爆発して、新しく開いたゲート

それは、11月11日のことでした。
私がこんなツイートをしたのでした。
https://twitter.com/TAMIEYAtamie/status/664327566434504704
スピな方々が、本日11月11日は「ゲートが開く日」とかおっしゃってますが、
ゲートってしょっちゅう開いてんのねー、としか思えなくなってる自分に気づきました…。

すると、
ええじゃないかええじゃないか。ゲートなんてホントはいつでも開けっ放し。出入り自由。好きな時に好きなとこから入ればよろしゅおます。
ゲートはあけっぱー♪
暖簾くらいはかかってるかもだけど~。

新しい門の開通のお知らせかもしれんすよ?数が増えたとかそういうの^^
ゲートはいっぱいあるのがええですね♪

というかるーい会話となりました。
ああそうよねー、と思いました。
私は何故かここ数年「冬至の扉の絵」を書いてますが(去年は描けなくて、春分に描いてたけど~。)、
個人のゲートの絵ってのも描かせてもらうと面白いかも、と、この会話の後にふと思いました。
そのうち、誰か仲良しさん数人にお願いして「その人のゲートの絵」をお試しに描かせてもらおうかなー……なんてことも考えたりしました。(←考えるだけですぐに行動には移さなかったところが私らしい。)
と。
そんなことがあり、そして2日前のことです。
お仕事の絵を描こうかと思い準備をしたのですが、
どうにも今日はそういう感じじゃないなー…と思いまして、紙をじっと見つめていたら、
どうにもこうにもゲートの絵を描かないと!という感覚になってきました。
それも、何故かさつきのひかりさんのゲートの絵を、です。
いやいや。
彼女にそーゆーのって必要ないでしょ~。
あれだけのヒーラーさんだし~。
…と、思ったんですけど、
でも何故かどうしても描かないといけないという『時々ある感覚』になってしまっているので、何かハイヤー同士でのごにょごにょがあるのかなー……と思いなおして描き始めました。
下地はですね、
綺麗な黄色と少し重い黄色のグラデーションでした。
そこに、紙の中心よりやや上あたりで黄色や赤や紫などを纏った白い光がぐるぐるしている絵になっていきました。
細かく細かく光を重ねていきました。
へー。
こういうゲートなのかー。
規則正しくぐるぐるしてるなー。
と、思っていたらですね……。
突然、ぐるぐるの斜め右あたりで、白い光をバンっと描かないと!となりまして、
そこからもう、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!となりました。
まるで規則正しくぐるぐる回っているゲートの一点で、爆発が起こったかのようでした。
その「爆発」は、超新星爆発みたいに「何かが溜まりに溜まって、重力崩壊するかのような爆発」でした。
ほんとうにそこからは(それまでの細かさとは正反対で)勢いだけで描いたのですが、まだ秩序だっていないカオスな状態が続いてるような感覚になりました。
けれども、そこには確実に次の場所へと通じるゲートが開いているように感じました。
それが、この絵です。
さつきのさんのゲート
タイトルはExplosionです。
新しいゲートを通り抜けるには、勇気と覚悟が必要になると思います。
その覚悟はあるよね?と、彼女のハイヤーさんが分かりやすく問うために、この絵を描かせてもらったんじゃないかなー?と、出来上がった絵を眺めながら思いました。
というわけで、
出来上がってから、さつきのさんに「勝手にゲートの絵を描いちゃったんですけど、もらってもらえますー?」と問い合わせをしたところ、喜んでもらってくださるというので、早速送らせてもらいました。
そして、昨日の夜に、「届きました♪」というお知らせをいただき、
無事に届いて良かったわ~、と思っておったのです。
そしたらですね……。
なんでなんでしょうね。
もうずっとまともにチェックしていなくて、じぇいど♪さんから「読んだー?」と言われた時くらいしか読んでいなかったのですが、
何故かたんたんさんのブログをチェックしたくなったのです。
それも寝る直前にです。
もう半分ぼけーっとしてた頭でしたが、クリックして最新記事をさーっと流し読みしていて、ドキっとしました。

前々回、シンボルをゲート、扉として設定すると
意識の方向性が定まり、エネルギーとしての意識が
リアリティ、現実を創造しはじめる…ということについて書きました。


と書いてあったからです。
え?なになに?どういうこと?????
と、すぐにその「前々回の記事」をアクセスしてみました。

…で、「ゼミ」がわたしとの対話で伝えてきたことで印象的だったのは、
現実を観るとき、現実を体験するときに
どうすれば、もっとも自分が意図する意識、意思が現実に反映するか、
あるいは、どうすれば自分がイメージするリアリティが具現化しやすいか…
ということについての情報でした。
「ゼミ」が言うには、「いかに望む現実につながりやすいゲート、扉を設定するか」だと言ってきました。


これ、なんなんでしょうね?
やっぱり、アレですか?
タミエルさんたちハイヤーさんたちからのメッセージ代わりみたいなもんなんでしょうか?
寝る直前だったのに、びっくりして目が醒めちゃいました。
(でも、すぐに寝たけどねー。)
や、でも確かにですね、
「天使」はちょっと合わないという人もいると思うんです。
系統が違うとかイロイロあって。
「天使の絵」も「扉」なんですけど、もっと宇宙的な…といいますか、もっとシンボリックな…といいますか、
逆にもっと直接的な…といいますか、そんな「ゲート」という絵の方が合うという人もいるだろうな、と思ったのです。
ま、私の場合は、「シンボル」とゆーても「図形」じゃなくて、「色」ですけどね。
私が描くのは「色の絵」なので。
最近、分岐点に立ってるっぽいなー、と感じる人がちらほら周りにいるのですが、
そういう意味でも「ゲート」というのは実は意味深いのかもな、と思ったりもしました。
KAT-TUNの田口くんもあんな電撃発表しちゃうし……(←田口ショックがまだ癒えていません…。)
もう2~3枚描いて、仲良しさんに送りつけて無理やり感想を聞いてみてから、民絵屋のメニューに追加してみようかなぁ~、なんて考えたりしてます。
(といいつつ、どうなるか分からんですがー。)

それを諦めてみた。

娘が先週の水曜日の夜にいきなり嘔吐下痢をしまして、ノロか?!と臨戦態勢になりましたが、すぐに治りまして、ホッとしました。
おかげで娘も3連休は楽しく過ごせたようで、良かったです。
暑い時期より寒い時期の方が好きなんですが、寒い時期は感染症に気をつけないといけないのがちょっとねー……ってのがありますね。どうしても。
さて。
前記事からまるっと1週間経ちましたが、さきほどたまたまこんな記事を見つけて、「おお。」と思ったので、貼っておきます。
「あきらめるという方法」(自分を変える方法)」
http://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/201511220000/
前記事で、私も「ちゃんと諦める」ということを書きましたが、
たまたまこういう記事を見つけるというのは、今の私にはここらへんが課題としてあるのかなー、と思いました。
実は、あの記事を書いた後に、ひとつのことを諦めたのです。
「元気で丈夫な自分になること」を諦めたのです。
いえね、もちろんね、しんどいのは辛いので、そういう意味では元気で丈夫になりたいという気持ちは捨ててないんですが、
『元気で丈夫な自分にならないと、ちゃんと仕事がバリバリできない』という思い込みがあることにハタと気がついたので、それは諦めたのです。
『元気で丈夫な人が残業バリバリやる』ということが『ちゃんとしっかり働くことだ』という思い込みが、会社員時代のうちに自分の中に形成されてしまっていたのです。
もちろん、元気で丈夫でたくさんの時間をバリバリ働く……ということを否定しているわけじゃないのですが、
私においては、そうじゃなくても、今のままでも働ける程度を肯定しようと思ったのです。
長時間バリバリに働かないとちゃんと働いたとは言えない・長時間バリバリに働けないのに経済的に豊かになっちゃいけない、という思い込みを手放すために、「元気で丈夫な自分になること」を一端諦めたのです。
(仕事という観点では)身体があまり丈夫じゃなくて不安定な自分だっていいじゃないか、と。
今の状態の自分を肯定する、ということを、この切り口ではできていなかったわけです。
自分で記事を書いて、それに気づいたのでした。
(たみえかーさんのホロスコープはですね、自己実現と仕事というのが強くリンクしてるんでね、こういうテーマがどうしても出てきてしまうんだと思います。)
しかし、
さきほど、上記の記事を見つけて読んでみたら、まだまだ「諦める」ということが必要そうなものがちょいちょいあるなー…と感じたのでした。
赤ちゃんを授かろうとずっと頑張ってきた御夫婦が諦めた途端、自然に妊娠した……という話を聞いたことがありますが、
「諦める」ことで余計な力が抜けて、魂の働きが自然と顕現しやすくなる……という場合もあると思うのです。
当然ですが、「諦めないで努力する」ことの大切さもよーーーく分かってます。
なんてったって土星先生ですから。
しかし、今の私は、どちらかというと『余計な力を抜いて魂の働きに任せる』ということを学ばなければならないのかもしれないなー、と、なんとなくですが、この流れから感じたりしています。
子供の時に自分の能力を客観的に知って「夢」を諦めた……というのとは違う「諦める」ということを、です。
こだわることが必要な時と、
こだわりを捨てることが必要な時と、
そういうのをくるくると繰り返しながら私たちは成長していってるのかもしれませんね。

ブ子兄さんにいつも怒られてる黒丸ですが、
たまにはこうやって一緒に寝てることもあります。

貴方は「諦め上手」ですか?「諦め下手」ですか?

昨日の夜のことですが。
NHKで認知症についての番組が放送されてまして、それを私が観ていたら、
お風呂から上がって、パジャマを着た娘が私の隣にちょこんと座って、一緒にその番組を観始めました。
もう寝る時間だけど、翌日(今日)は学校が代休だから少しはいいかー、と思って、そのまま2人で観ていました。
ついつい認知症の人に対して、家族が強い口調で叱ったりすることが多くなりますが、
それは認知症の人にとってはとても辛いことで、しかしそれを言葉で上手く伝えられないので、徘徊や暴力など問題行動となることも少なくない、という説明がされていました。
そこで、
「(死んだ)大おばあちゃんも、じじとばばに叱られると怒ってたよねぇ。」
と、娘に言うと、
「うん……。私ね、あの頃ね、じじとばばんちに遊びに行くよ、と言われると、ドキっとしてたんだよ…。」
と、娘が言いました。
娘はまだ保育園児の頃でした。
ダウン症の息子の方は、あの頃は祖父母の家に行くと、「もう帰ろう。」とすぐに言うことが多かったので、祖父母が曾祖母に強い口調で叱っているのも、曾祖母が怒っているのも、すごくイヤなんだろうな、というのは分かりましたが、娘は何も言いませんでした。
それでも、おそらくイヤなんじゃないかなぁ…と私もお父ちゃんも思ってはいましたが、やはりそうだったんだなぁ……と、申し訳なく感じました。
大おばあちゃんは、とても元気でとても社交的な人でした。
それが、心筋梗塞で倒れて、手術をしてから認知症になり、徐々に徐々に症状は重くなっていきました。
トータルで10年弱だったと思います。
大おばあちゃんとお義母さんは、嫁姑の間柄なのに仲が良かったので、周囲の人たちも「ほんとの親子かと思った~。」と言われることが多かったそうです。
しかし、大おばあちゃんが認知症になる前から、お義母さんも体調が悪くて寝込むことが多かったために、最期の3年ほどは特に大おばあちゃんのお世話をするのは本当にめちゃめちゃ大変だったと思います。
お義父さんも夜中に大おばあちゃんが起きて歩き回らないように、近くの部屋で寝るようにしていたので、すごく大変だったと思います。
……でも、ね。
やっぱり、子供たちと同じように、あの頃は私もすごくしんどかったのです。
いちいちそんなふうに叱らなくてもいいのに、と行く度に思っていました。
嫁の立場といえども、自分ががっつり手伝いをしているなら、腹を割って話すこともできますが、身体があまり丈夫じゃない上に小さい子の子育て中だったので、お義母さんのお手伝いを何一つすることができなかった私はやんわりと一度だけ言うに止めました。(←なので、たまに会った時にはお義母さんの話を肯定的に返事しながら聞くことに徹していました。それが私のできる親孝行と思ってました。)
お父ちゃんは一度だけ両親に話したことがありますが、親子は親子でこれまた難しいみたいでした。
強い口調で叱ってばかりだから、大おばあちゃんも怒るし問題行動も増えているのだ、ということを、とうとう真には理解してもらえませんでした。
毎日のお世話が大変で、そのストレスでつい強い口調で叱ってしまう……だけではないよな、と思って私は見ていましたが、
昨日のテレビ番組を観ていて、ああなるほど、と思いました。
お義母さんもお義父さんも、『大おばあちゃんの認知症はもう治らない、と諦めることができなかった』のだと思います。
口では「ボケちゃったから仕方がないよね。」と言っていても、元気だった頃のイメージを横に置いておくことができなかったから、ついつい「さっき着替えたばかりでしょ!」「さっき言ったでしょ!」「さっき食べたばっかでしょ!」と叱らずにいられなかったんだろうな、と思いました。
お義父さんはその人生の全てを、お義母さんにしても人生の多くを、ずっと元気でずっと明るかった大おばあちゃんと一緒に暮らしてきたからこそ、大おばあちゃんのイメージを上手に刷新して切り換えることが難しかったのかもしれません。
オカンのお友達は、そこらへんがとても上手だったそうです。
認知症の身内がいろいろ言ってきても、上手く流して上手く返事をしていたそうです。
彼女はもうすっかり諦めることができて、今の目の前の身内と上手く付き合うことを最優先にしたのだろうと思います。
諦めずに夢や志を持ち続けることも簡単なことではありませんが、
腹の底から「ちゃんと諦める」というのも簡単なことではないのかもしれませんね。
もしかしたら、「ちゃんと諦める」「諦め上手」なことが、人生をいい塩梅に創造していくコツなのかもしれないなー、なんて思ったりもしました。

「ボクは諦めませんよ?しつこいですよ?」
……うん。知ってる。
だからとうとう我が家に転がり込むことに成功したもんね。

娘はディスレクシア★番外編★&「鏡」に映るのは…?

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娘のディスレクシアの記事について、ブログやSNSでいろんな方がご紹介くださいました。
ほんとうにありがとうございました。
ディスレクシアだけでなく、身体を動かすのが苦手なディスプラキシアや、計算が苦手なディスカリキュアなどもあります。
努力をしていない、のではなくて、それが生まれつきちょっと苦手なんだ、ということを、親も学校の先生も認めて、その子に合った指導ができたら、不要な劣等感も持たずに済むと思いますので、いろんな方に知って欲しいなぁ、と思います。
ですので、ブログやSNSでご紹介くださるのはとてもありがたいと感謝しています。
俳優の堺雅人さんがディスカリキュアっぽいという記事もありますが、有名人でも学習障害っぽい人はたくさんいらっしゃいますよね。
そして、私も若干そのケはあるかも、と思います。
計算ができなくはないのですが、子供の頃から苦手というか、人より時間がかかっていました。
そして左右がすぐに分からなくなります。
私も「左」「右」と言われると、一瞬分からなくなるので、「あっち」「こっち」と言ってもらう方がうんと楽なんです。
人に言わないだけど、そういう人ってそこそこ居るような気がします。
(そうそう!以前ツイッターで流れてきたんですけど、左右がパッと分からない人は「エロ」で分かるよ、書いてありました。左右だからエロ。左はエ、右はロ。だからエロ!)
また、のび太は運動がとても苦手ですがあやとりの名人なので、たとえディスプラキシアだとしても「全身運動(粗大運動)」の方の協調がスムーズではないけれども、「微細運動」の方は大丈夫なタイプなんだろうな、と思います。
こういうどっちかだけ苦手だと、ディスプラキシアだと思われないことも多いかもしれません。
「体育が苦手なんだねー。」「縄跳び下手だねー。」「よく転ぶねー。」で、済んでしまうことも多い気がします。
そして、「目」も重要で、視力は良いけれども「視覚機能」が少し弱いと、学習障害になることもあるそうです。
視力が良いと気づきにくいですよねぇぇぇ。
でも、うちの娘もちょっと弱いなー、と感じてるんですが、日常生活で「お前、見えてないだろー。」って思うことが昔からちょいちょいあったのです。
物を探すのが下手なんです。
ざっくり言えば視野が狭いんでしょうね。
視空間認知がちょっと弱そうです。
ちなみに私は視力も弱いですが、動体視力が弱いといいますか、瞬間視が弱いので、それで車の運転が苦手なのです。
(自分が車の運転は苦手だと思っているので、安全運転を心がけております。)
生まれつきお腹がめっちゃ丈夫な人もいれば、お腹がとても弱い人もいますし、
それと同じで、脳と身体の連携でちょっと弱い部分があるというのは、実はよくあることなんじゃないかなー、と思います。
お腹が弱いからこそ健康に気をつけていたら、とても長生きした……ということだってありますし、自分の弱点もひっくり返ることだってありますから、余計な劣等感だけは持つことがないように、と特に子供たちには望みます。
★★★
さて。
話は変わりまして。
月子さんがこんな記事を今朝アップしていました。
http://tsukinohitorigoto922.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
へぇぇぇぇ~、と、とても興味深く読んでおりました。
実はアドバイスをした友人というのが私でして、
彼女がこういうのあまりやりたがらないと知っていたのですが、
「私のこの記事みたいなワークをやってみたらー?」と薦めてみたのです。
この記事というのが、コレです。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-545.html
この記事を読んでいただければ分かりますが、私は「インナーチャイルド」とは言っていません。
「インナーセルフ」言っています。

しかし、そこでじぇいど♪さんと、「過去世・上のヒト」の問題を見つけて癒していこうとするだけじゃなくて、
やはり「上」と「下(現実世界の自分)」は等価なので、インナーセルフのワークで「上(過去世)」の自分(の状態や問題)を再発見して癒していくことと同時に、リアルの自分の中にある今生で抱えて隠してしまった傷や感情や想い……を丁寧に見いだしていくことが大切だよね、ということを話し、そのうえでさらなるワークの方法をじぇいど♪さんに教えてもらったので、それに従ってワークをしてみました。


でも、彼女の中では「インナーチャイルド」と変換されていたようなのです。
これがまずとても興味深いなー、と思いました。
でも、無意識にインナーチャイルドだと思いこんで読んでしまう方って、結構いらっしゃるんじゃないかな?とも思いました。
そして、この記事なんですが
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-8.html
初めてタミエルと会ったのがこの時のワークだったのですけど、
この時に、守護獣として豹が出てきてるんですが、これも私のインナーセルフの一側面なんじゃないかなぁ、と思っているのです。
なので、インナーセルフに動物が出てくるというのも不思議ではないのですが、
インナーチャイルドの抵抗が強すぎて前に進めない場合に、あえて動物に置き換えるというのもあるのか、と実に興味深く月子さんの記事にあったリンク先を読ませてもらいました。
私のオカンは、おそらくかなり深く傷ついたインナーチャイルドが存在していたと思います。
アレがよく暴れていたんだろうな、と今ではそんなふうに感じます。
そして、暴れるアレにちょいちょい我々子供たちは翻弄されていました。
傷つけられることもありました。
しかし、オカンの母親である祖母が亡くなってから、オカンは「すべて許せた。」と言いました。
かなりの葛藤があったはずなのですが、すべて許せたそうです。
まるで憑き物が落ちたように許せたのだそうです。
そして、その言葉をオカンから聞いた途端に、私の中に残っていた確執もすーっと消えたのでした。
インナーセルフ、その中のインナーチャイルドを癒すためのワークをあえて無理やりする必要は無いと言えば無いです。
人生の何かの大きなイベントの時に、インナーチャイルドが劇的に癒されるように魂が設定しているかもしれないからです。
または、それこそもっともっと深いところの魂の傷とリンクしていて、ちょっとやそっとじゃガチガチになったものを解消できないので、何年も何十年もかけて徐々に順序よくハイヤーセルフの采配によって、そのプロセスを歩ませれてるのかもしれないですしね。
なので、どうするのが正解なのか、なんて分かりませんけど、
生き辛さをずっと感じているとか、よくよく考えてみると同じことを繰り返しているとか、そういうことから抜け出したいと思っているのなら、インナーセルフのイメージワークをしてみるのも悪くないかと思います。
鏡に何が映るのか、を、勇気を出して観てみるといいんじゃないか、と思います。
(もしもまだ準備ができてないなら、当たり障りのない姿しか映らないと思います。)
あ。
ちなみに、なんですが。
私がまだ子供を生む前で、名古屋に住んでた時に初めてヒプノセラピーを受けまして、
その時にインナーチャイルドが出てきたんですが、小さい私は三つ編みをしていて、誰か(←今から思うとアレはタミエル!)に抱っこしてもらって、草原の彼方の地平線をワクワクするような気持ちで指さしていました。
とても子供らしい溌剌とした感じのインナーチャイルドでした。
なので、私のインナーチャイルドには問題がないね、とセラピストさんに言われまして、私もそうなのかと思っていたのですが、
じゃあ、子供の頃の心の傷が全くないのかというと、そんなことは無くて、
以前にも書きましたが、6歳くらいの女の子がお母さんに甘えてる姿を直視できない、というのが、心療内科に通ってる頃に顕著に出ていました。
今から思うとですね、
確かに私のインナーチャイルドは、ヒプノセラピーで出てきたような姿に象徴されるような面も強くあるのです。
けれども、傷ついて怒りやすいオカンのインナーチャイルドの影響も同時に持っていたのだと思います。
ただそれは、ほんとうに「影」のようなもので、私自身のエネルギーではないといいますか、厳密には私自身のものではなかったから、姿を現すことが無かったんじゃないか、と思っています。
だから、オカンの中のインナーチャイルドが癒されたと同時に、私の中からもその影が消えたのだと思います。
と。
今日はゆりえさん(←死んだ祖母)の誕生日だったので、書いてみました。
キムタクと同じ誕生日なのよねん。

娘はディスレクシア★その5★


GOD IS IN CHARGE
ディスレクシアについて、娘に話したほんの数日後、
学校の教務の先生から、「○日に(スクールカウンセラーさんとは別の)教育委員会の心理士さんがいらっしゃるので、カウンセリングはどうですか?」と電話がかかってきました。
本人にも話してしまいましたし、私自身もかなり整理がついたところだったので、カウンセリングしてもらう必要は無かったのですけど、
せっかくなので時間を取ってもらいました。
スクールカウンセラーさんの予約のために、教務主任と教頭先生には少しお話をしましたが、その後学校に何も連絡していなかったので、教務主任が心配してくれたんだろうなぁぁぁー、というのがよく分かってありがたかった、というのもありました。
いえね、ちょうど運動会の練習も大変な時期だったのでね、先生方が多忙なのは分かりきってましたので、運動会も終わって学習発表会の練習が本格的に始まる前くらいに、ちょっと報告しておこうかなー、とは思っていたのですが、
先に先生の方から連絡をしてもらっちゃって、あー心配かけて悪かったなー、とちょっと反省しました。
それにですね、
この心理士さんのお話を、一年前に私は聞いていまして、
PTA主催の教養講座というのが毎年あり、去年はPTAの学級委員をしていたので、出ないわけにいかないよなー、と半分以上義務感で出席したのですが、その時に「あー、この先生はほんとにいい人だなー。」とお話を聞きながら思ったのです。
そのようなこともあったので、この1カ月の怒濤の経緯をこの心理士さんに話すことで整理するのもいいかもな、と考えたのでした。
悩んでいないのにカウンセリングの時間を取ってもらっちゃって申し訳なかったかなー、と思いましたが、
こんなふうに気がついて、こんなふうに考えて、こんなふうに相談して、こんなふうに本人に話して、こんなふうに自分自身にも折り合いがついて……と、心理士さんにお話をしたら、(心理士さんはちょっとした良いことでもうんと褒めてくださるので)たくさん褒めていただきまして、
おかげで、自分は今までどおりの子育てをしていたらいいんだな、と思えて、それがとてもありがたくて嬉しかったです。
これはとても大切なことだと思うのです。
子育てに正解はありません。
正解が無いからこそ、お母さんたちはいつもいつも「これでいいのかなー?」と迷いながら毎日の子育てをしています。
なので、「それでいいですよ。」と言ってもらえるということは、ほんとうに心が軽くなるのです。
……そして、心理士さんは守秘義務があるので学校にも許可なく情報は漏らしてはならないとのことですが、
「あ、すみませんが、ここで話したことは教務主任にざっくりとでいいので話してください。運動会があって先生方は忙しいだろうなと思って、前回のカウンセリングの内容もその後のことも、まったく学校に報告していないので、教務主任が特に心配してくださってると思うので、よろしくお願いします♪」
と、心理士さんに丸投げして帰宅しました。(だって先生方みなさん忙しそうだったしー。)
で、その数日後に、他の用事で学校に行った時にお昼休みだったので、今ならいいかなー、と教務主任を尋ねまして、お礼を言うことがやっとできました。
すると、教務主任が、
「娘ちゃんのディスレクシアについては、担任以外にも話していいですか?」と訊いてきたので、
「ええもちろんいいですよー。先生方みなさんで勉強していただける方がありがたいですので、よろしくお願いします。」と、答えました。
先生方には娘を通してディスレクシアのことを勉強してもらって、他の学校に転勤になった後に、そこの学校でいろんな先生にお話してもらえたらありがたいなぁ~、と思ってます。
今後、もしもっと考慮をお願いしなければいけない事案が発生したら、その時はその時でまたお願いするとして、
今のところは学校とのやりとりはこれで十分かなー、と思いました。
ここまでがほぼ一カ月の間の出来事でした。
★★★
こうして、いきなり目の前に現れた山をとりあえずは越えたかな~、やれやれ~……と、落ち着いたところで、
別件で月子さんやじぇいど♪さんとやりとりをしていた話題から、突然「いつものあの感覚」に陥りました。
過去世のデータにアクセスした時の感覚です。
いきなりばーーんと「分かった」のでした。
ああ……そうだったのか。
私の過去世には、高い能力があるのにそれを全く活かさなくて、周囲の誰ぞに「なんて勿体ない…。」と思わせてた人が……男性でも女性でもいたんだ……。

今の自分は「なんて勿体ない。」と思う立場になっています。
それをカルマと言っても差し支えないとは思いますが、それは魂がどっちの立場も経験したかったから、という解釈の方が今回は特にしっくりくる感覚がしています。
あー……
さらにう~んっと遡ればーーーー……
当時ちょいとばかりナナメにモノゴトを見て生きてたタミエルも親友のテオくんに「お前、もっとちゃんと前向きにやれよ。勿体ないぞ。」と度々言われてたので、
この「お題」はなかなかに年季の入ったものなのかもしれません。
と。
今と正反対の立場にいた時の「感覚」みたいなものをうっすらとでも感じてみると、
不思議なことに、この「お題」に関わるコンプレックスがしゅるしゅる~っと融けていくような、そんな感触がしてきたのです。
全部が全部融けちゃったというわけではないとは思うのですが、それでもかなりの部分がしゅるしゅる~と融けたような、そんな感触がしたのでした。
ふっと身体も軽くなったような、そんな感覚にもなりました。
「頭が良くなりたい。」という欲求が無くなったわけではないのですが、
どこか、今までより深く自分を受容できたような、そんな感覚になったのでした。
家族や、親しい人たちというのは、同じソウルグループに属していると言われたりしますが、
本当にそうなんだろうなー、とあらためて思いました。
娘がディスレクシアだと気づいた時に、まさか自分の、魂レベルでの自分の「お題」と向き合うことになるなんて思いもしませんでしたが、同じソウルグループの魂同士で磨き合っていく、というのは、こういうことなのでしょうね。
この日記
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1107.htmlや、
この日記
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1117.html
に書いたことも、実はこのような背景があったから感じられたことだったのです。
過去世のことを知ったり高次元の自分を認知することで、確かに複眼的に自分を見て感じて知ることができるのも確かですが、
当然ですけれども、ソウルメイトたちと魂を磨きあうのに、過去世を思い出す必要もないですし、高次元の自分を認識する必要もないと思います。
今のこの肉体で生きている自分が、今この世界で一緒に生きている人たちと、いかにお互いを高めあう関係でいられるか、そういう関係をどのように築いていくか、が一番大切だというのは言うまでもありません。
そういう意味でも、家族が与えてくれる課題というのは、それがいかにネガティブなものであろうと、真正面から取り組むことで自分を知り、自分の魂を磨くための一番の近道のように思えます。
(念のためゆーときますけど、真正面から取り組むってゆーてもね、たとえばDV夫から逃げるな、ということじゃないよ。DV夫から逃げるとか毒親から自立するとかは必要なことですもん。)
だいたいねー、家族の問題ってーのは、めっちゃハードなもんですもんねぇぇぇぇぇ。
だからこそ自分の魂は、今の自分の肉体を、今のこの家族を選んだわけですから、ハードであればあるほど「のびしろ」はものすごく大きいのでしょうね。
「こんなハードなチャレンジしたくなかったわー。もっと楽なのが良かったわー。」と思っちゃうこともしばしばですけど、ほんとこればかりは仕方がないですね…。
そんなわけで、
ソウルメイトのみなさん、これからもどうぞよろしくお願いします♪

「うむ。」
★★とりあえず、おしまい★★

娘はディスレクシア★その4★


頭が良いということは、私にとっては『とても好ましいこと』となっていました。
もちろん、頭が良いということは、単なるひとつの長所でしかないのは分かっています。
それだけが評価の指標ではありません。
ただ、前回の日記に書いたように、私にとっては大事な要素となってしまっていた、ということです。
そんな私にダウン症の息子が生まれたことで、私の中のさまざまなものが瓦解しました。
それは見事なくらい壊れまくり、そして新しい価値観を私に見いださせてくれました。
当然ですけど、息子が健常児だったらなぁ~…という気持ちは、今でも時々起こります。
それは障害児の親の多くがそうなのではないか、と思います。
子供の成長に伴い、わが子の自立について考えた時に、障害児で良かったなんて思うわけがありませんものね。
ウチの子よりももっと希有な障害がある子供を持っている友達は、
「この子より先に死ねないよねー。」
と笑って言ったことがありました。
「そうだよねー。」
と私も笑って言いました。
やっぱり、切ないですよ。
けれども、それとは違った次元で、知的障害のある子として生まれてきた息子に感謝しているのです。
私の中のさまざまなものを壊してくれたからです。
しかし、
しっかりと土台は残っていました。
娘がディスレクシアだと気づいてから、そんな「土台」の在り処をまざまざと見せつけられることになりました。
娘は、ブ子を飼い始めてからずっと獣医になりたいと言っています。
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けれども、ディスレクシアだと勉強するのにそれなりのハンデがあるわけですから、ただでさえ大学の獣医科は少なくて入学が難しいのに、彼女にはとてもハードルが高いものとなってしまった……と、思った途端、
14歳で夢を手放したあの日のあの気持ちが蘇ってきました。
この子も私と同じ気持ちを経験するのかな……、と思ったら、ほんとうに悲しくなりました。
……が、
それはほんの入り口に過ぎませんでした。
知的には問題が無いですし、
娘程度のディスレクシアならば、キーボードでの入力を覚えればいろんな表現ができるに違いないというのも分かっています。
彼女が彼女らしく生きていくのに、身動きが取れなくなるほどのハンデでは無いというのは頭では分かるのです……が、
大学受験に至るまでの勉強のアレコレを考えると、やはりそこそこのハンデですから、すごーーーく重苦しい気持ちになってしまうのでした。
何日もそんな重苦しい気持ちと向き合っているうちに、気がつきました。
私は、自分ができなかったことを娘にしてもらいたかったんだ、と。
母親が自分の夢を娘に投影する、というのは時々見かけますが、
まさか自分の中にもそのような構図が存在しているとはまったく気がついていませんでした。
息子のおかげでさまざまなものが壊れて、新しい価値観を見つけることができたと思っていたけれど、土台はしっかり残っていたのだと気づいて、かなり衝撃を受けました。
娘には、私よりも勉強ができる頭であって欲しかった。
娘には、夢を叶えるための努力が報われるだけのスペックを備えていて欲しかった。

それは、娘を通して、私の夢を叶えたかっただけなんだな、と気づいて、ゾッとしました。
ええ、ほんとにゾッとしました。
多かれ少なかれ、そういうのはあると思うんですよ。
あったらいけないことではないと思うんです。
でもね、行き過ぎはよろしくないですよね。
私の場合、自分自身に対して巧妙に隠していたことになるわけですが、それは意識したらアウトなものだったからなんだと思います。
ちょっと行き過ぎてると感じました。
ここで気づくことができて良かった、と、心底思いました。
叶えることができなかった夢を、(たとえ無意識だったとしても)娘を通して叶えようとしたままだったら、娘の成長のどこかのところで大なり小なり悪影響を及ぼしていたと思うからです。
自分のアイデンティティとすら言えるほどの夢を手放し、では私は不幸だったかと言えばそんなことは決してなく、
遥か遠くを見るのではなく、目の前のやるべきことをやる、という生き方を続けていても学ぶことばかりでしたし、「自分を知る旅」であることに違いはなかったです。
私の人生は、私を豊かにしてくれていると思っています。
そう思う気持ちに嘘は無いのですが、それでも人間というのは多層といいますか、様々な想いが昇華することなく自分からも見えないところで息をひそめているものなのだなぁぁぁぁ……と、あらためて「人間って複雑っ!」と苦笑いするしかありませんでした。
……と。
気づいてゾッとして、すぐに慌ただしいことになりました。
まず、娘の友達のことで、娘と真剣に話さなくてはならない状況に突然なりました。
これは今ここで娘と真剣に語り合わないといけないと感じ、娘も真剣に話を聞いてくれました。
すると、娘は私が思っている以上に深く理解を示しました。
「娘ちゃんは、ほんとうに賢いねぇ。これは勉強ができるという意味じゃなくて、人として賢いということだよ。お母さんは嬉しいなぁ。」
と、娘を褒めまくりました。
そしてその翌日。
ソロバン塾から帰って来た娘が、怪訝そうな顔をして言いました。
「ソロバンの先生が、あなたはディス…なんとかじゃないわよね、お母さんは神経質過ぎるわね、って何度も言ってたんだけど、どういうこと?」
実はその前の週に、ソロバンの先生に手紙を書きました。
教育熱心な先生は、まだ習っていない漢字だとしても自分の名前と住所は漢字で書けるようにしておきましょう、とニュースレターに書いていました。
けれども娘はなかなか住所の漢字も覚えきれません。
ですから、最近分かったことですが……と事情を説明して、他の子よりも多少時間がかかることもあるかもしれませんがお願いします、と手紙に書いたのです。
するとその夜に先生から電話がかかってきました。
先生から見て娘が読字障害には全然見えないから、母親の私が神経質すぎると言われました。
もちろん説明を試みましたが、分かっていただけなかったので、私の方が引き下がりました。
……と、引き下がったので、それで終わりかと思っていたのですが、先生は本人にも同じことを言ってしまったのでした。
あーあ、先生ってば~~……。
まだ娘ちゃんには説明していなかったのに……。
と、内心かなりトホホな気持ちになりましたが、
前日に引き続き、ここでちゃんと娘に説明をしなければいけないと思い、(お父ちゃんが一時帰宅するまでに作らないといけない日だったので)夕飯を作りつつ、脳はフル回転で娘に説明することになりました。
人間というのは、凸凹があるんだけど、それがどういうふうに凸凹になってるかは人によって全然違う、
誰でも神様に素晴らしいギフトをもらってて、誰でも凸があるし、その反面凹がある、
お父ちゃんはIQ1XX(←たまたま前日にネットでやって、それを娘が知った)で、大工仕事も得意で車の運転も上手だけど、実は娘ちゃんのディスレクシアという凹はお父ちゃんからもらってる(← ディスレクシアについていろいろ調べ始めてみて、お父ちゃんは自分にもその「ケ」が軽くあると初めて気づいた)、
娘ちゃんの凸はお父ちゃんみたいに点数や数字として表せるものじゃないけど、昨日の友達についての話の後に、お前はとても賢いと褒めたでしょ?それなんだよ、
他にもきっと凸はあるから、そこは努力して上手に伸ばして、たくさんの人を喜ばせるものにすれば、お金持ちにもなれる(←これも前日にお父ちゃんと娘が話してた。お金持ちというのはたくさんの人を喜ばせることでなれるものだ、ということを話してた)、
そして、凹は他の人と同じやり方では上手にできないことが多いから、やり方を工夫しないといけないんだけど、それはいろんな人がいろんなやり方を本やネットでも教えてくれてるから、それを取り入れればいいだけのこと、
(ちょうど娘が、動物のお医者さんもいいけど物書きもいいな、と言い出したところでもあったので)物書きは娘ちゃんの凸を活かすにはとてもいい職業の1つだとお母ちゃんは思うけど、でも他にもやりたいことが出てくるかもしれないし、そのためにも学校の勉強はちゃんとした方が良くて、そこで苦手な部分はやり方を工夫することできっとうまく乗り越えられる、
などなどを、夕飯を作りながらも丁寧に丁寧に話しました。
最初はショックを受けてた娘でしたが、だんだんと顔が晴れやかになっていきました。
そして、
「じゃあなんでソロバンの先生はあんなこと言ったの?」
と訊いてきました。
「お母さんは、お兄ちゃんが障害児なので、障害についてダウン症だけじゃなくて他にもいっぱい勉強したから、ディスレクシアについても知ってたんだよ。
それはカウンセラーさんにもよく3年生で気がついたね、と褒められるくらいだったけど、
学校の教頭先生も教務の先生もディスレクシアを知らなかったんだよ。
なので、ソロバンの先生もディスレクシアについて全く知らなくて当たり前なんだよね。
ただね、とても熱心で真剣にいつもみんなを指導してくれるいい先生だけど、自分の意見が強すぎて他の意見がなかなか耳に入らないところが少しあるみたいで、それで先生の中では娘ちゃんが読字障害とは思えないから、娘ちゃんの漢字テストの点数が悪かったことを気にしすぎてお母さんはあんなことを言い出したんだろう、娘ちゃんのお母さんは神経質すぎるなぁ……、っていう結論になったんだと思うよ。」
と、説明してやったら、
「あ!それも凸凹だ!そうでしょ?!先生にも凸凹があるってことだね!」
と、娘は目を輝かせながら言いました。
「そう!よく気がついたね~。そうなんだよねぇぇぇ。先生にも凸凹はあるんだよ。学校の先生だって同じだよ。
子供も大人も誰でも凸凹があるんだけど、その凸凹は人によって全く違うから、自分でも分からない人がいっぱいいるんだよ。
自分でも分からないから、凸に気づかなくて上手く伸ばせないとか、凹を上手くカバーできないとかで、自分には良いところがない、ダメなところばかりだ…と思い込んじゃう人も少なくないんだよねぇ…。勿体ないよねぇぇぇぇぇ。」
と話す私の言葉を娘は真剣に聞いていました。
その後も、ちょいちょいと凸凹は誰にでもあるよ、という話をいろんな人の例を出しては娘にしています。
ちょっと前からローマ字を学校で勉強するようになって、やはり娘は苦労しています。
仕組みは分かるけれど、子音がなかなか覚えきれずにパッと書けないのです。
「ディスレクシアっていう凹じゃない方が良かったなぁ。」と言ったりもしますが、
どんな凹だって凹をカバーする努力は簡単ではないということを彼女なりに分かっているので、ちゃんと努力を続けています。
そして私も、夕飯作りながらでも真剣に娘に説明したことによって、おおよそ整理がついたような、そんな感覚になりました。
(なのでソロバンの先生が娘にアレコレ言ったことも結果オーライと思っております。)
★★もう少しだけ続く★★

娘はディスレクシア★その3★


私の周囲には、IQの高い人が多くいました。
死んだ父親もおそらくそうなのですが、弟たち、特に下の弟が抜きんでてIQが高かったそうです。
友達も賢い子が何故か多かったのですが、小3からの一番の親友は学年でトップクラスの頭脳を持っていました。
大学生の時から付き合っている旦那さんもIQが高いタイプです。
会社に入れば、さらに周囲にはバカっ速いCPUを搭載してるいる人がわんさかいる状況となりました。
地方といえども国立大学を卒業しているので、時々「頭良いんですね。」と言われることもありますが、常に自分よりもうんとIQの高い人たちが周囲にいたので、セルフイメージとしてはどうしても『すごく悪いってことはないだろうけど、頭はちっとも良くない』というところでずーっと安定していました。
実際、IQは高くないですしね。私。
小学校でIQテストをしている時も自覚しながらやってましたもん。
「あー、これはダメだわ。」って。
それでも、自分よりIQの高い弟たちや親友のことを羨ましがったり妬んだりすることは一切ありませんでした。
親友は何でもできる子だったので、「すごいなー♪」と純粋に思っていましたし。
それが、ちょっと怪しくなったのは18歳の頃でした。
私は7歳の時に親に買ってもらった「宇宙・宇宙旅行」という子供図鑑を開いた時から、宇宙というものに魂を掴まれてしまい、だんだんと科学者になりたいと思うようになり、
さらに、小4だか小5の時に、カール・セーガン博士の「COSMOS」という伝説の番組を観てしまい、今で言うところの宇宙物理学の科学者になりたい、と強く強く思うようになりました。
しかし、14歳のある日、すぱーんと気づいたんです。
数学は面白いと思うけれど、どうしても苦手でうまく解けないので、これでは科学者にはなれない、と気づいてしまったのです。
ずっと持ち続けていた夢を手放した日でした。
そこからは「これになりたい」という夢はとうとう持ち得ませんでした。
まさに胸の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな感覚をずーーーーっと感じたままで、今でもその穴は塞がってはいない気がします。
そして、18歳の時です。
県内で一番の進学校に通っていた親友が、京大の理系某部に合格したと連絡をくれました。
塾にも行かずに現役合格なんてさすがだな、と、あらためて彼女の頭の良さに唸ったのですが、
「……ねぇ。でもなんで○○科なの?」と疑問に思って訊きました。
彼女は私と同じで宇宙のことが大好きだったのに、どうして違う道を選んだのか、単純に不思議に思ったのです。
すると、
「さすがにねぇ、東大京大だとそこまでは無理だからねぇ。」
と彼女は苦笑しながら言いました。
「じゃあ、名古屋大学にしたら良かったのに。」
「うん……。でも家を出たかったからね。」
彼女には彼女のさまざまな想いがあります。
「親友」と言いつつも、私たちはお互いの深い話をしたことがほとんどありませんでした。
ただ一緒にいるだけで良かったのです。
そうやって小3の時から一緒にいたのですが、なんとなく、「家を出たかった」という彼女の気持ちも分かる気がしました。
親が毒親とかっていうんじゃないのですが、本家のお嬢さんですから、まぁいろいろ少し息苦しいところもあるんだろうな、と、なんとなくですが、分かる気がしたので、
「そうかー。じゃあ独り暮らしが楽しみだね~♪」
なんて私は言いました。
言いましたが、
とても複雑な気持ちになったのを覚えています。
宇宙や素粒子の物理学を研究する人生を歩むことができる能力を持っているのに、
そしてそれが好きなのに、
でも、彼女はそれを選ばなかった。
私が強烈に欲していた能力を彼女は持っているのに。
羨ましさや妬み、とはやっぱりちょっと違ってて、
「なんて勿体ないことを…。」という、悔しいような残念なような、なんとも複雑な気持ちになったのでした。
彼女は彼女で前向きに熟考して自分の人生を選択して進んでいるんですから、私がこんな気持ちになるのがおかしいよなー、と分かっていても、「あ~勿体ないよなー。」と、どうしても思ってしまいました。
今もその高い能力を活かして彼女は仕事をしているので、その能力を社会にも役立てていると言えると思います。
素晴らしいと思います。
……でも、ちょっとだけ、今でも「宇宙物理学の研究者になって欲しかったなぁー。」と思う私がいます。
そして、下の弟に対しても、「なんて勿体ないことしてるんだ。」という気持ちが彼の大学入試の頃からありました。
結果的に私と同じ大学に入ったのですが、それはちゃんと勉強しなかったからです。
小学生の低学年の時に、担任の先生に「この子には勉強させないでください。」と言われた、とオカンが話してくれたことがあります。
デキ過ぎて、授業がとてもつまらなかったらしいのです。
なんでもパッと分かってしまうので、「勉強をする」という習慣が全く身につかず、そのために「勉強をする楽しさ」も失ってしまったようなのです。
その頃からオカンの体調もどんどん悪くなっていっていたので、こういう子にはどのように学ばせるべきか、を考えて実践する体力が無かった、というのも大きかったと思います。
高校でもちゃんと勉強してなかったみたいです。
それでも私と同じ大学に入っちゃうんですから、地頭が良い奴ってーのは!と、なんとも悔しいような腹立たしいような気持ちにもなったりしましたが、
それよりも、やっぱり「せっかくずば抜けて高いIQを持って生まれたのに、それを十分に活かさないなんて、なんて勿体ないんだ!」という気持ちの方がうんとうんと大きかったです。
努力すれば夢は叶う……というのは、嘘です。
じゃあ、野球少年はみんなプロ野球の一軍選手になれるのか、と言えば、そんなことなくて、ほんとに一握りの人しかなってませんよね。
夢を掴むための努力はして当たり前。
でも、持って生まれた能力の高さが無ければ、努力したって叶わない夢だってあるんです。
夢を見たことは無意味じゃないし、努力は決して無駄にはならないけれど、叶わないものは叶わないのです。
なので、「頭が良くなりたい。親友や弟のような頭が欲しかった。」という強い想いは、悲しみや虚無感、勿体ないオバケなどが複合(コンプレックス)したものと共に、意識と無意識の境界の辺りに18歳の頃からずーっと漂い続けていました。
★★まだ続きます★★

娘はディスレクシア★その2★


スクールカウンセラーさんに、この10日間のことを話しました。
すると、「そうですね。ディスレクシアで間違いないでしょうね。」と言われました。
診断はカウンセラーさんではできないので、小児精神科のお医者さんに診断してもらわないといけないのですが、
今すぐに必要ということはないですよ、と言われました。
特にここの小学校の先生なら理解がありますし、急いで診断する必要はないとのことでした。
私もおとーちゃんも、診断は中学に進学する前でいいかな、と思っていたので、その時にまたカウンセラーさんに紹介状を書いてもらうことにしました。
そして、
「たくさん勉強されてるようですが、ディスレクシアのことはご存知だったんですか?」と訊かれて、
「知ってましたが、まさか自分の子がディスレクシアだとはテストが返ってきたあの日まで全く気がつきませんでした。」と答えると、
「いえ、そこで気がついたのが素晴らしいですよ。」と、カウンセラーさんが言ってくれました。
娘のディスレクシアの程度だと、なかなか親も気がつかないそうなのです。
もちろん、先生もです。
(というか、うちの子供たちの通ってる小学校の先生方はディスレクシアを知らなかったです。スクールカウンセラーさんの予約をする時に教務主任と教頭先生に説明したのです。←想定内だったので、参考資料となる印刷物を持って行きました。)
ですから、だんだんと「できないのは頭が悪いからだ。」という自己認識になっていくことも少なくないそうなのです。
また、これがもう数年後だと、(みんなより読み書きが苦手なために学力面で)劣等感も増大したところに、思春期にもなり、親にも反発するようになるので、「こうするといいんだって。」という親のアドバイスを素直に聴かなくなる子も増えるのだそうで、
大きな劣等感も無く、素直に言うことを聞いてくれる小3のうちに親が気がついたということはとてもラッキーなことなのだそうです。
さらに、ディスレクシアの子にとって何が苦手で、どのように工夫をして学習を進めたらいいのかを、親が分かっていれば、子供に無駄な劣等感を抱かせずに済むだけでなく、親自身も原因がハッキリしたことで余計なモヤモヤを持たずに済むようになります。
また、
「この程度のディスレクシアにお母さんが気づくことができたのは、娘さんが頑張ったからですよ。」
とも言われて、確かにそうだと思いました。
娘が頑張ったのに結果が残念なことになり、それを娘がとても悔しがり「私はバカだ。」と言い出したから、私も気づくことができたのです。
もしも娘が適当にやってるだけだったら、「ちゃんと勉強しなかったから点数が悪かったんでしょ。」としか言わないですもんね。
できないからやらない、やらないからできない……という悪いスパイラルにディスレクシアの子は陥りやすいともカウンセラーさんが話してくれました。
そのお話を聞いていて、のび太がそうだよなー、と、ふと思いました。
(のび太のことはココにも書かれています。)
実際、娘が自分のことを「私はバカだ。」と言った瞬間に、私の中でけたたましく警戒音が鳴ったのです。
テストの点数を見た時よりも、その瞬間にアラームがビービー鳴ったのです。
そんな自己評価が染みついてしまったら非常にマズい、と、私の脳内がかなり高い警戒レベルにうわあああんと達し、その状態になったおかげで、「これはもしやディスレクシアじゃないか?」と、それまで思ってもいなかった発想が出てきたのでした。
良くないです。
自分のことをバカだと思うのは、ほんとに良くないです。
on Dyslexiaの記事にも書かれていますが、ギフテッドの子にもディスレクシアが比較的多く見られるそうです。
つまり、凸凹が大きいということですね。
親バカですが、娘はなかなか賢い子だと、私もおとーちゃんも思っています。
勉強ができる、IQが高い、という意味ではなく、人の行動を観察して、その人の気持ちを推測しつつ、どうするのが最善かを考えることができる、という意味で賢い子だと評価しています。
子供ですからね、わちゃわちゃして友達とぶつかることも多々あるようですが、それでも大事なことはしっかり観て考えている子だと思います。
こんなこともありましたしね。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1051.html
娘が生まれた時から、「障害児のきょうだい児問題」を念頭に置いてはいたのですが、保育園の年中組さんの頃から兄に知的障害があることについて気がつき始めて、とても素直に、そして前向きにそれを受け入れてくれて、逆に拍子抜けしたくらいでした。
先日も、
「友達の○○ちゃんとか△△ちゃんとかに、障害のあるお兄ちゃんってどうなの?と(悪意無しの、純粋な疑問として)訊かれたから、普通のお兄ちゃんより2倍楽しいよ、って答えたんだよ~。」
とドヤ顔で言って、私をホロリとさせていましたし。
もう娘の方が兄より何でもできるのですが、それでも兄をちゃんと立てますし。
こういう面では親の予想をぽんっと超える言動をしてくれる子です。
そして、娘は工作が好きで独創的なものをたくさん作りますし、学校のちょっとした出し物の時間に自作の劇を友達と発表したりもしています。
運動会の演技種目である一輪車も、毎日頑張って上手に乗れるようになりました。
彼女には凸の部分はいっぱいあります。
それと同時に大小様々な凹もありますが、ディスレクシアもその凹のひとつなのだと思いました。
だから、きっと彼女は大丈夫なのです。
が、しかし。
大きな問題は、私自身にありました。
★★また続く★★

娘はディスレクシア★その1★


ディスレクシアとは、知的に問題が無いけれど、読み書きに困難さがある症状のことです。
学習障害の中に分類されているようです。
子供たちの通っている小学校では、夏休み明けに「漢字コンクール」と「計算コンクール」があります。
ダウン症の息子は、コツコツと頑張る子なので、もちろん小6にして低学年で習う漢字のレベルではありますが、去年と今年で漢字コンクールで良い成績を取ってきました。
しかし、娘は去年、兄よりも成績が悪かったので、今年こそは、と夏休みの間に彼女なりに考えて漢字の練習をしていました。
それなのに、50点にも届かない結果でした。
ショックを受けた娘は1人で部屋に閉じこもって30分以上大声で泣いていました。
「私はバカだ。」とも言いました。
この時に、私は今まで「……あれ?」と思っていた様々な小さなことが、全部まとまりとして見えたのでした。
「この子、ディスレクシアじゃないか?」と。
私が小5~6の時のクラスメイトに「読み」に大きな問題を持つ男子がいました。
ひらがなはぽつぽつとしか読めず、漢字はほとんど読めませんでした。
でも、頭が悪いという子ではありませんでした。
とても気が優しくて、学校で飼ってる動物のお世話をさせたら彼がダントツで、私たちは彼のことを尊敬すらしていました。
今から思うと、歳に似合わずちょっと俯瞰してモノゴトを観ていたんじゃないか、とすら思える発言も時々ありました。
字は読めないけれど、賢い子だったのです。
数年前に、テレビでディスレクシアのことを知った時に、真っ先に彼のことを思い出しました。
そのためディスレクシアについては私の中ではとても印象に残ることとなったのですが、
娘がディスレクシアではないか、と疑うことは全くありませんでした。
それなりに読めますし、書けるからです。
本を読むのも好きなのです。
しかし、3年生になっても、音読での(特に助詞などの)読み間違えがちっとも減りませんし、字も上手にならないし、漢字も覚えたはずのものでも間違って書くことがとても多かったのです。
算数の文章問題で、簡単な問題文なのに「分からない。」と言うこともちょいちょいありました。
落ち着いてちゃんと読みなさい、落ち着いてちゃんと書きなさい、落ち着いてちゃんと書き取りして覚えなさい、ちゃんとやればできるから……としか、娘には言っていませんでした。
小学生の勉強程度なら、私ができたことは娘もできると思い込んでいたのです。
しかし。
頑張ったのに50点に満たない漢字テスト。
本人も頑張ったからこそ、「私はバカだ。」と大泣きしてる。
絶対におかしい。
ディスレクシアの「ケ」があるんじゃないか。
そう思って、おとーちゃんに相談しました。
最初こそ、「そんなことないよ。」と言っていたおとーちゃんですが、私が引き下がらないので、いろいろ調べだしました。
すると、こんな記事を見つけました。
隠れディスレクシア
おとーちゃんがこれを読んで、「この子、これだね。」と言いました。
これで夫婦間の認識が一致することになりました。
すぐにおとーちゃんのお休みの日に大きな本屋に一緒に行って、専門書を何冊か買い込みました。
視力は普通でも、見る機能が弱いと読み書きにも問題が出るということで、ビジョントレーニングの本も購入しました。
読めば読むほど、重くはないけれど、娘はディスレクシアだ、とどんどん確信が深まっていくばかりでした。
そんな最中、算数の宿題をしながら、またしても文章問題で「分からない。」と言うので、
つい私が「何が分からないの?」と聞き返したところ、ぽろぽろっと泣きだしてしまいました。
「何が分からない?ってお母さんは訊くけど、何が分からないか分からないのっ。分かる時は分かるけど、分からない時は問題を読んでてもコンセント(とプラグ)がパチリとはまらないみたいになって、頭がぐにゃっとして何書いてあるか分からないんだもんっ。私の頭はやっぱりバカなんだぁぁぁぁ。」
と泣きながら言ったのです。
ああ、これはディスレクシアの典型だなぁ……と、私の方が内心ちょっと泣きたいような気持ちになったのですが、
「そんなことないよ。バカじゃないよ。ごめんね。お母さんね、そんなふうになることがなかったから分からなかったんだよ。だから『何が分からんの?』とか『ちゃんと読みなさい。』としか言わなかったけど、娘ちゃんはそうなる時があるんやね。じゃあ一緒にコンセントがはまるようにちょっとずつ読んでみようか。線にしたらいつもすぐ分かるから、そうしてみようね。」
と、なだめるように言って娘の気持ちを落ち着かせてから、線分図を一緒に書いて問題を解かせました。
線分図にできるともちろんすぐに解けるので、それから問題を読み直すと、「なんで分からなかったんだろう。」って本人も不思議に思うようでした。
娘がディスレクシアではないか、と気づいてから、私はじぇいど♪さんに相談をたくさんしました。
アメリカは凸凹のある子供の教育が日本より手厚い面もあるので、アメリカで子育てをしてきた彼女に相談させてもらったのでした。
とてもとてもありがたかったです。
娘が4歳の時から可愛がってくれている月子さんには、関ジャニ∞のリサイタル静岡公演に一緒に行った時に話しました。
いろんなもやもやを抱えたままだったので、その時にたくさん話を聞いてもらいました。
待ちに待ったイベントに向かう途中なのに、月子さんはイヤな顔せず真剣に聞いてくれました。
そして、その翌日に、学校に定期的に来てくれるスクールカウンセラーさんに相談に行きました。
「おかしい。」と気づいてから、10日ほど経っていました。
★★ 続く ★★

家康公にご挨拶してまいりました。

木曜日に寝込みましたが、
金曜日にはだるいながらも家事ができまして、
土曜日はゴロゴロしていたら楽になりました。
で。
昨日の日曜日です。
娘が朝から夕方まで友達と一緒に遊びに出かけたので、おとーちゃんが息子もどこかに連れてってあげようか、と言い出しました。
あっちこっちの名前が出たのですが、
「岡崎はー?」と思いつきでおとーちゃんが言ったのを聞いて、
「あ、あたし、岡崎ならお参りしたいところがあるから連れてってーーー。」
と、お願いしました。
体調も悪くないので。
…ていうか、どこも痛くないし、どこもしんどくないので、これはお参り日和に違いないと思いました。
ちょっと前に、東海地方のテレビ番組で、照英さんが岡崎市の伊賀八幡宮を尋ねているのを放送していました。
たまたま観たのですが、「伊賀」って三重県にありますよね。
なのに岡崎に伊賀八幡宮があるのです。
1470年、松平四代親忠が松平家の氏神として家運長久、子孫繁栄を祈願する為、三重県の伊賀国から三州額田郡井田村へ社を移したのが始まりなのだそうです。
だから「伊賀八幡宮」なんですね。
サイトはこちらです。
http://www.igahachimanguu.com/index.html
ここも、日光・久能山と並んで「東照宮」なのだそうです。
我が家から岡崎まで車で1時間ほどでして、
娘を岡崎市内の産院で産んでるくらいなので、近いといえば近いのですが、
もともと岐阜の人間で、三河のことはそんなに詳しくないために、このような神社があるなんて知りませんでした。
そもそもインドアな人間なので、旅行にもそんなに行かないのですが、
沼津に住んでた会社員時代に、会社の友達何人かと日光に旅行したことがありまして、日光東照宮も行かせてもらってるんです。
これがですねー、
雪が降った翌日でしてね、
そんな時だったからか、観光客がそもそも少なかったのは少なかったんですが、
奥宮までの行き帰りは私たち以外に誰もいなくて、とても幻想的な時間と空間になっていました。
もちろん奥宮の宝塔(家康のお墓)のところも誰もいなくて、観光で来たと言うより、家康公に会いに来た……または、呼ばれて参上した、みたいな感覚がとても強かったのを覚えています。
うん。あれはほんとうに異次元、異空間でした。
不思議だったなぁぁぁぁ……。
(そういえば、なぜ旅行先を日光にしたのか、は全く覚えてないです。みんなでワイワイ話してて決まったんだと思いますが。)
しつこく言いますが、私は岐阜生まれの岐阜育ちなので、三英傑では信長公贔屓なのです。
岐阜という地名は信長公が付けたくらいですからね。
私の親父さんのお墓があるお寺は、信長公と縁のあるお寺ですしね。
ああ、そうです。
昨日は親父さんの命日でした。
もう20年になります。
そんなわけで、どっちかというと信長公贔屓でしたが、三河に住んでますと家康!家康!という空気にだんだんと馴染んできまして、
あまり旅行もしない人間なのに日光東照宮も行って、特別な空間と時間に身を置いてきたわけですから、家康公に嫌われてはいないのだろうと思いまして、
三河に住んで10年以上経ちますが、ちゃんとご挨拶したいな、と、先日のテレビ番組を観ながら思ったのでした。
というわけで、行ってきました。

伊賀八幡宮の鳥居から社殿を結ぶ参道は正確に南北を指しているそうで、まっすぐ北へ延ばすと大樹寺があるそうです。
ですので、社殿の上には北極星が位置するとのことです。



あちらこちらに葵の御門が。
思っていたよりこじんまりとしてるな、という印象でしたが、
整った空間だなぁ…、という感覚がしました。なんとなくですけどねー。
そして、おみくじをひいてきました。
権現様からのメッセージだと思ってひかせてもらいました。
ありがたいことに大吉でした。
ふる雨は あとなく 晴れて のどかにも ひかげさしそう 山ざくらばな
御祐助(おたすけ)をこうむって、福徳増しなお日に進んで望事は心のままになる
しかしそれについて心驕り身を持ち崩して災い招く恐れあり心正直に行い正しく身を守りなさい

と書かれてありました。
ちょうど前日の土曜日に、月子さんがmixiページ内でカード1枚引きのイベントをしていまして、
そこでの私のメッセージが以下でした。

 【星】道しるべを見つけたようです。目指すべき場所はすでにわかっているはずなのであとはそこへ向けてまっすぐに進んで行ってください。とにかく【楽しむこと】を最優先に。童心を忘れず状況を、環境を、自分自身を楽しむことでさらに目的地への道程は短縮されるでしょう。なにかを求めなくても、もう良いのです。ただひたむきに進んでください。


この言葉と重なるように感じました。
権現様の言葉も、月子さんのメッセージも、
ご加護はあるのだから、驕らず真摯に喜びと共に目指すところに向かえ
と励ましてくれているように思いました。
お参りの後、家康公が生まれた岡崎城にも行ってきました。
先月、息子が社会見学で掛川城に行ってから、お城というものが気に入ったようで、とても喜んでいました。

コンクリートのお城だけどね。

天守の礎石にも息子と一緒に触ってきました。
昨日はゆるキャラいっぱいのイベントもやってまして、人は多いし、七五三のお参り(←お城のすぐ横が龍城神社)に来てる家族もいるし、お城まで歩いていく途中にゆるキャラはいるわ、プロなのかアマチュアなのか分からないけれど武将の格好をした人たちもいるわ、で、カオスでした……。
……と、書いて、ふと思ったんですが。
人がいっぱいなのに、そいえば体調もぜんぜん悪くならなくて、普段だらだらしてる私にしてはたくさん歩いたのですが、そんなに疲れなかったので、
やはり昨日は家康公にご挨拶に行くための日だったのかもしれませんね。
おかげさまです。
あ。
岡崎に行って知ったのですが、今年は徳川家康没後400年なんですね。
節目の年のうちに行けて良かったです。