ヒーリングってものがどういうものなのか、というのを厳密には分かっていないのですけど、
今まではですね、だーーーっと(幽体も含めて)肉体に流れて汚れを掃除してくれる水みたいなもの……と無意識のうちにイメージしてたなぁ~、と気がつきました。
あ、私自身がね。
でもですね。
そういう面だけじゃなくて、なんといいますか……貯金みたいな側面もあるような気がしてきました。
や、だから何だ?と言われてると困るんですが、いろいろ感じることがありまして、そんなふうにも思えたので、メモ代わりに書いてみました。
水っぽいくまえる
そうやって生きてきた私。そうやって生きていく私。
今日は朝から晴天となったので、息子がおとーちゃんにおねだりして、家の駐車場でバーベキューをしました♪
*+*+*+*+*+*+*+*
さて先日のことです。
ほっといても体調悪くても一生続けられる仕事。 https://t.co/ubRtoq5PC3
私のセレスは9ハウス山羊なんだが、どう解釈すりゃいいんだ。
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月30日
占星術ってほんとむずい。
解釈したものを教えてもらうと「なるほどー。」って思うけど、自分だけでは解釈しきれない。
なんとなーくのイメージしか湧かないから言葉になんてなりゃしない。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月30日
高校2年以降の数学と同じだわ。
説明されればちゃんと分かるけど、自分だけではするする解けない。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月30日
と、ツイートしたところ、
月子さんからこんなリプをもらいました。
@TAMIEYAtamie 9ハウスは射手座色の強いハウスなので宗教、高等教育、海外旅行、理想、信念、哲学、遠くにあるもの、探求、外国、港、異国文化、精神世界の拡張、などなどの意味があるよ。
— 有栖川月子 (@tsukiko0922) 2016年4月30日
@TAMIEYAtamie そこが山羊座なので(社会貢献的な意味合いでの)仕事を通して哲学的な分野を深めていくとかさ。知識を深めて行くとかさ。自分を高めていくとかさ。そんな感じ?
— 有栖川月子 (@tsukiko0922) 2016年4月30日
@TAMIEYAtamie 総合すると金になろうがなろまいが誰かの役に立とうが立つまいが関係なく自分を高めていくということそのものがキーなのではないかと感じましたがどーでしょうかね?
— 有栖川月子 (@tsukiko0922) 2016年4月30日
なるほどです。
お金になるとかならないとか誰かの役に立つとか立たないとか、そんなことは全く関係なく『自分を高める』ということに対しては『純粋な欲求』を強く持っていると自分でもバリバリ感じます。
ただし、これは全方位的なものではなく、自分の中で(かなり偏った)方向が決まってるんですよね。
生まれつきなんだと思います。その志向性というのは。
搭載してるCPUの性能に限界があるので、目標値には届いてないことばかりではありますが、それでも月子さんの解釈のとおりだと思います。
9ハウス山羊座のセレスが私にもらたし続けているそういう欲求と志向性は割と素直に展開されているように感じるので、こうやって半世紀近くの時間を費やして積み重ねてきたものというのは、めっちゃ賢い人と比べたら屁ぇ~みたいなものかもしれませんけど、でもでも私にとっては宝石のようなものだと思えます。
なーんてことを思っていたらですね、ゆうべですね、これまたTwitterでこんな言葉を見つけました。
完成は完璧に勝る
すぐにこんなツイートをしました。
「完成は完璧に勝る」
ぐっとくる言葉だわ。
とにかく今描ける絵を描いて完成……としてきたんだけど、
その積み重ねって大きいと思うもん。
完璧からほど遠くても、「その時の完成」を積み上げてきた自分を褒めるとする。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月3日
そして、絵を注文してくださったすべてのお客様に深く感謝します。
積み上げさせてくださって、ありがとう。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年5月3日
どうしても絵に関しては劣等感を払拭できずにいます。
それは向上心に繋がるものでもあるので払拭しなくてもいいのかもしれませんけど、好ましくない方向にひっぱられることも多々あるわけです。
どうせきっとずーっと払拭できないだろうけど、好ましくない方向にひっぱられないようにはするべきだよなー、と思っていました。
そのひとつの答えが『完成は完璧より勝る』という言葉だと感じました。
私はこの7年間、「その時の私の完成」を積み上げてきたんですもんね。
それはとても大きなことなのだから、精進しつつ、これからも同じように「その時の私の完成」を積み上げていけばいいのだ……と、思ったら、すごく嬉しくなりました。
感謝の気持ちがどあーーっと湧いてきました。
9ハウス山羊座セレスのことといい、「完成は完璧より勝る」といい、
生まれ持っての高いポテンシャルを有していなくても、『今できること・今したいこと』を積み重ねていくことで、知らず知らずに「魂の生きたいように生きてる」のかもな~、と思いました。
あ、ついでですけど。
#天王星(#水瓶座):天王星のあるハウスは、#土星 の制限から解放されて意味のある変化をもたらすにはどうするかを示す#木星(#射手座):木星のあるハウス、星座は、自分自身と自分の気づきを高めるにはどうするかを示す
zodiacabstract— astronami (@kaidokunami) 2016年5月2日
と、こんなツイートがありまして、
「あー、確か私の天王星も木星も天秤座6ハウスじゃなかったっけー?」と思い、確認してみました。
当たりでした。
で、土星はというと、12ハウス牡羊座。
小惑星には射手座が2つほどあるんですが、メインの惑星では火のエレメントってこの土星の牡羊座しか無いんです。私。
でも、厳しい土星先生にとって牡羊座って居心地がよろしくないサインだそうで、でもって「謎めいてつかみどころのない12ハウス」に鎮座しているので、どうもイマイチよく分からんのです。
土星の本を何度も読んでるんですが、もや~んとしてましてねぇ…。
まぁでもですね、「やりたいことをくじかれる・あきらめる・我慢する」ようなことは多かったですね。10代の時は脳の性能の問題で、20代以降は健康問題で。
そしたらですね、こんな記事を見つけました。
http://shalomring.blog45.fc2.com/blog-entry-259.html
最後の
なので、個人的に、第6ハウスと第12ハウスに横たわる共通のテーマを挙げるとすれば、「限界を突破しようとする奉仕にも似た意欲」なのではないかと感じます。
そして、どこか普遍的な物差しで、生きる姿勢を問われているようなハウスでもあるように思うのです。
という部分を読んでいたら、すばるくんの歌声がすぱーんと聴こえてきました。
♪限界なんて、きっとそんなもの、ない
……なんでしょう。
常に『どこか普遍的な物差しで、生きる姿勢を問うている』のは、土星先生でもあり、もしかしたら私自身でもあるのかもしれないな、と思いました。
その上で!、(ほんとうは幻想でしかない)限界を突破しようとしていくことを自分に課しているのかもしれないです。
それが表面的には「健康問題」というカタチで現れやすいのかもなー、なんて思いました。
娘が真実に気づいてしまった。
妊娠してお腹が目立ってくると、我が家にエサをねだりに来る野良猫がいます。
ご近所でも野良猫たちにエサをあげてるお宅があるので、そこでいつもは食べてるんだと思いますが、妊婦さんになると栄養がもっと欲しくなるんでしょうねぇ。
3月に赤ちゃんを産んで、赤ちゃんにおっぱいをあげてるね、というのが一目瞭然のおっぱいになってたのですが、
最近また来るんですよ。その猫が。
またお腹が目立ってきてるんですよ……。
おそらく、3月に生まれた子猫たちはすぐに死んだか行方不明になったんじゃないかな、と。
野良の子猫の生存率はかなり低いそうですからね…。
それですぐに発情して妊娠したんじゃないかな、と。
そんなわけで、妊婦に弱い私はちょっとばかし餌をあげてるんですが、先日その野良猫がエサを食べてすぐに吐いたようで、
カリカリのカタチが残ったままのブツが放置されていました。
仕方がないので片づけようと、ブツをよく見てみると………
白い輪ゴムのようなものがウネウネしていました。
はいそうですね。
寄生虫ですね。
さすが野良猫ですね。
こんなにたくさん寄生虫をお腹の中で飼ってるんですね。
というわけで。
すぐに娘を呼びまして、見せました。
これが寄生虫だよ、と。
娘は「うぎゃーーー!」と言いました。
初めて見る寄生虫に『しらすがうねうねしてるみたいで、すごく気持ち悪い』と、とても女の子らしい感想を述べました。
しかし、たみえかーさんはじーっと観察してから、娘に寄生虫はどうやって動物のお腹に住み着くのか、そしてどうして動物のお腹に住み着くのか、を説明してやりました。
娘、ちょっと迷惑そうでした。
そいえば、数カ月前にブ子さんが庭で小さなハタネズミみたいなネズミを捕まえて「わっしょい!わっしょい!」した後、おもむろに頭からバリバリ食べだしたのをたまたま家の中から見学するハメになった時も、一部始終を興味深く観察したのです。私ってば。
高校生の時にユスリカの幼虫の……なんだっけ?唾液腺を取り出して染色体を観察するんだったっけなー?
それを授業でやった時も、実験前は「いやや~気持ち悪い~。」と他のクラスメイトと同じような反応をしていたのに、やり始めたら、染色体を実際に観察できるというのが面白くて何匹も観察しちゃいましたし、
大学時代のカエルの解剖も同じでした。やり始めたら興味深すぎてもぉ。
昆虫は大嫌いなので、ホルマリン漬けにした川虫を実態顕微鏡で観察・スケッチするという課題は苦行でしかありませんでしたが、基本的には好きなんでしょうね。理科の実験や生態観察全般が。
そんなことがあったせいか、その夜に娘に言われました。
「言いづらいことなんやけどね……お母さんってちょっとおかしいよね。よくこんなお母さんと結婚したよね。お父さんは。」
……そこに気づいてしまったか、娘よ。
なので、娘に答えました。
「そうなんだよ。おとーちゃんはチャレンジャーなんだよ~。ちょっと変わった人を嫁にもらうというチャレンジを成し遂げた偉大な人なんだよ!」
と。
真実に気づいてしまった娘のこれからの成長が楽しみです。
ケケケケ(Ψ`∀´)Ψ
どうしたってジャッジしちゃうよ人間だもの。
息子の浮輪についてた紐が猫たちには大好評でして、
ブ子さんも「遊んで♪」とよく持って来ましたが、黒丸は「取ってこーい。」と言ってこれを投げてやると、くわえて戻ってきます。
犬みたいです。
犬かもしれない。
さて。
先日、Twitterでこんなことをツイートしました。
ぱみゅさんの意見もそれに賛同したたらればさんも、人を見下してるわけじゃないと私は思うんだけど、
でもあのツイートを読んで「ひどいなぁ。人を見下して。」と思う人がいるのもなんとなく分からなくもないかな。同意はしないけど。 https://t.co/PjiSQTqugu— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
最近、自分自身でもいろいろ考えるんですよ。リアルで人間関係の相談をされると、内心「あー、もっとこう言えば角が立たないのにー。」とか「もっと上手くかわせばいいのに。」とか思うことも多々あるんですよ。言わないけど。
でもそれって『上から目線』だよなー、と自分に対して思うんですよね。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
見下してるわけじゃないけど、上から目線なのは確かで。
でもそれはすごく微妙なことなので、その本音をもしも何らかのカタチ(それこそツイートとかね)で出したら、「ひどいな。人を見下して。」と受け止める人もいて当然だろうなー、と思うんですよねぇ…。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
でもでも、他人の言動に対して何らかの分析をして考察するということは、どこか「上から目線」になるのは致し方のないことなんだと思うのです。
しかしそこで「見下す」かどうかは、別なんだろうな、と私は思うし、思いたいし、自分は人を見下していないと思いたい……んだけど、自信は無いです。— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月28日
スピでは「ジャッジをしない」ことを推奨されてるような気がするのですが、
そんなことはやっぱり無理だよなー、と思うんですよ。
ただそのまま受け止める、という域にはなかなか達することはできません。
分析しちゃいますよ。どうしたって。
分析したらジャッジしますよ。どうしたって。
でもですね。
がっつりジャッジもするし、「こうしたらいいのにー。」とか余計なお世話で思っちゃうんですけど、
「そういう人もいるのねー。」と思う部分も増えてきたのです。
なんて言いますか……、完全中立ではないけれども、車のニュートラルに近い感じです。
ギアがどこにも入っていない、みたいな感じ。
それすらどこか上から目線なんだと思うんですけど、人間なので仕方がないですね。
けれどもこうやって人間はどんどん年を重ねていって、いつの間にか好々爺になっていくのかもしれんですね。
もちろん、いじわるばーさんのままってのもアリですけどね。
なんでもアリですよね。人間だもの~。
にゃあああああああああ!
状況を報告しますと。
●黒丸を仕方がなく保護するまでは、ブ子がケージの中で夜は寝ていたが、今は黒丸のみ。← 当初ケージの中に2匹入れておくとケンカしまってたので。ブ子が黒丸を嫌がりまくってたので。
●トイレは1階玄関横にあるケージの中と、2階の廊下に1つずつ設置
●ウンチはすぐに撤去している。砂もちょいちょい交換している。
●黒丸は2箇所のトイレでおしっこもウンチもするが、ブ子はずっと外でしていて、トイレを使うのはたまにだった。
●ブ子はトイレにウンチがあるとそこで続けてはしない。廊下にウンチをしてしまう。
●ストレスが溜まってるとトイレがキレイでも廊下でウンチをすることがあった。
●黒丸よりブ子の方が神経質。
と、こんな状況でして。
ゆうべも、ブ子さんはおとーちゃんのお布団や私のお布団のところで寝ていたのですが。
朝起きたら、おとーちゃんの掛け布団におしっこがしてありました………。
大量なので、敷布団のカバーも濡れてました……。
猫様のおしっこはかなり臭いので、このままではどうにもなりません。
(シーツやカバーはもちろんすぐ洗ったけど。でも今日はこれから雨なので2時間ほど外で乾かして、今は布団乾燥機で乾燥中。)
おとーちゃんの掛け布団は昔々買ったちょっといい羽毛布団なのですが、昔すぎてかなりヘタっております。
いや、でもね、それでもいい羽毛使ってるやつだから困りましてねぇぇぇぇ。
捨てるのもなんだし、でも布団屋さんで洗ってリメイクしてもらうのもお金かかるし…。
朝から頭を抱えてしまいました……とほほほほ……。
でもですね。
これがですね、ちょっといろいろ考えさせられたのですわ。
や、もちろんですね、ブ子が10日ぶりに帰宅してから一回も外に出してやってないことに対して、リードをつけて散歩をさせるか、このまま家の中だけの生活を身につけさせるか、またはもう帰ってこないことになっても自由にさせてやるか…と悩んではおるのですがね、
それじゃなくてですね、お布団のことなんです。
お父ちゃんの掛け布団と私の掛け布団は昔に買ったちょっといい羽毛布団だけれども、かなりの年月が経ってヘタってしまったし、お父ちゃんはハウスダストのアレルギーがあるからこれを洗ってもらってリメイクしてもらう方がいいんじゃないか?それともアレルギーのことを考えて洗える布団を買ってそれにしてしまう方がいいのか?と、この半年くらいこっそり考えていたのでした。
そして、夕べはお父ちゃんも「この掛け布団もかなりヘタってきたなぁ~…。」と思ったのだそうです。
するとブ子さんがおしっこをしてしまった、と。
(すぐに娘に確認させに行ったら、2階のトイレにブ子さんのウンチがしてありました。昨日の夜9時頃に私が確認した時にはキレイだったので、もしかしたら夜中にしたのかもしれないです。そして朝方におしっこしようとしたけど、ウンチがあるからイヤがって困ったお父ちゃんのお布団でしちゃったのかも、という推測をしております。あ、黒丸は必ずウンチに砂をかけるけど、ブ子はしっぱなしなので、どっちのウンチかは一目瞭然なのです。)
ブ子さんがおしっこをしてしまったことで、決断できなかったことを決めなければならなくなったのでした。
顕在意識の私としては、とんでもない事件で、こんなこと起こって欲しいわけない出来事だったのですが、
どうしようどうしよう…と思ってるだけで何もしなかった自分に決断を迫る出来事が起こったのは、ある意味では「自分が求めていたこと」なのかもしれないなー、と思ったのです。
そういう意味では、黒丸がトイレに飾ってあったガラスの置物を落として割ってしまったことでいつもより丹念にトイレを掃除しなくてはならなくなった時も、心のどこかで「トイレも大掃除しないとなー。」と思っていた自分がいましたしねぇ…。
現象としては現れていることはすべて、たとえそれが顕在意識にとっては都合が悪すぎることでも、深い深い部分では『それを求めて創り出した』ということなんだろうなぁ~……と、トホホな気分になりながらあらためて思ったのでした。
ちょうど車でほんのちょっと行ったところにお布団のクリーニングやリメイクもバリバリにしてくれるお店があるので、お父ちゃんはそこでお願いしようかなー、と、朝から「ペットが粗相した羽毛布団」についてググなりがら言っておりましたので、そうなるかと思います。
今日はお店がお休みなので、明日持って行くことになるかなー。雨がやんだ頃に。
猫がお布団でおしっこをしてしまう問題については、夜だけ設置するトイレを用意しておけば、それで大丈夫らしいです。朝からお父ちゃんがググって教えてくれました。
子猫用のトイレが空いてるので、それを夜だけ部屋の中に置いておくことにします。
ブ子の夜専用にしておけば、黒丸のニオイがしないから気兼ねなくできるでしょうし。
……もしもそれでもダメなら、ケンカしようがなんだろうが、ケージに2匹とも入れてやりますわ。
3段ケージなんですが、おとーちゃんがロフトも作ったので、その一番上の段にブ子のかまくらを置いて寝かせます。
行方不明になる前は、ヤンチャな黒丸に負けそうによくなっていましたが、帰宅後は気が強くなって負けてませんので、上下関係は保たれるように思えますので。
(2匹を一緒に入れると必ず黒丸がイキがってロフトの一番上の段に昇っていたのですが、帰宅後は違うんです~。このところ洗濯物を干す時・取り入れる時などに隙を狙って外に逃げ出さないように2匹ともケージに入れるんですけど、必ずブ子が一番上に居るようになりました。)
もちょっと2匹が仲良しだといいんだけどなぁぁぁぁ。
ブ子が黒丸を嫌うんですよねぇぇぇぇ……。
国語は得意でしたか?
11日に帰ってきてから、一回もお外に出してもらえていないブ子兄さんです。
イライラした時は黒丸に猫パンチを炸裂させています。
八つ当たりされて黒丸がかわいそうですが、相変わらず黒丸は隙あらばシンク内の三角コーナーのゴミを漁るので、そーゆー時に兄さんの指導を入れてくれたらいいのになぁ~、と思うたみえかーさんです。
リードをつけて外を散歩させようか、という案も出ておりますが、まだ家族内での意見が統一されておりません。
豆苗はわさ~っと伸びてきまして、
わさわさ~っとなってきたので、
昨日の夕飯に使いました。
今日もまた豆苗を買ってきたので、使ったら再び育ててみようと思います。
植物ってすごいですねぇぇぇ。ほんとに。
さてさて。
先週の話なんですが。
詳細は割愛しますけど、PTA絡みでちょっとしたことがありました。
ざっくり言えば、「ちょっとキツく文句言われちゃいました…。」「これとこれの問題提起についてどうしましょう~。」ということを相談された、ってことで、その提起された「問題」は(今年度PTA役員のおとーちゃんの代わりに)私がちゃんと解決できることだったのでいいのですが、
「ちょっとキツく文句言ってきた」方の人というのが、私はほとんど知らない人だったので、信頼できるママさんにちょっと相談してみたのでした。
すると、この件に関しては、相手にしたら「キツく文句言った」のではないんだろうけど、言われた人の状況に変化があったところに、もともとの性格もあって「キツく文句言われた」と解釈しちゃったんだろうなー、という分析で意見が一致しました。
その分析が正しいかどうかは立証しようがありませんが、でも、こういう残念なことってアチコチで起こりやすいことなんだろうなー、と思いました。
視野が狭いとか、他人の感情を過剰に気にしすぎるとか、自分の感情にばかりフォーカスしちゃって論理的に分析できないとか……これらの「性格」は「客観視が苦手」なことで起こりやすいんじゃないかな、と考えているのですが、
こういう回路だと、人とのやりとりの中でどうしても「(自分に対しても人に対しても)好ましくない反応」をしがちだと思うのです。
なんてことを考えていたらですね、
おとーちゃんがアマゾンで購入したこんな本が届いたのでした。
この本の「はじめに」を読んだだけで、「なるほど!」と思ったのでした。
日本の母語教育というのは「非常に奇異」なのだそうです。
他の国々の母語教育は、実社会で必要とされる言語技能に直結していて、社会で働いて生きていくために必要な「言葉の技術の基礎基本」を訓練するのだそうです。
「国語」は「技術教科」なのだそうです。
ですから、たとえばドイツ人に「国語は得意だった?何が得意だった?」と質問すると、「分析は得意だった。特に詩の分析が好きだった。でも要約は苦手だった。なぜなら…。」と具体的な答えが返ってくるのだそうです。
でも日本人の私たちはそんな具体的なこと言えませんよね。
「漢字の書き取りがキライだった。」くらいのことしか出てこないと思います。
この本のたった2ページの「はじめに」を読んだだけで、おとーちゃんと私は、
「論理的に考えることが苦手な人って、もしかして日本語がちゃんと自分の中に入ってないのかも?」
と思ったのでした。
普通に話すことができて、普通に読むことができて、普通に書くことができて……
日本人として母語の日本語を不自由なく使いこなしていると思い込んでいるけれども、
思い込んでるだけなのかもしれないですよね?
たとえば、この本の中に、
「君はおにぎりとサンドイッチではどちらが好き?」
という質問に
「ぼくはおにぎりも好きだけどハンバーガーが好きだな。」
と回答している例があります。
こういう回答をする人って、大人でもいますが、
どららが好きか?という簡単な質問に答える場合でも、論理的に考えないと適切な回答にはならないのです。
思いつきで答えていてはダメなんです。
時々、テレビで俳優さんが映画やドラマの宣伝でインタビューに答えているところを見かけますが、
人によっては「それ、質問の答えになってないよ?」と思っちゃうことが(ちょいちょい)あって、見てるこっちがちょっと恥ずかしい気持ちになっちゃうのですが、それでは伝えたいことを正しく伝えることができませんよね。
あ。
ちょっと思い出したんですが。
高校時代、校内でとある面接を受けたんですけど、
国語教師に「〇〇(←国名)に対してのイメージを答えてください。」と質問されたので、そのとおりに答えたんです。私は。
そしたらですね、後からその先生に「ざっくりしたことしか言えてなかったな。もっと〇〇について勉強しておいた方がいいぞ。」と言われたんです。
『はぁ?先生がイメージを答えろと言ったから、こっちはちゃんとイメージを答えたんやないかい。具体的な知識を答えさせたかったらそういう質問しろよ。国語教師だろうが。』
……と、心の中で毒づいたのを思い出しました。
てなわけで、
(本日は学校代休の)娘が今朝はこの本を4ページほど喜んでやっていたのですが、
ちまちまとやらせてみようかと思っております。
私はモデルチェンジを2回しているのかもしれない。
土曜日に、息子がいきなり「庭の草抜きをする。」と言い出しまして、
まずおとーちゃんが機械でがーーっと草刈りをしてくれまして、その後に小一時間ほど息子と私で草抜きをしました。
この雑草はおとーちゃんも息子も残しておいてくれました。
かわいいから好きなの~。
さて。
昨日のブログ記事で、ここの小学校の子供たちが素晴らしいってことを書きましたけど、
じゃあここの小学校では子供同士の人間関係に全く問題が発生しないのか、と言えば、そんなわけはなくて、あちこちいろいろあります。
決してパラダイスというわけではないです。
……ということだけ、付け加えておきます。
人間関係なんてねーー
一番難しいことですもんねーー
まぁでも、大人も子供も人間関係の問題ってーのは
言わなくてもいいこを言う か 言わなくちゃいけないことを言わない
のどちらかで発生するもののような気がしてます。
今から思うと、若いころの私もそのどっちもやらかしてたことが多かったなぁぁ~……と、恥ずかしくなります。
今でもまだまだ未熟ですけど、かなり未熟でしたからねぇぇぇ……。ああ恥ずかしい。
あ。
そういえばですね。
先日、こちらの記事
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2247.html
を読みまして、なるほどー、と思ったんです。
私は、19歳までの自分と、20歳から30半ばまでの自分と、それ以降の自分では、それぞれ別人……とまでは言いませんが、
それでも部分的な感覚では別人と感じるくらい違っているなー、と思っていました。
20歳からは健康面でネガティブな変化があったために、それ以前の自分とそれ以降の自分では考え方や生き方にどうしても変化が出てしまったのは仕方がないと思っていましたし、
最初の子供を産んだのが34歳だったので、育児をするようになってからもまた内面的に大きな変化が起こったのも当然だったんだろうなー、と、そんなふうに考えていました。
けれども、もしかしたらそれだけが理由ではないのかもしれませんね。
魂レベルでの理由もあるというのなら……ちょっと納得です。
それくらい、自分の中では感覚的に「違う人間」になっているのです。
モデルチェンジしたみたいな、そんな感覚です。
なんであれ、
リンク先記事に書いてある言葉を流用するなら、『この時空間のなかで人間として生きるうえで実現する霊的成長』をするために、それぞれの魂がそれぞれの方向性や度合いでもって目標値を定めて「今のこの自分」として生まれてきてるんでしょうから、
必要なモデルチェンジを何度かしながら、粛々とこの人生を生きていくしかないわけです。
『天命を信じて人事を尽くす』という五井先生の言葉も頭に浮かびます。
自分の魂が「今のこの自分として生きて実現しようとしている霊的成長の目標値と実現の仕方」(天命)なんてさっぱり分かりませんけど、それが実現されると信じて、自分を信じて生きていくしかないですし、それが一番強力なグラウンディングなのかもしれないなー、なんて思ったりもします。
もしも魂というのは、人生の中でまるでモデルチェンジするようなタイミングが何度かあるのだとすれば、
その頃に出会う人との縁というのは、とても大きな意味を持つのかもしれませんね。
私とおとーちゃんにとってそれは息子だったわけですが。
……あ。そいえば。
おとーちゃんと出会ったのって19歳の時でしたわ。
おおー。
※追記※
そいえば、私は8歳(小3)でもモデルチェンジしてましたわ!
この時のモデルチェンジはなかなか劇的でしたわ~。
覚えてますもん。
「世界の見え方」が突然変わったの。
なので、モデルチェンジは3回してましたね。あたし。
でもって、小3の時に出会ったのが一番仲良しだった友達でした。
あらためて素晴らしかったのだと知った。
豆苗を調理してから、水につけておいたら、1本だけひょろ~っと伸びてきました。
植物ってすごいですねぇぇぇぇ。
(ちなみに丁度いい器が無かったので、カゴメの野菜ジュースのペットボトルの一面だけを切り取って器にしてみました。細長い形がピッタリでした♪)
14日(木)は、支援学校での個人懇談でした。
一年間の指導目標を親にヒアリングしながら決める、ということでした。
地域の小学校からの転入である息子本人についても、親の我々についても、学校側は情報がほとんどありませんから、細かいことまで質問を受けまして、懇談時間は予定より10分オーバーとなりました。
(次の人が遅れて来てくれて良かった~。)
担任の先生も副担任の先生も印象が良かったのでありがたかったです。
和やに、そしてアッと言う間に時間が過ぎました。
いろんなお話をしていただけたし、いろんなお話をさせてもらいましたが、とても印象的なお話を1つしてもらいました。
地域の小学校の支援クラスから支援学校の中学部に進学した子というのは、多かれ少なかれどこか心を閉ざしている子がとても多いのだそうです。
からかわれたりいじめれたりした経験がそうさせているのだろう、とのことでした。
(それがたとえたった1人や2人のいじわるな子にされただけだとしても、心に傷はざっくりつきますもんね…。)
しかし、息子はそのような心を閉ざしている部分というのが全く無くて、良い意味で先生方も驚いたそうです。
本当にありがたいことに、あの小学校の児童は息子の同級生だけでなく、上級生たちも下級生たちも息子のことをからかったりすることが皆無だったのです。
同じ仲間として自然に受け入れてくれていたのでした。
ですから、知的障害のある兄を持つ娘も、そのことでからかわれるなんてことも皆無で、逆に「みんなお兄ちゃんはお兄ちゃんなりにすごく頑張ってるね、と言ってくれる。」と娘はよく言っていたくらいです。
と、そんな学校でしたから~、と先生方に言うと、「素晴らしい小学校ですね!」と驚嘆されていました。
ああ。
そうかー。
やっぱりそうなんやなー。
いい学校だと分かってはいたけど、ほんとにいい小学校なんだなぁ。
て言うか、子供たちが素晴らしいんだよなぁぁぁ。
と、あらためて分かったので、支援学校からの帰りに小学校に寄ってみました。
丁度あの日は退任式があったので、息子を5年間担任してくれた先生もいらっしゃったので、
先生にももちろん、教頭先生や教務の先生にも、支援学校での話をしてきました。
すると教務の先生が新しい校長先生にもこの話をしてください、とおっしゃったので、校長先生にも話をしまして、
「何かの機会に、この学校のみんなはとても素晴らしい子供たちなんだよ、と伝えてあげてください。」
と、お願いしてきました。
子供たちはいっぱい褒めてもらえばいいと思うの!
と、そんなことがありまして。
だからこそ、地域の中学校じゃなくて、支援学校の中学部に進学させたのはより良い選択だったんじゃないか、と思いました。
+*+*+*+*+*+*+*+
そんなことがあった日の夜。
熊本で大きな地震が起こったわけです。
家族や親戚、友達も熊本にはいない私ですが、それでももちろん一日も早く余震と混乱が収束していくことを願っております。
でもですね、私は私の生活が第一と考えている……といいますか、そう願っている自分と日常の自分を別にしています。
なので、「無用にひっぱられる」みたいなことがありません。
それはもしかしたら「冷たい」ことなのかもしれませんが、「ひっぱられて気持ちがどよーんとしている」ことが良いこととも思えないので、これでいいと考えてます。
これはこれ。それはそれ。
そんなふうに線をしっかり引くことって、少なくとも私にとってはとても大切なことだと感じています。
いい絵が描けました。
先日、絵が描き上がった時に、こんなツイートをしました。
いい絵が描けた
— たみえ (@TAMIEYAtamie) 2016年4月11日
……ああそういえば、
このツイートをして小一時間ほど経ってからブ子ちゃんが帰ってきたんでしたわ。
ええ。
なんともですね「いい絵が描けたなぁぁぁぁ。」と思えたんです。
巧い下手とかってのは別にして、いい絵だなぁ~、と自分で描いたのに思えたのです。
あ、というか、自分で描いたんだけど自分で描いたわけじゃないよね感はいつにも増して大きかったですね。
それがこの絵でした。
大天使アリエルの絵です。
オラクルカードはProsperity(繁栄)でした。
物理的な繁栄も大切ですし、精神的な豊かさというのも大切なことだと思うのですが、
この絵から感じられたのは、物理的なものや精神的なものとして現れる前の段階としての豊かさ……と言いましょうか、
気持ちの問題とかってことじゃなくて、よりもっと根源的な部分での円満さ・潤沢さ……みたなものでした。
もちょっとざっくり言うと、「ほんとうの自分自身」はそもそもは豊かで欠落したところなんて無いんだよ、というメッセージみたいなもののエネルギーを感じたのでした。
あー……言語化するのって難しいなぁ~。
と、まぁ、そんな感じのことをどーーんと感じられた絵だったので、お客様にもそのようなことをメッセージに書いてお届けしました。
「自分の足りないところではなくて、ご自身の中に既に在る豊かさに目を向けてください」的な感じだったと思います。(←あるあるで、何をどうやって書いたかをちゃんと覚えていない。)
すると、お客様からお返事をいただきまして。
文面からすると、どうやらお客様はご苦労が多く、迷いも多くなってしまう人生を過ごされてきたようでした。
そのような方に「自分の中に既に在る豊かさに目を向けて」と言っても、それはとても難しいことなのかもしれなくて、
もしかしたらとても酷なことをお伝えしたことにならないかなー?と、少し心配にもなりました。
だって、頭ではそういうものだと理解したとしても、実感としてそれを納得できるかどうかは別のことですものね。
でもですね。
やはりアリエルの絵は「いい絵」なのです。
まるで、金色の光がほわわわわわわんと出ていて、遠赤外線のようにじわわわわわわわっと内部まで届くような、そんな感じすらしたのです。
や、もちろん、実際にそんな光線は出てませんけどね。絵から。
というわけで。
これをキッカケに、お客様がご自身をもう一度いろんな角度から見つめて、ご自身の中に既に在る豊かさを見つけ出して、そこに意識を持っていくことができるようになったらいいなぁ~、と思いました。
あー。
でもほんと、いい絵だったなぁ~。
原画をいろんな方も見て欲しいくらいでした~。
(どうしてもね、画像だと違うのー。)
ブ子さん続報
コメントやTwitterのリプをありがとうございました♡
帰ってきた時、ブ子さんは痩せまくってました。
お腹の皮がゆるゆるで、とっても軽くなっていました。
きっと10日間、ほとんど何も食べてなかったんでしょうね…。
ですから、カリカリごはんをものすごい勢いで食べました。
何度もおかわりをせがみ、がつがつ食べてました。
普段はそんなにガツガツ食べる子じゃないので、こんなブ子さんは初めてです。
帰ってきた日は食べてはウロウロして食べてはウロウロして、そしてにゃーにゃー鳴いて甘えて……の繰り返しでした。
ゆっくり寝たら?と思ったんですが、興奮していて眠れなかったようです。
おとーちゃんが帰宅してから、2人がかりでブ子を洗って乾かしてやっり、キレイになったところで、おねーちゃんのお布団で一緒に寝ました。
おねーちゃんもブ子も幸せそうでした♪
(でも、夜中に私のところやおとーちゃんのお布団にも来て甘えまくってました~♪)
10日もなわばりを留守にしていたせいか、帰ってきた日にもすぐに外に行きたそうにしてましたし、
昨日も何度もアピールされましたが、お外の散歩に出してあげませんでした。
こんな軽い体重じゃダメだよ~、また「ホワイトソックス」に出くわした時に逃げられないよ~、と言ってやるのですが、やっぱりお散歩にとっても行きたい様子でした。
今日も散歩アピールされましたが出してあげなかったので、あきらめて今は私の膝の上で寝ています。(←至福。私が。)
お外に出してあげるなら発信機でも付けてやらんと心配だなー……と、思っていたのですが、
発信機ってゆーてもねぇ……
ちょっとググってみたんですが、イマイチでしてねぇ……
これからブ子さんの飼い方をどうするか、家族会議を開かないといけません。
お散歩に出ると(田舎なので特に)たっぷり運動できてストレスも溜まらなくて良いんですけどねぇ……。