ああ私は絵を描くのが好きなんだな、って。
子育ても……そうだなぁ。
料理が得意なわけでもないし、縫い物もできないし、体調悪いよーってよく言うし、絵本の読み聞かせも苦手だし……「いいお母さん」じゃないんですよ。あたし。
でも、我が子がかわいくてかわいくて仕方がなくて、好き好き大好きー♡って気持ちだけでオカンを続けてますからね。
もちろん責任や義務を感じて、という面もありますけど、基本は「好き好き大好き♡」ですからねぇ。
ハイヤーが天文の天使のせいか、7歳の時から天文学者になりたかったんですが、いかんせん数学脳が欠落してるのでとてもじゃないけど無理だと気づいて中2であきらめたんですけど、そっちは今生でのダルマじゃなかったんですよね。
宇宙や地球のことを科学的に勉強することは必要だったけれど、それは仕事にするためじゃなくて、視点の1つとして必要不可欠だったんだろうなー、って思います。
ああ、そういう意味では、それもダルマなのかも♪
ジャニオタだってダルマだな。間違いない。
とにもかくにも。
この自分を生ききるんだ、という覚悟を持つことが、とてもとても重要なんだな、とお腹にずしーーーんと響きました。
おれは覚悟を決めてるぜ!
明日は庭にいるヘビを狩る!
『やめてー。小さいヘビを殺して勝手口に置いておくのはやめてーーー。』
うさえるの絵
今日は午前中早めの時間から、お客さんが数人いらっしゃいましてね。
それでも、諸事情でまとまった時間も取れましたので、その時間内に描きあげられそうなものを描こう……と思いまして、
これを描きました。
うさえるです。
(ほぼ11cm×11cmの額に入ってます。)
パステルがメインで、色鉛筆が少し入ってます。
くまえるを描こうかと最初は思ったんですが、どうも黄色のくまって感じじゃないなー、と思いまして、
うさえるだな!これはうさえるだな!
と、ふと思いまして、うさえるを描いたんです……が、
今日は中秋の明月でしたね~~~。そりゃ、くまさんじゃなくてうさぎさんですよねぇぇぇぇ。
民絵屋のカートに入れようか、思案中。
毒出し…?
やっとこさ、更新できます。
夏休みも終わり、ようやくアクリル絵の具でのお絵描きも再開することができました。
というわけで、せっせと紙を切りまして、いろいろ準備しまして、
今日は天使ではなく、とある絵を描いてたんですが………
何時間もかけて描いたのに、できあがったら、サイズが間違ってました……。
なんてこった……。
この絵は、2枚目なんです。
1枚目がどうしても気に入らなくて、再挑戦したんですけど、
「あ、こうやって描けばいいんだ。」とか、いろいろ気づくことがあったので、時間を見つけて再再チャレンジをそのうちしようと思っております。
やー、ほんとに疲れましたわー。
身体を動かすわけでもないのに、全身どっと疲れます。
けれども楽しいんですよね。
身体も神経も疲弊するし、めっちゃしんどいのに、描いてると楽しい……いや、嬉しい……いやいや……楽しいとか嬉しいとかじゃなくて、表現はものすごーくオオゲサなんですけど、今ココに生きてる、という感じなんだと思います。
それだけ集中してるんでしょうね。
子供たちが夏休みだから、絵の具で絵を描けなかったというのは一番の大きな理由でしたが、
今日になってようやく描けるようになったのは、昨日の午後あたりからなんとか心の状態と体調が戻ってきたな、という感じになったからです。
前回の日記を書いてから、まず心の状態がアンバランスになりました。
欠落感を取り除いてくれ、とお願いしてから、どうにも心が「重たい」感じになってしまいました。
どーーーーんと重力がかかってる、ような感じになり、心があまり動けないような感覚になりました。
軽くないんです。
とにかく重いとしか言いようがない感じでした。
すると、とある「魂の想い癖」がじわじわじわじわ…と浮かび上がってきました。
ヨロシクないヤツです。
これもタミエル由来のものなんですが、闇に喰われる時に「愛情」が「己の死」とマズいふうにリンクしてしまったために生じた想い癖です。
なので、「これは消えてゆく姿なのよー。現れては消えてゆくのよー。」と自分に言い聞かせて、五井先生の世界平和のお祈りをしつつ、その想い癖に下手に囚われないようにしようとしてました。
(で、マンガを読みふけるとかするんです。エイトのライブ映像もいいけど、マンガを読みふけるのが私にはすごく効果的。α波とか出てんのかなー?)
でもってですね、そのタイミングで24時間テレビのドラマで大倉くんが主演してて、その想い癖を刺激するような箇所がガッツリありましてねぇ…。
月子さんとNさんに「あたし病んでるー。病んでるー。」とメールせずにはおられませんでした。
1人で抱え込むとヤバいってくらいだったのです。
ただ、ここがピークだったようで、その後はだんだんと「心が動けない」状態が解除されていき、想い癖も鎮静化しました。
すると、普段の意識状態に戻り、心の方はかなり楽になってきました。
が。
やはり30日が変わり目だったのか、若干オーバーラップしながらですが、30日の朝から今度は体調がおかしくなりました。
あれやこれやと次々と体調不良になっていたのですが、なんとなくこれらは毒出しみたいなものなんだろうな……と、思っていました。
そして、風邪のような症状になり、ダルくて仕方がないのが丸一日続き、
その翌日(昨日)の午前中に、どうにも起きてられなくて眠って、ふと目覚めた時に「なんじゃこれ!100mを全力で走ったみたいなしんどさは!」と、思うくらいしんどかったのですが、再び眠って目を覚ましたら、抜けてました。
風邪のような症状もビックリするくらいのしんどさも全部消えてました。
あ、そしたらですね。
だるだる真っ最中にこんなツイートを読み……いや、あれは「読まされた」が正解なんじゃないかな、っていう感じなんですが、とにかく読みましてね。
https://twitter.com/usamimix/status/507189380616683520
やっぱり毒出しなんだろうなー、と思いました。
ははは……。
ということで、
今日から絵の具で絵が描けるかも、と思いまして、エンジンを動かしてみたというわけです。
メインの絵を描いてる途中で、絵の具を乾かしてる間に、こんなものを描いてみました。
名刺大のくまえるの絵です。
……でも、つい気合が入り過ぎちゃって、ガッツリ描いてしまいました。
これ描いただけでもすげぇ疲れたよー。あたしバカだよー。
けど、くまえるがかわいく描けたから嬉しいよ~♪
おブ子の変顔。
タミエルの欠落感…のつづき。
今日は雨がざーっと降ったり止んだりで、
今これを書いてて、雷も鳴ってます。
今日は大阪に行くつもりだったんです。
エイトのイベントに行くつもりだったんですが、落選しまして、こうしておうちでちんまりしております。
大阪は、雨なのかな。
雷なんて鳴っていないかな。
そんな本日。
イベントに行くつもりだったので、おとーちゃんにお休みを取ってもらっていたので、
「わーい♪おとーちゃんがお休みだから、プールに連れてってー♪」
と、子供たちが言い出して、午前中はおとーちゃんが子供たちを連れて室内プールに行ってくれました。
その間、久しぶりにMAPセションをしました。
これ
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-951.html
について、脳内会話をしておりました。
どこぞの領域に、タミエルの欠落感が残ってる、というのは分かったけれど、
それを書き替えるための宣言も、変性意識状態の時にしたけれど、
ほんとうにそれで書き換わってるのか?という疑問があったのです。
いえ、まだちゃんと書き換わってないな、とは分かっていたんです。
それで、いろいろガイドと会話になったわけですが。
実は、
タミエルの欠落感ってものが残ってる、と分かってから、あることに気がついたんです。
もしも、この欠落感が「私は完全で完璧である」に書き換わったとしたら、
私は強く求めるものが何も無くなってしまうのではないか?と思ったのです。
もしも神様がどんなお願いでも、(世界平和とか自分以外の人のことじゃなくて)個人的なものならなんでも1つ叶えてあげるよ、と言ってくれたら、
私は、賢い頭にしてもらうか、健康な身体にしてもらうか、美しい容姿にしてもらうか、どれにしようかで迷うよなー、と昔っから思っていました。
(そんな話を、会社の同期の友達としていたこともありました。)
肉体的なものしか思い浮かばないんです。
お金持ちになりたいとか、セレブな生活をしたいとか、権力が欲しいとか、有名になりたいとか、仕事でものすごく成功したいとか、多くの人から尊敬され称賛されるような人物になりたいとか……そりゃ、そうなったらいいよねーくらいはありますよ。人間だもの。
でもね、(障害児を産んでからこっち、特にそうなんですが)家内安全商売繁盛、って普通にみなさんが望むくらいのことがすご~く大切ですご~く幸せなことだと感じてるので、その上をどーんと行くような大きい野心が出てこないんです。
これは、うちのおとーちゃんも同じで、大きい野心が無い人なんです。
そんな夫婦なんです。
実際、私がスピなことを含めて、自分を知ろうと学び、自分を少しでも成長・変容させようとしてきた原動力の1つは、健康問題をクリアしたいというもので、それがすごく大きかったんです。
もともとの「己を知りたい」という純粋な欲求だけでは、ここまでは来なかったかも、と思うのです。
昔々。
何年か前に、観音様だったかなー…との脳内会話で、
私と弟1号が健康問題に難アリなのは、それが錨みたいになっている…と言われたことがあるんです。
それがあるから、「ここ」にいられる、みたいな感じのことを言われたんです。
ってことは何かい?
タミエルの欠落感って、わざわざ残してあったの?
と、ハッとしまして。セション中に。
じゃあ、今このタイミングで、その欠落感を取り除いても大丈夫かどうか、ちゃんと自分で確かめないと!と思いました。
実は実は。
最近……ここ1年くらいですかね。どうでしたかね。
私の意識がね、「この身近な、リアルの世界に密着した意識」と「けっこー上の方の意識」とが同居してる状態になってるんです。
なので、身近な世界に密着している意識では、ネガティブな出来事に対して、怒ったり悲しんだりするんですが、
同時に、「なんでもアリだから、それはそれでいいんだろうね。それぞれの魂が必要があって経験したがってることだし。」と感じる意識があるんです。
これは、スピ的な知識があって頭でそう考えてるのか、と最初は思ってたんですが、
どうもそうじゃなくて、上の方の視点での意識が同時に私の中にある、という状態になっているんだな、と、最近になって認めざるを得なくなってきたんです。
そんな状態でもあるので、余計に「健康問題・肉体に纏わる欲求以外にも『ここ』につながるアンカーが自分の中に在ることをしっかり認識しないといけない」と思ったのです。
当然ですが、家族は大きなアンカーです。家内安全がなにより!
お金も、生きていくのに困らなくて……お高い車が欲しいとか大きなお屋敷に住みたいとか海外旅行に行きたいとか、そーゆーのは無いけど、ふつーに欲しい・必要と思うものがそれなりに躊躇せずに買えるほどあって欲しいし、
愛情は……今でも十分なくらい満たされてるけど、これからも素敵な人たちと出会って仲良くなりたいし、私が大好きな人たちにとって私との交流がプラスであるよう、そんな人間でい続けられるように成長し続けたいし、
お仕事も………技術的にももっと絵が上手になりたいし、エネルギー的にももっと成長したいし。
それは、自分のためというより、私の絵を好きだと言ってくれる人、私の絵を買ってくれる人たちのためなんだけど、キレイゴトじゃなくて本心でそう思うんで、そうありたいし。
そして、たとえ欠落感が解消されたとしても、健康はちゃんと維持できるように気をつけるだろうし、キレイになりたいという気持ちが全く無くなるということはありえないだろうし、少しでも賢くなれるように頭を使うことはやめないだろうし。
あるやん!
ちゃんとあるやん!
家内安全商売繁盛をベースにして、自分の好ましい在り方についてのベクトルがちゃんとあるやん!
あ。
大事なこと忘れてた。
毎年、関ジャニ∞のライブにがっつり参戦したいし!
これこそ野望だ。
大いなる野望だ。
ふふふ…。
だってー、エイトはその存在だけで私をワクワクさせてくれるんだもーん♪
というわけで。
「成長・変容していくための(エゴが肥大したものではない…と私は思ってる)個人的欲求はちゃんとあるので、『生まれつき欠けている』という想いは、もう要らないです。取り除いといてください。」
と、セション中にお願いしました。
(お願いした直後に寝落ちしたので、何かしてくれたとは思うけど……どうかな?)
どこまで私の潜在意識が書き換わるのか、どこまで私の肉体的・精神的問題が解消されていくのか、まだ分かりませんけど、きっと少しずつでも良い方向に進んでいけるハズだと信じようと思います。
うん。
信じる。
今日の大阪でのイベントに申し込んだ時、ミカエルたちに言ったんです。
「もしも、途中でしんどくなることなく野外のイベントに参加できて、そして何の問題もなくお泊まりもできるくらいの身体的エネルギー的状態になっているなら、当ててください。」
って。
なので落選が分かった時は、「あー、まだまだなんだなー…。」と、そういう意味でもガッカリしたのですが、
イベントの日にここまで到着できたことをヨシとしたいな、と思いました。
あー。
でもやっぱりイベント行きたかったよーーー。
エイトに会いたかったよぉぉーーーーーーーーー。(←大いなる野望だからね!)
雷、怖かったよー。
タミエルの欠落感
契約解除…?っていうことがあったわけですが。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-945.html
そこから悶々としておりました。
いや、今でもスッキリしたわけじゃないんですけどね。
ざっくり言いますとね。
まず、とにかく体調がよろしくなかったのです。
PTAの行事で体力を使った後、どうにも調子が良くなかったんです。実は。
1カ月間ですね。
ずーっと低空飛行でした。
もちろん、数年前なら行事のお手伝いに参加することも難しかったかもしれませんし、数年前なら寝込んでただろうなーと思います。
そう考えると元気になったものだ~♪と嬉しいのですが、
寝込むほどじゃないけど、身体の芯がずーっと重たくて、やらなきゃいけないことは最低限のことしかできてませんでした。
お昼寝も必須でしたね。
と、それは先週のある日に、すこんと身体が楽になって、ハタと気づいたんですけどね。
低空飛行の真っ只中にいると、原因が何かも分からないんですよねぇぇぇ…。
そんな状態の中。
契約解除?っていうイメージを見せられて、
なんだなんだ???となっておりましたら、お花ちゃんがメールをくれましてね。
そのメールを読んで、「脚に契約があった」というのは、前に進みたくないという何かがあるんだよなー、と思いました。
で、そこから、ガイドのテオとの会話があり、そこで気づいたことをお月ちゃんに話して、いろいろ意見をもらって、
なるほどなー、とまたいろいろ考えてるうちに、あれこれ気づいて、またお月ちゃんに話して、またいろいろ意見もらって、またまた考えて、あれこれ気づいて……というのを繰り返していました。
その間に、コレも届きましたし。
プロセスを書くとどえらい長くなるので割愛しますし、ざっくりとはなりますが書きます。
私の中に、ある疑問がまず湧いたんです。
背中のワームを除去してもらい、お月ちゃんに蟹エキスを分けてもらった後もそうだったし、
信頼するヒーラーさんにセションしてもらった後や、MAPなどを通じて大きめの気づきがあった後など、
体調がすごく良くなるんです。
自律神経の塩梅も、あれこれな持病も、かなり良い感じになって、身体がすごく軽くなるんです。
家事も楽だし、私はいろんなことができるんじゃないか?と思えるくらい軽くなるんです。
が、いつも1カ月もすると、元に戻っちゃうんです。
そういうのが当たり前になってて、今まで疑問に思わなかった…というか、また体調が悪くなってきた~と、やり過ごすしかなくて考えたことが無かったんですが、
どうして1カ月もすると、体調が戻ってしまうんだろう?
と、ふと疑問として湧いたんです。
元に戻ってしまう、というのは、私が前に進みたくない、という潜在意識を抱えているからなんだろうな、と、「脚に契約があった」ことからも、そう思ったのです。
そこで思い出したのが、数年前に持病の1つのことで受診した病院のお医者さんの言葉でした。
「(手術という選択肢だけじゃなくて)死ぬ病気じゃないから、ずっと上手に付き合うのもアリだよ。」
死ぬ病気じゃない。
そうなんです。
私は死ぬ病気じゃないけど、しんどくてクオリティ・オブ・ライフが低下してしまう状況が20歳からずーーーっと続いているんです。(もちろんその上下はありますけどね。比較的良い期間というのも時々あって、息子妊娠から娘出産までの間は比較的良い期間だったんです。)
QOLが低下する、というのは、「しんどくて、外に出たくない。歩きたくない。」となるからなんです。
ちょっと歩くだけで、ほんとうにしんどくなるからなんです。
歩くことさえしんどい、なんて、どれだけ前に進みたくないんだ?私は……と、気づいたんです。
ですから、(諸事情で手術はせずにいたのですが)手術して治しても今のままなら再発したり、下手したら次は「死ぬ病気」になるかもなー、と思ったんです。
今のままではダメなんです。
「前に進みたくない」という潜在意識の中の想いの正体に近づいて、なんとかしないと、今のままでは同じことの繰り返しなんだろうな……と、気づいたんです。
でも、自分のそのあたりに焦点を絞ってみようとしても、すぐにボヤっとしてしまい、ちっともよく分からないままでモヤっとしていました。
そうそう簡単には行かないよなー…と、苦笑いするしかありませんでした。
が。
少しずつピースが集まり出して、少しずつ前に進むことができました。
どうやら、
タミエルが『ミカエルから光を直接分けられて天使が生まれる』という場面を見て、嫉妬のような感情と共に、
自分は直接光を分けられた天使ではない(←これを私は「タミエルはミカエルの孫の孫の孫みたいなもの」と認識しております)ので、自分は生まれながらにして欠けている、という想いを持ってしまった
というところから始まってるようだ、と気づいたんです。
このタミエルの物語と感情というのは、もうかなり…5年くらい前かな?には認識していましたし、
それが「闇に喰われた」もともとの要因といいいますか、「隙」になったんだな、というのも認識できてたんです。
現在の私が、私の「上のヒト」といいますか、ハイヤーとして認識しているタミエルというのは、そのあたりのモロモロを解消して手放して、すっかり「ゆるゆるの気のいいにーちゃん」になってますが、
肉体に宿っている意識としての「私」に作用する領域において、まだそれが残っている、ということなんだと思います。
残ってて。
それが、さまざまな人生においても「生まれながらにして欠けている」という状態を生み出してきたんだろうなー…と、感じたのです。
今世の自分自身にしてもそうです。
ありがたいことに自己肯定感はちゃんとあるのですが、生まれながらにして欠けている素養に対してすごくフォーカスしてしまい、悔しいなー残念だなー、と、(あきらめてもあきらめても)想い続けてしまっているのです。
それが、知能の高さだったり、美しさだったり、健康だったりするのです。
自己肯定感もあって、人間関係も恵まれてて、家族みんなに「おかーちゃん大好き~♡」と愛され、ひょんなことから絵を描くことも仕事にすることができて、
すごく幸せだと感じています(というか、すごく辛いことがあっても何故か自分を不幸だと思ったことがない)し、ほんとうに感謝してるんですが、
「生まれながらに欠けている」という想いはずーーーっとつきまとっていたんです。
当たり前になっててよく分かっていなかったんですが。
なので、「不満」というのとも違うんです。
人生に対しての不満、という感情は持っていないんです。私。
健康問題がネックで、やりたいことをたくさんあきらめてきたという事実についても、それに対して不満を感じたりはしていないんです。
ただ、欠けていること自体が悔しかったり残念だったりするだけなんです。
テオにも言われたんです。
「タミエルもそうだったけど、君もそうだよ。欠けてると自分では思っていても、すごくすごく愛されるんだよね。そしてそれも分かっているんだよね。」
って。
愛されてるという実感や、自己肯定感があるおかげで、欠けていることの残念さを、こじらせることが無かったのかもしれません。
こじらせていたら、もっとややこしいことになってたんでしょうね…。
しかし、ですよ。
そもそも何故、タミエルは自己に大きな欠落感を感じる初期設定を自分に課してたのか?
と、疑問になったんです。
今までは、こういうことがあったから、こういうことになっている…という見方しかしていなかったのですが、
いやまてよ、と。
ちょっと視点をズラしたわけですね。
そしたらですね。
おそらくですけど、
なにもかもが「実験」のようなものだったのではないかな、と思ったんです。
ファウのアレを「実験」のようなものだったと、なんとなく感じていたので、タミエルの場合も、わざとネガティブな感情が生まれるような状況に置かれたとしても、おかしくないな、と思ったのです。
だとしたら、もういいよね、と思ったんです。
波動を落としてディセションしていくための実験だったのか、他になんらかの意図があっての実験だったのか、それは分かりませんけど、
なんにせよ、実験みたいなものだったのなら、もうそれは撤収してもいいよね?って思ったんです。
経験値アップや成長のために残しておく……必要はもうないよね、
欠落感はもう回収してもいいよね、って。
そしたら3日前に、ちっとも寝つけなくて、朝方近くまで眠れなかったことがありまして、
その「いやーん。眠れないよ~。明日は早起きなのにーー。」と悶々とする時間の中で、眠れないので頭は起きてるんですが、あきらかに普通の意識状態とは違う……変性意識状態のような感覚になった時間がありました。
(もしかしたら、小学校が夏休みで、おかーちゃんが1人になる時間が激減してるから、こんな時間を持たされたのかしら?!←と、今思った!)
その時に、「欠落感」のことが頭にふわっと浮かんだので、今ここで、潜在意識にある欠落感を違う言葉に置き換えてしまえないかな?と思い、
「私は、生まれながらにして完璧で完全である。」
と、心の声をMAXにして唱えるように宣言したんです。
欠けていないんだよ、ということを肯定的な言葉に置き換えなきゃ、と思ったんですが、ぱっと出てこなくて、「完璧で完全」という言葉になったんですけどね。
満たされている、とはちょっと違うし。
すると、昨日なんですけど。
私は、事実をしっかり見ることを怖がっている、というのを発見したんです。
それはすべてのことじゃなくて、自分自身の肉体の変化(成長や老化、病気など)と、それに伴って変化する状況について、事実をしっかり見ることを子供の頃からすごく怖がっているんです。
だから、(女性らしい身体になっていくことがものすごく恥ずかしかったため)第二次性徴の時期になって急に近眼になったり、あきらかに肌が衰えてきたとショックと共に認識し始めた途端に老眼になったのでしょう。
見たくないんです。
進みたくないんです。
変わりたくないんです。
なぜ?と自問してみたら、
「すでにもう欠けているのに、これ以上失いたくない。だから澄みきった意識で見て、受け止める勇気が持てない。」
という答えが自分の中から返ってきたのでした。
私の中で、精神や意識というのは、どこか「開いているもの」で、次元に囚われずどんどん成長していくものという感覚があるのですが、
肉体というのは「閉じているもの」で、この次元における私固有のものという感覚がとても強いのです。
ですから、欠けていると感じるもの、失いたくないと感じるのも、肉体に関する部分なのだろうと思います。
(美しさや健康はもちろん、知能の高さも脳の機能差という意味なので。全人格的な賢さという意味ではないのです。それは「開いているもの」の範疇でもありますもんね。)
ついでに言いますと、エゴというのも、この「閉じたもの」である肉体にインストールされてるアプリみたいなものかな、という感覚です。
ということは。
タミエルが「自分は欠けている」と感じたことによって初めて「閉じているもの」を生み出すことになっていったのかもなぁ~…、と、思ったりしました。
(ちなみに、その解釈をファウに当てはめるとすると、「自分の中に自分以外のものが混ざりこんで不可分になってしまった」ことで「閉じているもの」を生み出す過程がスタートしたと言えると思うので、ある意味私の魂は正反対のベクトルを抱えてるわけですね。)
そうそう。
勇気が無いと言えば、うさみみさんがこんなツイートをしてました。
https://twitter.com/usamimix/status/500637816477712384
ひーーー。
そんなわけで、
やっとここまで、です。
今のところ。
おれは完璧だけどな。
お花ちゃんのお店から届きました。
先日オープンしたお花ちゃんのお店で、これを購入したのであります。
http://nijiironohana.com/?pid=77800171
第一号のお客さんになれましたよ♪♪
いえーーーい♪♪
で、すぐに振込をしたら、彼女もすぐに発送作業にとりかかってくれまして、思ってたより早く手元に届きました♪
そしたら、ですね。
もりっと母さんからのオマケ(クリスタルのガネーシャですよ!私の大好きなガネーシャですよ!)だけじゃなくて、小さな剣も同封されてたんです。
お花ちゃんのお手紙によると、この記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-945.html
にある黄色く輝く剣を作ってみた、とのことでした。
刀身はコーティングクリスタルとのことで、玉虫色にキラキラ輝いてます。
中央にはシトリンが輝いてます。
これを20分弱で作っちゃったんですって!
すごいよ!お花ちゃんっ!
そして、ほんとうにどうもありがとう♡♡
……と、
写真をアップしつつ、記事書いてて、あれ?と思ったんですが、どっちも剣になってますね。
いえね、バックチャームの方は、剣の部分じゃなくて、上の丸い部分に惹かれたんですけどね。
あれが、タミエルの魔方陣にちょっと似てるなー、と前々から思ってたので。
んんん?
タミエル……で、剣?
タミエルの剣といえば、りゅーらたんが昔々に作ってくれたコレがありますが……。
この剣と言えば、こんなことを施してありますが……。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-420.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-421.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-422.html
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-423.html
…あれ??
なんだか……あれ????
そうそう。
この剣にアレを施してもらってから、1カ月もしないうちにリアルでものすごーい変化が起きたんですよねぇ…。
なぜか急に関ジャニ∞にハマりました。
お月ちゃんも道連れにしてね♪
むふふ♡
お花ちゃんが、自分のお店をオープンしましたよ♪
お花ちゃんが、自分のお店をオープンしました♪♪
天然石とワイヤーワークで素敵な作品を生み出してますよ♡
お店はこちらです。
http://nijiironohana.com/
ぜひぜひ見に行ってくださいね♪♪♪
今日はスゴイことが起きました!
我が家的には、今日はスゴイことが起こったんですよ!
息子、小犬を抱っこしました!
これはすごい。
なぜって、どうも保育園で誰かんちの飼い犬に噛まれた…っても、多分アマガミなんでしょうけど、噛まれたっぽくて、
それからずーーーーーっと「いぬ、こわい。いぬはかむから、きらい。」って言って怖がってたんです。
触るなんてとんでもない、ってくらいで、近くに犬が寄ってくるなら走って逃げてました。
もうそのせいで、他の小動物もダメになってました。
そんな息子が、チワワの小犬を抱っこしたんです!
おブ子を飼い始めてから、少しずつですが他の動物にも心理的に近づけるようになってきまして、
ホームセンターのペットコーナーで、ガラス越しなら小犬を「かわいいねー。」と言うようになったんです。
で、最近はなぜかチワワを特にかわいいかわいいと言うようになりまして、
今日もチワワをずーっと見てたらですね、スタッフのおねーさんが「抱っこしてみます?」と話しかけてくれたんです。
すると、息子はまさかの「だっこしたい。」との返事。
何度も息子に確認しても、やっぱり抱っこしたい、と。
そんなわけで、まず私が椅子に座って抱っこしたところ、やはりちょっと躊躇してたんですが、
次に娘が嬉々として抱っこしていたら、「ぼくも!」と言い出したので、椅子に座らせて抱っこさせてみました。
「チワワ、かわいいねぇぇ~♡」
と、なでなでして、
あちこち舐められても怖がるどころか喜んでまして、
「チワワって、かまないねー♪かわいいねー♪」
と、何度も抱っこしていました。
たみえかーさん、感動しました。
息子が小犬を抱っこして喜んでるなんてぇぇぇぇぇぇぇ。
スタッフのおねーさんにも事情を話して、しこたまお礼を言いました。
おねーさんが声かけてくれて、チワワを抱っこさせてくれたおかげですもん。
しかし。
感動だけで済みませんわよね。
子供たちの「この子、飼いたい~。おかーさん、買ってぇぇぇぇ。」攻撃が始まりました。
材木コーナーで物色しているおとーちゃんのところに言って、話してみないとねー、と子供たちに言って、とりあえずペットコーナーから離脱させましたが、
そんなもん無理っ!
17万円もする犬なんて飼えるかい!
と、おかーちゃんの心の中では結論が出ておりました。
んでもね。
子供たちの気持ちもすごーく分かるんです。
ほんっとにめっちゃかわいい小犬でしたから。
スタッフのおねーさん曰く
「チワワ好きのスタッフがいるんですが、その人も『この子はすごくかわいい。』って言ってました。」
ってくらいですからね。
ほんとーーーにかわいいチワワの小犬ちゃんでした。
やばいやばい。
チワワだと?
気に入らんな。
そんな小動物。
『お前も小動物やんけ。』