「フラワー・オブ・ライフ」を再読中です。


だいたいこの時期に毎年、大家さんが(どうやらお友達らしい)庭師さんをよこしてくださるんですが、
庭師のおじさんが、
「裏のもみの木、いつ枯れたん?」
と、びっくりしながら尋ねてきました。
そうなんです。
去年、枯れてしまったのです。
「それがですねぇ……新芽が出た頃に、去年はものすごーーーくたくさんの毛虫が出てて、この木とあの木の新芽が全部食べられちゃったんですよ…。あっちの木は復活したんですけど、こっちはダメでした。」
と、おじさんに報告しました。
「そんなこともあるんやなぁ~……。役場の近くの大きなスギの木も去年枯れちゃったしなぁ…。」
と、おじさん。
気持ち悪いほど毛虫が出まして、勝手口のあたりもうにょうにょしていて、どれだけ虫退治のスプレーをかけまくって踏みつぶしたか分かりません。
小道挟んで裏の家の生け垣にもたくさん毛虫が出てたようで、裏のおじいさんがスプレーかけまくってるのをよく見かけました。
数年前の秋口に小さい毛虫が大量発生して梅の木の葉っぱを全部食べつくした、ということもありましたが、春にあんなにも大きな毛虫がうじゃうじゃ発生したのは初めてでした。
こんなに毛虫が出てたら、夏に蛾だらけになるんちゃうか?と蛾が大嫌いな私は戦々恐々でしたが、そんなこともなく、ふつーの夏だったので良かったんですが……。
なんなんでしょうね?
虫の大発生のメカニズムって。
不思議です。
(でも、虫は苦手なので調べようは思わない。)
もしかしたら本当はまだ生きてるのかも……と、ちょっと期待したのですが、庭師のおじさんが「枯れちゃったなぁ…。」と言ったので、やっぱり枯れちゃったのか……、と、ガッカリしました。
大家さんのご両親が住んでいた家で、庭にはいろんな木がいっぱいあって、木が多すぎるよ~、と思ってるくらいなのですが、
表にあるドングリがなる木と共に、この木は好きだったんです。
ほんと、残念です。
ところで。
ちょっとしたキッカケで、数年ぶりにこの本を引っ張りだしてきて読んでいます。
やっと1巻が終わりました。
これから2巻に突入です。

数年前に読んでいるのに、忘れていることがたくさんありました。
読み直しててとても興味深いです。
ただねー。
やっぱりねー、
私の頭って「二次元」なんですよ。
なので、二次元の図を三次元の立体にどうしてもすっと興せなくて、神聖幾何学のキモのところの説明でモタモタしておりました。
ほんっとにダメでしてねぇ……。
お父ちゃんはモノゴトを三次元の立体で考えるのですが、私はどうしても平面でしか扱えません。
そこらへんのオブジェクトをごっそり抜き取って生まれてきたとしか思えません。
それで嫌いじゃないのに数学がどうしても苦手だったわけですが、
そいえばですね、高校生の時に「行列」だけはすいすい理解できまして、期末テストでも満点だったんです。
それをふと思い出しまして、お父ちゃんにそのことを話したら、
「そりゃ行列って二次元だもん。」と、言われました。
なるほどです。
ま、それでですね。
1巻の最後のあたりで、フィボナッチ数列と二進法数列を、極座標に表して説明をしているのですが、
その説明のところに

極座標グラフは、神聖形状の1つである3次元の球を平面に投影し、2次元の図として表したものです。
つまりそれは影の形なのです。
影を映してみることは、情報を得るための神聖な方法でもあります。
そしてさらに、極座標グラフは直線(男性)と曲線(女性)を合わせ持ち、男性エネルギーと女性エネルギーのりい両方を同時にふくんでいるのです。

(P325下段より引用)
とありました。
これを読んでいたら、プラトンの洞窟の比喩を思い出したのですが、
実際、そうなんだろうなー、と思いました。
私たちのこの世界というのは、上位次元の世界の「影」みたいなものなんだろうな、と。
ホロスコープもそうですよね。
あれも天球を二次元に写し取った「影」と言えると思います。
神聖な方法だからこそ、そこから読み取れるものがあるのでしょう。
そしてさらに、
そういえば私は子供の頃から「自分の影」が好きだったことの意味がちょっと分かったような気がしました。
道路に映る自分自身の影を、私はいつもキレイだと感じていたのです。
さてさて。
2巻の再読に入ります~。

マリアージュ

お花ちゃんから、去年のうちに「婚約指輪代わりの絵を描いて欲しい。」と依頼を受けておりました。
そんなおめでたい依頼の絵を、ようやく納品することができました。
普通の天使の絵の4倍サイズの大作でした。
タイトルはそのままですがマリアージュです。
マリアージュ
実は、
背景のぐるぐるを描いた段階では、
「結婚のエネルギー」という名前がスコンと出てきました。
じゃあこれを英語に……と思った途端に、どなたかに
「そこはフランス語でしょう。」と言われて、フランス語なんて縁のない私は一瞬困りましたが、
今はなんでもネットが解決してくれますね!
翻訳サイトでさらっと出てきました。
L’énergie du mariage だそうです。
さすがに私にも「マリアージュ」という単語は分かりました。
この背景そのものが「結婚のエネルギー」というわけではなくて、そのぐるぐるの背後に「糊のようなエネルギー」を感じつつ描いていたのですが、この「糊のようなエネルギー」が結婚のエネルギーなんだろうなー、と思いました。
日本の神様たちは、神無月に出雲に集まって人々の「縁結び」をすると言われていますが、
結婚というのは本当にそういう「結びつけるエネルギー」みたいなものが働いているんだろうな~、とこの絵を描きながらじんわりと思いました。
そんな糊のような結婚のエネルギーが働いて、陰陽がぐるぐるしているところに、お花ちゃんと旦那さんのぶきくんが導かれている……みたいな絵になりました。

額装したらこんなふうになりました。

大きさの比較です。
普通サイズの天使の絵と比べるとかなり大きいですよね~。

あー。
しかしですねぇ。
画像だと、セルリアンブルーのところがちゃんと出ないんですよ……。

もっと綺麗なセルリアンブルーなのに…。
一眼カメラで撮ってもiPhoneのカメラで撮っても、どうしてもこの場合、セルリアンブルーが綺麗に出てくれませんでした。
(ちなみに、私の一眼カメラよりiPhoneのカメラの方が緑色が綺麗に出ることが判明。)
あー、残念。
というわけで。
お花ちゃん、ぶきくん、ご結婚おめでとうございます♡

開運くまえる

もう2月ですね。
はやいですなー。
息子が小学校を卒業するのに、あと約1カ月半ですわー。
はやいですわー。
泣きますよ。あたし。ええ。
2年生の時からずーっとお世話になってる支援クラスの先生と一緒に泣きますよ。ええ。
泣かないわけないですよ。ええ。
さて。
この日記
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1150.html
に書いていました氣乃さんの【開運&金運・好転加速力・伝導】の有料モニターの遠隔セションを先週土曜日にようやく受けました。
3~4時間はかかるというものですが、私の場合は去年の春からちょいちょいと伝授してもらったり、そのエネルギーをほぼ毎日コツコツと使い込んできたおかげで下地ができてまして、2時間でセションは終了しました。
で、ですね。
その時に氣乃さんが、ちょっと実験的にこんなことをしてみようかと思ってるんですよ~、とおっしゃったことが、もう今日のブログにアップされておりました。
こちらです。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12123680331.html
バナーをクリックしますと、開運と金運サポートの霊符のエネルギーが1時間流れる様に設定されたそうです。
私がセションで伝授してもらったエネルギーですね。
そして、ここがポイントだそうですが、そのエネルギーを周囲にも放射してください、とのことです。
興味のある方は、上記のリンクをクリックしてくださいね~♪
2月7日(日)までの期間限定だそうです。
で、ですね。
私のセションの時なんですが、
このサポートエネルギーを伝授してもらった時にですね、
イメージなんですけどね、あくまでイメージなんですが、
自分の中にどーーっとこのエネルギーが注ぎ込まれて満タンになったような感じがしたのですが、
そのままさらに注ぎこんでもらっていたら、自分の中にこびりついてる(おそらくこのエネルギーに関する)汚れみたいなものが、どんどんと攪拌されて浮き上がって、溢れ出てきたのです。
あくまでイメージですけどね、でもちょっと嬉しかったです♪
なので、開運と金運のサポートのエネルギーもこれからコツコツと自分に流してみようと思ってます。
で、さらにですね。
氣乃さんを見習ってですね、私もやってみました。
サポートエネルギーを伝授してもらってまだ2日しか経ってないのでちゃんと意図したとおりになってるかどうか分かりませんが、
とにかくですね、このサポートエネルギーを降ろしてから、絵を描いてみました。
これです。
開運金運サポートくまえる
いかがですかね?
何か感想があったら、コメント欄に書いてもらえると嬉しいです。
まぁ、縁起物みたいなふうに観て楽しんでいただけたらありがたいです♪

死ぬ時には何かがお迎えに来る、というお話を娘にしました。



おブ子さんはとてもとてもいいお猫です。
さて。
昨日の夜のことです。
娘が「吐くのが怖い」ということを、お風呂の中でおとーちゃんといろいろ話してたようで、
その延長線上で私ともいろいろ話をして、そしてお布団に入ってもちょっとお話タイムとなりました。
その会話です。
娘 「1年生の時にお咳がひどくなったやつ、あれ何だっけ?」
私 「マイコプラズマやね。あんたとお兄ちゃんとおかーちゃんと3人でヒドい咳ばっかしてたよねぇ。でもおかーちゃんは若い時にマイコプラズマで肺炎になって入院したことあるよー。」
娘 「えー???怖い……。」
私 「いやいや、マイコプラズマよりうんともっと怖い病気なんてゴマンとあるんやよー。」
娘 「えーーー……?そんなの怖すぎる……。なんでそんなに怖い病気がいっぱいあるの?」
私 「あー、それはねぇ、人間が死ぬためやね。」
娘 「えー……?」
私 「だって、人間が生まれて子供産んで、それで死なへんかったら、地球は人間だらけになってまうもん。(っても今も多すぎるくらいやけど。)」
娘 「それはそうやけど…。でも病気やなくて年取って死ぬ方がいいでしょ?」(←老衰のことをゆーてるらしい。)
私 「個人的にはそりゃそうだけど、でもやっぱり病気がないと人間がなかなか死ねへんから、病気があるんやと思うよ。運悪く若いうちに大変な病気になって死んじゃうのはとても悲しいことやけど、人類全体的にみたら病気があるからバランス取れてるというのはあると思うよ~。」
娘 「……でも、やっぱり病気は怖いよ。」
私 「そやね。おかーちゃんも病気はイヤやわー。痛いのも苦しいのもしんどいのも気持ち悪いのもイヤやもん。怖いよ。」
娘 「そうでしょ?」
私 「うん。でもねぇ、おかーちゃんね、まだ死にたくないし、苦しいとか痛いとかは怖いけど、死ぬことそのものはイヤやないんよ。」
娘 「なんで?」
私 「だって、雲の上に帰るだけやし。それにね、ちゃんと普通に生きてたら死ぬ時に天使とか仏様とかがお迎えに来てくれるっての、知ってるから。」
娘 「ほんとに?」
私 「うん。あのねぇ、おかーちゃんのおかーちゃんのおかーちゃん、あんたのひいばあちゃんがね、子供の頃に町内にいたおじさんが嫌われ者やったんやって。ひいばあちゃんにはそこそこ優しかったらしくて嫌いやなかったってゆーてたけど、なんか知らんけど嫌われてる人やったんやって。何か悪いところがあったんやろうねぇ。そのおじさんがね、ある日町内を血相変えて『鬼が来るー!鬼が来るー!』って言いながら走ってたんやって。……で、その後ちょっとしてから死んじゃったんやって。それでね、ひいばあちゃんは、みんなに嫌われるような生き方してると死ぬ前に鬼が迎えに来るんやって知って怖かったんやって。」
娘 「それは怖すぎる…。」
私 「そやろ?でもね、そのひいばあちゃんは死ぬ時、観音様が迎えに来たんやで?」
娘 「ほんとに?」
私 「うん。ほんとに。ひいばあちゃんが入院してて、死ぬ数日前にね、薬のせいでちょっとうとうとしてたらしいんやけど、付き添ってたねこだるま叔父ちゃんに、急にゆーたんやって。『あれ、何やね?』って。おじちゃんが『点滴やがねー。』と答えると『ちゃうがねー。』ってひいばあちゃんが言うから、『点滴の棒やがねー。』と答えるとまた『ちゃうがねー。』って言ったんやって。そこでおじちゃんはハッとして、『(何も光ってないけど)キラキラ光っとるやつかね?』と訊いたら『そうやがねー。』とひいばあちゃんが言うから、『それは観音様やがねー。』と答えたら、『そうかね~。』と納得してニッコリしてたんやって。」
娘 「……。」
私 「そのひいばあちゃんの娘で、おばあちゃんのお姉さん……あんたの大叔母さんが死んだのって、おかーちゃんが20歳の時やったんやけどね、ひいばあちゃんが意識があまりもうちゃんとしてない大叔母さんの看病してたら、大叔母さんが畳みの上に虫でもいるかのように手で払い続けるから、『何しとるん?』って訊いたら、『小さい観音様がいるでしょ?まだいい、って言ってるのに寄ってくるんよ。』って言ったんやって。それでひいばあちゃんは『ああもうこの子は長くないな。』って覚悟したんやって。で、それからほんとにすぐやったしね。大叔母さんが死んだのって。」
娘 「………。」
私 「おかーちゃんのお父さん、あんたのおじいちゃんが死んだ時もそうやで?あの時はおばあちゃんがそばにおって、おじいちゃんが病院のベッドの上で天井を見ながらにこ~にこ~ってしてるから、どうしたのかな?と思ってたら、『俺の守り本尊はなんやったっけ?』とそれまでそんなこと言ったことないようなことを言ったんやって。おばあちゃんが『文殊菩薩やがね。』と答えたら、『そうか~。』と、おじいちゃんはまたにこ~ってしてたんやと。それでおばあちゃんも『ああお迎えに来てるわ…。』って思ったんやって。」
娘 「………。」
私 「ね?おかーさんのおばあちゃんもお父さんも叔母さんもそうやってみんな仏様が迎えに来てたから、死ぬこと自体はイヤやないんよ。ただね、死んだらこうやって一緒に手をつないだり、一緒にご飯食べたり、一緒に笑ったり、一緒に泣いたりできへんやろ?それはとても寂しいから、まだあんたらが小さいし、そばにおりたいからまだまだ死にたくはないし、死ぬ前に病気とかでしんどいのは怖いなーとは思うよ。」
娘 「(私も)ちゃんと仏様とか天使が迎えに来てくれるかな?」
私 「普通に生きてたら大丈夫やよ。わざと人を困らせたり、わざと人を悲しませたり、人を騙したり、ってことをしたら鬼が迎えに来るやろうけど、普通に生きて、できる限り……無理はあかんよ?無理すると自分が壊れることもあるから、できる限りでいいから人に親切にしようと心がけて生きてたら、ちゃんと仏様とか天使がお迎えに来てくれて、すーっと死んで、雲の上に帰れるよ。」
娘 「そっかーーー。(←安心した様子)」
私 「それにね、人間は病気で死ぬんやないんやって。寿命で死ぬんやって。大叔母さんが入院してた時におかーちゃんが交代要員で付き添いしてた時に、当時はそれをお仕事にしてる付き添いの人ってのがおってね、そのプロの付き添いの人が、おかーちゃんが大叔母さんの娘やと勘違いして、不憫に思ってくれたんやろうねぇ。そんな話をしてくれたんよ。いろんな人を観てきたけど、人間は病気で死ぬんやなくて、寿命で死ぬんやよ、って。」
娘 「……。」
私 「だからね、神様に『私はこれをやり遂げます。』って約束してきたことをちゃんとやらんうちには死なせてもらえんのよ。そうは言っても病気は苦しいから、病気にならんようにやれることは、早寝早起きして、ご飯はちゃんと食べて、帰ってきたらちゃーんと手を洗って、身体を冷やさない、ってことぐらいやね。怖い病気はたくさんあるけど、それくらいしかできへんからクヨクヨしても仕方がないんよ。」
娘 「そっかー……。」
と、このあたりで娘は眠くなってきたようだったので、お話はおしまいにしました。

娘に対しての言葉は自分自身に言い聞かせているように感じる


息子が38度台のお熱を出しまして、おブ子がずっと寄り添っておりました。
なんていいお猫なんでしょう。
そして、朝イチでおとーちゃんが息子を小児科に連れてってくれまして、インフルエンザではなかったので良かったです。
おとーちゃんが遅め出勤の日とは言え、本当なら私が連れて行かないといけなかったんですが、
私も体調が良くなかったんですわ~…。
ゆうべ、夜中にふと目が覚めまして、発作が起こりそうになったんです。
布団から身体を出して、身体を冷しつつ正体法のセルフヒーリングをしていたら、何度かヤバそうにはなりましたが、発作が出ることなく治まりました。
そんなことがあったせいで、特に朝はしんどくて、できればまだ横になっていたかったくらいでした。
なんとか簡単な朝食の用意とお洗濯はできたのですが、とても運転はできそうになかったので、おとーちゃんに頼んだというわけでした。
幸い、朝イチでの小児科の予約が取れたので良かったです。
昨日は別に体調は悪くも無かったんですがねぇ…。
今年一番の寒波のせいかしらー、とか、
たまたま満月の光を浴びちゃったせいかしらー、とか、
息子がお熱出して心配したせいかしらー、とか、
ついついあれやこれやと原因を考えてしまいます。
原因をつきとめて、予防の対策を取る……ということをしたいからなんですけどね、
でも、何が原因なのかは分からんことの方が多いんです。
こーゆーのって。
明らかにコレ、というのがある時もありますけどね、そっちの方が圧倒的に少ないです。
今日も娘がまたしても体調を乱しまして、あと1時間で帰宅というところでお迎えに来てくださいと学校から電話がありました。
まだまだ体調が不安定な娘は、どんより気持ち悪いのが続くと、イヤになって泣いて「どうしたらいいの?」と私やおとーちゃんに訊いてくるのですが、
それ、私が知りたいくらいよ、ってなもんです。
娘にあれこれ話してはやるんですが、「これってなんの自虐プレイ?」って思うくらいです。
娘に対しての言葉は、しんどい時に落ち込んで弱気になって泣きそうになってこの身体で生きてるのがほとほと面倒になる私自身に言い聞かせてるような、そんな気持ちにさせられます。
でもって、
ゆうべみたいに発作になりかけて、今朝みたいにしんどいと、とにもかくにも余裕が無くなりますしね……。
「発作になりかけても、それで終わったから良かったやん。」と、おとーちゃんに言われて、自分が娘に言ってやる言葉と同じようなもんだよなー、と思いつつ、
『分かってるけどイヤなんだよなー。発作になりかけたってこと自体がほんともーイヤなんだよなぁ…。しんどいのはもう懲り懲りなんだもん…。』と、しょぼぼぼぼぼんと落ち込む自分もがいるのです。
アレですね。
そこそこ体調がいい感じの日が続くと、あれもやってみたいこれもやってみたい、と意欲が湧いてくるんですけど、
こういうことがあると、すこーんと全部チャラになるというか、リセットされちゃうというか、ふりだしに戻る、という感じです。
それでもね。
美輪様がゆーてたみたいに、すこーんと落ちても、以前落ちた時より紙一枚くらいの厚さが違うはずで、だんだんと落ち込む度合いが変わってきている、というのを信じたいです。
娘も私も、おそらくどこかが敏感で、それが身体に出やすいんでしょうし、
それは遡れば、オカンやおばあちゃん、ひいじいちゃん…と、ご先祖様から受け継いでるものであったりします。
ひいばあちゃんが親の決めた「見た目はいかつくても健康で丈夫な男性」とそのまま結婚していれば、私も丈夫だったろうになー、と思ったりすることもありますけど、
ひいじいちゃんから受け継いでるDNAは、凹の部分がえらいこと目立ちますが、凸の部分も必ずあるはずで、
それは専ら「感性」の部分に現れてるんだろうなー……と、娘を見ながら思ったりもします。
……ってのも、
じぇいど♪さんがそう言ってくれたから、そうだよねぇぇぇ……って思えたって話なんですけどねん。
自分ではなかなか気づかないもんです。

1日1回、エビオスを10錠弱とビオフェルミンを3錠飲み続けいると、私の場合はお通じがいい感じにキープされるようです。
他にもいろいろ試してみたんでけど、これが一番いい感じです。

「豊橋カレーうどん」を初めて食べました。

寒いですね。
なかなかの寒波が来てますね。
そんな寒さの中、今日の午後に豊橋の某所に家族でお出かけしまして、
お腹すいたねーってことで、ちょっと遅い昼食を食べにおそば屋さんに行きました。
すると、豊橋カレーうどんがありましてね、私はまだ食べたことがなかったので注文しました。
おとーちゃんは「量が多いと思うよ~。」と言ってくれましたが、一度は食べてみたかったんですもん。頼んじゃいましたよ。
こちらのお店の支店でした。
http://guide.travel.co.jp/article/5729/
支店の方は、うずらの卵がフライになっていました。
カレーうどんなのに、とろろご飯が埋まってるんですよ!
そしてこれが美味しかったんですよ!

……でも、確かに多かったです。私には。
これは私一人では食べきれない量でした。
残念っ。
てなわけで。
豊橋に来ることがありましたら、豊橋カレーうどんを是非♪

やってみたいなぁと思ったらあまり深く考えずにやってみる…という一年にしたいです。


愛知県東三河って雪も少ないところで、そんなにめっちゃ寒いってところじゃないんですが、
この予報にはびっくりぽんですわ~。
どこのスキー場?って思いますよねぇ。マイナス8度なんて。
本当にこんなに気温が下がるんでしょうかねぇ…?どきどき……。
さて。
民絵屋7周年のお祝いの言葉をありがとうございました♪
さらに、その翌日は私の誕生日ということで、これまたあちこちからお祝いの言葉をいただきまして、ほんとうにありがとうございました♪
プレゼントもいろいろいただきまして、幸せものでございます。
ちなみにおとーちゃんからはコタツをもらいました。
うちのコタツ、おとーちゃんが学生の時から使っていたやつだったんですよ~。
さすがに天版がダメになってきまして、ささくれた木のところで私が手を傷つけてしまったので、(子どもたちがケガしないように)そっこーで新しいのを買ってくれました。
これを誕生日プレゼントってことで~、と。
や~、実用的なものが嬉しいですよ。夫婦間では。ほんとに。
ありがとうね♪おとーちゃん♡
それで、ですね。
月子さんからは毎年恒例の「今年の太陽回帰図の解読」をプレゼントしてもらいました♪
太陽回帰図とは出生の太陽と同じ度数に(その年の)太陽が回帰してきた時の天空図のことです。
かなりの長文なのですが、そのほんの一部をご紹介します。

今期テーマ:心から楽しむこと、自分のなかの創造性について
今期は自分の内面活動に重心を置く年になりそうです。
特に、【自分が心から楽しいと思うこと】や【創造性】についてがテーマになります。
今までにやったことのないことや、新しい分野に興味が湧いてくるかもしれません。
ただ、自分自身が楽しむことや子供のことが優先されるため、あまり表だった活動にはならないでしょう。
情熱を傾けるようなやり方ではなく、割とドライな感じで、でも、気長にマイペースに続いていくパターンになりそうです。


これがまた面白いなー、と思うんですが、
年明け久々にじぇいど♪さんとのやりとりをしてすぐだったんです。この回帰図の解読をもらったのが。
この記事を読んだじぇいど♪さんから「もっと気楽にやりたいと思ったことをどんどんやってみれば?」と言ってもらってたのです。
そうだよなー。
もちょっと気楽に考えていいんだろうなー。
やったみようかなー、と思ったら、あれこれ考え過ぎずにやってみたらいいのかも。
と思ったところにこの回帰図の解読だったので、ちゃんと回帰図にも出てるんだなぁ~と感心しました。
そして、
『情熱を傾けるようなやり方ではなく、割とドライな感じで、でも、気長にマイペースに続いていくパターンになりそうです。 』
というところがまた良いわけですよ~。これが。
「これがやりたいんだ!」という情熱メラメラじゃなくて、割とドライな感じでいいってことですもんね。
情熱が強く燃えている時というのは、「運動エネルギーが大きい」状態みたいな感じがするのですが、
ドライな感じというのは、今は目立って動いていないけど「位置エネルギーはちゃんとあるよ」という感じがします。
自分が持っているエネルギーを無理して運動エネルギーや熱エネルギーに変える必要はなくて、淡々と気長にやっていけばいいんですもんね。
しかし、ドライとは言ってもですよ、

また、お金を稼ぐことに意欲が出てきます。
物質的な豊かさ、目に見える形で対価を受けとることで、純粋に【手に入れた時の喜び】を、いつも以上に強く感じられる時期です。
自分の仕事が、誰かの、なにかの役に立てているのだということを、報酬を手にすることでさらに強く実感できるでしょう。
お金を稼ぐことに対して前向きに考えられるようになり、素直に喜びを見出せるようになると思います。
そして、それが後々の仕事のモチベーションにも繋がっていくでしょう。
ただ、今期は、良くも悪くも、モチベーションに非常に左右されやすい時期で、【やる気=豊かさ】と言ってもいいくらい、現実が直結しています。
どうしてもやる気が起きない時には、しばし充電期間を設けて、気分転換をしてみてください。


と、お金を稼ぐことに対しても妙なブロックも無く前向きに意欲が出てくるなら、それはとても有り難いです。
そして、モチベーションをいかにキープするか、が鍵というのも分かる気がします。
淡々と気長にやってみたいことをやるためには、ちょうどいいモチベーションをキープしないと途絶えてしまいますもんね。
がっつり仕事だったりとか、家事だったりとか、「やらなくてはならないこと」なら、その義務感から身体は動きますし、
エイトに関することなら、その情熱から身体が勝手に動きますけど、
義務感でも強い情熱でもなく、『ちょっとした思いつきや、ちょっとした興味』からすっと身体が動く…というのは、実はあまり無いのです。(なんてお尻が重いの!)
そのためには強すぎず弱すぎず「ちょうどいいモチベーション」をキープするというのが、確かに鍵なんだろうなー、と思います。
それは「あまり深く考えすぎずに気楽にやってみる」がポイントなのでしょうね。
そして、

色彩表現についても、今後、もっと微に入り細に入りした、感覚的な部分が磨かれそうです。
ニュアンス部分に広がりや厚み、奥行きなどが出てくるのではないかと思います。
物質的な表現にこだわるのではなく、もっと感覚に訴えかけるような表現方法に軸足を持っていくのかなと感じました。


というのも、ちょうどいい塩梅でエネルギーを使って「やってみる」ということを淡々と続けてみると、その結果としてこういう部分もついてくるのかなー、と思いました。
簡単に言えば、
今よりちょっとだけフットワークが軽くなったらそれでいいよ
という感じですね。
うん。
と。
今年の太陽回帰図を読んでもらって、うむうむと唸っていたのでした。
月子さんに今年の太陽回帰図を読んで欲しい方は、こちらの月子さんのブログ記事をチェックして申し込んでください♪

民絵屋7周年でございます。

民絵屋7周年
民絵屋を開業してから本日でまるっと7年も経ちました。
ご贔屓にしてくださったみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます♡
どうぞ、これからもよろしくお願いします♪

「これまで使っていた武器はそろそろ通用しないかもしれない」に似た感覚に襲われた

おかげさまで民絵屋福袋は、カートオープンからすぐに売り切れました。
ほんとうにありがとうございました♪

発送作業も終えまして、お客様に喜んでもらえるといいなぁぁぁぁ、と願っております。
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お庭で毎年この時期に咲きます。
庭の手入れなんてちっともしないダメ嫁なので、こうやって勝手に生えてきて勝手に咲いてくれるというのはありがたいです。
さて。
このあたりで自分自身の整理のためにも書いておこうと思います。
大晦日恒例の石井ゆかりさんの年報がアップされて、それを読んだ時に思わず「うわっ…。」と声を出してしまいました。
2016年の山羊座の年報の中に、こんな文章があったからです。

2015年頃から、山羊座の人の多くは
「これまで使っていた武器は、
そろそろ、通用しないかもしれない」
と直観しつつあるのではないかと思います。
そして、古くなった武器を捨てて、
新しい武器を手に入れることを考えつつあるのではないかと思うのです。
この「古くなった武器を捨てる」作業は、
そんなに簡単ではありません。
なぜなら、
「どうしてそれが機能しなくなったのか」
を詳しく深く掘り下げなければ、
新しい武器をつくるためのアイデアが生まれないからです。
ある程度まで迷い尽くしたところで、
次の段階に進めます。
何が足りなくて、何が必要なのか。
自分には、どんな可能性があるのか。
それを、自分の内側へ、内側へと掘り下げても
たぶん、迷宮にはまり込んでいくような感じがするでしょう。
そこで、
「外に出て学ぶ」
という動きが生じます。


娘のディスレクシアのあれこれが精神的に一段落したところだったので、10月上旬くらいでした。
ある日、まさしく『これまで使っていた武器は、そろそろ、通用しないかもしれない』にとても近い感覚に襲われました。
それはもちろんお仕事に関してのことなのですが、これがまた石井ゆかりさんの言葉通り、
『何が足りなくて、何が必要なのか。自分には、どんな可能性があるのか。それを、自分の内側へ、内側へと掘り下げても たぶん、迷宮にはまり込んでいくような感じ』になっていくばかりでした。
それは、FBであることが目に留まったことが発端でした。
私はFBのアカウントも持っていまして、1日に1回程度は少しばかりチラッと見るのですが、「友達」も多くありませんし、ちょっと苦手なのです。FBが。
私にとっては使い勝手がイマイチ良くないのです。
そして、やはり「申請して友達になる」というのに少し身構えてしまうというのも大きいです。
ツイッターみたいに勝手に気に入ったアカウントをフォローする方が気軽なのです。
ですから、普段はチラっとチェックするだけで終わってるのですが、その時は何故か数年来の知り合いである「みづきちゃん」の記事に付いている「いいね」の数が何故か目にすーっと入ってきたのでした。
あらー…。
こんなにいっぱいの「いいね」が付いてるやん。
さぞ「友達」が多いんやろうなー…。
と、単純に思った……だけなら良かったのですが、何故かいつもと違う思考回路に電流が流れたのでした。
「FBでスピ系の人にせっせと友達申請して繋がりを増やしていくこともお仕事に繋がるんやろうなぁ~…。ある種の営業でもあるよな~…。」
と、思ったのです。
実際、みづきちゃんはFB繋がりから好ましい形でお仕事を依頼されてるようでした。
(匿名にしても分かる人には分かるだろうからこの記事で名前を出していいか、と彼女に先日問い合わせした際に、彼女は彼女で仕事についてはアレコレ悩ましいと思っているという話をしてくれたのですが、あの頃は彼女のポジティブな流れしか目に入ってこなかったのでした。)
しかしですよ。
みづきちゃんはシンプルに「気になる人と繋がりたい」と思って行動した結果、友達が増えてお仕事にも繋がったわけですが、
もしも私がここからあちこちに友達申請をするというのは、営業目的で友達申請するわけで、それっていやらしいよな~、とも思いましたし、
何より私はみづきちゃんみたいに直感でぴぴっときた人とどんどん繋がる、というスタイルは向いてないのです。
(や、営業目的で友達申請することを「いやらしい」と思うというのも思い込みなんだけどね。)
ですからもちろん自分の中で即却下、だったのですが……
「じゃあ、どうするの?どうしていくのがいいの?」という自問へと切り替わってしまいました。
そこからでした。
『これまで使っていた武器は、そろそろ、通用しないかもしれない』にとても近い感覚に襲われたのは。
地味に悶々とし続け、ほんとうにそれは迷宮のようでした。
答えどころか、自分の仕事に対しての展望すらどんどん訳が分からなくなっていきました。
絵を描く事は子供の頃から好きで、あれよあれよで民絵屋を開店したは良かったのですが、もともと自分の絵に関しては自信があるとは言えませんでした。
それでも、いろんな方が絵を買ってくださり、去年の1月には池袋の梅舎茶館さんで個展まで開催させてもらいましたから、まだまだ精進し続けなければならない、という自覚は大切でも、自分の絵を卑下するのはお客様に対して失礼だ、ということは分かるようになれました。
ですから、卑下こそしなくてもそもそも自信があるとは言えないのに迷宮にはまりこんでしまったために、何をどう評価すべきかも、そこから民絵屋としてどのように努力すべきかも、どうなりたいのかも、どんどん分からなくなっていったのでした。
絵に対して精進を続けるのは大前提として、現状で、
もっとお仕事をいっぱいしてお金儲けをしたい自分もいれば、目立つのが怖い自分もいるし、
もっと評価されたい自分もいれば、そんな自分をあさましいと感じる自分もいるし、
もっと営業をするべきだと思う自分もいれば、今まで通りで十分と思う自分もいるし、
……と、デッドロックもいいところでした。
自分がさらなる発展や成功を望んでいるのかいないのか、考えれば考えるほど分からなくなっていきました。
しかし、『これまで使っていた武器は、そろそろ、通用しないかもしれない』にとても近い感覚は到底無視できませんでした。
そこで、じぇいど♪さんや月子さんに相談すれば、あれこれと的確なアドバイスをくれたとは思うのですが、
分かっているからこそ、言えませんでした。
そこが不思議な精神状態だったのですが、分かっているからこそ誰にも言えなくなっていました。
今から思うと、『迷い尽くす』ために言えずにいたのかもしれません。
そのように地味に悶々とし続けているうちに、ふと「天使の絵以外で(仕事として)描きたいものは何だろう?」という問いが生まれました。
描けるもの、ではなく、描きたいもの、です。
その問いの答えがパーソナル・ゲートの絵でした。
パーソナル・ゲートの絵を描く事ができて、かなり自分の中の内圧は下がっていったのですが、
それでもやはり、まだスッキリとはしませんでした。
すると、1月3日のことです。
豊川稲荷にお参りに行きまして、奥の院でお参りをした時に、「家内安全、商売繁盛」を「お願い」しました。
普段のお参りの時は「ありがとうございます。世界人類が平和でありますように。」としか祈らないのですが、
この時は係のおじさんが「豊川ダキニ天様に【お願い】をしてくださいね。」とおっしゃったので、お祈りではなくお願いをしました。
(そしてこれはお父ちゃんも「お?」と思ったそうです。毎年お参りに行きますが、こんなふうに言われたことが無かったからです。)
そして、ダキニ天様のご真言を唱えているうちにすーーーっと変性意識状態に入っていき、瞼の裏にダキニ天様がすっと現れて軽く微笑んでくださったような、そんなイメージが浮かんできました。
ああ。
お願いを聞いてくださったんだ。
家内安全だけでなく、商売繁盛を願ってもいいんだ。
と、嬉しくなりました。
そして喜んだ途端に、去年の春からなにかとお世話になっている氣乃さんが【開運&金運・好転加速力・伝導】の有料モニターを募集されたので、びっくりしました。
自分だけでは歩みが遅々としてるので、ちょっと背中を押してもらえ、ということかしら?と思えてなりませんでした。
それで、氣乃さんに質問しました。
「まだ悶々としていて、自分が本気で成功を望んでいるのかどうか分からない状態で、覚悟がちゃんとはできてはいないと思われるのですけど、これってセションを受けるのには時期尚早ということですかね?」
と。
その時の回答はこちらになってます。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12115036177.html
「自分の無理の無いスタイルでの変革」ということだったのでお願いすることにしました。
…と、セションをお願いしたら、吉夢を見ました。
夢占いによると、自分の潜在能力が発揮され大成功を収められる幸運期の到来を暗示する吉夢…なんだそうです。
背中押してくれてますよね。
これ。
自分次第で、商売繁盛するってことですよね。
そこでようやくお父ちゃんに去年の10月から地味に悶々としていた一連のことを話しました。話せました。
すると、お父ちゃんがすぱーんと言いました。
「あんた、詐欺師になりたくないんやろ?」
おそらくそうなんだと思いました。
やはりどこかで、仕事として絵を描く自分というものに自信が持てずにいるのです。
絵を描くことは好きなので、天使の絵を描いていて苦痛に感じることはありません。
性に合わないのにIT企業に入って仕事をしていた頃のような苦痛は全く無いです。
けれども、私は描きたいものを描いているわけではありません。
でもそれは、仕事として依頼されたものを描いているから、という意味ではありません。
おこがましいですが、やはりそれは「高次の自分がやっている仕事」としか言えない感覚なのです。
それを、ざっくり「神様仕事」という言い方をしますね。
ならば、その「神様仕事」を完うすることだけ考えればいいのに、と自分でも思うのですが、そうは問屋が卸さないのですね。
圧倒的な才能を持った上で努力を重ねて素晴らしい作品を生み出している絵描きさんはたくさんいます。
そういう人たちが「神様仕事」をすればいいのに、なんでよりよにもよって「才能は無いけど絵を描くのは好き」というだけの私にそんな「神様仕事」を与えるのか、と、若干イラっとすることすらあります。
……イラっとして、ショボンとするのです。
多分。
私には、仕事としての絵描きで大きく成功して良いのは圧倒的な才能のある人だけだ、という思い込みがあるのです。
ですから、いくらそれが「神様仕事」であろうとも、これ以上の発展・成功を望むのは身の丈に合っていない、と自分に対してダメ出しをし続けているんだな、と気がつきました。
だったらなおさら、身の丈に合うところで今まで通り粛々と「神様仕事」を頑張ればいいじゃない。
……でもね。
これがまたですね、10室太陽の性なのか、理想が高いだけでなく、社会的成功や仕事の発展を望む野心もあるのです。
性に合わない仕事をしていたり子育てをしていたり、で、ずーっとそれを無視するような状態になっていましたが、それでも自分の中に「お仕事で発展したい」という欲求があるのは分かっていました。
これらがずーーーーっと噛み合わなかったのです。
噛み合わずにぐるぐるし続けていたのです。
と、
やっとこさ自分の中の矛盾の構造がある程度明確になったは良いのですが、
次は、さてここからどうしましょうか、という段階です。
はてさてどうなりますことやら。

☆民絵屋福袋、1つ追加です☆

最近、うさえるの人気が高めなので、こちらの福袋に1つ追加しました。
うさえる02
うさえる02アップ
なんとなくなんですが、人というのはたくさんのご縁の「素」みたいなものを持っているような気がするんです。
それを守護霊さんといいますか、ハイヤーさんといいますか、神様といいますか、いわゆる次元の高い自分たちによって「出会うご縁」に昇格してもらえるかどうか、というのは、今の自分の在り方次第なんじゃないかな、と思うのです。
人の悪口や愚痴ばかり言っていたり、他人を羨ましがってばかりいたり、努力せずに文句ばっかり言っていたり……で、『素敵な人とのご縁の素』を『ご縁』に昇格してもらえるわけないですよねぇぇぇぇ。
たとえ『ご縁』に昇格してもらったとしても相手に好かれないですよねぇぇぇぇぇ。
なので、今の自分の在り方次第なんじゃないかな、と思うんです。
それで、です。
このうさえるは、素敵な人とのご縁の素を昇格してもらえるようにサポートしてくれるような、そんな気がしました。
さらに素敵な貴方になって、素敵な人とご縁ができますように♪
それからそれから。
もう一枚のうさえるも、少し描き足しました。
ちょっとばかしパワーアップしたよ~♪
うさえる01
明日1月11日11:11にカートをオープンする予定ですので、よろしくお願いします♪