コレの続きです。
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「貧しく、苦しく、病んでいる人とともに生きることは、人間にとって最も素晴らしい生き方なのです。」
マザー・テレサはそう言いました。
あなたは見捨てられた存在ではない、あなたは愛されているのだ、と、死んでいく貧しい人たちに伝え続けるマザーたち。
一人一人が大切なのだ、とマザーは言います。
分かち合い生きていくこと。
それは、物質的なことだけではありません。
深い愛を、自分の中の美しいものを人と分かち合い生きていくことが、人間にとって素晴らしい生き方だということなのでしょう。
そして、その深い愛につながり続けるために、神の愛をそのままみんなと分かち合うために、祈りが日々の生活のなかでとてもとても大切だとマザーは教えてくれています。
けれど、マザーの言葉一つ一つに感じ入っていた私なのですが、翌日にお腹が痛くなりました。
何かが間違っているのです。何かが欠けているのです。私の中で。
それを守護霊さまが教えてくださっているに違いないのです。
下痢は一応収まりましたが、まだお腹がしくしく痛い状態で、洗濯物を干しに行きました。
ぐったりしながらも、頑張って洗濯物を干していました。
その時にぼんやりと思ったのです。
「守護霊さまや守護神さまは、こうやってお腹が痛くてぐったりしている私のことを、どう感じながら見てくれているんだろう……。」
たくさんある業をちょっぴり消すため、間違っていることを教えるため、『守護霊さまが私の身体をそうさせている』んだから、「あーあ。バカだなぁ。」なんて言いながら見ているわけはないよな。
きっと、私の考え方の癖や心の動きに寄り添いながらも、在るべき道へと少しずつ少しずつ導いてくださっているんだなぁ……。ありがたいなぁ……。
そうぼんやりと考えが浮かんだ時に、ハッとしました。
お祈りをちびちび続けたおかげで、少しは霊性の向上の道を進むことができていると思える私ですが、当然ですが、そんなもんは守護霊さま守護神さまから見たら幼稚園の年少さんが年中さんになったぐらいのチビっとな成長でしかないのです。
まだまだ霊的には幼稚園児なのです。
なのに、年少さんの言動を見て、なんだか違うなぁ…、と思っていたのです。
霊性の向上に伴う『差別感』みたいなものや『批判』は持たないようにしなければ、と常々思ってはいるのです。
五井先生やハトホルさんたちが教えてくれたとおり、これは大きな落とし穴だと【頭では】十分に分かっているからです。
それでも、です。
私はやはり心のどこかで批判しているんだ、と気がついたのです。(いえ、うすうす気がついてはいたのですが、どかーんと気がつかされたのです。)
守護霊さま守護神さまは決して幼い私を批判しながら見護ってくださってるわけではないのに。
幼い私の心の動きにも寄り添い共感しながらも、その想いの間違いを赦してくれているのです。
しかし、決してそれを是としているわけではないはずです。
間違いは間違いなのですから。
それは批判とは違うもののはずなのです。
私は、守護霊さま守護神さまの深い愛を想い、涙が出ました。
洗濯物を干しながら泣いてました。
そして、「どうしてお義父さんお義母さんは、おばあちゃんの心に寄り添えないの?」と悲しんでいた私自身が、愛を分かち合い共感し合い認め合いながら心を寄り添って生きることがちっともできていないんだ、ということに気がつき、さらに涙が出ました。
だからテレビを見ながら「なんだか違うよねぇ…。」とさらりと言えてしまうのです。
だから菜桜ママさんにも「気持ちは分かるけど、違う見方もできるよ。」なんて分かっていないのに言えてしまうのです。
たとえば、自分より身体的に劣る人、自分より勉強ができない人、自分より人間性が熟成されていない人、自分より霊性の開発が遅れている人……。
そんな人たちに対して、優越感を持つのはもちろんのこと、批判的であってはならないとは分かっているのですが、それでは「かわいそう。」と同情すればいいか、というとそうでもないというのも分かっていました。
それでは、どうなれれば良いのか。
それがイマイチ分からなかったのです。
今でも分かりません。
でも、分かったんです。
深い愛(神様の愛)に還っていく過程の中で、私もいつか守護霊さま守護神さまのように、マザーのように、本当に一人一人が大切だと、心の奥の奥から感じられるようになるんだ、ってことが分かったんです。
頭で理解しているだけでなく、本当にそう感じられるようになるんだ、ってことが。
今はほど遠いところにいるけれど、まだ「かわいそう。」「大変だな。」「早く気がつくといいね。」としか思えないけれど、私の中にある神様の愛に近づけば近づくほど、自然と本当の想いが湧いて出てくるようになるんだ、と分かったんです。
それが分かったからって、『今の私』が今すぐ大きく変われるわけではないけれど、深い愛が足りないために『こうなっている自分』を教えてもらえたことはとても大きなことだと思うのです。
それは、深い愛へとつながり続けるためのお祈りの大切さをあらためて教えられた喜びでもあるのです。
最後に本に書いてあったマザーの言葉をもう一つ。
「お母さんというのは子どもを産んでも産まなくても関係ないんだよ、そこにいるだけで安らぎと喜びと希望をもらたす存在、それがお母さんなのです。」
自分の子どもたちのためだけでなく、縁ある人たちのために、私はそうなりたいと思いました。
深い愛に還っていく過程の中で、そうなりたいと思いました。
私たちは、深い愛へと還っていかなければならない。(その1)
一昨日の午前中に、お父ちゃんが草刈り機で庭の草をガンガン刈ってくれたので、昨日の午前中2時間は私が木っ端微塵になった草を集めておりました。
それだけでも大変な作業なのです。思ったより大変。
そして、お大師さまがいらっしゃるところには一列ずらっと木がありまして、その枝払いをガンガンしました。
もーー、これがかなりの重労働なのです。
あっと言う間にアキオが帰ってくる時間となりまして、おかげで裏庭の草集めは翌日(本日)に延期になりました。
というわけで、今日は裏庭の草集めと芝生のところの手入れをしようと思ったんですが、朝食後からお腹が痛くなりました。
何度もトイレに行き、とうとう下痢に。
ぎゅーーーっとお腹がいたくなる下痢です。
昔は頻繁になり、心身ともにイヤになっていたアレです。
おかげで草集めどころではなくなりました。
でも、こんな時こそ「ああ、消えていく姿だ~。ウンチと一緒に業が出て行くんだ~。ありがとうございます。」と感謝しながら痛みに耐えることを弟1号に教えてもらってからは、しんどいはしんどいんですが、とてもしんどいんですが、心身ともにイヤになるということはなくなりました。
ただし。
今日のは、それだけではありませんでした。
またまた深い深い気づきを示してもらったのです。
自分への覚書のためにも書いておきます。
まず、先週のことです。
福祉ネットワークを何気にほんの10分ばかり見ました。
老人福祉施設の園長さんと町永アナとの対談でした。
その中で、『認知症のお年寄りの心に寄り添う』という言葉が出てきました。
認知症のお年寄りは、子どもに還るのではありません。
自分が壊れていくことが分かっていて、とても不安なのです。
だから怒ったり、妄想で自分を護ろうとするんだそうです。
だから、そんなお年寄りたちの心に寄り添うことが大切だと、園長さんは言うのです。
そうすることで、どんどんお年寄りは穏やかになっていくのだそうです。
ハッとしました。
ちょっとね、旦那さんのご両親のことで思うところがあったのです。ここんとこ。
とても良い人たちなのですが、『常識』や『自分たちの世界』の中の善悪の殻から出られないでいるなぁ、と旦那さん共々感じていたのです。
だから、ちょっとボケてきたおばあちゃんへの対応に私達は哀しくなったりすることがあるのです。
おばあちゃんの心に寄り添うという発想が生まれないんだな、とその時分かりました。
余計に哀しくなりました。
それから一昨日。
テレビで団塊の世代の人が、リタイアを前に田舎に家を建てるという番組がやってました。
のんびり田舎暮らしがしたいんだそうです。
立派な古民家風の家でした。
でも、私と旦那さんは「なんかちょっとなぁ~…。」と感じました。
団塊の世代の人たちにとっての『憧れの田舎暮らし』というのは、ああいうものなのか、とガッカリしたのです。
結局、消費していくだけの生活を、田舎暮らしという形で続けていくだけやん、と。
さて、そして昨日。
まず、以前お父ちゃんが買った本に載っていた『マザーテレサ』についての対談を読みました。
愛の深さについて、あらためて感じ入りました。
それから、菜桜ママさんのブログを読みました。
来年になったら入れると思っていた幼稚園から突然拒否されたのだそうです。
とても混乱されてました。
そして、いろんな方(だいたいは障害児のお母さん)のコメントも、しんどいものがありました。
腹が立つのも分かるし、不安になるのも分かります。
でも、幼稚園や保育園にそんなに固執しなくてもいいのに、と思いました。
障害児の母になること自体が結構イレギュラーなことです。
だから、いろんなことが『普通』のようにはいかないのが当然だし、イレギュラーであることの意味をよく考えて、自分や子どもの『本当の生き方』を探す努力をすることが大切であって、『普通』になることへしがみついていては、同じような問題が何度も何度も立ち現れてくるよな、と感じたのです。
私達はみんなみんな重度な思い込みを抱えて生きている、ということを知らなければならないのです。
ということで、お節介なんだけれども、今朝一番で菜桜ママにメールを入れました。
そして、お腹が痛くなりました。
なんとなく、なんとなくですが、ほんのりと分かってたんです。本当は。
多分ね、ここんところのこの流れと、この腹痛は関係アリアリだな、と。
でも、お腹が痛くて「ありがとうございます。」と唱えるだけで精一杯で、その時はちゃんと頭が回っていませんでした。
それでも、なんとなく分かっていたのです。
私には、気がつかなければならないことがあるって。
…息子が帰ってくる時間となりました。
続きは後で。
少しずつ少しずつ、ほんとうに少しずつ。
以前にも書いたけれど、私は『天然生活』からはほど遠い生活をしています。
衣食住が、自然に近いものであればあるほど、それはおそらく身体にも精神にも魂にも良いにちがいない、というのは分かっているのですが、なかなか『生活習慣』を変えるというのは難しいものです。
金曜日に定期検診のために吉村さんのところに行ったのですが、長い待ち時間の間、以前ここでも紹介した『なずな農園』の赤峰さんの別の本『アトピーは自然からのメッセージ』を読みました。
農薬はもちろん、化学肥料もダメ。
食品添加物もダメ。
それらが身体に入って分解できなくなり、臨界点を越えた時にアトピーや喘息、リウマチなどのアレルギー疾患になる、という持論(もちろんもっともっと奥深いものですよ。)で、多くの人たちに赤峰さんは食事指導をしてきたのだそうです。
途中で脱落しなければ、100%治っている、と断言されていました。
しかし、読み進めていくにつれ、今までの食生活を全面的に変更しなければならないというのは、本当に大変なことだろうなぁ……、と強く思いました。
自分自身または子どもがヒドいアトピーで、病院に行っても良くならず、苦しみ続けている人にとってさえ、食生活の習慣を根本的に変えるというのは、非常に難儀なことだろうなぁ、と感じたのです。
だって、『身体に良くない食生活』が大好きになっているわけですからね。
アトピーが苦しくても、脱落してしまう人がいるのも分かる気がします。
甘いものや、柔らかくてお肉たっぷり添加物たっぷりなおかずに白いご飯が大好きな人に、いきなり無農薬無科学肥料の野菜による添加物一切禁止の玄米菜食をしろと言ったって、なかなか続けられるものではないと思います。
それに、やっぱり添加物に慣れた舌ってのは厄介です。
市販のお菓子を食べさせると、ごはんよりそれらばっかり欲しがる子どもと同じです。
それでも、です。
やっぱりダメなものはダメなんですよね。
できることから少しずつでも変えていかないと。
自分の生活や人生、想念が間違っているから何かしらの不具合が出るんですもんね。
たとえ身体は健康であっても、何かしら不具合は出てるはずなんです。
小さなところでは、「…ねばならない。…ねばならない。」という思い込みに囚われて常にイライラしてたり。
大きなところでは、地球の環境問題とかね。
そう言いつつも。
私自身も間違った生活や食習慣、ひっくるめて『間違った癖』をなかなか修正できずにズルズル日々を過ごしているわけなんですが、どうもここにきてちょっとずつちょっとずつ癖直しの行動ができるようになってきました。
元来の面倒くさがり屋で、観念だけは頭にあっても行動できないことが多い私が、です。
これってね、絶対に私自身の力じゃないんですよ……。
多分、お腹の中のおチビがそうさせているんです。
じゃなかったら、この私が暑い中、田畑で草刈りなんぞしませんって。
虫が大嫌いなのに、土の上でいちいち太陽に向かってぐい~っと伸びをするように進んでいく見たこともない細い線のような虫たちを見て、「あんたたち、なんで五体倒置しながら進んでるの?太陽に感謝しながらどこに行こうとしてるの?」とじーっと眺めたりしませんって。
それまで食べようともしなかった玄米ご飯を毎日食べるなんてことしませんって。
料理が得意じゃないからってんで、市販の調味料に頼りきっていたのに、どうやったら市販の添加物いっぱいの調味料を減らせるかな~、なんて面倒なこと考えたりしませんって。
添加物のアミノ酸のうま味に慣れちゃってる私の舌には試行錯誤の毎日なのにね。
掃除も、クエン酸を溶かした水や精油(ハッカ油)を数滴入れた水を使っての拭き掃除や重曹をクレンザー代わりに使って水回りの掃除をするようになりました。
もちろん、まだまだ市販の洗剤も使っているけれど、クイックルワイパーで楽々拭き掃除をしていた私からするとですよ、ものすごい変化なのですよ。
あーー、もうね。
絶対にお腹のおチビは私なんぞよりぐ~んと高級な魂の高級霊ですわ。
アキオも私より高い霊だと思うけど、おチビはさらに高級かもしれませぬ。
生まれる前からお母ちゃんはおチビに「間違ってるよ。そこから離れなさい。こっちに行きなさい。」と教えられっぱなし。てへへ。
けれどそのおかげで、私にとっては修正するのが無理だったことがらを少しずつクリアできるわけですから、スゴいもんです。
なにより「やらなくちゃ。」という力みがありませんもん。
どっちかっていうと、ほんのり喜びさえ感じられますから。
ああ、実にありがたいことであります。
いろんな存在に感謝せずにはいられませんな。
でも、もちろんまだまだ業はたっぷりあるでよ。
ドロドロしとるでね。
はよキレイに掃除したいもんやわ。
冥王星は惑星ではなくなってしまった。
もちろん、地学科卒というのも大きいのですが、それ以上に占星術的に興味がありました。
今回の冥王星のこと。
冥王星は惑星から格下げとなりました。
地学科卒としては、まぁ仕方がないねぇ~、といった感想になりますが、占星術好きの立場からすると、ちょっと!ちょっとちょっと!って感じでありました。
冥王星ですよ。
破壊と再生、始めと終わり、絶対権力、強制的変化…を意味する惑星です。
さすが『冥王』の星です。
それが惑星から格下げとなるっていうのは、実はものすごいインパクトじゃないの?って簡単に想像できますよね。
てことで。
さすがにマドモアゼル愛先生はブログにこんなことを書かれてました。
冥王星インパクト
さよなら冥王星の良い面
気になることは多々ありますが、仕方がありませぬ。これが時代変化の兆しなんですね。
しかし、その兆しを感じられるかどうかって、大きい気がするなぁ………。
そうそう。
以前見つけた面白かった記事もリンクしておきましょう。
コチラ。
息子、3歳になりました。
おかげさまで、先週の土曜日にアキオは3歳になりました。
早いもんですわ。
もう3歳か~、って感じです。
でもって、来年の始め頃には『お兄ちゃん』になるんですもんねぇ。
んーー。不思議な感じです。
3歳の誕生日プレゼントは何も思いつかずにナシだったのですが、前もってオカンから三輪車をもらっておりました。
まだ上手には乗れないけれど、家の中で時々遊んでおります。
お義母さんは誕生日ちらし寿司を作ってくれました。
これがビッグサイズでねーー。
桶に手をつっこんでがしがし食べてました。息子くん。(お行儀悪いわね…。)
さて。
ものすごーくのんびりした妊婦ライフ中のため、自分のお腹の子が現在何週目なのか、とかをちゃんと把握しておりません。
困ったお母ちゃんです。
それで、ある日の夜、お父ちゃんが言いました。
「ちゃんと5カ月の最初の戌の日を調べておいたら?」
おお。そうか。
でも面倒だなー、まだもちょっと先じゃないかー?と思いつつ、調べてみたところ……。
明日やん。
ビックリしました。
そんなわけで、デイサービスに息子を預けた後、さらしを購入し、砥鹿神社に行って安産祈願をしてもらってきました。
午後からは息子も連れて、別の安産で(地元では)有名な神社にも行ってきました。
そこは階段が長かったのですが、お父ちゃんとお母ちゃんに手をひかれつつも、息子は階段を登りきりました。
母、ちょっと感動。
さてさて。
今年はなかなか夏野菜が思うように育ってくれなかったのですが、それでもクッキングトマトをそれなりに満喫できた夏でありました。
もうこれで最後のトマト煮込みであります。
うちの最近の朝食は、お父ちゃんが挽いてくれた小麦(フスマまで入っている)で作ったハードパンと野菜スープが定番なのですが、その野菜スープにこのトマト煮込みを少し入れるとすごーく美味しくなるのであります。
大変重宝しております。
…でも、これでおしまいなのね。寂しいわ。
と、全然関係ない写真をば。
例の先生んとこの近くでみつけた喫茶店のホットケーキです。
こじんまりしたレトロな喫茶店で、ホットケーキとコーヒー・紅茶がメインのようです。
とても美味しかったです。
ただ、お子様はお断りなので、息子を実家に預けた時だけ行けるお店なのであります。
ああ、ほんとに美味しかった~~。
★興味ある人は、『豊橋』『ホットケーキ』『三愛』でサーチしてねん。
ハトホルさんたち、たくさん教えてくれてありがとう。
ちびちびちびちび大事にハトホルの書を読んでおりましたが、やっとさきほど読み終えました。(ワークも少々実践してました。)
もぉーーー、素晴らしいです。
読んでいるだけでも自分のアセンション螺旋が加速していきそうな感覚に包まれます。
そして、五井先生の教えの素晴らしさを、ハトホルさんたちのさまざまな言葉によって再認識することが多々ありました。
他にも、自分が子どもの頃からつい最近まで感じていた感覚や、得た知識において、「ああっ。これはそういう意味だったのか!!」と、それらが私の目の前に開かれていた意味が次々とつながっていきました。
なので、また今夜から読み返そうと思います。
ワークもしっかり実践しつつね。
更新が滞ってる時ほど本当はいろいろあるのですよ。
暑い中、畑の草刈りを手伝うと、2時間もやっていないのに体重が2kg近く落ちます。
もちろん、水分は摂ってます。
なんかね、ほんとに自分の中の良からぬモノが汗と一緒に出ていく感じ。
でも、今日は朝から調子が悪くて、横になって本を読んでました。
てか。
先週末に届いた『ハトホルの書』をちびちび読んでるんですが、集合意識ハトホルさんたちの素晴らしい愛の波動が本からでもバシバシ伝わってきて、先に進みたいものですから、本の中で推奨されているトレーニング(プラーナ【気みたいなもん】を身体に取り込むとか。それぞれやり方はとても簡単。)を後回しにしているんですけれど、それでも自分の中のどこかしらエネルギー体が感応してるんかしら?って感じで、良い意味で『エネルギー当たり』状態な感じがしております。
まぁ、私としましては、『一家に一冊ハトホルの書』だと強く感じておるわけですが、これも縁のものですからね。
新聞記事より。
Yahoo!ニュースにこんな記事が。
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脳神経回路維持の仕組み判明、ダウン症解明に光
一度出来上がった脳神経の回路を維持・管理する仕組みを、国立遺伝学研究所の榎本和生・助教授らの国際研究チームが、ショウジョウバエを使った実験で突き止めた。
ダウン症候群などについて、脳神経の障害が起きるメカニズムの解明につながる成果。
英科学誌ネイチャー電子版に発表した。
脳の神経細胞間の配線は成長の過程で一度作られると大きくは変化しないが、ダウン症候群などでは、配線を作っている神経細胞の突起が委縮したり、消失したりすることで、神経症状が起きると考えられている。しかし、その発症メカニズムはほとんどわかっていなかった。
榎本助教授らは、細胞の増殖を抑える「ワルツ」と「ヒポ」という2つのたんぱく質(リン酸化酵素)が脳神経細胞でたくさんできていることに着目。
(読売新聞) – 8月15日20時58分更新
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これだけの記事ではちっともよく分からんのですが、とりあえずコピペしときました。
野良仕事
まだ食後に気持ち悪さを感じるのですが、悪阻も終盤と思われます。
悪阻はまぁなんとか乗り越えた感が出てきましたが、それよりも妊娠により血圧が低くなってしまい、酷暑だってーのにこの血圧じゃあやっとれんというのが現在の偽らざる本音であります。
が、身体を動かさないと吉村先生に叱られてしまうのです。ヤバいです。
というわけで、週末に実家に帰った時も朝の散歩をしてみたのですが、ちょっとばかりの散歩で大変な思いをすることとなりました。
…かゆくてかゆくてたまらん。
血の巡りが悪くなっている時に頑張って『ちゃんと』歩くと、だいたい足がかゆくなってしまうのです。
急激に血の巡りが良くなって、我慢ならんくらいかゆくなってしまうのです。
これは若い頃から時々起こってまして、非常に困るのであります。
ちなみに、うちのオカンは体調が悪い時に高麗人参エキスを数日間飲み続けると、身体がかゆくなります。
これも悪かった血の巡りが急に良くなってしまうことにより発生するらしいのです。
困った親子であります。
そんなわけで、ただでさえ身体を動かすことが好きではない私が、血圧が常に低い現在、ウォーキングなんて続けられるとは思えません。
弟1号が経験上、「かゆみに耐えていれば、かゆみが消えるよ。」と教えてくれましたが、そんな根性を姉は持ち合わせておりません。
てか、目的も無く…というか、歩くことが目的というのは根性ナシの私には続けられません。
なので、息子をデイサービスに預けている間、お父ちゃんの田畑の手伝いをすることにしました。
これなら目の前の目標がしっかりあるし、肉体労働だし、お父ちゃんの役にも立つし、吉村先生にも「野良仕事手伝ってます。」って言えるもんね。
デイサービスに預ける前に家事を済ませて、それから野良仕事ですからね。
朝からお母ちゃんはくるくるよく動くことになるのですよ。これがほんとに。
てことで。
今日は茄子の周りの草刈りをしました。
私はサウナが苦手なのですが、「サウナよりも絶対に汗かくぞ。」と確信するほどだーだーに汗をかきました。
汗をかくのは分かっていたので、家で塩をなめて水分を十分摂ってから仕事を始めたのですが、予想以上の汗の量で、「麦茶だけじゃなく、塩も持って来れば良かった…。」と思いました。
ほんとキツくて、時々手を休めざるをえませんでした。
それでも、かわいい丸茄子を見ながら草を刈っていると、ちょっと楽しいのです。
「あんたたち、ほんとに美味しいよねー。今、草を刈ってあげるからねー。お日様をうんと浴びて、もっと美味しくなってねー。」と、ついハァハァ息を切らしながらも茄子に話しかけてしまうのです。
虫がめっちゃ苦手だし、偏頭痛になりやすいから太陽光線も苦手なので、お父ちゃんのお手伝いはほとんどしなかったのですが、以前ほどイヤではなくなってきてました。畑仕事が。
もちろんまだまだダメダメなのですが、この1年でお父ちゃんのお野菜やお米がとても美味しいということがよーく分かったので、「美味しいお米のためー。美味しいお野菜のためー。」と多少は働けるようになったような気がします。
人間、こうやって変わっていくもんなんですねぇ。
そうそう。
偏頭痛と言えば。
アキオの時もそうだったんですが、妊娠中は何故か偏頭痛は起こりにくくなります。
非常にありがたいです。
だから畑仕事も手伝えるのですが、それでも一昨日の日曜日にはヒドい頭痛にダウンしてしまいました。
…けどね。
どうもいつもの偏頭痛とは少し違うんです。
偏頭痛がヒドくなると、ずきんずきんと頭が割れそうなくらいに痛くなり、吐き気もヒドくなり、とてもじゃないけど耐えられない症状になり、鎮痛剤を飲んで頭を冷やして横になっているしかありません。
しかし、日曜日の頭痛はずきんずきんという痛みもあるんですが、なんだか頭が全体に重くて芯からの鈍痛って感じでした。
(妊娠中で薬は飲めないため)頭を冷やして横になってるしかないのは同じだったんですが、なにやら様子が違ってました。
で、ですよ。
いつも身体の具合が悪い時はお祈りを自然としてしまうのですが、この時はちっともお祈りをするという発想が出てこなくて、夕方頃になってハタと気づき、お祈りをしたのです。
そしたら、朝の散歩から帰ってきてから始まった頭痛が徐々にひいていくではありませんか。
…これって、お盆スペシャル??
ねぇねぇ、お盆スペシャル???
私、朝の散歩中に何か拾った????
いやはや、お盆やお彼岸は気をつけろ、と昔からオカンに言われているのになぁ…。
実は夕べもちょっとお盆スペシャルだったのですが、こっちは『教えてくれてありがとう。』系でありました。
アキオ、頑張る?
デイサービスの連絡ノートには時系列に結構細かくアキオが何をしていたか、が書かれています。
それを読むと、ここ2~3日で少し慣れたかな?と感じさせられます。
到着後はめそめそ泣いてるようですが、その後は泥んこになって水遊びをしたり、男性スタッフになついて遊んでもらったり、ダウン症のTちゃんに遊んでもらったり……と、そこそこ楽しそうです。
と、アキオがデイサービスで頑張って(?)いる間、今日はお父ちゃんのお手伝いをしました。
小一時間だけど、自然農の田んぼの草刈りをしました。
吉村先生に「動けー。動けー。」と言われるので、家の中の仕事をマメにやってはいるけれど、忙しそうなお父ちゃんの仕事もちょっと手伝うか~、と珍しく思ったのであります。
しかし外での仕事は太陽燦々の元でのことなので、草刈りだけでもかーなーり疲れますね。
小一時間なのに汗だくになりました。