ねたみちゃん、現る。

ちょっと前のことですけども、
友人とのやりとりの中で、魂ってものについての彼女なりの解釈を聞かせてもらいまして、それがとても納得だったのです。
ざっくり言いますと、
どんな人でも、いろんな魂のパーツの組み合わせだ、という感じですね。
かなり大人な魂のパーツと、ある意味とても未熟な面を持った魂のパーツが組み合わさっているようなものだ、と。
私自身も、何年も前になりますが、自分の魂というのは、たくさんの魂のパーツの組み合わせだというイメージを見せられたことがあります。
そいえば、五井先生も似たようなことをおっしゃっていた記憶もあります。
すると、
氣乃 介さんも、ブログの方で「類魂」のお話をシリーズで書き始められまして、
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12086528703.html
やはり、ここでもたくさんのパーツで魂は成り立っている、という考え方が書かれています。
私の場合は、タミエルとファウとミルラ・ムという別々の魂のパーツをもともと感じてはいますが、
全然認知していないパーツもたくさんあるんだろうな、というのは、自分がたくさんのキラキラした魂のパーツの寄せ集めというイメージを見せられたこともあって、そう思っていました。
まぁ、これは、物理学で「光」を「波」と捉えるか「粒子」と捉えるかという問題と同じようなもので、
魂を「かたまり」のように捉えた場合の認識の仕方だと思った方が良いように感じます。
波(波動)と捉えたら、また違った認識の仕方になりますからね。
それで、です。
一昨日からちょっと体調がよろしくなかったのですが、
昨日は久々に朝から全くダメで、ほんとーにしんどくて寝込んでおりました。
おとーちゃんにお仕事を休んでもらったくらいダメダメでした。
そのうち、どうにもならないくらいしんどいピークが過ぎて、ちょっとだけ楽になった頃に、ぼーっとした頭で何故かなんとなくプラチナプロテクトをしなくちゃ、と思いまして、半分ウトウトしてる状態でプロテクトをかけたんです。
するとすぱーんとこんな映像が頭に浮かびました。

雲の上のような、そんなふわっとした真っ白くだだっ広い空間に、私とミカエルだけが居て、向かい合っていました。
すると、ミカエルは小さな石のようなものを見せてくれました。
光ってはいるのですが、墨のような色をしていました。
これは、私の魂のパーツの1つだと思いました。
そして、このパーツは、「羨ましい、妬ましい。」という感情でいっぱいなのだと感じました。
私は、いい人ぶるわけじゃないんですが、誰かのことを妬ましいと思ったことがほとんどありません。
誰かを羨むという感情自体が、大人になってかしかハッキリとは認識できませんでした。
会社員時代の友人が「いいなー。いいなー。」とすぐ言う子だったのですが、ああそんなふうに軽く言っていいんだ、と目から鱗が落ちてからは、かるーく「いいなー。」と言うようになりましたが、それまでは人を羨ましいと思うよりも、すごいなぁぁぁー、で終わっていたことが多かった気がします。
なので、今でも「いいなー。」と言ったとしても、そんなに真剣に羨ましく思ってるわけでもなくて、すぐに終わって忘れてしまうことが多いです。
そこは土星先生の良い面が発揮されてるのかもしれません。
他人を羨むことにエネルギーを注ぎ続けるより、自分の成長の方に意識が向きやすいからだと思います。
または、『そうでない自分がイヤ』で「美人さんに生まれたかったわー。おっぱい大きくなりたかったわー。」と思うのであって、誰か特定の美人さんや巨乳さんを羨ましがるというわけではないのです。
ですから、私の魂のパーツの中に、人を羨む・妬む、という感情でいっぱいになってるものがあるとは思ってもいませんでしたので、ぼーっとした頭の中でもかなり驚きました。
もしかしたら、このパーツが私の「人を羨む」という気持ちを全部引き受けてくれてたのかもしれないし、
もしかしたら、他のより成熟したパーツがこの部分に関しては前面に出てたのかもしれないし、
どうなんだろうなー……、とぼんやり思いつつ、この薄墨色の光る小石のようなパーツを眺めていたら、
突然、このパーツが人格化して見えてきました。

ミカエルに
「この子は、ねたみちゃんって名付けてみるわ。」
と、私が言うと、ミカエルはにっこり笑ったような、そんな気がしました。
ねたみちゃんは、小学生低学年くらいの、小さな女の子でした。
ねたみちゃんを膝に抱っこしながら、ぼんやりしていたら、ふと思いました。
そうか。
ねたみちゃんってば、私が本気で「羨ましい」と思って言葉にしても、誰も私を責めない現実を創ったのね。
私は、7歳の頃から宇宙物理学者という頭が良くないとなれない職業に就きたかったので、とても頭のいい親友や弟のことを「いいなぁ。」と、大人になってから羨ましく感じることがありました。
確かに羨ましく思いました。
でもね、それすらもね、すぐに「まあ仕方がないか。」と、羨む気持ちを手放してしまっていました。
時々、折に触れ「いいなぁ。」と思い出すのですが、すぐにまた手放していました。
またそのうち書こうと思いますが、羨ましいよりも少し違う方向で思うことがあった、というのもあって、羨ましいという感情自体は割とすぐに手放してしまっていました。
なので「妬ましい」まで醸されることもありませんでした。
そんな私ですが、いつも健康で元気な人を心底羨ましいなー、と思う気持ちは、とても大きい気がします。
しんどいこと自体もほとほとイヤになってるし、
家族に迷惑をかけることもイヤだし、
おとーちゃんの仕事先に迷惑をかけるのも申し訳ないし、
いつも元気で健康な人を本当に羨ましいなぁ、と思います。
そして、身体がちょっと弱い私が、「健康で元気な人が羨ましいわ。」と言ったとしても、それに関して「人を羨むなんてみっともない。」などと責める人は確かにいないだろうな、と思ったのです。
これなら自分に対しても、人に対しても、正々堂々と羨ましがることができるよなー、と。
「でもさぁ、ねたみちゃん。しんどいのはもうイヤなんやけど。あたし。」
と、話しかけましたが、ねたみちゃんはガン無視です。
どうしたらいいのかなー………と、ぼーっと考えてるうちに、急にハッと意識がハッキリしてきたので、イメージが霧散してしまいました。
ねたみちゃんが晴れやかな女の子に変容していくように、私はどうしたらいいのかしら~……と、考えてはいるのですが、
さっぱり分からないので、とりあえず、ふと思った時にイメージの中でねたみちゃんを抱っこしております。
ガン無視されっぱなしですけどね。
ねたみちゃんが変われば私の体調も変わるかもしれないし、ちっとも変わらないかもしれないけど、
見つけたこの子をこのままにしておけませんしね。
だって、私の魂の一部ですもん。
★★お知らせ★★
月子さんが星読みを常時募集しておりますので、
興味のある方は、こちらのブログにアクセスしてください♪

http://tsukinohitorigoto922.blog.fc2.com/blog-entry-10.html

みんなと一緒に成長し合える輪の中にちゃんといるんだ

クロ(仮)は良く食べて、ガリガリだったのがふっくらしてきました。

ブ子にーさんは、ベロんちょが出たままになってることがよくあります。

クロ(仮)は、家猫の生活をするようになって、超ガツガツしてた部分がかなり治まって落ち着いてはきましたが、
それでも、何度叱っても同じ悪さをするとか、何度ブ子にーさんに厳しい指導されても飛び掛かって噛みつくとか、そういうのが困りますねぇ…。
ほんっとしつこいというか、めげないというか……。
ブ子とは大違いです。
クロ(仮)はブ子にーさんのことが大好きなんだとは思うんですが、じゃれまくってドタバタしまくって、人間にとってうるさいだけじゃなく、
ブ子にーさんにとってもそこそこストレスみたいなんですよねぇ…。
性格がおっとりしてるブ子にーさんは、ゆっくりクロ(仮)をなめなめしてやりたいのに、すぐに飛び掛かってきて大騒ぎになっちゃうんで、すげぇぇぇ怒るんですよ。ブ子が。
本気で怒ってるんですよ。猫パンチ炸裂しまくりですよ。威嚇しまくりです。
でも、分かんないんですよねぇ。クロ(仮)は。
愛されたいなら、上手に愛されろ
と、クロ(仮)に言って聞かせてるんですけど、難しいもんですねぇ……。
さて。
こちらの日記
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1116.html
にコメントをたくさんありがとうございます。
この他にも、FBやmixiやメールで「ミカエルの手を取ったらこんな感じになったよ。」というのを教えてもらったのですが、
●ミカエルからエネルギーを充填してもらった
●遠くにブン投げられた(手を握ったまま高いところに引き上げられた)
●不要なものを吸ってもらった

と、この3つくらいにざっくりと分類できるかなー、と思いました。
すごく面白いですよね~。
今回、この絵のミカエルの手を取ったらどうなったかをコメントしてみてください、とお願いしたのは、
ほんとうにこの絵は何らかの働きかけをする絵なのかどうか、を検証したかったからです。
もちろん、この絵そのものに何かの力があるとか、ヒーリングエネルギーが流れているとか、そういうことではないです。
でも、私の絵は「媒体」となり得るものだ、ということを、自分の感覚だけでなく、みなさんのコメントによっても検証してみたかったのです。
お客様のために描いた絵ですが、画像だけでも見てくれた人にとって媒体となれる絵だと強く感じたからです。
別に媒体なんて要らないと思うんですよ。本質的なことを言えば。
でも、媒体があることで意識しやすくなるというのも人間だよな、と思うのです。
そうじゃなかったら、仏像だってあんなにもたくさん作られたりしませんよね。
前々から……というか、最初から、媒体となり得る絵だと思って描いてはいたのですが、
でもね、この絵はひとつのターニングポイントになったかもしれません。
頭ではずっとそう思っていたけれど、もっとお腹の方に落ちてきた、という感じなのです。
違う言い方をすれば、「ああもっと自信持っていいんだ。」みたいな気持ちです。
当然ですが、自信というのは、「こんな絵が描ける私はすごい。」というのではありません。
みんなと一緒に成長し合える輪の中にちゃんといるんだ
という自信です。
私がこのような絵を描けるようになったのは、今まで私にたくさんの絵を描かせてくださったお客様のおかげです。
そんなお客様が、私の描いた絵を媒体として一瞬でも高次の存在とのつながりが強くなったのなら、少しだけでもお客様の成長のお手伝いができているかもしれません。
そのような、ぐるぐると螺旋を登るような、一緒に成長し合える輪の中にちゃんといるんだ、と自信を持って言えるよな、と思えたのです。
ありがたいことです。
ほんとうにありがたいことです。
あ。
絵は注文してないけど、このブログをちょいちょい読んでるよ、画像を見てるよ、という人も、同じ輪の中にいると私は思っています。
好きでずーーーーーっと……20年ほどになりますね、ネットに日記というか、こういう文章をアップしてますけど、
好きでやってることではあるんですけど、私の書いたものでも時々何かハッとしてくださる方がいらっしゃるので、それも輪の中にいることの証拠だよな、と思うのです。
なので、これらかもおつきあいのほど、よろしくお願いします♪

宇宙規模のミカエル

今回はミカエル指定のご注文でした。
大天使ミカエル
額は金色の方を選びました。

正直、疲れました……。
描いてる時間はいつもと同じくらいなのですが、どっと疲れました。
それだけエネルギーがぐるぐる回っていたんだと思います。
背景を描いている途中から、とても広いと言いますか、宇宙的と言いますか、ミカエルの重力で空間も歪む~…みたいな、そんな感じがびしびししてきまして、
できあがってみたら、とても「強いミカエル」になりました。
「強い」って……あの……「有無を言わさない」という感じの強さです。
「私の手を取りなさい。今すぐ。」
と四方八方に響きわたるような声で言っているような感じ……ですかね。
お客様にはもちろん、「ミカエルの手を取って、その宇宙規模のエネルギーを受け取ってみてください。」と、メッセージに書きましたが、
そこの貴方も、もし良かったら、この絵の画像を見ながらそんなイメージをしてみてください。
そしてそのまま、自分の中から湧いてくるイメージをがっつり味わってみてください。
(差し支えなければ、当記事のコメント欄に「こんなイメージが出ましたよ。」と書いてくださると嬉しいです。)

「会陰メソッド」なるものを教えていただきました。


こんなふうに仲良くおねんねしてる時はいいんですけどね。
今も私の横で、ブ子兄さんに飛び掛かってるクロ(仮)が指導されまくってます。
どたばたうるせーぞー。
さて。
9月の末でした。
当ブログを読んでくださってる方から、会陰メソッドなるものを教えていただきました。
これです。
http://www.asahi-net.or.jp/~hu4c-oosw/einmesodo-top.html
興味のある方には実際に読んでいただくとしまして、
ざっくりご紹介します。
象師匠という方が、神の御告げで書いてらっしゃるとかとか。
どこまで本当かは分かりません。
そして、くだらんことが半分以上書かれてるので、読むのに時間がかかります。
というか、重複が多いのなんのって。
でもですね、重複が多くないとダメなんだろうなー、とも思いました。
大事なことは何度も言わないと分かってもらえないのでね。
それで、説明を簡単にまとめますと、こんな感じです。
人間というのは、日々刻々「気」を作りつつ、「気」を放出しているものなんだそうですが、
生まれつき放出する方の穴がゆるいとか、病気によってどこぞに穴が空いたとかで、「気」がだだ漏れになっている人もいるんだそうです。
だだ漏れになると、虚弱体質になる、ということなんだそうです。
なので、虚弱体質な人はこの「会陰メソッド」をやってみるといいけど、元気な人はやらなくていいそうです。
もともと元気な人がやって「気圧」が上がりすぎちゃうと、頭痛や吐き気など「偏差」が出ちゃうからだそうです。
それで、ですね。
説明の最初の方に、「肛門を絞める」ということについても説明してあるんです。
肛門を絞める、というのは会陰メソッドではないのですが、物理的に肛門を絞めるというのも、一時的に「気の穴」を絞めることにもなるので、それだけでも調子が良くなる人もいるでしょう、と書いてあるんです。
やー、その通りだと思うんですよー。
実は私は8月末から肛門を絞める運動をしてるんです。これがまた。
きゅっきゅっと絞めたり緩めたりを1分、きゅーっと絞めっぱなしを1分、たったそれだけです。
娘産後に再発(←20代半ばに一度手術したことがある)した内痔核の塩梅が時々よろしくない状態になるんですが、この肛門絞め運動をし始めたら、かなりいい感じなのです。
そして、そのせいなのかなー?と思ってはいたのですが、体調がイマイチでもなんとか寝込まずに家事がそこそこできることが増えたんです。
そんな実感があったので、会陰メソッドもやってみようかなー、と思って読み続けた……はいいんですが、
読みにくいのでなかなか進まなかったんですが、やっと更新されてる部分は全部読めました~。
そして、昨日なんですが、会陰メソッドの第一段階の「意識で尾てい骨を絞める」(←そういうイメージをする)をやってみたんです。
すると途端に、手先が……というか、手先の感覚が……というか、手先の中身が……というか、が、ぱーーっと反応したのです。
エネルギーの体感は弱いのですが、全く分からないというわけでもないので、ああこれだなー、と思いました。
さらに、夜はずーっと身体がほかほかしてるし、起床時もほかほかしてたんです。
更年期障害のホットフラッシュちっくなやつじゃね?とも思ったんですが、なーんか違うんです。
しんどくはないんです。
どっちかというと、身体が動くんです。
なので、だだ漏れの穴をきゅっと絞めた効果……だと、思いました。多分ね。
病気なら病院に行かないといけないし、下手に頑張ってやりすぎても(エネルギー管が狭かったり狭窄があると特に)「偏差」が出るから様子見ながら、「やらないよりマシ」というくらいの気持ちでやってね、と、しつこく何度も書いてあるので、私も様子を見ながらちょっと続けてみようかと思ってます。
てなわけで。
生まれつき身体が丈夫じゃない人や、何らかの病気をしてから身体が弱くなっちゃった人(←あたしコレ)は、会陰メソッドの記事を読んでみるといいかもしれません。
紹介してくれたHAMIさん、ありがとうございました♪

子猫大騒動!

この記事で書いた子猫のことです。
娘が学校の友達などに「子猫、飼わない?」と声をかけても、いい返事が1つも無かった、と言うので、
このままチビ黒猫は外猫かなぁー…と思っていたんですが。
そもそも、近所のお家で餌をもらってる野良猫軍団の子では無かったようで、遭遇した翌日から夜になってもそっちの方に戻って行かなかったのです。子猫が。
我が家の裏にずーっと居て、私が勝手口から出入りする度に足にまとわりつきまくりの猛アピール、
裏庭に面した窓の網戸をよじ登って家の中に入れてにゃーーー、と猛アピール、
お散歩中のおブ子さんに猛アタック……と、子猫大騒動で、
とりあえず、夜は冷えるようになってきたので、心配になったおとーちゃんがダンボール箱で寝床を作ってやったら、夜はそこでおとなしく寝るようになりました。
なので、餌をやりつつも、誰か引き取ってくんないかなー?と思っていたのですが、貰い手が見つからないまま時間が過ぎ……
事件は発生しました。
我が家の庭に時々顔を出す通称「ホワイトソックス」という流しの雄野良猫がいます。
こいつはキツい性格のようで、ブ子もたまにいじめられたりします。
そいつが、子猫を脅して、子猫が食べかけてた餌を横取りして食べていました。
餌をやって、ちょっと用事を済ませて、また勝手口をチラっと見てみたら、そんな事案が発生しておりました。
たみえかーさんは即座にホワイトソックスを追い払い、子猫を探しました。
すると、耳に少しだけケガをして、尻尾をぼんぼんにした子猫が裏庭の木の影に居ました。
こりゃだめだー、最近見かけなかったけど、またホワイトソックスが来るようになっちゃったみたいだから、
このまま外に置いておいたら、この子が怖い思いしてまうわー……。
と、思ったので、
先週の土曜日の夜に、ちょうどおブ子さんの年1のワクチンの時期でもあったので、2匹連れて動物病院に行きました。
子猫は健康診断とワクチン注射とお腹の虫にも効く薬を首に塗ってもらいました。
おっとりしてて臆病なおブ子さんと正反対の性格の子猫だけど、一緒に生活できますかね?と先生に訊いたら、
「大丈夫ですよー♪自分たちでちょうどいい距離を見つけてすぐに仲良くなりますからー♪」
と、あっさり言われたので、もうこりゃ飼うしかないなー、と思いました………。
娘は大喜びでした。
が。
その翌日。
旦那の実家に行って、猫好きお義母さんに子猫大騒動の話をしたら、
「飼いたい♪」と言い出すではありませんか!
前に飼ってた猫が死んでから、自分たちももうそこそこの年なので、もう飼うのはやめる、とお義母さんは言っていたのですが、やはり猫好きは猫がいない生活はちょっと寂しいんですねぇ。
というわけで、すぐに子猫を見せたら、お義母は人懐っこい子猫にメロメロ。
「じゃあ、もらってー。」と私が言うと、
娘が大声で「ダメっ!」と言い出しました。
すっかりウチで飼うことになった、と喜んでいた娘は、いきなりの展開に大声で抵抗し始めました。
孫がかわいいお義母さんは、結局連れて帰らなかったのですが、私としては実家で飼って欲しいなー、と思っておりました。
娘にいろいろ話したのですが、彼女は彼女なりに真剣に考えて、それでも子猫は手放したくないと言いました。
それで、今日に至るわけですが……。
ほんっとに大変ですわー。
超食い意地張ってて餌やりも大騒ぎだし、
ブ子兄さんに飛び掛かってばかりで、兄さんも指導しまくりで疲れてるし(←それでもしつこく飛び掛かるから、ブ子が一回すげぇキレた)、
叱っても叱っても、同じこと繰り返すし(←ブ子はすぐにやめる)、
猫好きな私が、この子あまりかわいくなーーーい!とおとーちゃんに愚痴るくらいでした。
人懐っこいので、お客さんにはウケるけど。(←ブ子はお客さんが来ると逃げる)
しかし、家の中で暮らすようになって1週間。
相変わらず暴れん坊ですが、それでもかなり落ち着きました。
温かい寝床があって、餌もしっかりもらえて、3日目からブ子兄さんに身体をなめなめしてもらえて(←でもすぐに子猫がジャレつくので指導となる)、家の人たちにも甘えることができて、安心できたのでしょう。

こんな感じになっとります。
……とは言っても、すぐに子猫が飛び掛かって、指導されるんですけどね。
とりあえず、名前は「クロ」か「黒豆」か「チビクロ」か、そんなところです。
1カ月したら去勢の予約をすることになってるので、それまでに名前を決めないとですわー。

今の「この自分」に生まれてきた理由は、ちゃんとあると思う。

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ドライフルーツをちびちび食べてお茶飲みながら書いてます♪
先日書いたブログ記事にも関連することなんですが、ちょっと書いてみます。
お客様…というか、もともと仲良しの女性ですので、ちょっとばかり踏み込んだ言い方でやりとりをしたのですが、
そのやりとりを通じて、ああこれは説明不足なのかなー、と思ったことがあったので、書いておこうかと思いました。
私自身もそうだったんですが、
多かれ少なかれ、誰でも「親との関係性」が、今の自分自身を作り上げた大きな要因の1つになっていると思います。
それは良い面もたくさんあるはずなのですが、「自分の生き辛さの原因」を親との関係性に見いだす場合も多いと思います。
それはそうなんですよね。
そこはとてもとても影響が大きいですよね。
なので、なんとかしようとすると、親子関係の問題、さらに言えば親自身の問題を見ることになるわけで、
私も例に漏れずそんな感じでした。
しんどかったこといっぱいありましたが、それは自分自身を知るためにも必要な過程でした。
でもね。
そういう「今世でのあれこれの中から問題の原因を見つける」だけでは解消できないこともたくさんあるんですね。
今世で「問題」として顕れていることは、魂レベルで何らかの解消すべきモノがあるからこそで、
そんなモノの存在を示すために、「問題」が発生するような今の自分として生まれてきた

としか、思えないんです。
そこそこの時間をかけて自分を向き合ってきた結論として、そうとしか考えられんのです。
さまざまな経験を積み重ねているからこその偏り(深い部分での思い込みや、不要となった誓いや契約など)を魂の中に見つけて、それらすらも受け入れて昇華していく、ということを、今生での問題解消とリンクさせつつ、真剣に丁寧に進めていくことが、まさに「この自分に生まれてきた意味」なんじゃないかな、と思うのです。
あ、少なくとも縁あってこの記事を読んでる人は、そうなんやないかなー、と思います。
じゃあ、過去世を思い出さないと問題は解決しないのか、というと、YESともNOとも言えません。
過去世を思い出したとしても、こんな人間でしたーこんなことしてましたーこんな気持ちでしたー……と、思い出すだけなら、ただ面白いマンガを読んでるだけなのと大差ない気がします。
過去世に囚われてしまうくらいなら、逆に思い出さない方がいいかもしれません。
過去世を思い出すことが目的じゃないですもんね。
そして他にも方法はいくらでもあるんですから。
魂の偏りを見つけて受け入れて昇華する、というのは、
永い永い時間をかけて積み重ねた経験を整理整頓して、成長を遂げた魂がさらに自由になる、ということと考えてもいいかもしれません。
まさに魂の棚卸。
まさに魂のデフラグ。
……って、抽象的なことばっか言ってるけど、具体的にどうしたらいいの?と訊かれたら、困るなぁ~。
それは自分で求めて自分で見つけないと意味が無いことですもんね。
その人その人にカスタマイズされた方法をハイヤーさんが用意してると思いますもん。
「覚悟ができたら、真剣に求めてください。」としか言えません。私ごときでは。
あ。
でもねでもね。
月子さんに言われたんですよ~。
私、というか、私の絵というか、そのセットというか、は、「誰かの背中を押す係」だね、って。
私に背中を押されたら、逃げずに一歩踏み出してみてくださいね♪

創造の喜びをかき消してしまう「自分の中の何か」

私の専用機は復活までにまだまだ時間がかかりそうなので、またしてもスマホの写真にて失礼します。

大天使チャミュエルの絵です。
オラクルカードはCareer Transition 、「仕事の転機」でした。

今回のお客様は、数年前から仲良くしてくれてる方で、
「どうもブレーキがかかったような感じがするので、喝を入れて欲しい」という気持ちで注文してくれたそうです。
もちろんそこまでの気持ちを聞いていたわけではなかったのですが、しっかり喝を入れるカードが出ました。
そして、描いててもチャミュエル……の別名とも言われるカマエルが彼女についてだけでなく、私についても様々なことを言ってきました。
(もちろん、言葉そのままではないので、脳内変換しつつの会話となってました。)

私は太陽が10室にあるせいか、自己実現と仕事というものが結びついているのですが、万人がそうではないと頭では分かっています。
それでもやはり、好きなことを続けていれば、それが仕事を呼び寄せることも多いと思っています。
ただその場合、キモになるのは、「喜びと共に続けている」ということだと思うのです。
好きなことを続けているからこそ、たとえば「自分はちっとも上手くない」「やりたいのに時間が足りない」などの葛藤も生まれるものですが、それでも葛藤よりも喜びが勝っていれば歩みは止まることは無いのですが、
もともと「自分に自信が無い」「完璧じゃないと許せない」などの課題を抱えていると、それらが喜びをかき消してしまい、どうしてもアウトプットが中途半端な状態に陥ってしまうことが多いように感じます。

ですから、そこを解消することが大切になってくるわけですね。
創造の喜びをかき消してしまう「自分の中の何か」を見つけ出して解消することが。

……とは言ってもですね。
それがなかなか大変なことで、私もそれが解消されていなかったからこそ、10年ほど全く絵を描かなくなってしまっていました。
描くことの喜びを完全に見失っていました。
しかし、ご先祖様の供養や五井先生のお祈りをちびちびと10年続けて、日々お母さんとして子育てを頑張っていたら、ひょんなことから天使の絵を描くことになり、
同時に自分にとってピッタリの画材(アクリル絵の具)にも出会い、あれよあれよと言う間に民絵屋をオープンすることになりました。
その後ものりちゃんとの会話、じぇいど♪さんとの会話、月子さんとの会話を通して、自分の中の課題を見つけ出し解消する、ということを続け、都度都度にはヒーラーさんの手助けも求めました。
自分の絵が「進化している」と感じるのは、技巧的なことではなくて(←そんなの微々たるもの)、
「ブロック」や「詰まり」や「カルマ」や「不要となった契約」や「認知の歪みをもたらすビリーフ」などと呼ばれるものを、少しずつ少しずつ解消していって、自分の中の通りが改善していっていることによる創造性の表出が純度を上げている、という点で、なのです。

あー、
なんかすげぇーこと言ってますね。あたし。
でも、カマエルとの会話で納得したことなので、妙に謙虚ぶらずに書きました。

創造性というのは、何かを書いたり描いたり塗ったり作ったり…ということだけじゃなく、日々の生活の中でも発揮されていくものだと思います。
というか、おそらく、この地球上で人間として生きる、ということそのものが創造性の発露なのだろうと感じています。
だとしたら、やはり喜びをかき消す「自分の中の何か」を見つけて解消していくことは、地道な作業だとしても、大切なことなのではないかな、と思います。
そして、その方法はその人その人に合ったものがあるはずです。
いちおー天使を描いてる身としましては、
「カマエル(チャミュエル)に、自分に合った最適な方法を教えて、と真剣にお願いしてみたらいかがでしょう?」
と、言ってみます。

また、なんだかんだと続けていられる人は、なんらかのプライドが存在しているからじゃないかな、と思います。
そのプライドの在り処は人それぞれで、場合によっては別のところでそのプライドがその人の生き辛さを生み出していることもあると思いますが、とにかくどこかで「自分の何か」を信じていないと続けられないと思います。

私もあります。ありますとも~。
それを大事にして、そいつが悪さすることなく、いい感じに使いこなせるようにならないといけませんね。
精進しますーーーーーー。うおおおーーー。

第一印象は何て言われることが多いですか?

詳しいことは専門家の月子さんに説明してもらわないとですけど、ざっくり言いますとね、
自分が生まれた瞬間に東の空に登ってるサイン(厳密にはお空の星座ではないけどね。占星術のそれとズレてるから)を上昇宮って言うんです。
で、
よく「私は○○座だ~。」というのは、生まれた時の太陽がどのサインに入ってたか、なんですが、
太陽ってのは、自分自身の中の、割と「こうあろうとする志向」って感じがするんですよね。あたしの感覚だと。
で、それよりももっと無意識に近いところ、内面の自分は、月が示してるような感覚があります。
なので、
太陽山羊座の私は、努力家だとか土星先生だとかっていう面が確かにありますけど、
それは、そういう自分が望ましい、と思ってるからそっちに向かう…といいますか、
まさに自然と太陽の方向に向かって成長してる、って感じがするんですね。
でも、月は水瓶座なので、どこかエキセントリックだったり突拍子もないことを考えてたりして、内面はあまり落ち着きがないんです。
なので、
https://twitter.com/kaidokunami/status/648760592208031744
にあるように、

#山羊座 女性
静かで自制心のある人に見られたい


というのは、そうなんですけど、静かにしてらんないんですよ。
内面はくるくるとしてて落ち着きが無いので。
いい言葉でいえば、知的好奇心が旺盛、と言えるんでしょうけど、言い換えればほんとに頭の中は落ち着きが無いわけです。
そこで確かに、重厚さを好む山羊座な自分と宇宙人的な水瓶座な自分とのギャップを感じてしまうんですけど、
さらに、ですよ。
私の上昇宮が牡牛座なんですわ~。これがまた。
他人の目から見た印象というのが、この上昇宮に表れるそうで、
牡牛座というのは、ゆったりした感じらしいんですね。
特に学生時代は、「第一印象はおとなしそうで、頭良さそうに見えた。」とよく言われました。
が、続きがあって、「でも、話してみたら、全然違った。」ともよく言われました。
先輩に「騙された!」とまで言われたことがあります。
水瓶座が出ちゃうんですねぇ。
あ、いや、水瓶座な自分も好きですし、いろんな自分がいてOKなんですが、チグハグ感がずーっとある、ということなんです。
でね。
私は、写真に撮られるのも好かんのですが、ビデオなんてほんとに好かんくて、子供たちばかり撮ってるんですけど、
運動会の親子競技とか、どうしても撮られちゃうこともあるわけですよ。
そういうのをイヤイヤ見てるとですね、これまたちょっと違和感があるんです。
自分で思ってるより、自分の雰囲気というか、動きが、ゆったりして見えるんです。
自分はもっとスッスッと動いてるように思っているのに、なーんか雰囲気や所作が自分の思ってる自分と違うんです。
水瓶座な自分じゃないんです。
牡牛座の影響が出てるように感じてしまうんです。
もちろん「当社比」なんですけどね。
他人から見た「雰囲気」って、人間関係においてそこそこ大切だと思うんですよ。
なので、もともと自分が持ってる雰囲気や人に与える印象、空気感の傾向をある程度把握しておくってのは良いことなんじゃないかなー?と思うんです。
たとえそれが内面とは違っていても、自分の持ってる雰囲気というものを肯定していれば、その持って生まれた「人に与えるパッと見の印象」というのが、自分にとって良い方向に働いてくれるんじゃないかなー?なんて感じてるんです。
(印象と内面が違ってたとしても、それはそれでギッャプ萌えを生み出すかもだし!)
なので、
出生時間が分かる方は無料ホロスコープ作成のサイトで上昇宮(ASC)を確認してみるのも面白いと思いますし、
友達とお互いの「雰囲気、印象、空気感」について話してみると興味深いと思いますよ~♪
さて。
お知らせが遅れましたが、
月子さんが、mixiぺージだけでなく、ブログも開設しました。
http://tsukinohitorigoto922.blog.fc2.com/
占星術に関するお話、そこから見えてくるさまざまなお話を、これから期待しております♪
月のヒトリゴト

自分に暗示をかけて、自分を好きになるというやり方もアリ。


またしても、子猫が入り浸るようになりました。我が家。
ご近所で、野良猫たちにエサをあげてるお家がありまして、そこからやってきたんだと推測しておるのですが、
えらいこと懐かれまして……というか、「ここんちの子にしてー♡」攻撃がハンパなくてですね、
私が裏庭で洗濯物を干してる間中なんてずーーーっと足元すりすりで踏みそうになるくらいです。
窓んところでニャーニャーとアピールしまくりですし。
まーー、こんなに人懐っこい野良子猫って初めてだ~、ってくらいでございます。

これくらいの大きさ。
でもねぇ。
飼ってやれんのです。
おブ子さんが、ちょーーー臆病で、最初こそ「ふんふん。」と子猫のニオイを嗅いでおしまい、だったのですが、
子猫が無邪気に接近すると怖がって尻尾をぼんぼんにしちゃうし、とうとう威嚇して猫パンチしましたし。
ほんとに性格が正反対っぽいので、飼ってやれんなー、と思っておるのです。
娘が学校の友達に「誰が猫飼わない?」って言いまくってくる、とゆーてましたが、はてさて、どうなることやら。
(てか、そもそもオカン猫はどうしとるん?あそこの家に入り浸ってる猫軍団の一員じゃないのか?)
あ。
ちなみに、オスです。
この子。
さて。
昨日の日記を書いてから、これを紹介しようと思いまして、こうして更新しております。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12076949553.html
氣乃 介さんのブログ記事です。
ここに紹介されている
「とは言っても、お前(あなた)が一番大好きだ。」
と自分に対して、声に出して3回言う、というものですが、
これねーーー、ずっと前から知ってたんですけどね、こっ恥ずかしくてできなかったんですよ~。
P様も似たようなことを推奨されてた記憶があるんですが、もーこっ恥ずかしくってぇぇぇぇーーー。
しかしですね。
これは無料ですからね。
3万も5万もするセションを1回受けるというのは、新幹線で目的地に向かうようなものだと思うんです。
無料で地道にコツコツ続けるのは、徒歩で目的地に向かうようなもので、時間はかかりますよね。
でも、効果はあるんですよねー。ちゃんと。
ちょっと前に、瞑想音楽をYouTubeで漁ってたら、斉藤一人さんの講演会の音声が1つ出てきたんです。
で、なんとなく聞いてみたら、これが面白かったんですよ~。
一人さんの本は3冊くらい読んだんですが、本より100倍良いです。お話を聞いてる方が。
(ご本人も、本は削ぎ落としてしまうから面白くないんだよね、と言ってました。)
それで、いくつか聞いたんですが、彼も無料でできることを話してるんですね。
面白いので、YouTubeで検索してみて、ピンときたものを聞いてみるのをオススメしますよ~。
ちなみに、私が最初に聞いたのはコレです。

まずは、無料だけど、自分でコツコツ続けるってのは大事なことかもしれんですね。
それこそ「自分を変えたい」と願うなら、コレと思ったものを1年くらいは毎日コツコツやらないと、次のステップになかなか進めないかもしれないんじゃないかなー、なんて、土星先生は思います。
もちろん、いきなり新幹線でもOKなんですけどね。
風の要素が大きい人などは、コツコツよりぴゅーっとひとっ飛び、の方が性に合うかもですし。
や、まぁ、とにかくですね。
「自分を好きになる」というのはとても大事なことみたいです。
氣乃さんのこの一連の昔話を読んで、うはー、って思いましたもん。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12077743634.html
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12078063125.html
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12078782710.html
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12079189991.html
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12079573547.html
というわけで、昨日の記事の補足として書いてみました~。

貴方の中のかわいい双葉

水星逆行中だからなんでしょうか。
ほぼほぼ私専用機だったPCのマザーボードがイカれまして、修理に出しております。
ですから、スマホおよび昔のノートPCで作業をしておるのですが、まーこれがサクサク行きません。
そして、普段使ってる画像ソフトも使えないので、今回はスマホの写真にて失礼します。
大天使ザドキエルです。
オラクルカードはTeaching and Learning でした。

描いている途中から、種から芽を出した双葉のイメージが湧きっぱなしになったので、
これはもう描くしかないやろう~と、最後に描きました。
誰でもいろんな種を持っていると思います。
そして、それは芽を出してるのかもしれないのに、ちゃんと育てていない場合も多いような気がします。
勿体ないですよね。それって。
ちゃんと学んで、ちゃんと教えることができるくらいになれば、あっと言う間に人生が変わるかもしれませんよね。
あ。
そうそう。
人生が変わると言えば。
またしても月子さんとだらりだらりとメールのやりとりをしていたらですね、「人生が変わる」という話になりましてね。
振り返ってみますと、私も彼女も「人生変わったよねー。」としみじみするわけですけど、
でも、人生を変えよう、自分を変えよう、という意識を強く持っていたわけじゃないんです。2人とも。
ただ、目の前の問題・課題をなんとか解消しようと試行錯誤していたら、気づいたら変わってた、という感じなのです。
知り合いに、もう何年も前から「変わりたい。」と言ってる人がいるんですが、私から見るとあまり変わってないんです。
今の自分はダメだから変わりたい、という意識が強いんだと思うんですが、じゃあ具体的にどう変わりたいの?どうしたら変われると考えてるの?というところがとてもあやふやに見えるのです。私からすると。
やっぱりねー、
今の自分が好きじゃないから変わりたい、では、うまいこと変われないんじゃないかなー、と思うんです。
今の自分をとりあえずヨシとして、
今の自分の目の前の課題を、
理想の自分ではなくて、
今の自分でもって、
いかに解決・解消していくか、
を続けていくと、そのうち自分が好きになって、気づいたら自分が変わってた、人生が変わってた、って感じなんじゃないかなー、と思うのです。
なんとなくぼんやりした理想を追うんじゃなくて、せっかく出た芽を育てる方が、思ってもいなかった自分になれる気がします。
ですので、
変わりたいという意識が強いけれど、ずーっと思うように変われないと感じる人は、
ザドキエルにサポートをお願いしつつ、自分の中のかわいい双葉を育てよう、という意識にシフトしてみたらいかがでしょう。
きっと、綺麗な花が咲きますよ♪