今年初の…


今度はスズメを捕ってました。
お猫様。
家の中には持ってこなかったんですが、庭でどたばたしてるところは見ました。
あーゆー時のお猫様は獣ですね。
うにゃーん♪おかーちゃんエサちょうだい♪うにゃーん♪…と甘えてる時のお猫様とは別の生き物です。
そのスズメは何処に置いてきたのか不明ですが、小一時間後に涼しい顔して帰ってきました。
お猫様。
そうそう。
今朝は、イタチがいました。
まだ雨が降ってて、つまんねーなーってな雰囲気バリバリで外を見てたお猫様が、急にソワソワし始めたので、野良猫が裏庭に進入してきたのかな?と思って私も窓ガラス越しに外を見てみたら、裏庭の向こうの細い道を、イタチが小走りで走ってました。
多分イタチだと思います。
さすが素敵な田舎です。
家の裏をイタチが走るんですから~。
や、初めて見ましたけどね。引っ越してきて10年以上経ちますが。
ところで。
今さっき、こんな記事
http://kasakoblog.exblog.jp/22523118/
を読んだんですけど、
私にとってお猫様は
「ヒーラー」という肩書きですけど、
本人……本猫にしたら、
「ハンター」という肩書きだと言い張るでしょうね。きっと。

さて。
昨日の夕方に、近所で農家をやってる友達が末娘を連れて遊びに来てくれました。
農作業が忙しくて、近所なのになかなか会えない友人なのですが、息子が彼女に生八ツ橋をお土産に買って来たから賞味期限内に取りに来い、とメールしたら来てくれました。
そしたら、収穫の時期に入ったトウモロコシをどっさり持ってきてくれたのでした。
今年初のトウモロコシです。
甘いよ~♪♪
農家さんがお野菜をくれる時って、ほんとにどっさりくれるんですよね~。
なので、ダイコンでもニンジンでもトウモロコシでも、お隣さんに必ずおすそ分けします。
それでもたくさんあるんだよ~。
幸せだ~♪
こっちに引っ越してきて3年間、おとーちゃんが自然農でお野菜を作ってたので、旬の野菜ばかり食べていたのです。
そしたらですね、(それまでは旬なんてよく分かっていなかったのですが)旬じゃない野菜をわざわざ買おうという気にならなくなったんです。
なんで冬にトマトやキュウリを買うんだー、みたいな。
冬はダイコンや白菜だろう、みたいな。
ブロッコリーの旬の時期なんて、ずっとブロッコリー食べてますからね。あたしも子供たちも。
シム人ですよ。
(愛知県はブロッコリーの生産量が多いんだってー。多分キャベツも多いと思うぞ。)
あ、でもね。
私はカリフラワーも好きなんですけど、子供たちは好きじゃないんですよねぇ。
農協スーパーで旬の地元産直野菜として売られてるのは圧倒的にブロッコリーが多くてお安いので、それでいいんですけど、カリフラワーがちょっと不憫に思えてしまいます。
似たようなもんなのになー。
子供たちが帰ってきたので、オチがまったくありませんけど、これにてドロン。

修学旅行中の息子の発言がなかなかのものでした。

一昨日・昨日と、息子は小学校の修学旅行でした。
京都・奈良の旅でした。
クラスメイト…というか、1学年1クラスの小規模学校で、みんな1年生の時からの付き合いなので、息子のこともちゃんと分かって行動してくれますし、支援クラスの担任の先生がずっと一緒にいてくれるので、安心しておりました。
……というわけで、まったく心配はしてなかったけど、おかーちゃんはちょっと寂しかったです。はい。
修学旅行はとても楽しかったようです。
小学校にお迎えに行って、支援クラスの先生にちょっとばかりお話を聞きましたが、しっかり行動できてたようでした。
大きくなったものです。えらいもんです。
で、まぁ、先生からお話を聞けたのは短時間だったのですけど、そのお話の中で先生もちょっとビックリしたというエピソードがありました。
私も「うおー。」と思いました。
平等院に行った時のことだそうです。
みんなと一緒に拝観していたら、いきなり息子が先生に
「ぼく、赤ちゃんの時に(この仏様たちと)会ったことあるよ。」
と、言い出したそうなのです。
壁にかかっている仏様たちのことを指して、そう言ったらしいのです。
「そうなの?じゃあ、この(真ん中の金ぴかの御本尊である)仏様は?」と阿弥陀如来のことを先生が訊いたら、
「うん。会ったことあるよ。」
と、やはり言ったのだそうです。
しかし、他のお寺ではそんなこと一言も言わなかったそうで、平等院の次に行ったお寺で、
「この仏様は会ったことある?」
と、先生が息子に訊いても、「ないよ。」と答えたんだそうです。
もちろん、息子を平等院に連れてったことはありません。
息子にとって、初の京都・奈良です。
そして、知的障害「中程度」の息子は、記憶力もそんなに良くありません。
小学校1年生の時の交流クラス担任の先生に3年ぶりくらいに会った時も、先生のこと忘れてましたから。
興味があることはそれなりに覚えてますけど、なかなの忘れん坊です。
保育園でめっちゃお世話になったスタッフさんのことも、卒園して3年くらいしたらすっかり忘れてましたし。
そんな息子ですから、赤ちゃんの時のことなんて覚えているわけがありません。
でもですね。
小さい頃の息子は、どうも「私たちには見えないものが見えている」っぽかったのです。
ダウン症児で言葉の発達も遅かったので、ハッキリしたことは分からないのですが、それでも息子の言葉に「あれ?」ということが多かったのです。
保育園のスタッフさんの中にも、この子はオーラとか見てるに違いない、って思ってた方がいたそうなので、やっぱり何か見えてたんだと思います。
ただ、それも小学生になってからは急速に減っていきまして、今ではさっぱり見えていないようです。
ですので。
ほんとうに、たくさんの仏様が雲に乗って、息子のところにちょいちょいと来てくださっていたんだろうな~、と思うんです。
そして、平等院の仏様たちが、そのことを思い出すように、ちょいとばかり息子に働きかけてくださったんでしょう。
息子が持って帰ってきた平等院のパンフレットの写真を指して、
「赤ちゃんの時に会った仏様って、この仏様?」と訊いてみたら、
「そうだよー。」と、さも当たり前のように答えました。

平等院の仏様を見て、「赤ちゃんの時に会ったよ。」と言ったことも、息子はそのうちすっかり忘れてしまうのでしょうけど、
ほんとにお前は神仏に愛されてるねぇ~、と息子を見ながらしみじみしておりました。
おとーちゃんと私とお義母さんとオカンと4人で、車で四国お遍路をした年に授かった子ですから、仏様にご縁の深い子でもおかしくないよなー、と思ったりしております。
……ああ、そうでしたわ。
ダウン症児はおとなしい赤ちゃんが多いらしくて、それで息子もあまり泣かない赤ちゃんだったんだなー、と思っていたんですけど、
おとなしい…というより、ほんとに無駄に泣かなくて、いつもご機嫌な赤ちゃんだったんですよ。
よく寝て、よくおっぱい飲んで、よく笑う…そんな赤ちゃんだったのですが、仏様がしょっちゅう遊びに来て、あやしてくれてたのかもしれませんね。
そして。
息子たちが貸し切りで泊まったお宿がこちら
http://www.oyado-niwa.com/
なんですけど、
東本願寺のすぐ近くというのは、説明会でパンフレットを見た時から知っていました。
私自身、親鸞さんとご縁が全くないわけじゃなくてですね……ごにょごにょ……なので、あらまー東本願寺のすぐ近くのお宿なんて羨ましいわねー、なんて思っていたんですよ。
しかし、修学旅行の目的地に東本願寺は入っていませんでした。
たまたまお宿がそこだった、ってだけです。
そしたらですね、
予定では6時半くらいに起床ってことになってたんですが、5時半くらいに起きて、朝から東本願寺にお参りに行ったそうなのです。
息子たち。
や、子供たち全員なのか、息子と支援クラスの先生だけなのかは不明なんですが、「せっかくなので東本願寺にお参りに行きましょう。だったら朝しかないですねー。」なんてことになったんでしょうね。引率の先生たちの中で。
やはり阿弥陀様に呼ばれましたね。息子ってば。
そりゃそうですよね。
息子がそんなお宿に泊まって、お参りに行かないなんてありえないですわ~。
(それに私の実家の宗派でもあるしねっ。)
息子の家族へのお土産は、生八ツ橋と念珠でした。
プラスチックの珠でできたカラフルな念珠ですけど、息子が買ってくれたものですから、どんな念珠よりスゴイんだぞ~、って思ってます♪

とにもかくにも。
みんなが怪我や病気も無く、無事に帰ってきてくれて良かったです。
初日の雨も京都ではほとんど降られなかったそうだし、良かった良かった♪

応援し合いましょう♪

昨日たまたま坂口恭平 さんという方のツイートが回ってきました。

坂口恭平 ‏@zhtsss · 6月3日
決算月が終わり昨年度の収入が確定。約1200万円でした。こうやって公開するのは若い人たちの参考のため。連載、単行本、講演、絵画が主な収入源。2008年に事業をはじめ、2011年から4年間一千万円を超えている。食えない仕事ではない。ベストセラーが無くても食ってはいける。
坂口恭平 ‏@zhtsss · 6月3日
作家は食えないとか本や絵は売れないとか自営業は不安定な職業だとかそういう体験していない大人からの囁きだけで自分の夢を諦めている若い人が多い。とりあえず一回試しましょう。そして、この世はお金がないとやっていけないのは確かです。0円世界を作るために、まず自分は稼ぎ、人々に施しましょう


私の場合は、『お母さん業メイン』での『体調に合わせておうちでできるお仕事』を『自営』という形でさせてもらってる…という認識なのでアレですけど、
でも、坂口さんの言葉はなるほどと思うのです。
夢があるなら、一度は試してみたらいいんじゃないかな、って思うんです。
当然ですけど、夢に挑戦するなら工夫と努力は継続的に必要です。
でも、そのプロセスも喜びに変わっていくような気がします。
もちろんね、
どこかにお勤めして、自分のお仕事をしっかりやって、毎月安定したお給料をいただいて……というのだってガッツリOKなんです。
会社で必要とされているとか、なんだかんだ言ってこの仕事が好きとか、安定した収入が精神的安定をもたらしてくれるとか、OKな理由はいっぱいありますもん。
でも、大人が「作家なんて食えない。本や絵は売れない。」なんて自分がチャレンジしたわけでもないのにそんなことをうっかり言うのは、控えた方がいいよな~、と思いました。
先日、月子さんがお勉強のために買ったとある占星術の本の中から、私に関係する部分をチラリと教えてもらったのですが、
「お仕事」というものが私の自己実現にはどーーーしてもついて回るんだな~、とあらためて思い知らせれました。
そんな私なので余計にそう思うのかもしれませんが、若い子たちが夢を叶えるために前に進むもうとする勇気をくじきまくるような大人が多い社会じゃなくて、厳しくてもこっそり「がんばれ♪」と応援してるような、そんな大人たちが多い社会にしていった方が絶対良いよね、と思うのです。
……40代も後半になってくるとね、自分のことだけじゃなくて、次の世代のことも考えるようになるのですよ。ええ。
と、書いてて、
梅舎茶館のヨーダさんの顔がぽこんと頭の中に浮かびました。
私のようなちまちまと続けてる者に「がんばれ♪」と背中を押してくれたのは、ほんとうに有り難かったです。
展示会後も、嫁ぎ先の絵の写真を送ってくれたり、梅舎茶館で展示中の素敵な作品の写真を送ってくれりして、たくさんメッセージをくださいました。
その時はちょうどつんくさんが声帯を摘出したニュースが流れた頃で、ヨーダさんへの返信の中で私はこんなことを書いたんです。

つんくさんが声を失ったというニュースが流れて、
彼は同い年なので余計そう思ったのですが、
描けるということは当たり前じゃないよな、とあらためて思いました。
歌も絵も写真も踊りも小説も、芸術というものは生きるために必須のものではないけれど、人と人の間を流れる愛のようなエネルギーなのかなぁ、と思ったりしました。
これからもコツコツと描き続けたいと思います(*^^*)


衣食住のように生きるために必須のものじゃないから、「お金を稼ぐ」ということに結びつけるのは簡単なことではないし、だからこそ「どうせ自分には才能無いからダメだ。」なんて思ってしまいがちですけど、多分そうじゃないんですよね。
……ああ、そうですね。
大人同士だって、そういうのって必要ですよね。
若者だけじゃないですね。
べたべたに褒めちぎる…っていうんじゃなくて、後ろから小さな声で「がんばれ♪」と応援するくらいが好きです。
我々大人同士も、お互いこっそり応援し合いましょう♪
さて。
その梅舎茶館で先月開催されていたteruさんの個展に行きたかったのですが、3月4月ほどではないにしても体調がまだ不安定だったために原画を観ることは叶いませんでした。
非常に残念であります。
…と、残念がっていたら、teruさんからポストカードなどが届きました♪♪♪
9枚の絵の中で、私はこの2枚が特に好きです。
どっちも鳥さんですね。
彼女の描く鳥さんが好きです。
触りたくなります。

この目なんて、たまりませんね。

そして、彼女の絵を使ったシールが貼ってありました。
梅舎茶館のお茶です♪

こんなシールも貼ってありました♪
お菓子までいただきました♪♪

ヨーダさんのメッセージも同封してくれてました。
teruさん、どうもありがとうございました♡
そして、個展成功おめでとうございます♡♡♡
あ、大きい声で言っちゃった♪

【娘の作品】人生の花


人生の花
わたしのいままでの人生を話すと、こういうことになる。
わたしは、いままで8年かんのあいだ、いろいろせいちょうした。
たとえば、人げんが、どうしてせんそうするとか、かみさまはいるか、そういうことをしらべてきた。
わたしは、一つわかることで、一つ花がさいたみたいにおもう。
だからはわたしは、このことを、人生の花とよぶことにした。
わたしはもっといろいろしって、人生の花をどんどんさかせたい。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
最近、こーゆーのを書いては、「おかーさーん。できたー。」と持ってきます。
でも、声を出して読まれるのは恥ずかしいらしくて、黙読しろと娘に強制されます。
でもでも、ブログに載せてもいいよ、というので、載せてみました。
ちなみに。
娘は、2年生の時に、
「神様っているの?神様がいるなら、どうして戦争があるの?」
という疑問を持ちましてね。
「それはとてもいい質問だから、○○先生にも訊いてごらん?」と、小学校のベテランの先生に質問するように促してやりました。
また、ちょうどいつもの霊能師さんのところに久々に行くことになったので、その時にも先生に質問するといいよ、と教えてやりました。
人によってくれる答えが全然違うので、娘なりにもいろいろ考えたようでした。
「間」って漢字はとっくに習ったと思うんやけどなぁ~。

土星先生なの?

月子さんからメールがぴょこんと来ました。
フィンスコープ
http://www.visitfinland.com/finnscope/ja/
というのを、さつきのひかりさんがチェックしてて、面白そうだからやってみたよ、という内容。
そうかー。
んじゃ、あたしもやってみるかー。
と、やってみました。
そしたら、こんなんが出ました。

荒々しい狼の調教師
他の人たちが恐れるような環境の中で、リラックスし、他の人たちが分からない言葉を話す。野生の静けさを愛する人。自然と野生動物を何よりも大切に思い、それが他の人と関係を築く上での足かせとなることもある。


????( ゚д゚)???
意味が分からん……と、月子さんに返信したところ、
「なんかわかる気がするー。」
と返事が来たので、さらに????になり、
「なんか分かる??あたし、みんなに分からん言葉を話してるかしら???」
と、メールをしたら、

んーとね
正確に言えば、言ってることが分からんのではなく、(たみえさんの言うように)そうできたら素敵だけどどうしたらできるのかわからなくて、できないから悩んでる、もしくは萎縮してしまう、というのはあるかもー。
平たく言えば、自他共に厳しいなぁって感じる部分はあんでないかしらね。
特に、いわゆる『弱い』人間には余計にそう映ると思うよ。
目指すところが高尚だなーと思うもの。
個人的に、土星だなぁと思ってはおりますがー。


とのお返事。
まじかーー
あたしってば、土星っぽいのか!
( ゚д゚)知らんかった…

土星
試練の惑星ですよ…。
びしびし鍛えるスパルタな惑星ですよ…。
きびしーーー老師匠みたいな土星先生ですよ……。

確かに私の太陽は山羊座で、山羊座って土星が守護星だし、
九星でも五黄土星だし、子供の頃から土星と火星と天王星は何故か大好きだったけどさ~……。
(その反面、木星は怖かった。なんか木星は怖かった。あの目玉が怖い。いまだに木星とは心から仲良くなれていない感じがするーーー。)
月子さんから見た私は、めっちゃ土星でスパルタなんですって。
なんなら他の人にもヒアリングしてみたら?と、言われたので、
昨日ふと思い出して、おとーちゃん(と子供たち)に聞いてみました。
「あたしって、自分にも他人にも厳しい?」
って。
そしたらね、
おとーちゃんがね、
「でもさ、あんたの場合はちゃんと一貫性があるからいいんだよ~。一貫性が無くて感情的にヒステリーみたいなのが困るんだよね~。ああいうのじゃないから~。」
と、いきなり全肯定からの会話になっとるよ……。
ちょっと待ってちょっと待って!
あたし、厳しいの?
ねぇ、あたしって自分にも他人にも厳しいの???
「え?おかーさん、厳しいよー。ねぇ?お兄ちゃん。」
「うん。きびしーよ♪」

と、子供たちまで全肯定ですよ。
(いちおー、優しいけど厳しい、というフォローをしてくれましたけどね。娘は。)
知らなかったよー!
あたし、自分にも他人にも厳しいって知らなかったよーー!

自分には甘いと思ってたんだけどなぁ~。
もっとちゃんとせいよ、って自分に対しては特に思うんだけどなぁ~。
子供にも甘いぜー、と思ってたんだけどなぁ~。
違ったのか……。
あたし、土星だったのか……。
ミカエルの孫の孫がハイヤーなので、実はスパルタ体質だった……というオチなのか……?
((((;゚Д゚)))))))ひぃぃぃぃ
あ、
でもさ。
あたしが土星だとしてもだよ。
全方位一斉射撃で厳しくしてるわけじゃないと思うよーーーー。
普段はぼけーっとしててだらだらしてるし~。
タミエルだって、普段はすげぇーゆるゆるだし~。
たみえさんって、ちっとも怖くないから、仲良くしてね♪

磨いていこう。

ちょいとお時間を作ってもらってですな、ぜひこの「まとめ」を読んでいただきたいでござる。
http://togetter.com/li/826854
私はたまたまこれを眺めていたんですが、
「あああー、お寺さんがめんどくさいのに絡まれてる~。」
と、ちょっとだけハラハラしておりました。
そして、コトが収束してきたところでのニー仏さんのツイートに大きく頷いておりました。
自分の言いたいことを【明晰に】言語化できてるか、というと、「はい。」とは言えない自分がいるのですが、
会社員時代に技術文書を書くお仕事をさせてもらってたおかげで、ある程度はできているんじゃないか、と思ってます。
それにですね、高校3年生時に国語の担任に小論文をいっぱい書かされたので、筋道立てて意見を述べる、ということを鍛えてもらったように感じています。
でも、自分ではできてると思っててできてない人が厄介なわけで、ある程度できてると思ってる私はヤバいかもしれませんがね…ドキドキ……。
いろんな能力があって、得意不得意は誰にでもあるものだと思いますが、
自分の言いたいことをちゃんと言語化できるようになった方が、他人とのコミュニケーションがとても深くなるので、意識して磨いた方がいい能力なんじゃないかなー、と私は思います。
なので、40過ぎから歳を重ねるごとにどんどん頭の回転数が落ちてる私ではありますが、もっともっと磨いていかねば~とあらためて思ったのでありました。

眉間がぼわんと温かくなりました。


♪ねこねこねこね~のおいしゃさーん
♪にゃーっときあいをいれたならー
♪すーぐによくなる、はい、おーだーいーじーにー
♪にゃあ!
…って、娘が保育園の時に、そんな劇をやってました。
娘は患者のお猿さん役でしたが。
2月になってから血圧のアップダウンがヒドくなって、3月は特にダメダメでしたが、
5月になってからは、ちょっとばかりアップダウンの山と谷が小さくなってきたなー、という感じがしてきまして、喜んでいたのですが、
今日はアカンかったです……。
10時頃からすこんと高くなって、ちょうど今日は病院の日なのでなんとか運転して行ったんですけど、まーしんどくてですねぇ、
待合室で座ってんのもしんどかったんですわー。やばかったー。
そしたら、やっぱりどえらいこと血圧が高くなってて、先生がすぐに横になってねー、って言うくらいでした。
あ、今はちょっとばかり高めではありますけど、まぁそこそこですので大丈夫です。
というわけで、看護婦さんがベッドを用意してくれまして、鍼が頭に刺さったまま横になっていたのですが、
網戸越しに見える景色がとてもキレイだったのです。
あれはなんていう名前の木なんですかね…。
葉っぱが風に揺れて、その葉っぱの隙間から青空が見えるんです。
葉っぱの緑も、葉っぱと葉っぱが重なると濃く見えて、重なっていないと光に透けて見えて、それらが風のためにゆらゆらカタチを変え続けるんです。
入ってくる風も気持ちよくて、ぼーーーっと眺めていました。
身体のしんどさを少し感じつつも、キレイな景色と風の感覚が気持ちよくて、ぼーーっと眺めていられました。
すると、流れてた音楽にも気がつきまして、
アヴェ・マリアが流れてました。
そのうち、なんとなく目を閉じて、「なんでしんどいのかなー?やだなぁー…。私もイエス様のお着物の裾を触って癒されたいなぁ…。」なんて、新約聖書の逸話を思い出しつつぼんやり考えていたら、
急に、眉間のあたりがぼわんと温かくなりました。
あー……
イエス様が、手(イメージは指先をちょんと)を当ててくださったんだなー……
ありがたいな……
と、なんでかそんなふうに思いました。
……ぁ?
と、瞬間我に返って、パッと目を開けましたが、もちろん、そこにはキレイな景色しかありませんでした。
もちろん、それはたまたま眉間が温かいような感覚になっただけなのかもしれませんし、
もしかしたら何か見えない存在が何かをしてくれたのかもしれませんけど、だとしてもイエス様だとは断言できませんし、
「や、おれだし。」ってガイドが笑ってるかもしれないですけど、
イエス様ってことにしときます。
新約聖書の中で、あの逸話が一番好きなんです。私。
長患いをしてた女は、あちこちの治療家に頼んで治してもらおうとしたけど、治らず、お金も無くなってしまった…というところに、イエス様たちが街にやってきたと聞いて、
せめてイエス様のお着物に触れば、きっと私は治る……と心の底から信じ、群衆の中に入っていって、イエス様のお着物の裾を触った……ら、自分から「力」が流れ出るのをイエス様が感じたので、
「誰か何かした?」と、群衆に尋ねたら、
女がおそるおそる正直に話すと、イエス様が言ったんです。
「女よ、お前は癒されたんだよ。お前の信仰がお前を癒したんだよ。」
って。
そしたら、その瞬間にほんとーに女は癒されてて、長患いが治ってたんです。
そんな逸話です。
一度だけ、絶対安心の心境になったことがある、と前の日記で書きましたけど、
実は、これまた一度だけ、イエス様への祈りを通じて、「扉が開いた」という感覚になったことがあるんです。
私は小学生の時に2年間ほどプロテスタントの教会に通ってはいましたが、洗礼を受けたわけでもないし、仏様への信心もありますし、この15年ほどは自分の中心に五井先生のお祈りがある…という感じなのですが、
イエス様への祈りというのも、やはり自分の中にはずーっとあるんですね。
それで、精神的にひどくしんどかった時に夕方の薄暗い部屋の中でイエス様に30分くらい祈ってたことがありまして……変成意識状態になってたんでしょうね。
「扉が開いた」「繋がった」という感覚に突然なったんです。
その時の感覚はかなり強烈なもので、その体験から1年くらいの間は、その感覚を、まるで本画像に比べてのサムネイル程度のものにはなってましたが、思い出すこともできてました…が、だんだんと思い出すことができなくなりました。
そんな体験が一度っきりですがあるので、イエス様とも繋がってるんだな、というのは分かるんです。
ただ、顕在意識の私には雑音が多すぎて見失って見つけられないんだなー、と思ってます。
(それは信仰がある人はみんなそうなんだと思うんですよ。)
けれど。
私はやっぱり心のどこか深いところで「癒されるのはまだ早い」と思ってるんだろうな……と、
眉間の温かさを思い出しながら、揺れる葉っぱたちを眺めながら、そう思いました。
顕在意識の「私」は、しんどい度にほとほとイヤになるんですけどね。
んっとにイヤよ。
もうイヤよ。
しんどい度に、あの女のように瞬間で癒されたいわー、って真剣に思うのにね。
今さっき、
娘が頭痛いって保健室で休んでるので迎えに来てください、って電話があって、ブログ書くのを中断して行ってきましたよ。
暑さにやられたみたいですね。
帰宅して兄ちゃんと一緒にアイスバー食べたらすげぇぇぇ元気になっとりますわ。
熱も下がってるし。
や、
これが午前中じゃなくて良かったですよー。
お迎えに行けなかったですもん。午前中だと。
で。
話を戻しまして。
これ
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1028.html
にも書いたとおり、何がしたい、どのような人間になりたい…というのが、うすぼんやりしてしまいまして、
そのままずーーっとその状態が続いております。
体調が悪くない時、
つまり、身体に意識が過剰に行かなくて済んでいる時は、
今までココが「定常」だと思っていた意識より、なんだかちょっと上のところにいるような、そんな感じになることが増えたのです。
でもそれは、愛に溢れた高次の素晴らしい意識…という意味ではなくて、ただちょっと階段をちょっと上がったところで今までよりちょいとばかし俯瞰して見てる……というだけのことで、残念ながら霊性が進化したっていうことではないと思うんですが、
違う言い方をするなら、歳とったねー、ってことかもしれませんね。
もともと、子供の頃から天文とか地学とかが好きで、自分の中のスケールが何億年というものもあるわけですが、
そのスケールで考えると、人間の愚かな行為で地球が生命の住めない惑星になったとしても、それがどうした?という結論にしかならないんですけど、
でも同時にものすごーーーくミクロな視点で見て、これじゃダメだよーなんとかしないとー、と考える自分もいるんですね。
なので、「定常」の意識のスケールが更新されたような感覚そのものは、ああそうなのね、と思うだけなんですが、
うすぼんやりしてるのがどうにも所在無いのです。
もちょっと分かりやすくたとえるなら、
ふと気づくと、この歳でもう縁側でお茶飲んでニコニコしてるおばあちゃん…に近い心境になっとるやないの!
みたいな感じですね。
これがしたい、あれがしたい、こんなふうになりたい……が、ほんとにうすぼんやりしたままなのです。
子供たちのために夫婦共々元気に長生きしたい、と、
エイトのライブに毎年行って思いっきり楽しみたい、と、ハッキリ強く思うのってほんとにそれくらいなんですもん。
欲求が無いわけじゃなくて、とてもうすぼんやりしていて、焦点が合わなくて形状がハッキリしないのです。
ハッキリくっきりしない欲求は現実化されないまま霧散してしまいますもんね。
それで。
恐ろしいのが、その現在の「定常意識」の時に、「今すぐ癒されたい。今すぐ健康で丈夫になりたい。」という欲求が自然とは出てこないということなんです。
意図的にスケールを少しマクロ寄りにしてからじゃないと、それが出てこないんです。
もちろん、しんどい時、その真っ只中にいると、今ココのこの身体のしんどさにかなり多くの意識を持っていかれますから、めっちゃマクロスケールで世界(自分)を感じてるので、下手したらパニックになるくらい「わーーー!いやいやー!今すぐ治してー!丈夫で健康にしてー!」って強烈に求めるんですけどね。
結局ね、
これ
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1056.html
に書いたとおり、自己信頼の回復、生命力への内的信頼感の回復、が、課題だからこそ、こうなってるんでしょうけどね。
身体がしんどいことがアンカーになってるからね~、ってむかーーし観音様に言われたわー、ってブログに書いたこともありますけど、
アンカーであり、スケール変換のスイッチでもありますもんね。
それが、身体感覚においてポジティブなもの(たとえば食べることにめっちゃ喜びを感じるとか、セックスで深い喜びを感じるとか)じゃなくて、ネガティブなもの…つまり「身体がめっちゃしんどい」というものになってる、というのが、「生命力への内的信頼感の欠如」の現れですよねー。
(視覚優位なところがあるので、視覚という感覚で喜びを感じるか……というと、視覚というのはダイレクトに喜びにならなくて、精神活動を経ての喜びになってる気がするんですよねん…。なのでちょっと違うなぁ、と。)
正直ゆーて、食べることにそんなに興味ないし、セックスも無いなら無いでいいや~…にすぐになっちゃうし。
あああああああ。
でもね。でもね。
息子が6年生になってから、国語の授業で、やなせたかし先生の「サボテンの花」というのを毎日音読してるんです。
こちらのブログに載ってますので、読んでみてください。
http://blog.canpan.info/sagara/archive/860
私ね、毎回泣きそうになるんですよ。
息子がこれを音読してるのを聞いてると。
これの次に谷川俊太郎さんの「生きる」も音読するんですけど、そっちはなんともないんです。
でも、やなせ先生のこれは泣きそうになるんです。
やなせ先生の人生はとても悲しみの多いものだった、と知ってるからなのか、
そんなやなせ先生が紡いだ言葉だから泣きそうになるのか、
とにもかくにも、この「サボテンの花」を息子が一生懸命音読してるのを聞いていると、生命力への内的信頼感はいつか回復できるんだろうな、って、なんとなく思えるんです。

不安だらけの私だけど、何故か絶対的安心を一度だけ経験したことがあるのです。

たまたまこの記事
http://oka-jp.seesaa.net/article/418137952.html
を読みましてね。
なんとなくね、分からんでもないんですよ。
私も不安や恐怖ってのが大きい方だと思うので。
というか、娘がそうでして、
娘の姿を見てると、私のソレを虫眼鏡で拡大して見せられてるような、そんな気分になることがあります。
で。
このブログ主さんは「十代の時に恐怖の解消を一度経験してる」と書いてますが、
私の場合は22歳だったかなー。
その時に、解消…ではないのですが、
不安や恐怖が全くない絶対の安心みたいなところにすぽんと入り込んだことがありました。
後にも先にも、あんな感覚になったのはあのたった一度だけです。
普段の私にとっては不安や恐れが起こるような状況だったのですが、なぜかその日のその時だけは、
何か絶対的なものに護られていると心の底から分かっていて、絶対の安心という感覚にしかならなかったのです。
何かが観えているわけでもないですし、何かが聴こえてたわけでもないのですが、何故か分からないのですがそうだと分かったのです。深い確信を伴って。
たった10分にも満たない間のことでしたが、あの経験は私にとってはとても大きなものでした。
ちょっと前にじぇいど♪さんとも「不安」ということについてやりとりしてたんですが、
不安というのは、人間が生き延びるためには必要なものだったと思うのです。
全く不安のない生命体だったら、ホモサピエンスはもうとっくに絶滅してたんじゃないかと思います。
なので、これは生命体として必要なものとして備わっているものなんでしょう。
でも、それも分かった上で、「あの絶対的なものに護られてる絶対の安心感」というのが、人としてのほんとうの在り方なのかもなー、と思うのです。
または、それこそ、ちょっと高次元の自分とピッと波長が合った……というものかもしれません。
この現象世界の生命体としての本能というか、性というか、そういうものも自分の一部なので、不安や恐怖を感じるな、そこにフォーカスするな、って言われても、そんなの難しいことなんですけど、
「仕方がないよ~、それも自分だもーん。」と開き直った上で、過剰な不安に巻き込まれることはヨシとせずに、「絶対的なものに護られている絶対の安心感」の自分にチャンネルを合わせよう…という意図が大事なのかな、と思いました。
ええ。
すっかり忘れてたのですよ。
あの経験の、あの感覚のことを。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
そうそう。
最近、FBの方でフォローし始めた方がいましてね、
その人のブログ記事がなかなか興味深いんですが、これらの記事
http://ameblo.jp/izumiutamaro/entry-12026101817.html
http://ameblo.jp/izumiutamaro/entry-12027166870.html
にもあるように、エネルギーボディを写真で撮ってる……とのことなんですが、
この写真……
五井先生の霊光写真と同じ種類のものなんじゃね?
と、今さっき思いました。
ええ、ほんとに今さっきです。
あ、五井先生の霊光写真ってコレです。
http://byakko.or.jp/founder/goi/reikou/
私も撮りたいーー撮ってみたいーーーー…って、思ってたら、
「お前には絵があるだろ。」
と、(多分親分に)すぱんと言わてしまいました。
ちぇっ。
…だから、こーゆー丸い光をいつも描いてるんだな。
あたしってば。
ウリエル
あ、これは4~5年前に描いたウリエルですけどね。

お客様がご紹介してくださいました。


前記事で紹介したこの絵。
お客様がご自身のブログで紹介してくださいました。
こちらです。
http://ameblo.jp/arka-healing/entry-12029090431.html
このお客様もそうだったのですが、
守護天使や守護神など、守護の神霊の方々を「分かる先生」に観てもらって、そこで教えてもらった存在を描いてもらいたいです……というご注文を承ることがあります。
ありがたいですわ~。
自分の守護の方を身近に感じたいので描いて欲しい、なんて言われちゃいますとね、もちろんいつも真剣に描いてますけど、いつも以上にピッと身が引き締まるような、そんな気持ちになります。
これからも精進します。
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かーちゃん、がんばれよー。
おれはゴロゴロしてるけどなー。

天使の絵2枚と、女神の絵1枚、です。

本日の記事は、ちょっと変わっております。
私は、絵を描いてるところは、自分の子供であってもあまり見られたくないですし、
制作途中の絵をアップするなんてほとんどしてないハズなんですけど、
今回はちょっとだけします。
まず、ヨフィエルの絵です。
ハニエルかヨフィエルでお願いします、というご注文をいただいたので、カードをひいてどちらにするか決めさせてもらいました。
そして出てきたオラクルカードがヨフィエルの「忍耐」でした。
描き始めは濃い紫色で全体を塗っておりました。
怒り……ではないのですが、それに近いような強い感情をばしばし感じました。
その上に白などの色をどんどん重ねていったのですが、どうしてもしっくりこなくて、
少し間を取ってから、なんとなく手にとった色を塗り重ねていきました。
すると、こうなりました。

真っ暗な闇ではないのですが、「寝静まった夜」みたいな雰囲気で、
そこに大きな羽の天使がいる……という絵になるんだなー、と思いまして、そこから天使の姿を最後に描きこみました。
大天使ヨフィエル
上の写真と下の写真では、カメラも違うし、撮った時の光の塩梅が違うので、色味が全く違ってますが、同じ絵です。
特にこの絵は、パールが入った絵の具で描いてあるので、光の塩梅で色味が違って見えるんです。
天使の姿を描く前の方が、天使っぽいと感じることが実は多いのです。
感じてる「もっと生々しい」天使のエネルギー…みたいなものが、天使の姿を描くことで、そこにすーーっと収斂して「一部抜粋」されたような感覚になることが多いためです。
じゃあ、姿を描かない方がいいのか、というと、そうでもなくて、そこが「オーダーメイド」なんだろうなー、と思うのですが、今のお客様にちょうどいい塩梅の質と量になってるように感じるのです。
……っても、まぁ、あくまで私が描いててそう感じる、ってだけの話なんですけどね。
客観的に数値化して提示できるものじゃないので。
そして、この絵もそうでした。
「寝静まった夜に静かに現れて寄り添ってくれる天使」のぼわーーんとしたエネルギーが、しゅるしゅる~っと、収斂したような感じになりました。
もしかしたら、お客様は怒りに近いような強い感情を持つようなしんどい状況なのかもしれませんが、眠っている時にそっとヨフィエルが寄り添って、寝顔を優しい眼差しで見つめているのかもしれませんね。
次は、天使ではありません。
女神イシュタルです。
大天使サンダルフォンの絵を注文してくださったお客様が、もしも描けるなら、女神イシュターを描いて欲しい、とおっしゃいました。
(私は「イシュタル」の方がなじみがあるので、ここではそう書きますね。)
私は、描けるかどうか分かりませんがチャレンジしてみます、と回答しました。
天使の絵そのものに天使のエネルギーが宿ってる……かどうかは私には判断できませんし、
そーゆーものですよ~、というのを前面にばーーん!と押し出して絵を売るというのはイヤなのでしてません。
(だから民絵屋のサイトに載せてある天使の絵についての説明文を書く時は時間がかかったのですよ~。ふわんとした説明になってるのはそのせいなんです。)
けれど、天使のそーゆーのを感じながら描いてるのは確かで、一種のチャネリング状態で描いてるんだろうな、とは思っていますので、そういう部分も私の絵には必須要因となってると思うのです。
それが、女神イシュタルを描いた時に同じような「品質」(←他にピッタリの言葉が見つからないのでとりあえず使います)を保てるのか?というのが分からなかったので、チャレンジしてみます、という回答をしたのでした。
結果的には、天使の絵と「同じように」描けたので、お客様にお届けすることができて良かったんですけけどね♪
で。
まずは、イシュタルってどんな感じなのかなー?と、スケッチブックにえんぴつで手の動くままに描いてみました。

ふっさふさの豊かな髪に、
ぷるぷるの赤い唇に、
大きなおっぱい。
これがポイントだなー、と思いました。
そして、頭の冠(?)は、何故か雄牛の角みたいなものじゃないとダメだー、と思いました。
杖も持ってるな、と思いました。
もちろん、なんとなくで根拠は示せませんが、そう思いました。
そこらへんをアウトラインとしながら描いたのがこの絵です。
女神イシュタル
ぷるぷるの赤い唇はあえて描きませんでした。
というのも、この女神イシュタルの顔を観ていたら、成熟した大人の女性にも見えるし、ふっと少女の顔にも見えるので、
赤い唇を描いてしまうと、大人の方だけに固定されてしまって勿体ないと感じて、描きませんでした。
そして、おっぱい。
なぜか片乳だけ出てます。
自分でもよく分からなかったのですが、どうしても片方だけは出して描かないと気が済みませんでした。
そして、おっぱいが描き終わったところで、母乳がぴゅーーーっと出てるイメージがばーんと浮かびました。
ああ、だから片方のおっぱいがポロリと出てるのか……と、思いました……が、
さすがに飾ってもらう絵ですので、母乳かぴゅーーーっと出てるというのはなぁ~……と、ちょっとだけ葛藤しまして、
「ごめんなさい。母乳は描けませんが、ブログでほんとうはこのおっぱいは母乳が出てるおっぱいなんだよ、と書きますから、許してください~。」と、心の中でイシュタルに謝りました。
杖は……こんな杖になると思いませんでした。
でも描いてるうちにこんな杖になりました。
これねぇ……。
人のエネルギーシステムですよねぇ…。
チャクラと同じ色の石と螺旋状の光って。
なんかねーなんかねー……じわじわキました。
少女のようなかわいらしさと成熟した女性の魅力、そして母性も備えている…というのは、「女神」だからなんだなー、と描き上がった絵をじーーっと眺めてしみじみしておりました。
チャレンジさせてもらえて、ほんとうに良かったです。
と。
イシュタルを描いた翌日に、サンダルフォンを描きました。
イシュタルは金星の女神らしいのですが、対照的にサンダルフォンには深宇宙を感じながら描きました。
サンダルフォンの姿を描き始めたところで、この状態でもう十分だ~!と思いました。

深宇宙からの扉が開いて、そこから現れた白い光の天使。
もうこれだけで十分やーーーん……、と思ったのですが、
天使の絵あるあるだよなー……と、気を取り直して、姿を描きあげました。
大天使サンダルフォン
最低限の描き込みに抑えましたが、やっぱりしゅるしゅる~と収斂しました。
そして、学校から帰宅した娘に「サンダルフォンだよ~。」と見せたところ、
娘は「強い!」と言いました。
そうだよねー、深宇宙から来てるからねー、強いよねー。
というわけで、今回は仕上がり前のところもお見せしました~。