昨日は午後から豊橋のとろろ屋に、引越しの挨拶がてら行ってきました。
(でも食べたのは、美味しいケーキとぜんざい。これが本当にんまい。)
店のおじさんは少し変わった人でして、元・設計士であり、お義父さんの知り合いであり、自然農の福岡じいさんとも交流があって自然農にも理解が深いし、神様のことが「分かる」人たちが集まってくるような人であり、ホピの人とも交流があって、でもって例の先生とも交流があって……と、実に不思議な人です。
こっちの行く道と同じような道を何十年も前から進んでいるような、そんな人です。
さて、そのとろろ屋に、昨日は地元の人っぽい家族連れのお客さんが来てました。
見た目、元・ヤンキーですね、って感じでした。子ども達も、ヤンキーふうのジャージを着てました。
不思議なんですが、愛知県三河地方というのは、ヤンキーが多いみたいなんです。
旦那さんに言わせると、「子どもはヤンキーかお利口さんかの二極化する。中間が無い。」という土地柄なんですねぇ。
でもって、「ヤンキーの子はヤンキーになる。」らしいのです。
これは、真鍋かおりもブログで書いてたような覚えがあります。(たまたま読んだのだ。別にファンじゃないよ。)
あの人は四国出身ですよね。確か。
三河も四国も暖かい田舎です。暖かい田舎というのは、こーゆーものなのかもしれません。
あ、四国と言えば、サイバラがいるな…。やはりそうなのか…。
「じゃあ、小学生や中学生の頃は、チビ・ヤンキーとも遊んどったん?」と旦那さんに聞いてみたら、
「うん。みんなごちゃまぜやでねぇ。ヤンキーの子たちの方が面白いんよ。ただ、話しは通じにくい。」と旦那さん。
「ほー。」
「だから、大学生になって、話しも通じるし面白いって人たちがたくさんいてビックリしたよーー。さらに会社入って、沼津の○○○部隊なんて、頭はべらぼうにいいしユニークだし…って人たちばっかりで、ほんとーにカルチャーショックやったなぁ~。選抜された人たちって感じで。」
私にしてみたら、実に興味深い話でした。
私は岐阜市出身なんですが、岐阜はやはり三河とは雰囲気が違うんですね。
それに、今から思うと私は頭のいい子たちと仲が良かったので、話しが通じないという感覚があまり無かったんです。
そんな私でも、小・中学より高校、高校より大学、大学より会社と、どんどん周囲が「楽」になっていきました。
話しは通じやすいし、女特有の「イヤな感じ」はどんどん薄まるし。
私も旦那さんも会社を辞めて、名古屋から三河の田舎に引っ越してきて、人間関係も今までとは全然違ったタイプの人たちとの関係が増えていくんでしょう。
もしかしたら、ちょっと「やりにくいなー。」と思うことも多いかもしれません。
それでも、多分これも必要な人生経験なんでしょう。
あまり楽ばかりしてたら、いろんな感覚がニブりそうだしね。
春眠?
アキオさん、昨日はたくさん寝ました。
春眠…ってやつですかねぇ?
んでも、夕方の5時過ぎから10時まで寝てたんで、こりゃ夜は寝ないかも…と戦々恐々だったんですが、お風呂の後も寝てくれました。
ちょっとハッスルちっくになってましたが、電気消してみんなでお布団に入ったら寝ちゃいました。
良かった良かった。
で、朝も7時まで寝て、今(お昼前)も私の隣で寝てます。
春眠貪ってます。暁ってなーに?って感じです。
けど、今朝は下痢してたので、もしかしたら体調が良くないだけかもしれません。
春は花冷えするからね。
今週から旦那さんは師匠のところに苺つみのお手伝いに行っております。午前中だけ。
苺は午前中につむものらしいです。
ハウスの中は暖かくて、苺のいい香りがして、小さいミツバチがぶ~んと飛んでて…。
気持ちがいいらしいです。
そして、苺をつみながら、師匠といろんな話しをしてるそうです。
よろしいですなぁ。
初トラクタ
無事引越しを終えることができました。(まだまだダンボール箱は残っているけどね)
ありがとうございます。
さぁ、新しい生活の始まりです。
これからの生活ですが、基本的に今年は物凄く条件のいい仕事をハローワークで探しながら過ごす予定です(ただしこれは多分見つからないため実際には失業保険のお世話になることになると思います)。14年勤めての自己都合退職のため、3カ月待機の後、120日間の給付があるはずなので収入が切れるのは10月末頃となります。ですので、それまでに自立できる基盤を作る予定です。
というわけで、昨日から師匠の仕事のお手伝いと勉強を始めました(お手伝い料は頂かないかわりに、いろいろと農作業を教えてもらったり、野菜や果物を分けて貰うお願いをしました)。昨日から午前はハウスでの苺摘み、そして今日の午後は初トラクタ教習でした。
初トラクタはとても楽しかったです。最初は緊張したのですが、運転についてはマニュアル車と似た感覚で段々と慣れてきました。気持ちのいい青空の下、ちょっとうるさいけど心地よい振動をしながらゆっくり田んぼを耕していくトラクタ。ゆっくり進んでいくので、気持ちのいい空気を感じながらいろんなことを考えました。
「あぁ、ここでトラクタを運転することなんて2年前にはちっとも思ってなかったなぁ。俺の人生も面白くなってきた気がするぞ。」
地震センサー?
この数年、私の「地震センサー」がとんと働かなくなってたんですが、一昨日の夜、ちょっと「あれ?」と思いました。
なので、昨日のお昼に「このイヤな感じって、春のモゾモゾのせいかと思ってたけど、もしかしたらどっかでまた地震があるかもしれんねぇ。」と旦那さんに言ったんです。
そしたら、今日、九州で地震があったのでビックリしました。
たまたまでも、ちょっとビックリだよねぇ。
テレビ、やっと映ったよ。
テレビ、やっと見ることができるようになりました。
本当は昨日のうちに見れるハズでしたが、強風のため電器屋さんが屋根に上れなかったんですよ。
なので、今日となりました。
いや~、やっぱりテレビがあると嬉しいっす。
私、テレビっ子なもんで…。
いえね、本当はテレビっ子ではアカンと思ってるんですよ。
シュタイナー教育に興味アリアリの身としては、やはりテレビはアキオにもあまり見せない方がいいなぁ、と思ってるんで…。
しかし、私が我慢できんのですわ。
なんか、寂しいの。テレビがないと。
これでもテレビを見る時間はかなり減ったんですが、それでも「つけてないと寂しい」って時がまだ多くてねぇ。
昼間はいいんですが、夜はアカンですなぁ。
元来、怖がりなもんで、賑やかしいのが嬉しいんですな。
さて。
少しずつ荷ほどき・部屋の整理が進んでますが、なかなか思うように行きません。
前に住んでた所より断然広いし、収納もたくさんあるんですが、収納に関して細部までしっかりイメージしきれてなかったので、現場で右往左往しとります。
ま、春なんで仕方がないけど。(私の場合、春は元々低い思考力が更に低下するため。)
でも、5月までには何とかせねば…。
というのも、5月に外人さんが何日か泊まりそうなんです。
旦那さんの師匠んとこに、WWOOFから外人さん1名の問い合わせが来たそうなんです。
師匠んちは広いですが大家族なんで、ウチで泊まってもらおうかねぇ~、って話しになってるそうなんです。
なので、あまりノンビリとしてられんのですなーー。
ま、どうなるかは分かりませんけど。
さてさて。
SHさんのブログを今日もチェックしたところ、なんとなんと!
私的に大流行中である植芝先生(合気道の創始者)のことが語られてました。
SHさんは『武産合気』を読んで「大感激した。」とおっしゃってますが、私も感激はしとるんですが、いかんせん難しいので、なかなか読み進めません…。
神話や武道や言霊に関する基礎知識が私にあまりにも足りないためです。
もっと勉強せんとなーー。
それでも、五井先生が書かれている部分や、五井先生と植芝先生との関わりについての話しについては、感動やら感激でいっぱいになりました。
でもでも、私もシッカリ理解して、大感激してみたいっす。んはー。
今日もあまり心の調子はヨロシクなく、「あーー。今日もガッツリ消えていく姿が出てるわー。」と、思いつつ、キレイなキレイな青空を眺めてました。
『空の色に似ている』を思い出したよ。(内田善美ってもうマンガ書いてないんだっけ?)
そういえば、お父さんのお葬式の後、骨だけになるまでの間、ずーっと空を見てたんだけど、その時もキレイなキレイな青空だったなぁ。
春の後頭葉モゾモゾ期
ナルミちゃん、メールありがと。
と、ここで書いてみました。
安産祈願しとりますよ。いい子が生まれるぞ。
さて。
お母ちゃんは、相変わらず「春の後頭葉モゾモゾ期」のため、心が若干不安定な状態が続いております。
うつテイストが濃くなって、『無駄な不安(病的な不安)』がジワ~っと滲み出てくるし思考力もガタンと落ちるし注意力も散漫になりがちだし…。
(身体は漢方薬でなんとかなってる。ありがたや。)
こーゆー時期に引越しというのは、実は無謀だったかもしれませんなぁー。
うん。多分、私的には無謀だな。旦那さん的には春の種蒔きに丁度いいのかもしれんけど。
でも、これも「消えていく姿 by 五井先生」なのねん。
なので、これもアリなんだな。多分。
引っ越しました。
引っ越しましたよ。
やっと台所が片づいてきて、ホッとしとりますよ。
でも、まだまだまだまだ家の中はダンボールだらけですよ。
それでも、ようやくパソコンが使えるようになりましたよ。
光からADSLに逆戻りになって、とっても遅いわ、とお母ちゃんは悲しんでいるですよ。しくしく。
それでもパソコンが使えるようになったのは非常にうれしいですよ。
だってね、ウチね、テレビが見れないんですもん…。
前にココを借りてた人がね、引越しの時にブースターとやらを間違えて持ってっちゃったらしいんですよ。
うえーん。
テレビが無いので、とっても寂しいのよーーー。
で、今日、電器屋さんに来てもらって見てもらったんだけどね、もう夕方で日が暮れてたからね、作業は明後日(明日は雨の予報だから屋根に上れないんだって)になるんですって。
ああああ、さみしーー。
カレーを食べながら考える
ココイチの隅っこでカレーを食べながらビールを飲んでいた。
会社を辞めたからなのか分からないが、突然ぽっかりした気分になった。
体からすーっと力が抜けていく感じがした後、なんとも幸せな気持ちで満たされたきた。
なんだか嬉しくなってきたので世界平和を祈ってみた。
(寝不足でただ酔いが早かっただけかもしれない)
その後、その勢いで自分にとっての幸せな死を考えてみた。
どんなのがいいかなぁ。
よしみさんは曾孫が朝起こしにきた時、
「あぁぁぁ、ばあちゃん死んでるよ。」
というのがやりたいと言ってたなぁ。これを超えるのを考えてみよう。
俺が死んだら遺灰を畑に撒いて欲しいなぁと突然思った。
亡骸の層に俺も入りたいなぁと思った。
妙なる自然農の畑に撒かれる灰となった俺。
その畑では大勢の仲間たちと一緒にちょっと背の低いアキオが笑ってる。
そんな絵がすごくリアルに頭に浮かんできた途端に涙がぽろぽろとこぼれた。
べつに悲しいわけではないのに。幸せな死を考えていたはずなのになぁ。
ココイチの隅っこでカレーを食べながらビールを飲んで泣いてる変なおじさんになってしまった。
最終出勤日
昨日の最終出勤日の話。
午前に自席の後片付けをして、午後からは退職の挨拶周りをしていたらあっと言う間に定時となった。
退職者の恒例ということで部全員の前での最後の挨拶をすることになった。
実は会社を辞めると決めた一年前からここで何を話すかを考えていたんだけど、考えるたびに言いたいことが変わってしまい、最後まで言いたいことがまとまってなかった。そんな訳で、結局勢いにだけに乗って言いたいことを話すとりとめのない挨拶となってしまった。
でも思い出せるだけ言った内容を今のうちに書き留めておこう。
・子供を授かって長男としての今後の生き方について真面目に考えるようになったこと
・その息子がダウン症と診断されてもの凄い不安になって仕事が手につかなくなったこと
・息子の幸せを考えていたうちに最後に行き着いたのはじゃあ自分はどうなんだということ
・自分の本当の幸せとはなんだろうと仕事も手につかずに社外サイトをじゃんじゃん覗いて放浪するうちに、自然農への思いを強くしたこと、さらに師匠との縁ができやりたいことが見つかったこと
・そうなると結局仕事が手につかないのでメンタルクリニックに駆け込み一カ月休みたいのでと頼んで診断書を書いてもらったこと、そのための尻拭いをみんなにおしつけてしまったこと(とにかくみんなに謝る)
・そうして結局は1年以上前にほぼやめる決意を固めていたこと
・復帰したあとも辞める決意をしているからモチベーションもあがるはずもなく、仕事が途中でも定退させてもらっていたこと(ここでも謝る)
・今回、自分のやりたいことをやって生きていく決断をして退職すること
・ありがとうございます
こんな感じだったかな。
その後の部の送別会ではY本課長から、
「会社での挨拶で、あそこまで言っちゃうとはなぁ。」
とか言われたけど、最後だから本当のこと言いたかったんだよね。
僕としては会社の挨拶は、主に僕との面識もあまりない人たち、仕事も忙しいので送別会に来れない人たち、他にも社内でついギスギスした仕事のやり方になっている忙しい人達に伝えたくて話していました。
そういう人たちに、なんだか変なこと言って会社を辞めてった変な奴が居た、という印象を残しておきたかったんです。
そういう意味で「あそこまで言っちゃう」というインパクトが与えられていたということで嬉しいコメントだったりします。
その後は、会社を出ての送別会(宴会)です。
みんなのビデオでも撮っておこうと思って持って行ってたんですけど、それを完全に忘れていた位に話まくりました。
今までゆっくり話せなかった方たちとも話せて楽しかったです。
そんな送別会もあっというまに終盤、こちらでも挨拶させてもらいました。
どうせなのでこっちも内容を今のうちに思い出して書き留めておこう(でも、こっちは記憶がめちゃめちゃ)。
・今まで14年間どうもありがとうございます。
(店の真ん中で話始めたので他の客からも注目されてしまった、、、なので以降は勢いつけて)
・脱サラして僕は百姓になります(他の客に向けても宣言)。
(この後記憶かなりあいまい)
・僕は本気で世界平和を祈ってます(おお~って感じだったので)
・だって、みんな世界が平和になった方がいいと思っているでしょ?当たり前でしょ?(と同意を求める)
みんなも世界平和を願っているじゃないですか。。。(なので世界平和を祈るんですよ)これがよしみ教です。
・僕は妻や息子と一緒に僕たちの農園でみなさんが遊びにきてくれるのをいつも待ってます。
こんな感じだったかなぁ。
そして2次会 … BAR Strega
てきーら君のお店再開ということでみんなで行きました。先客にあわしま氏もいたりして楽しかったです。
部長やH田さんともたくさん話をしたのですが、ここではY本課長とかなり話し込むことになりました。
Y本課長は僕が1カ月病欠するちょっと前から僕のチームを預かった上司です。
Y本課長にしてみたら、新しく預かった途端にリーダーが病欠というとんでもない状態に陥った訳でして、それをどうにかしてしまった素晴らしい方、僕にとったら尻拭いをしてくれた恩人であります。
初めてお酒を一緒に飲むということもあり、僕は病欠時のことなどについて最後に自分で謝ってすっきりしておこうと話をしていたのですが、いつの間にか逆に僕がY本課長の話の聞き役にまわっていました。なんだか泣き上戸なY本課長でした。
「あつき君とはもっと一緒にいろいろやりたかったなぁ」
とまで言ってもらえて本当に嬉しかったです(ちなみにこの言葉を言いながらY本さんが泣いていた訳ではありません)。
そうして最後まで一緒に飲んでいたY本課長も深夜に素敵な家族の待つ家に帰っていきました。
こうして送別会2次会も無事終了しました。
「終わったあぁ。ついに終わったあぁ。俺本当に会社辞めたんだぁ。本当に辞めれたんだァ。」
てきーら君にそう言いながら会社の人がいなくなった店内で退職したことを実感しました。
自分の中では『第一部完』というテロップがドーンと出た感じです。
エピローグ。
てきーら君と二人きりで始発電車が出るまでじっくり話をしていました。
僕は退職するまでの経過をてきーら君に延々と話し、
(このへんの話はこのあと少しずつこのblogにも書いていこうかと思ってます)
てきーら君は店のことや事故のこと心境の変化などを話し、
とても有意義な時間をサラリーマン生活最後の夜に過ごすことができました。
みなさんありがとうございました。
年をとると涙もろくなるのかね
自己都合退職ということもあって、なんだかみんなに辞めることを言いそびれて最終週まできてしまった。
同期入社組のみんなには火曜日にメールを出したところ、大慌てで送別会を開いてくれることになった。
火曜日に出したメールに即反応してくれたのは先に会社をやめ名古屋の別の会社に勤めている親友のH君だった。
その日に待ち合わせ二人きりで5時間近く飲み話をした。二人きりだからこそできた話もあり有意義な送別会第1回目だった。
そして今日(もう昨日か)木曜日に会社の同期が集まってくれて飲み会を開いてくれた。
送別会第2回目。うちの同期はバブル入社組、普通の会社なら大勢の皆ライバルとして競り合っていく位の雰囲気があってもよさそうなところなんだけど、そんな感じをさせない不思議な仲間達。
最初は久しぶりだねという話だったけど、やっぱりどうして自分が脱サラするに至ったかを話さないとこの会の意味が無いと思い、少しずつ話してみた。
内容は、よしみさんのHPの日記に書いてあるような流れをかなりかいつまんで話した。
さすがにびっくりしたみたいだった。
でも、みんなあきれずに聞いてくれて、エールを送ってくれた。ありがたい友達だ。
縁は切れないと思っているから、これからもよろしく。
昼の会社では最後の仕事もせずに、昔の上司やお世話になった人達に退職する旨とお礼と百姓になることについて色々とメールを出しまくっていた。ある上司がそのメールに返事をくれた。
「思い切った判断をしましたね」
その言葉にひっかかって、それが自然な選択であったことを伝えたくて、今までのことを振り返りながらその返信を書いてみた。
それが以下のメールなんだけど、なんだか書いてて涙が出ている自分がいた。