さきほど、ブ子が「にゃーーーーーにゃーーーー」と大声で鳴きながら帰ってきました♪
ごはんもおかわりしました♡
おなかすいたよねぇぇぇぇぇぇ。
かーさん、ホッとして泣けちゃったよぉぉぉぉぉぉぉ。
気にかけてくださってたみなさま、ありがとうございました♡♡♡
大天使オラクルカードおそるべし
ブ子さんのことを気にかけてくださる方々からコメントやTwitterでリプをいただきまして、ほんとにありがとうございます~。
さて。
今日は、先日の絵の話の続きです。
この絵です。
息子が3年生・5年生・6年生の時に交流クラスの担任だった音楽の先生にプレゼントさせてもらった絵で、
オラクルカードが大天使メタトロンのIndigo and Crystal Childrenだったと記事にも書きました。
でもですね。
このカードが出た時には「あれ?」と思ったのです。
諸説ありますが、インディゴチルドレンやクリスタルチルドレンは発達障害とレッテルを貼られやすい云々…というのを以前はちょいちょいと目にしていたため、このカードが出ると、どうしても「発達障害などを持った障害児をサポートする役目」みたいなものを連想してしまうのです。
そのため、このカードが出て、
「あれー?支援クラスの担任の先生なら分かるけど、なんで交流クラスの担任の先生にこのカードが出たんやろー???」
と、不思議だったのです。
ですから、音楽を通して繊細な子供たちに表現することを教えてあげるというお仕事をこれからも頑張って続けてください……という書き方をしたのですが………。
なんと。
今年度の支援クラス2つのうち、「情緒」の方のクラスの担任がこの先生になってました!
小学校の支援クラスというのは、「知的」と「情緒」の2つがありまして、主に知的障害の子のクラスと発達障害の子のクラスというのは別々に設けないといけないのだそうです。
そのために、昨年度の支援クラス在籍児童は3人だけなのに、2人と1人で教室も担任も別々だったのです。
(とは言っても、合同で学ぶ時間もかなり多いんですけどね~。)
始業式の日に帰宅した娘から各学年の担任の先生について報告してもらって、正直「うわーーー……。」とビックリしました。
まさかあの先生が支援クラスの担任をするなんて思ってもいなかったので、あのカードが出た時に「あれ?」と不思議に感じたのですが、ちゃーーーんとハマっていたんですねぇ……。
学校によって……といいますか、校長先生次第なのかなー、とも思うのですが、
支援クラスの担任は「イマイチな先生」をあてがう…的な学校もあるっぽい話も耳にすることもあります。
おかげさまで、息子が小学校入学した時の当時の校長先生は支援クラスの担任をしてきた経験のある方だったので、障害児教育にはとても理解のある先生でした。(←ちなみに定年退職後の今も教育委員会でやっぱり障害児のために働いていらっしゃいます。支援学校の説明会でバッタリお会いして、息子の成長っぷりをお話したら涙ぐんでくれたこともありました~。)
その次の校長先生もその路線をそのまま引き継いでくださったので、とても有能な先生も「この小学校の最後の1年間は支援クラスの担任をしたい。」とおっしゃったそうで、一昨年は「情緒」のクラスを受け持っていたくらいでした。
なので、希望していなくての配属というよりも、もしかしたら去年の交流クラスの担任の先生も支援クラスの担任を希望したのかもしれないなー……なんて、ちょっと思ったりしました。
そこらへんは、用事があって学校に行った時にでもチラリと先生に伺ってみようかなー、と思っておりますが。
というわけで。
大天使オラクルカードおそるべし!
と、あらためて感じたというお話でございました。
ブ子が帰って来ない…。
実はですね……。
1週間前の4月2日(土)の午前中にお散歩に出たまま、ブ子が帰ってこないのです。
いつもならお昼過ぎには帰ってくるのに、午後になっても帰ってこなくて、夜になっても帰ってこなくて、とうとう1週間経ってしまいました。
我が家の周辺では他の野良猫のオスが2~3匹ほど出没して、ブ子が時々ケンカをふっかけられることがあったのですが、その度に私が助けに出てました。
ブ子は強い猫じゃないので。
なので、散歩の途中どこかでケンカっ早いオス猫に追いかけられて、ケガをしてどこかに隠れているのか、
どこか遠くまで逃げて帰って来ることができないのか、
または車にはねられたのか……何が起こって帰って来ることができないのかは分かりませんが、とにかく帰りたくても帰れない状態なのだろうと思います。
ブ子を飼い始めた時に、外に出すということはこういう状況になることもある、というのは覚悟していましたし、
昔から実家でも何匹もこうして帰って来なくなったオス猫たちがいたのですが、
やはりこういう心配と寂しさとポッカリ穴が開いたような心地というのは、何度目であっても慣れるものではありませんね。
私ですらそうなのですから、ブ子を宝物のように思っている娘の心情は大変なことになっていました。
特に最初の2日間は娘は泣きまくっていました。
ブ子が帰ってこなくて、心配で寂しくて、声をあげて泣いていました。
すると、息子がこんな絵を書いて、泣いている娘に渡していました。
そして、妹に対してこんなことを言いました。
「神様は僕の味方で、神様がブ子ちゃん帰ってくるって言ってるから。」
息子なりに妹を思いやっていたのでした。
そんなわけで、
何度も子供たちとあちこち歩いてブ子探しましたが見つかりませんでした。
今日も午前中に小一時間ほど3人であちこち歩いて探しましたがダメでした。
娘は地元の神社にお参りもしてお願いしていました。
別件で氣乃さんにメールの返事を出した時に、ブ子が帰ってこなくて……と書いたら、「遠隔でエネルギーを流してあげて。」と教えてもらいました。
ケガをしていて何処かでジーーーっとしているかもしれないので、ちょいちょいと遠隔でエネルギーを流し、
「ブ子は無事に帰ってくる。」と何度も心の中で言い続けました。
そして昨日なのですが。
私一人で一宮にお参りをしました。
息子が中学生になったことや娘も元気に小学校に行ってることや、お父ちゃんのところの仕事も忙しいことなどを報告しつつお礼を言ってから、ブ子が行方不明になっているので、どうか無事に帰って来るようにブ子を導いてやってください…とお願いしました。
いつもは神様にお願いはしないのですが、今回はお礼と共にお願いをしました。
それから、「神様からのお手紙」だと思って御神籤をひいたところ……
「大吉」でした。
心配ごとがいっぱいあっても平和に落ち着く、なんて、ありがたいと喜びました……が。
「待人」が「さわりあり 来らず」ではありませんか……。
なんてこと……。
かなりしょぼーーーーーーんとしてしまいました。
が。
いや、待てよ…。
ブ子は猫だから、「待人」じゃないやんね。
「人」やないもん。
それに、「願望」が『アカンと思ってても後から調うよ』って書いてあるやん!
と、気持ちを切り換えまして、
御神籤にこんなことを追記させてもらっときました。
※ちなみに、「待人」の意味はコチラ。
ブ子を探して歩いていたら、畑仕事をしていたおじさんのおばさんが声をかけてくれて、お話をちょっとしたのですが、
昔飼ってたオス猫ちゃんは1カ月ほどしてフラっと帰ってきたことがあったそうです。
お父ちゃんの同僚さんのところなんて、3年経ってからフラっと帰ってきたそうです。
なので諦めてはいませんけどね……
ああああ、でもね、一日でも早く帰ってきて欲しいです~~~~……。
ブ子ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
早く帰ってきてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!
「うぃっしゅ!」
「歌うメタトロン」と「ぐるぐるなラギュエル」
ちょっと時間が経ってしまいましたが、
卒業式の後に、息子がお世話になった支援クラスの担任の先生と交流クラスの担任の先生にそれぞれ絵をプレゼントしました。
池袋の梅舎茶館さんで去年開催させてもらった展示会に(もちろん他の用事もあったのでしょうけれど)お二人共来てくださったくらいですので、きっとプレゼントしても「こんなのもらっても困る~。」なんて思ったりはしないだろうと思いまして、勝手に描かせてもらったのでした。
こちらは、交流クラスの担任の先生の絵です。
メタトロンが歌ってます。
音楽の先生で、息子が3年生、5年生、6年生の時にオペレッタをがっつり指導してくれて、学習発表会で感動させてくれた先生ですから、メタトロンが歌っていてもちっともおかしくないよなー、と思いました。
Indigo and Crystal Childrenというオラクルカードだったのですが、
繊細な子供たちに音楽を通して自分を表現することを教えてあげるというのはとても素晴らしいことだと思うので、これからも先生には(めっちゃパワーが必要なことだと思いますが)頑張って毎年オペレッタを指導し続けて欲しいと思いました。
そして、こちらが支援クラスの担任の先生へ描いた絵です。
Clairsentience(超感覚)というカードだったのですが、これはほんとーに時間がかかりました。
3層の絵になってます。(←アクリル絵の具なので塗り重ねられるのです。)
……で、ですね。
先生には何かがっつりとお手紙を書いたのですが……、何を書いたのかさっぱり思い出せません。
もー、チャネリング状態あるあるですねぇぇぇぇ……。
あー……
でもですね、先生は「支援クラスの先生」というのがとても合ってると思うので、(学校の上の人たちが決めることなので)先生の希望だけでは続けられないことは分かっていますが、障害児教育にずっと携わって欲しいというのは伝えました。
そして先生もそれを希望しているそうで、息子との5年間(←2年生から卒業までお世話になったのです)が先生にとっても有意義なものだったというのが先生の言葉から伝わってきて、本当にありがたいです。
残念ながら先生は今年度から違う小学校に転任になりますが、また会いに来てくれると言ってくれました。
……や、これがですねぇ。
息子よりも娘の方がショックを受けましてねぇ……。
富山旅行から帰ってきて、新聞で先生の異動を知って、めっちゃショックを受けてたのです。
娘は繊細なところがあるし、芯の強いところもあるんですが、外ではあまり強く自己主張をしないので、クラスの女子の中で「押しの強い子」たちとのやりとりでモヤモヤすることも時々あるそうなのです。
そんな時は支援クラスに行って、お兄ちゃんの笑顔を見るとホッとできたのだそうです。
そんな太陽のようなお兄ちゃんが卒業したらどうしよう、と娘が言うので、
「(支援クラスの)〇〇先生がいるから大丈夫だよ。またいつでも支援クラスに行けばいいんだよ。」
と、慰めていたのですが、その先生も転任だと分かったために娘はショックを受けていた、というわけなのです。
でもね、
きっとね、これは「節目」の1つなんですよね。
この学校では4年生になると児童会や委員会の仕事も始まるし、クラブや部活も始まります。
それだけでも子供たちにとっては大きなことなのですが、校長先生も変わるので学校の雰囲気も変わるかもしれません。
そんな変化の中で、頼りにしていた「太陽のようなお兄ちゃん」も、大好きな先生も居ないというのは、娘にとっては試練…とまでは言わなくても、ぐっと足に力を入れて階段をひとつ上がるようなものだろうと思うのです。
頑張れー!娘ちゃん。
富山に行ってきました。
息子は藤子・F・不二雄先生が大好きで、2013年のクリスマスの日に川崎の藤子・F・不二雄ミュージアムに行きましたが、
そこを堪能した息子は、それからはずーーーーっと富山県高岡市に行きたい行きたいと言っておりました。
高岡市は先生の生まれ育った街です。
修学旅行で奈良の大仏様を観てからは、さらに高岡大仏にも行きたい、と言い出し、
藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーもオープンしたことですので、卒業記念だ!とお父ちゃんが頑張って連れていってくれました。
ええ、車で愛知県の東三河から富山まで行ってきました。
30日31日と一泊二日の富山旅でした。
早起きしまして、4時間かけて富山に到着。
まずは氷見の藤子不二雄A先生の資料館に行きました。
そして高岡に行き、高岡おとぎの森公園に寄ってから、ふるさとギャラリーを堪能してきました。
あ、私が、です。
川崎のミュージアムの時は、息子がたくさん飾ってある原画をすっとばして行くので、じーっと鑑賞できずにいたのが心残りだったのですが、今回はじっくり観ることができました。
特に複製原画の中に本物の原画も何枚かありまして、その中の色原画を見入っておりました。
ふつーの、子供たちが使う絵の具と同じもので描かれているとは思えない原画でした。
今はPCで色塗りをする人が多いでしょうし、アナログでもコピックなどを使う人が多いんじゃないかと思うのですが、ふつーの絵の具で描かれた原画の塗りに感動しておりました。
丁寧なのに迷いを感じない筆使いに、「F先生!私も精進します!」と心の中で誓ってしまいました。
川崎のミュージアムの方がもちろん規模は大きいのですが、高崎のギャラリーは予約も不要で人もそんなに多くないのでじっくりゆっくり観ることができて良かったです。
そして、(車を置いて)ギャラリー近くの大きな高岡古城公園から歩いて高岡大仏にお参りしまして。
そこからまた歩いて駅前まで行きまして。
駅前で富山名物ブラックラーメンをいただきまして。
そして、駅の中にある「ドラえもんポスト」に、息子がお世話になった先生へハガキを投函しまして。
時間になったので、ドラえもんトラムに乗って高岡古城公園まで戻りました。
そして、お宿へ。
かんぽの宿に宿泊しました。
夕飯もおいしくいただきました♪
お米がおいしかったです♡♡
デザートのオレンジプリンもめっちゃおいしかったです♡♡
お宿は東向きの窓だとお父ちゃんが気づきまして、(疲れて9時過ぎに寝てしまったためか)何故か私も日の出1時間前から目が醒めまして、家族みんなで日の出を観ることができました。
遠くに見える富山の高い山々から登ってくるとても綺麗な日の出でした。
かんぽの宿の展望室から見た朝の景色です。
2日目は富山市に行きまして、富山湾を展望台から眺めたり、古い町並みを歩いたりしまして、
そして、「世界一美しいスタバ」に行ってお茶してきました♪
桜も咲いてて、ほんとーに綺麗な公園でした♪
お昼はますのすしの工場見学をしてから、工場内のお食事処でますのすしをいただきました♡
大好きなの~♡♡
お昼をいただいてから、すぐに岐路につきました。
4時間運転のお父ちゃんはすごい!(←私には無理っ)
当然ですが途中、何度かSAで休憩したのですが、ひるがの高原のSAでは猫ちゃんがいました。
ヤンチャな黒丸はおじいちゃん・おばあちゃんが預かってくれたのですが、ブ子は黒丸のことを好きじゃなくてイヤがることが多いので、ブ子さんはお家で1匹だけでお留守番でした。
SAの野良猫ちゃんを見て、余計にブ子さんに早く会いたくなりました~。
あ、ブ子さんはちゃんとお利口にしてたようです。ちょっとだけ障子が破れてたけど、ほんのちょっとだけだったし。
(黒丸がいたらとんでもないことになってたと思う~。なのでおばーちゃんに感謝!!)
息子も大満足だったようですし、
初めて「旅館」にお泊まりした娘も大満足だったようですし、
子煩悩なお父ちゃんはそんな子供たちを見て大満足だったようですし、
体調イマイチなりにも倒れることもなくなんとか日程をクリアできた私もなんだかんだと楽しめて良かったです♪
やー、しかし、富山はいいところですねぇ~。
冬はそりゃ雪が多くて大変なこともいろいろあるでしょうけど、
街は道路が広いくて公園や美術館など公共施設はとても整えられてるし、田舎は田んぼががーーっと広がってるし、高い山があり、そして海もありますからねぇ。
そして「富山の薬売り」が有名ですけど、今も製薬会社が多いらしいですもんね。主要産業の一つだとか。
豊かなところなんだなー、と思いました。
あ。
ちなみに、オカンの父方系が富山の材木商だったそうなので、縁がちょっとはあるんですよね~。
大学時代に観測で立山に行ったことはあったのですが、発破実験での地震波の計測をしてただけなので、今回こうして訪ねることができて良かったです。
息子のF先生への情熱おかげだ~♪
『神さまっているの?』
先週のうちに、頼まれていた原稿は書き終えまして、額屋さんに行って新しい額を注文したり事務仕事を片づけたり……と、最低限やるべきことはやりましたけど、
薬の副作用で毎日眠くて眠くて、なかなかブログを更新できずにおりました。
……鼻炎用の抗アレルギー剤と軽い咳止めです。
ええ。なんちゃら症っぽいですよねぇぇぇ…。
先生はハッキリとは言いませんでしたけど、風邪ならもっと早く治りますよねぇぇぇ……。
ううううううううん。
……認めたくないものだな。
というわけで、
今回は娘の「夏休みの作文」を載せることでお茶を濁そうとしております。
3年生の夏休みの宿題で書いた生活作文です。
先日、返却されてきたので、写してみます。
(読みやすいように、ほぼ一文ごとに改行しておきます。)
神さまっているの?
2年生の時に、おふろの中でお父さんがわたしに「神さまっていると思う?」としつもんしてきました。
わたしは、わからないと答えました。
お父さんもわからないと言ったので、このしつもんに答えられる人はあまりいないだろうと思いました。
でも、ほかの人の意見をきいてみたくなったので、原田先生にしつもんしてみました。
「先生、神さまっていますか?」としつもんしたら、原田先生は「いるよ。神さまは人間をあたたかく見守っているよ。」と言いました。
なるほどなぁ、とわたしは思いましたが、後からちがうぎもんが出てきました。
神さまがいるなら、どうしてせんそうがおこるのか、というぎもんです。
なので、原田先生にもういちどしつもんしてみました。
「世の中を動かしているのは神さまじゃなくて人間だからだよ。」と原田先生は話してくれました。
なるほどなぁ、と思いました。魚からさるのような生物にしんかして人間になったと聞いたことがあります。だから、たまたましんかした人間を神さまが見守っているだけなのかなぁ、と思いました。
わたしは、原田先生に神さまがいるかをきいてみたら、もっとほかの人の意見も聞きたくなったので、お母さんにそうだんしました。
すると、お母さんは、占いの先生にきいてみたらと言いました。
ふしぎな力を持っている先生だとわたしも知っていたので、それがいいと思いました。
それで、お父さんとお母さんに占いの先生のところにつれていってもらいました。
わたしは占いの先生に神さまがいるのかどうかをしつもんしました。
すると、占いの先生は「いるよ。」と言いました。
「それならどうしてせんそうがあるんですか?」とつづけてしつもんしました。
占いの先生は「神さま、考えて考えて考えて、ものすごくいっぱい考えて、人間に自ゆうをあたえたんだよ。だからせんそうもおこるんだよ。」と答えてくれました。
ほかにも占いの先生は「でも、せんそうでしんだ人は神さまがたすけてくれるんだよ。」「だれでも思い出せば、神さまのことが分かるんだよ。でも、なかなか思い出せないんだよね。」と教えてくれました。
わたしは、思ってもいなかった答えでびっくりしました。
原田先生と占いの先生の話を聞いて、わたしは本当にいるのかどうか分からないけれど、神さまはいると思いました。
神さまがたくさんたくさん考えて人間に自ゆうをあたえたと、占いの先生が教えてくれたけれど、自ゆうがあるということは悪い心を持つこともできます。
それでせんそうがおこるし、いじめもあるし、ケンカもあります。いやなこともいっぱいおこります。
それなら、自ゆうがなくて神さまの言うとおりにしか動かない生物だったら良かったのかな、と考えてみたけれど、それも幸せじゃないと思いました。
夏休み中にお手つだいをしていて、ほうちょうで指を切ってしまいました。
とてもいたかったけれど、ほうちょうで切る時はかならずねこの手にしないといけないと分かりました。
いやな思いをすると、言われただけよりもっとよく分かるので、神さまは人間に自分でよく分かるように自ゆうをあたえたのかな、と思いました。
でも、たまたましんかした人間を神さまが見守っているという考え方も、神さまが人間を作ったという考え方も、どちらも大切だとお母さんが言いました。
だから、いろいろな人の意見を聞くのは良いことだし、答えは一つじゃないと分かりました。
娘が「学校の先生にも質問してみたい。」と言い出した時に、すぐに「原田先生に質問してみ?」と私は言いました。
ベテランの男性教諭で、さらにこの手の質問にもちゃんと答えてくれる先生だと分かっていたからです。
先生としても人としても信頼できる人だと私は思っているから、原田先生の名前を出したのでした。
そしたらですね、娘が先生に質問するつもりでいたけれど、なかなか先生と休み時間に遭遇できずにいた数日の間に、息子の用事で小学校に行った時に私の方が原田先生とたまたまバッタリ会うことができたので、
「先生ぇぇー。娘がねー、先生に『神さまっているの?』って質問したいって言ってるから、ご面倒かけますがお願いしますねぇぇぇ。」と根回しもしたのでした。
先生は「へぇぇぇ。そんな疑問がもう出てきたんだねぇ。分かりました~。」とニコニコしながら引き受けてくれました。
そして、占いの先生というのは、私たち夫婦が20年近く前から時々お世話になっている豊橋のおちゃめな霊能師の先生のことです。
先生が娘に対してどうやって答えてくれるのかなー?と私も楽しみにしていたのですが、さすがでした。
隣で先生と娘のやりとりをずーっと聞いていて、「ほぉぉぉぉー。」と心の中で何度も唸りましたもん。
もちろん、彼女が一人でこれを書き上げたのではなく、私がつきっきりで「人に読んでもらえる文章の書き方」というのをアドバイスしながらだったのですが、それでもちゃんとね、娘の中に在ったものだけをアウトプットしております。
子供は根源的な問いを大人に投げかけることがありますが、その問いによって、その大人の人生そのものを問われているようにすら感じることがあります。
娘は私には直接この問いを投げかけることはありませんでしたが、誰に質問したらいい?と相談してきてくれた時に信頼できる人たちの名前を出すことができて良かったと思ってますし、
娘がそれぞれの答えを彼女なりに消化して自分のものにできたみたいなのが、ほんとうに良かったなぁ、と思っています。
そうなんですよねぇぇぇぇぇ。
自分の中に在るものを、ちゃんと他人に伝わるように表現する力をつけるのって、ほんっっっと大切!
こっそりお知らせ
3月21日の今日が春分の日だと、つい最近まで思い込んでいたたみえかーさんです。
息子の小学校卒業式も無事に終え、載せたい絵の画像、書きたいブログ記事、書かないといけない依頼記事(←おとーちゃんの勤め先であるNPO法人から4回の連載ってことで執筆を依頼されてまして、次ので最終回の予定なのです。)と、いろいろあるのですが、なんやかんやでなかなか難しいです。
やー、でも依頼された原稿は今週中に書かないと~~~。ひーー。
さて。
以前、お知らせしました「パーソナル・ゲートの絵」の販売についてですが、
民絵屋のカートには昨日の夜にアップしてもらいました。おとーちゃんに。
ただし、まだ表立ってどーんと売り出してません。
てか、商品説明のページを作ってないんです。
なんやかんやでなかなか難しいもので……。
とういわけで、「常連さんにだけ出す裏メニュー」的な感じになってますが、もしよろしかったらご注文承ります~。
裏メニュー的な間は値段を天使の絵と同じにしております。
サイズは天使の絵より少し小さくて、正方形になる予定です。
額は、まだ額屋さんに相談してないんですが、今の天使の絵とは逆に、細めの額でマット広めにしようかなー、と思ってます。
こんな感じのね。(←以前の天使の絵の額)
というわけで、こっそりお知らせでした♪
もしかして、もしかしたら…
inahoの店長さんに頼まれまして、特別に描かせていただきました。
お友達のお店の開店祝いに贈りたい……とのことだったので、開運・金運サポートのエネルギーを降ろしながら描かせてもらいました。
そのお友達にも気に入ってもらえたようで良かったです~♪
お店が繁盛しますように!
*+*+*+*+*+*+*+*
さてさて。
先日、突然「ハッ!」とした話です。
去年の9月に発生した娘のディスレクシア問題からこっち、なんだかんだでずーーーーっと娘に心配をかけさせられています。
今までこんなことなかったのに、なんだかんだと続いているのです。
いえね、ディスレクシアに関してもね、分かったからこそ親の態度もより善いものに変えられましたし、学校の先生もちゃんと理解してくれてますし、なにより本人が自分の資質を理解できたことが大きくて、苦手だけど頑張ってるんですよ。
そしたらですね、去年の1月から通いだしたソロバンの効果も出てきたんだろうな、と思うんですが、算数のテストの点数が高め安定してきまして、
それにつられるかのように、理科や社会も高め安定してきたのです。
苦手だけど漢字を頑張るぞ、という娘の心意気が他の科目にも反映されてるような気がします。
そして、勉強が楽しいと言い出したのです。
私もどっちかというと学校の勉強は楽しかった方なので、学ぶ楽しさを娘が感じてくれているのがとても嬉しいわけなんですが、
これはディスレクシアだと分かってからの好転だよなー、と感じています。
だから、心配かけられても心配かけられておしまいではないし、おしまいにならないように親としても努力はしてるんですが、
それにしてもねー、なんだかんだと続いているのは、親としては少々キツいのです。
私、心配性だからねぇぇぇぇ。
心配しまくるわけですよ。心の中で。
そりゃしんどいですって。
そしたらですね。
先日、突然ハッ!としたんです。
ほんとに突然。いきなり。前触れもなく。
ディスレクシアだと気づくちょっと前に、娘ちゃんにゆーたよなぁ……。
『親に心配かけたくないって理由で親に相談しないというのはアカンよ。親は心配するのが仕事やでね。』
って……。
それからも時々娘に言ってたんです。私。
親は心配するのが仕事だからね、って。
親は心配するのが仕事だ、と言葉にして言ってるから、そういう現実が創造され続けてるんじゃね?
……と、ハッとしたのでした。
もちろんねー
そういうつもりはありませんでしたよー。
心配したいから言ってるわけじゃなくて、心配かけたくないから親に相談しないなんてのはしなくていいからね、というのを娘に伝えるために、娘により伝わるようにと思って言った言葉なんですから。
でもですね………
特に今年になってからなんですけどね、
所謂スピで地球の次元が上がっただのなんだのっていう話がですね、もしかしたら本当かもしれないな、と、なんとなくなんですけど、根拠は示せないんですけど、そんなふうに思うようになってきたんです。
同じ物理世界に生きてて、同じ世界を共有してるんだけど、それは間違いないんだけど、でも薄いヴェール1枚で世界が隔てられてるような………
同じ世界を共有してるけれど、それぞれ異なる次元を生きてるような、そんな感覚を覚えるようになったんです。
もしかしたら、「私という意識」は今までの次元と平行して、次元がほんの少し上がったところでも生きてるのかもしれないと、思ったりすることが増えたのです。
(それは、「上のヒト」を感知する、という意味ではないです。あくまでこの物理世界での「私という意識」の話です。)
もしもそうだとしたら、
不用意に発した言葉でも、その言葉が現実を創るスピードは以前より速くてもおかしくないわけで、
それが、自分に起こっているんじゃないか?とハッとしたのでした。
いやいや、そんなバカな~……、と否定したりもしてみたんですが、
すると、間髪入れずに長居和尚さんのこの記事が目に入ってきたのでした。
http://blog.goo.ne.jp/osyou16_1965/e/183783e1fc5eaf0cbd6ceee128119526
言霊で自分を縛る、という言葉にドキっとしました。
現状を言葉にしただけ、
分かりやすく伝えるために言っただけ、
感情を言葉に表しただけ……でも、言霊で自分を縛ってしまうことになるわけです。
やはり、今まで以上に発する言葉には慎重になった方がいいのかもしれない、と思いました。
まぁね、私の感覚が全くの的外れであったとしてもですよ、発する言葉に慎重になるのは悪いことではないので、気をつけていこうと思います~。
ソレは霧散してしまいましたが。
庭の草も、一気に春の草になってきています。
あの地震から5年ですね。
いろいろいろいろ思うことはありますが、あえて違うこと書きます。今日は。
と言いますか、メモみたいなものです。今日のは。
このところ、ちょっと今までと違う流れになっておりまして、
まずは、友人が『自分自身の自己評価と、他者の自分への評価に差がありすぎるために起こった話』をしてくれました。
それは、自分自身への評価が辛すぎた場合の話でした。
自分自身への評価が辛すぎるために、他人に褒められても、卑下でもなんでもなく、本心で「そんなわけない。」と否定してしまったり、
自分への評価が辛すぎるために、もっと努力しないといけないと頑張ることが、場合によってはイヤミに受け取られる……という気づきについてでした。
それを聞いて、「なるほど!」だったのです。
その話を聞く直前に、私自身も知り合いのところでヘッドマッサージを受けた時に同じようなことがあったのです。
マッサージをしてくれたセラピストさんが、「お肌のキメが細かくていいですね~♪」と褒めてくれたのでした。
反射的に
「いえいえ、毛穴はぱっかーんだし、シミだらけだし、アカンですよ~。」
と、本心から言いました。
でも、セラピストさんはお世辞じゃなくて、触り心地から私の肌のキメの細かさを感じて、本当に褒めてくれたのでした。
「あれ?このやりとり、前にもあったなー…。」
と、数年前の美容院でのやりとりを思い出しました。
若い美容師さんが洗髪をしてくれたのですが、その時に同じように褒めてくれたのでした。
でも、私は反射的にその言葉を否定してしまいました。
謙遜ではなくて、否定です。
しかしここで、たくさんの人の肌に触ってる人が言うんですから、お世辞も込みだとしても、間違いでも見当違いでもないのかー……、と、気がついたのでした。
私にとって、「綺麗な肌」というのは、横山裕くんのような白くて美しい肌のことを指すので、自分の肌は全然アカンと思っていました。(8TESTライブの時に彼を間近で見たんですけど、ほんっっっとに美しかったの~♪)
加齢に伴って毛穴はぱっこんぱっこん開いてるし、職場のストレスで吹き出物だらけになった時の残骸としてのシミもデカいのが何個もあります。
でも、確かに見た目に比べて触り心地は悪くないのです。私の肌は。
そうかー……。
評価基準があまりに高すぎて、自分への評価が辛口になりすぎてたのかもなー……。
と、思ったばかりだったのです。
なので、この時の正解は、
「ありがとうです~。自分ではアラばっかり気になってしまうんですけどね~。」
だったのかもなー、と考えてたところでした。
目標は高くてもいいのだけど、
評価基準があまりに高過ぎると、自分自身への評価がとても低くなり、他人からの評価とズレてしまう……というのも、やはりバランス的によろしくないのかもなー、と思ったのでした。
そしたらですね。
そこから目にするもの、耳に入るものに次々と「あれ???」となってきたのです。
たくさんありすぎるので具体的なことは割愛しますけど、「あれ???」の連続でした。
するとですよ。
昨日の夜、お風呂上がりの時に、不思議な感覚になったのでした。
不思議な感覚、としか言いようがありません。
ほんとうに体感というか……感覚として、通常の感覚ではない状態になりました。
変性意識状態の一種なのかもしれないですが、なんとも言葉にできない感覚・体感に包まれました。
それと同時に、
自分自身の肉体は完璧なのだ。
この肉体を含む自分自身を【真に】尊敬し愛すれば、【すべて】が正しく機能するんだ。
そしてそれは美しいものなのだ。
という「思考」がばこーーーんと出てきた………と言いますか、
普段の意識状態とは違った意識状態でもって「分かった」のでした。
ええ。
「分かった」のです。
そこに疑いも何もなく、それでしかあり得ないということが「分かる」というアレです。
しかし。
こーゆー「普段と違った感覚で、おそらく高次元の何かを掴んだ」ような体験あるあるなんですが、
その状態が過ぎ去ってしまい、普段の意識状態に戻ってしまうと、霧散するわけです。
「紛れもなくソレだと分かった」という感覚が。
なので、「そうだと分かった自分」を思い返してみても、それはまるで「こういう夢を見たなー。」というのと大差ない状態になってしまうのです。
本当にそうだと分かって、それを体現するにはほど遠く、いつもの自分に戻ってしまうわけです。
も少しキープできるといいなー、とは思うのですが、普段の意識状態じゃないとオカンとしてやってられないというのもありますしねー。
それに、霧散してしまったと言っても、「こんな夢を見たなー。」というのと同じようなうすーーーい感覚でしか残ってないにしても、
それを数秒でも体験して「分かった」だけでも凄いことだと思うので、
ついつい「普段の思考の癖」や「無意識にそうだと思い込んでる状態」でオートマティックに対応している自分自身に対して、
そうじゃないんだよ~、と言い聞かせよう、という気持ちになりました。
この肉体を含む自分自身を【真に】尊敬し愛すれば、【すべて】が正しく機能するんだよ、って。
Bon Voyage!
日食の前日。
午前中からもう日食モード……のような感覚になってきたので、なんとなく「今日の今、描いてしまわないと!」と思って、描きました。
大天使ラジエルです。
オラクルカードはSpiritual Understandingでした。
魚座の日食前日にSpiritual Understandingですからね…。
なかなか意味深です。
昨日の記事にも書きましたが、
腹をくくって、自分自身と対峙した方がいいタイミングなのかもしれません。
そこを通してしかSpiritual Understandingを手にすることはできないのかもしれません。
識るべきは己のみ、のような気もします。
そして、そこからが新しいスタートなのかもしれません。
魚座の日食ってことで、今まで蓋をしていたような、今まで観ないふりしていたような、そんな「境界線」が破られて、うにょにょにょ~っという感じになりやすくて、そういう流れになるのかなー、なんて思ったりします。
実際、昨日のこの絵
を見て、月子さんがこんな記事を書いてくれましたしね。
http://tsukinohitorigoto922.blog.fc2.com/blog-entry-95.html
描いた本人も、
「……ちょっとキツいかも。」
と思いましたもん。
『わぁ…やだなぁ……。』と彼女に初見で思われても納得です。
ブログを読んでくださってる方の中で他にも「な~んかイヤだな~。」と感じた方がいらっしゃるのではないかと思います。
そういう方はチャンスかもしれません。
境界線を超えてうにょにょにょ~っと出てきそうになっているデロデロのものと向き合うチャンスかも。
内省が難しいと感じる方は、
そのうにょにょにょ~っと出てきそうなデロデロなものを(深く考えずに思いつきで)擬人化して、心の中で自分と分離したようなつもりになって、会話をしてみるといいかもしれません。
思いもしなかったことを語りかけてくるかもしれませんよ。
そして、そのデロデロなものが綺麗に変身するまで続けてみるのがオススメです。
そのプロセスは、その旅は、ちょっとしんどいかとは思いますが、しんどいほど見えてくる景色は綺麗な色をしていると思います。
あ、その場合ね、会話を忘れないうちにメモしておいた方がいいですよ~。
手帳でもノートでもブログでもなんでもいいので。
旅の記録はちゃんと取っておきましょう。
Bon Voyage!