★展示会★明日1月6日(火)から展示会が始まります

と……とうとう明日です。
梅舎茶館さんにて、展示会Universeが始まります。
ひぃぃぃ。
とてもドキドキしております。
13時から始まります。
お店は18時まで開いておりますが、私は15時頃にておいとまさせていただきますので、
13時~15時にご来店の方とはお会いできるハズでございます。
でも、ほんとにただの田舎のおばちゃんですので、ガッカリしないでね!
店内では12枚セットのポストカードセットもご購入いただけます。
1セット2000円となっております。
展示会の絵を全部ポストカードにしました!
なお、展示会終了後に民絵屋のネットショップでもポストカードセットの販売を開始しようと思っております。
遠くて展示会に行けないよー、という方はそちらをご利用くださるとありがたいです。
ネットショップで販売開始しましたら、また当ブログでお知らせしますね♪
24日(土)まで開催しておりますので、何かの用事のついでにでもご来店くださると嬉しいです♪
それでは、よろしくお願いしますっ。

今年もご愛顧ありがとうございました♪

今年も当ブログに遊びに来てくださり、ありがとうございました♪
来年早々に展示会があるために、その準備に追われたり、体調不良だったりしまして、明日が大晦日だというのに、まだ年賀状の準備もできてません!
ひぃぃぃーーーー。
そんなたみえかーさんですが、2015年もどうぞよろしくお願いします♡
そして、今年最後のお知らせでございます。
★天使の絵の価格改訂について★
来年の1月6日(火)から標準サイズの天使の絵の値段を17,000円から18,000円に改訂いたします。
(2年ぶりに先生に観てもらったら1000円アップになっておりました~。)
よろしくお願いします。

それでは、
今年最後のお猫の写真でございます。
「世界ネコ歩き」をじーーーっと観ているブ子ちゃん。

今年も関ジャニ∞のナゴヤドームライブに行ったわけですが。

前記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-994.html
に書いたとおり、救急車を呼んでしまったくらい体調ダメダメだったんですよね。
ライブの1週間前に!
体調不良から発作起こして救急車を呼んだのが、18日(木)。
そして、月子さんが当てたライブが25日(木)。
私が当てたライブが27日(土)。
当然ですが、おとーちゃんからは「ライブはダメでしょー。」と言われましたが、どうしてもどうしても行きたいのです。
と、言いますか、少なくとも27日のライブは行くことになっているハズなのです。
確かに体調は少しずつですが戻ってきていても、ほんとうに大丈夫か?と自分でも不安なくらいでした。
なので、月子さんには申し訳なかったし、自分自身もとてもとても悔しかったんですが、25日はキャンセルしました。
月子さんの知り合いの方がライブに行ってくれてチケットは無駄にならなくて良かったですが、ほんとにごめんね。月子さん。(←手間をかけさせてごめんというのと、心配かけてごめんというのと、2人でわちゃわちゃできなくてごめんというのの三重奏のごめん)
25日は大人しくして養生するから、27日は必ず行く!とおとーちゃんに言いました。
多分、内心呆れてたんじゃないかと思います。
心配と迷惑ばかりかける嫁でごめんなさい。
でもね。
絶対に大丈夫だと思う自分もいたのです。
不安な自分と絶対に行けると思う自分がちょいちょいせめぎ合っておりましたが、行けると信じていました。
なぜなら、当たったチケットはこのところのエネルギー的改良における「ニンジン」だったからです。
10月末まで展示会用の絵をメインにせっせと毎日絵を描いていて、根をつめすぎたのかなー?と思ったりもしたのですが、
10月の末辺りから頭がパンパンになることが増えてきて、そのうちほぼ毎日そんな状態になりました。
更年期障害のせいで血圧の乱高下が激しいので、血圧が上がったのかなー?と計るのですが、ちょい高めってくらいで、頭痛などの症状が出るほどではありませんでした。
…エネルギー的なもんが抜けなくてパンパンになってるのかなぁ?と、チラリと思ったりもしました。
すると、ある時。
ガイドたちから言われました。
これから大きいエネルギーを浴びることになるから、そのために頭からエネルギーを抜けるようにしておこうね。
と。
瞬間、『…もしかして、今度のライブでアリーナ席が当たる?』と思いました。
2012年のライブではこんなことがあったので、一流アイドルのフィールド内で、それも唯一無二の歌声を持つ渋谷さんの歌を今までより近いところで聴くことは、私にとってはエネルギー量が今までと違うんじゃないの???って思ったからです。
でもねー
すごい倍率なんだから、そうそうアリーナ席が当たるわけないよねー
あはははー

と、速攻で否定しました。
……否定したんですが。
その後、どうしてもやっぱり頭からエネルギーがうまく抜けない私に対して、ガイドたちはクンダリーニ症候群などの記事を読ませたりして、さらに意識させてきまして、
その度に「アリーナ席で聴かせるつもりなんじゃないか?」と内心こっそり思っていたのでした。
なので、チケットが届いて、アリーナ席と書いてあるのを目にした時は、ビックリしつつも心のどこかでは「やっぱりね。」と納得してたりもしました。
ただし、バックステージの近くでした。
まだメインステージの近くに行けるほど「通りのいい身体」にはなってないんだな、なんて思いました。
とは言え。
ニンジンが目に見え手に取れる形(チケット)でやってきても、それでも上手に抜けませんでした。
そしたら、18日に倒れました。
身体的・精神的にいろんな理由が重なったんだと思います。
だから、こんなことはただのこじつけだと思う自分もいます。
くだらないしバカバカしい、と。
でも、朔旦冬至の前に強制手段を取られたんだな、と心の奥の方では「分かって」いました。
だって、悔しくもありますが、どこか抜けた感があったんですもん…。
それでも、まだ目標値には達していない、ということも、同時に「分かって」いました。
そして、冬至の日は毎年恒例の、近くのお不動さんに御札をもらいに行きました。
そこで、いつもはスルーする水晶のブレスに目がピタっと留まりました。
何も考えずに買っていました。
お不動さんに祈願してあるブレスを手首にはめっぱなしにしてしましたが、
2日後のクリスマスイブの日でしたかね。
お台所で片づけをしていたら、ふと……あれはミカエルだったのかなぁ。
ふいに「そこに立て。」と言われ、
そして、その位置からお不動さんの御札の方を向かされ、頭の上(百会)にブレスを乗せろと指示されました。
そのまま目を閉じて、まずは地球の中心にアンカーを打ち込むイメージをしろ、と言われてそうしました。
その次に、「身体の中を流れているエネルギー」をまずイメージして、そこからブレスの「穴」を通してそのエネルギーが宇宙に放たれるイメージをしろ、と言われました。
そんなイメージをしていると、だんだんと気持ち良くなってきまして、
そのうち身体が勝手にゆらゆらと揺れ始めました。
「ゆるめてるから、身体の揺れるままにしてて。」とガイドに間髪入れずに言われました。
そんなことを5分ほどしていたら、娘が「おかーさーーん。」とやって来たので、そこでそのワークは終わったのですが、
なんとなくですが、これである程度クリアできたのかもしれないな、と思いました。
あ。
ちなみにですけど。
さっき、ふと思って、スマホを持って立たされた場所から御札の方向に向かってみたら、コンパスの針はほぼほぼ真北を指していました。
「やっぱりなー。」と笑っちゃいました。
そして、27日を迎えました。
まだどこか不安な自分がいました。
もしもまだちゃんと頭から抜けなくて、途中で倒れたらどうしよう、とか思う自分もいましたが、ハイヤーやガイドたちに委ねるしかないと、不安が顔を出すたびに自分に言い聞かせました。
もちろんそれでも1年ぶりにまたエイトに会える嬉しさの方が勝っていますから、ワクワクしながら出かけました。
ライブ中はびっくりするほど、身体が軽かったです!
(お出かけ靴で立ちっぱなしだったので最後の方は足が痛かったけどねー。それくらいなもんです。)
今年のライブは、私や月子さんから見ると、すごくシンプルな造りになっていて、
でも、その分エイトの素材が最大限に活きてる!という感じで、内容はとても濃かったんです。
そして、なんだかすごく「軽かった」んです。
去年のライブを思い出してみると、空気というか……まぁ、詳しくはちっとも分かりませんが全体的なエネルギー的なものなんでしょうね、それが軽いと感じました。
それは、造りがシンプルなせいなのかと最初は思っていたのですが、今はそうじゃないように感じます。
自分自身もおそらくエネルギー的な「通り」が当社比数%アップ…という感じになってるハズで、
その上、エイトのライブのエネルギーが去年までより精妙な感じになってるように感じるので、
その相乗効果もあって、だと思います。
ほんとうに身体が軽くて、1度もしんどくなったりしませんでした。
だいたい毎回ライブ中に1度はカクンとしんどくなって、まるでミカエルにバッテリーを入れ換えてもらう…みたいなことが発生してたんですけど、その類のことが何も発生せず、最初から最後まで気持ち良く楽しく喜びやら愛情やら萌えやらいろんなものが溢れ返っりっぱなしで参加することができました。
そして、途中何度か、渋谷さんの歌を全身……肉体的な身体だけじゃなく、なんちゃら体も含めて全身で浴びました。
すばる浴ですね♪
それでも大丈夫でした!
『抜けなくてパンパン』とは違って、良い意味でチャージされた!っていう感覚にすらなりました。
そのおかげか、ライブ後には月子さんと「お腹すいたねー。」と、なんとラーメンを食べちゃいました。
今までライブ後に「お腹すいたねー。」なんて自分から言ったこともないですし、去年一昨年なんてそのまま帰りましたもん。
食べるなんてムリムリ、って。
身体が軽くて身体に不調が無くて「なんでもない」ってコトは本当に素晴らしいなぁ~……と、こってりな和歌山ラーメンをすすりながら、しみじみしておりました。
…という経緯を、じぇいど♪さんに今朝メールしたところ、
「我々はもっと自分の体に感謝して『なんでもない』ってのはすごいことなのだと気づかないとならないね。」
とお返事が来まして、そこで「お?」と思い出したんです。
昔から何度も何度も新幹線には乗っているのに、なぜかずーーーっと気付かなかったんです。
三河安城駅近くに大きなこんな看板があることを。
http://www.uchiyama.info/oriori/insho/matikado/nichiban/
これ、昨日の行きの新幹線に乗ってて気付いたんです。
ほんとにね、そのとーりです!
さて。
今回のアリーナ席当選というのは、「ニンジン」という書き方をしましたが、
目の前にぶら下がったニンジンなんだろうな、というのは、チケットが届いた時から思っていました。
大きなエネルギーを浴びる・触れる、というのは、エイトのライブだけではなくて、
これからもっとそういう機会が増えるよ、ということなんだと思います。
私はミカエルに、もっといろんな人にいろんな絵を描いて届けたいです、と自分の意思…というか、決意に近い意思でしたが、それを伝えたことがあります。
ですから、その準備……それもまだ最初の最初の準備が今回の一連のことで、アリーナ席ですばる浴をしたのは「今回の仕上げ」みたいなものだったんだろうなぁ~、と、そんなふうに思えてなりません。

しんどい真っ最中は、「もうイヤ!助けて!」という気持ちばかりになりますし、
ほんとにねーもうねーもちょっとなんとかしてぇぇぇー、って心底思いますけどね、
それも自分のトータルとしての「在り方」によって決まるものなんだろう、というのも頭では分かっているので……はい。
ああでも、ほんとに今回はしんどすぎだってー!聞いてる?親分っ。
とにもかくにも。
今年の年末も、心から敬愛するエイトのライブに参加できて、とても幸せでございました♡
肉体のある身近な人たちや見えないけれど身近なヒトたちみんなのおかげで、至福の時間を今年も満喫することができました。
ありがとう。
また来年もよろしくです♡

今年のうちわ。
私の机の前を通ると、すばさんが見つめているのでドキっとするです♡(←湧いてる頭を治す気ありませんから!)
あ、もちろん、横山さんと大倉くんのも買ってあるよ♡

不機嫌なカナリアではありますが。

先週の雪の日とその翌日、2日間ほど寝込んどりました。
というか、救急車呼んでしまいました…。
や、だってね、ほんとにね、今までめっちゃしんどいのを何度も経験してるんですが、
おとーちゃんに仕事先から帰ってきてもらって、いつものクリニックに連れてってもらってけっこー長い時間かけて治療してもらって帰宅したのですが、やっぱりどうにもしんどくてですね、もうどうにもならなくてですね……シドロモドロ……。
死ぬ病気じゃないって分かってるんですが、更年期障害の症状から始まって、芋づる式にあれこれとなり発作も出て、めちゃめちゃになっとりましたが、
救急隊員さんが到着した時には、発作のピークがちょうど過ぎたところで、
確かにものすごく(本人的には死ぬほど)しんどくて動けなくて発作も起こしてどうしようもなかったのですが、死ぬ病気じゃないのに救急車を呼んでしまったことが申し訳なくて、なんとか出せる声で謝ったら、
救急隊員さんが、おとーちゃんから発作のことやら体質のことやらを聞き取りした上で、
「バイタルは安定してきてますが、ほんとうにもう大丈夫かどうか、ちゃんと病院で診てもらった方がいいから、かかりつけ医のところまで運びますね。」
と言ってくれまして、
さらに、
「こういう発作の時に呼んでもらってもいいんですからね。これからもどうしようもない時は呼んでくれていいですからね。」と、ほんとーに親身になって言ってくれたんです。
こういう言葉をかけてもらえるなんて、どれだけ救われたか。
テキパキしてる上に、とても親切で、ほんとーーーに親切な方たちで、
小2の娘がそれを観ていて、救急隊員ってすごいと心底感心していたそうです。(おとーちゃん談)
しんどいのはかなわんですし、こんな経験したくないんですが、娘がすごい人たちがいるんだなぁ、と間近で見ることができたというのは良かったかなぁ、と思いました。
結局、またいつものクリニックで治療してもらって、なんとか帰宅したのですが、
二度目の発作も出て、夜中には発作が出そうになりなんとか治まった…のですが、
そんな体調だったので、翌日はまったくもって「寝込んで」おりました。
うとうと眠っては起きて、水分摂って、またうとうと寝て……と、15時くらいまでそんな感じでした。
翌日もここまで使い物にならなくて寝込んでしまうほどヒドいのは初めてでした。
3日目は動けるなーと、朝から家事をしたら、ずっとちゃんと食べられなかったせいのエネルギー不足で途中で心臓ばくばくでフラっとなっちゃったしー。あー。(←もしかしたらお薬の副作用かもしれんですが。)
今年の冬至は新月(朔旦冬至)だそうで、山羊座さんにはちょっとキツいかもねー、と月子さんに教えてもらったので、
そういう星回りも関係したんだと思うことにします。ええ。
じゃないと、悲しい。
++++
と、ここまで書いて記事をそのままにしておいたら、
じぇいど♪さんから寝込んでたー、とメールが来まして、
「なんや!あんたもかいな!」と、ほんとに病院の待合室でバッタリ会ったおばちゃん同士みたいなやりとりをして、こんな絵を描いたわけですが、

やー、まさか彼女も寝込んでたとはね~。
http://nanigamieterujpn.blogspot.jp/2014/12/blog-post_22.html
で、ですね。
先週のはじめにこんな記事を書いてた私。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-991.html
これだけしんどいと、深いところで躊躇していたとしても、「んがーー!もうかなわんわー!」ってなりました。
いや、手放してない自分がバカバカしくなったといいますか、ちゃんと向き合わないと、と思いました。
なぜ手放せないのか。
だってね。
大切な人が苦しんでる姿を見てるのが辛いから。
そうなんです。
見てるだけというのが辛いから、自分で引き受けて苦しむ、という選択をしたがる思い込みが深いところにあるように感じてたわけなのですが、
それはね、母親になってみてすごく分かることでもありますし、
どんな過去世での出来事があったのかは分かりませんが、大切な人を亡くす(または自分が先に死ぬ)というパターンがよく出てくるので、どこかの時点でそういう強い思い込みや祈願を持ったとしても、それは仕方がない…というか、自然な流れだろうなー、とすら思うのです。
しかし、それはやっぱり少し歪んでるんですよね。
いくら深い愛情がそういう思い込みを生み出したとはいえ、今の私が人生をまっとうするのに邪魔になっている、というのではアカンですよ。
アカンアカン。
ですので、うつらうつらと寝たり起きたりしてる時に、ミカエルに
「この思い込みを持ってっちゃってー。」
と、お願いしたところ、胸のあたりからごぼごぼーとかなりデカい樹の根っこみたいなものが引っこ抜かれていきました。
ですので、ガイドたちに
「抜けたところを光で埋めておいてー。」
とお願いして、眠りました。
もう、苦しみを引き受けるってことはしないけど、
そのかわりね、あたしね、もっといっぱい喜びを与えられるようになるから!
精進するから!

でもね。
引っこ抜いてもらえたから、それですべてヨシ……ではないのだろうな、とは思います。
実際ね、今回ぶっ倒れて発作起こした時に、認めたくないけどよーーーーく分かったからなんです。
こうやって、「よろしくないもの」が抜けていってるんだな、と。

そしたらですねー、
これまたすごくいいタイミングで、この記事を月子さんが教えてくれました。
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2022.html
もしかしたら、まだまだ抜いていかなければならないものがいっぱいあって、まだまだ寝込むのかもしれないし、
もしかしたら、そうは言っても、だんだんと楽になっていくのかもしれないし、
どうなるのかは分かりませんが、なんとなくではありますが、今回のことは「切り換え」の1つみたいなものだったのかもしれないなー、と思いました。
新月の冬至だしね!
あ。
ちなみに。
なんでか今年は「冬至の扉の絵」が描けなかったわけですが、
なんてかねー、描いたらねー、とんでもないのになってたのかもなー、と思ったりしなくもないです。
あたしじゃ「器」が小さすぎて、制御不能だったんだろうなー。

天然温泉が湧いてるのは娘だけじゃなかった。

というわけで。
昨日の個人懇談で、ですね、
おかげさまで娘も担任の先生に褒められたんですよ。
すごく素直で素敵なお子さんですね、と褒めてもらえました。
ちなみに、お勉強のことは何も言われませんでした~。
まぁねー、めっちゃ問題があるわけでもないけど、飛び抜けてよくデキるわけでもなく、超ふつーだというのは親がよーく分かってますんで。
「ありがとうございますー。でもあの子、少しばかり天然ですよねー。」
と、ゆーたら、先生も笑ってました。
はい。
娘、ちょっとばかし天然入ってます。
というか、「天然温泉が湧いてる」という感じです。
いつもお世話になってる霊能師の先生に娘の名付けで相談した時に、この名前は「おうちのお風呂に天然温泉が湧いてるような感じ」という表現をしてもらったんですが、ほんとにそんな感じです。
癒し系…とも違うんです。
天然温泉が湧いてて、自宅で温泉に毎日入れるねー、って感じなんです。
着眼点は興味深いことが多いし、発想はユニークだし。
それは、もともとの気質がそうである上に、ダウン症の兄との関係性がその気質を上手に引き出しているように見えます。
これが上下反対だったら、うまく行かなかっただろうねー、とおとーちゃんとも話してたのですが、
ほんとにこの組合せの妙といったら、すごいな!と思います。
と、
懇談で娘を褒めてもらったその夜。
湯船につかりながら自分の子供の頃のことをなんとなくあれこれ思い出していました。
小3の時からずっと一番仲良しだった友達のことも思い出していたのですが、
彼女はとても頭が良くて、おそらく学年で一番IQが高かったんじゃないかと思います。
その後の彼女は見事にエリートコースを進んでいます。(←あまりに自分と違い過ぎて素直に凄いな!と思ってます。)
弟2号も学年一番のIQでしたし、おとーちゃんも子供の頃にどうやら弟2号くらいのデキだったようなのです。
なので、おとーちゃんが子供の頃に感じていたことを聞くと、弟もそんなふうに思っていたんだろうな…と感じることがあります。
そして、友人にも多かれ少なかれそういう部分があったんだろうな、と思うことがあります。
科学者になりたかったのに頭のデキが超ふつーだった私にとっては、IQが高いことはとても羨ましいことなのですが、
確かにね、頭がいい子は「他のみんなと同じようにバカになれない」ところがあるんだろうな、と大人になった今なら分かります。
でも頭がいいからバカになれないところを見せないので、子供の頃はちっとも気づきませんでしたが。
ですから、自然にバカになれてた子供の頃というのは、実はとても大事なことだったのかもしれないな、と湯船の中でしみじみ思っていました。
そうだよなー。
実際、友人は勉強はもちろん、なんでもソツなく…というか、高レベルでやってて、同じ美術部だったけど、デザイン画なんてダントツで巧かったもんなー。
……でも、あたしはいつも「なーんかちょっと面白いもの」を作ってたんだよなぁ。
ちっとも巧くはないけど、なーんかちょっと面白いものを。
自然にバカバカしいことを真剣にやってたもんなぁ。
小学校の高学年の時にやった劇のシナリオも私が1人で書いて、それを見た低学年だった弟2号がすげー面白かった……って、大人になってからゆーてたもんなぁ。
そいえば、高校生までの私はめっちゃ面白かった、って弟たちがゆーてたもんなぁ。
何がどう面白かったのかは分からんけど。
でもって、大学生になってから温泉が枯れちゃったけど。
あ、でも、またちょっと温泉が出てきてる気がするなぁ。
子供産んでからだよなー。
あー、てことは、娘の天然温泉湧いてる部分ってのは、私の遺伝もちょっとあるんかなー?

と、つらつら思ってたんです。
私も(娘ほどじゃないにしても)温泉湧いてた子供だったんだ、って、ようやく気付いたんです。
なので、お風呂をあがってから、おとーちゃんにそのことを話したら、
「それをギフトって言うんとちゃうの?だからあんたは絵が描けるんじゃないの?」
と言われました。
おとーちゃんも子供の頃からデザインをしたり造形物を作ったりすることがとても巧かったそうなのですが、
そういう巧さはあっても、天然温泉は湧いてなかったと言うのです。
やっと、腑に落ちました。
私は、巧くないです。ソツなく上手にできません。
でも、私の中に温泉の源泉があって、そのギフトがあるから私は私の絵を描いてもいいんだ!ってようやく思えました。

大学生になった頃から、温泉が枯れた…というか、源泉のところのバルブを閉め過ぎちゃったのだと思います。
でも子供を産んでからまた少しバルブを開けたんですね。多分。
まだバルブは全然全開ではありませんが、自然に少しずつバルブが開いていくといいなぁ、と思います。
自分を信じる、って、こういうことなんだな、とちょっと分かった気がします。
(もちろん精進はするよ!)
*************
と、ここまで書いておいたところで、
さきほど、おばーちゃんのところは雪降ってるのかなー?と娘がオカンに電話をしまして、
娘からバトンタッチして私が昨日の懇談会で息子についてはこんなこと言われたよーこんなに成長してたんだよー、とか、娘はこんなふうに言われたよー、とか話したら、
オカンは私がゆうべこんな気づきを得たなんて全く知らないのに、
「あ~、ほんとにあんたの娘やねぇ。小さい頃のあんたにそっくりやん。あんたが(先生や周りの大人から)言われてたことと同じやよ?」
と言い出したので、内心ちょービックリしましたよ~。
まるで追い鰹。

おれも褒めろにゃー。

支援クラスの教室に飾ってあった息子の作品

今日の午後は小学校の個人懇談でした。
息子の交流クラスの先生と15分、娘の先生と15分、
そして、息子の支援クラスの先生と小一時間、懇談してきました。
すると、
支援クラスに、息子が書写の時間に書いたものが貼ってあり、思わず写真を撮ってしまいました。

学校の中をあちこち行って、気に入ったところで写真を撮る…という授業内容の時に、
最後に先生に言った言葉だそうです。
きっといい笑顔で先生に言ったんだと思います。
そして、これは図工の時間に描いた絵だそうです。

今年の交流クラスの先生は、息子のポテンシャルを信じてくれて、交流クラスのみんなといろんなことをさせてくれています。
3年生の時も交流クラスの担任をしてもらっていて、その時のことも以下に書きましたが、
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-636.html
今年は体育や学習発表会のオペレッタだけでなく、図工も一緒にさせてくれています。
そしたらですね、
支援クラスの先生によりますと、5年生のみんなと一緒に図工をやると、みんなが描いているところを観察しながら、上手に絵を描くようになったのだそうです。
この絵も、輪郭を描く時は支援クラスの先生が少しサポートしてくれたそうなんですが、友達がコンテを使って描いてるのを観察しつつ、自分で工夫して描いたのだそうです。
先生にサポートしてもらったとはいえ、こんなに上手に描けるようになったなんて、ほんとうに感動しました。
子供の成長って、すごいものです。

おブ子の手
(いや、足だけど…。)

その思い込みを捨ててしまうことに躊躇う自分がいる。

年賀状受け付け開始ですよ!
でもまだ年賀状買ってないですよ!
あ、でも、年賀状で使う写真は決めてますっ。親馬鹿ですからね。子供たちの写真ですよ。毎年。ひひひ。
さて。
前記事のつづき…です。
人間って「変わりたい。」と言いつつも、実は心の深いところでは変わりたいと思ってないコトが多いんじゃないか?話の続きですね。
自民党圧勝のことじゃないですよ?
私個人のことです。
喉がガラッガラからの咳げほげほ、現在は咳は半減したものの鼻水ばーばーになっとります。
お医者さんにも行って、お薬もちゃんと飲んだんですけどね、なかなかよくなりません。
そんな中、先週の半ばですかね、久々にちゃんとMAPをしたら、いろいろ出てきましてね。
(このところ少しご無沙汰でしたの。)
元気で丈夫になりたい、と表層意識の「私」は常に思っているのですが、深いところにうっすらと何かがあるのは分かっていました。ほんとうは。
それを見ないようにしてたんだと思います。多分。
とうとうそれに触ってしまったような、そんな感じのMAPセションになりました。
多分、どこかがとても悪いという身体じゃないんですが、とにかく自律神経のバランスがすぐに乱れやすくて、
乱れると寝込むことも多く、しんどいんです。
死ぬ病気じゃないんです。
残念ながら最近は更年期障害も加わってますが、それでもやっぱり死ぬ病気じゃないんです。
死ぬ病気じゃないけど、20歳の頃からずーーっとしんどい。
それは、自分が引き受けたものをチビチビ小出しにしてるから、と、すぱんと頭の中に投げ込まれました。
一気に「消えていく姿」として出してしまったら、死んじゃうかもだけど、ちびちび小出しにしてるよね、と。
え?
って、一瞬たじろぎましたが、納得する自分も同時にいました。
認めたくないんですけど、そこで認めざるを得ませんでした。
自分でそういう現実(健康問題)を創り出しているということを。
大切な人たちが苦しむくらいなら、私が引き受けて苦しむ方がいい
という思考が深いところにある、というのを、認めるしかありませんでした。
今回の人生…ではなくて、どこぞの誰かの時に築いてしまったものだと思われます。おそらく。
これは、表層意識の、このブログを今書いている「私」という意識にしたら、厄介極まりない思い込みです。
こんな思考を持ってるなんて、困りまくりです。
でも困りまくりなんですが、分からんでもないんです。
特にね、子供が病気で寝込んでると、「代わってやりたい。」と思うことも実際にありますからね。
全く分からんでもないんです。
…いえ。
分からんでもないどころか、子供のこととなると、本質的(←ココ大事。普段の私はそんなふうには考えていない。)にはそーゆー想いがベースとして在るような気がするんです。
こうなると、さらに厄介度が増します。
こんな思い込みは捨ててしまえばいい!……と、簡単に思えないからです。
もちろんね、たとえば娘にそんな思い込みがあって、私みたいになっていたら、そんなのイヤですよーーー。
そんな勝手な思い込みを持つなーーー!って怒りたくなりますよ。
立場が違えばそうなります。
なので、自分のこの思考・思い込みが「正しい」か「正しくない」かで判断したら、「正しくない」んだとは分かってるんです。
でも、手放すのに躊躇している自分がいるのです。
元気で丈夫なおかーちゃんになりたいって切望してるくせに。
(そして、そんな自分を眺めながら、人間ってややこしくてめんどくさくて面白いなー、と思う自分も同時におるんですよ。)
もちろん、いづれ手放していくことになると思うんですが(というか、このままではアカンやろってのも分かってます)、
今すぐというわけにはいかないので、焦らず、もちょっと地道に向き合ってみようと思います。
ただの思いつきで生まれた思い込みではないでしょうし、いろいろあってのことだと思うので。
もしも自力でなんともならんかったら、またその時に考えます。
というわけで。
人間って変わりたい変わりたいってゆーてても、深いところでは変わりたくないから全然変わってないんちゃう?
というお話でした。

自撮りお猫

人間なんて、ほんとうは変わりたいとは願っていない。

……のかもしれない。
と、思うことがありました。
変わりたいと願っているのは、顕在意識のほんの一部で、
深いところでは、ちっともそんなこと願っていないから、なんだかんだまっとうそうな理由をつけて、今の場所から動かない。
そんな人の方が圧倒的に多いのかもしれない、と思いました。
いえ、それを批判してるわけではないのです。
それよりも、自分もきっとそうなんだろうな、と思ったんです。
そういえば。
私は、自分が稼げない立場になることがすごく怖かったんです。
父親が会社倒産により借金を抱えてしまい、(身体が丈夫じゃなかったのでほぼ専業主婦だった)オカンがお金の苦労をしてきたのを子供なりに見てきたので、稼げない立場になることが怖かったんです。
だから、(バブルの最後の年に実力以上の会社に入らせてもらったはいいけれど)仕事が自分には合ってない…といいますか、根本的に好きなれなくて、精神的にしんどかったのですが、
それでも、辞めるという選択をしようとはしませんでした。
せっかくちゃんとしたお給料をいただけるのですから。
おかげさまで、会社員人生後半からはなんとか一人前のアウトプットはできるようになっていましたから、自信なんて全然無くても、達成感も無くても、仕事を続けることに他人への罪悪感はありませんでした。
仕事を一緒にしている仲間にとって、私が全く役に立ってない…とも思っていなかったので続けることができたのだと思います。
しかしですね、
好きになれなくて、線表に追いかけられてるうちに、顔中に吹き出物が出たこともあります(その時に出来た大きなシミは取れません)し、
下痢が止まらなくて、一ヶ月間のドクターストップを言い渡されたこともありました。
それでも辞めなかったのは、怖かったからです。
11年、そうやってお勤めしてました。
文句言いつつも、変わることの方が怖かったのです。
それが、ですよ。
息子を妊娠した時に、周りは辞めずに産休育休に入って復職してる女性が多くて、私もそのつもりだったのですが、
旦那さんに、
「今、辞めないで、いつ辞めるの?」
と言われて、あ…そっか!と思ったんです。
身体が丈夫じゃないから、きっと両立は無理だよな、と考えたのもありますが、
それまで怖いと思ってた状態に自分を置くことに何故かちっとも躊躇しなかったのです。
それは、母親になるということが最優先事項だと芯から思っていたからなんじゃないか、と、振り返ってみて思ったりしてます。
変わるチャンスに自然と乗っかることができたのでした。
結果的に、それはその後の私の人生を全く違うものにしました。
もちろん、経済的には大きい会社に夫婦で勤めていた方が圧倒的に良いに決まっていますが、
旦那さんも会社を辞めて、今の暮らしを10年近く続けて来て、幸せだよねー、とよく夫婦で話しています。
子供の成長にとって、今の暮らしの方が絶対に良いと言い切れますし、
私も、思ってもいなかった絵を描く仕事をすることになり、
好きなことを仕事にすることの大変さをたっぷり味わいつつも、達成感が全然違うことに喜びを感じています。
変わることは、怖いです。
変わることを楽しめる人もいますが、怖い人の方が多いんじゃないか?と思います。
どれだけ身体がSOS出しても、
どれだけサインがチラついても、
変わらないための言い訳を探すのです。
それも、正論っちっくな言い訳を。
私は特にそうです。
言い訳を探すの、得意です!
我慢して、変わることを恐れて、ずっと仕事を続けてきた11年間が無駄だったとは思ってませんし、たくさん得たものが多かったと感謝してます。
でも、あのままでは(あくまで私の場合は)今ほど精神的に豊かだったとは思えません。
やはり、成長に合わせて、人は居場所も変わっていくものなんだろうな、と思います。
または、居場所を変えることで成長するとも言えるのかもしれません。
辛抱すべき時は辛抱して、がっつりと実力を蓄えなければその後の飛躍はありませんから、そこは勘違いしてはいけないと思うのですが、
変わるべき時に言い訳を並べて動かないのも、同じくらい愚かなことなのかもしれないな、と、ちょっと思ったりもします。
自戒こめまくりで、そう思ったりしてます。
ちょうどこんなツイートも見かけたばかりですしね。
https://twitter.com/2012wat/status/543206927899959296
(つづく)

ぬおーーん。

ガブリエルから羽ペンを受け取ってみる

大天使ガブリエルの絵です。
オラクルカードはCreative Writingでした。
大天使ガブリエル
お客様にも、ガブリエルから羽ペンを受け取ってみてください、とメッセージを添えたのですが、
必要だと感じる方は、ガブリエルから羽ペンを受け取るイメージをしてみたらいかがでしょうか。
不思議なもので、「書く」ことで、自分自身で気付いていなかったことが見えてくることがよくあります。
書くことが苦手という人ほど、少しずつでも書くことを続けてみると、それが自分自身を見つめる行為であることがハッキリ分かるのではないかと思います。
自分は何が好きで、何が苦手で、何を求めて、何を目指しているのか。
それすら自分でしっかりと分かっていないということに気付くかもしれません。

展示会のDMが欲しい方は、14日までにお知らせください。

まず、プレゼント絵の発送についてのお知らせです。
発送先をメールフォーム等でお送りくださった6名の方には、プレゼント絵を本日普通郵便にて発送しました。
1名の方からまだお知らせが届いておりませんが、先に6名分を発送しました。
(なお、発送のお知らせメールが1通不達になります。なんでかなー?)
お受け取りをよろしくお願いします。
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さて、本題です。
展示会のDMがまだありますので、もし送って欲しいという方がいらっしゃったら、当ブログのメールフォームから、
「氏名・郵便番号・住所」を送ってください。
遠くて展示会には行けない、という人でももちろんOKです。
なお、12月14日(日)までにお申し込みください
それ以降はなにかと忙しくなりますので、14日までにお願いします!