女子はずるずるべったり水平思考が強いので。

女子のみなさんは「そうよねー…。」と分かると思うのですが、
小3、小4の頃から女子特有の人間関係の問題というのが大きくなってきますよね…。
小4の娘も例外にあらず。
先週末に泣きながら「こんなことがあった。」と話をしてくれました。
私自身も小4の頃が一番キツかったんです。
「なんでそんないじわるなこと言うのかな?」と悶々とすることがすごく増えたんです。
一対一だとそんなことないのに。
で、娘の話を聞いていて、ふと思い出したのがこのコマでした。

竹宮恵子の「私を月まで連れてって!」の中の1コマです。
ええ、かなり昔のマンガです。
女子はずるずるべったりつながった水平思考をしやすい。
男子はロクでもないほど個々独立のタテ型思考をしやすい。
もちろん、これも人によってその度合いがいろいろあると思います。個人差ありあり。
うちの娘は女子だけど、ずるずるべったり水平思考は若干薄めで、タテ型思考も持ってると感じます。
そして娘の一番の友達も同じような割合だなー、と感じます。
だから気が合うんでしょうね。
が。
娘曰く「いじわるなことを言う」「悪口を言う」という女子たちは、私から見ててもずるずるべったり水平思考が強い女子なんです。
これは良い悪いじゃなくて、生まれ持っての気質の影響がとても大きい気がします。
しかし、問題は水平思考そのものではなく、ずるずるべったり水平思考が「共感」をしたがる傾向が強いために、「その場にいない人の悪口を言う」ことでその水平思考のつながりの中で共感し合うことをしちゃう、ということなんだと思うんです。
だって、一番簡単なんですもん。その場にいない人の悪口を言うのが。
ちょっとしたことに対する「なんかイヤだなぁ。」という感情をそのまま口にして、「あの子イヤだよね。」って言うことはとても簡単で、それで共感しあうというのも簡単なことです。
人格が磨かれることで、共感するものが「人の悪口」じゃなくなっていくのだと思いますが、それはそんなに簡単に成されるものじゃないですもんね……。
大人になっても難しいから、あちこちで小4と同じようなトラブルが大人世界でも頻発してるんですよね……。
ずるずるべったり水平思考は、おそらく人間の進化において有益だから女性の中に多くみられる気質として伝わっているのでしょうから、それそのものはやっぱり良い悪いじゃないと思います。
それはタテ型思考でも同じですよね。
で、これらをネガティブな使い方にならないようにするには、メタ認知を鍛えることが大切なんじゃないかなー、と思うのです。
人格を磨く、というのも、メタ認知が鍛えられていてこそだと思いますし。
あくまで私から見てなんですが、娘のクラスメイトの数人は自分が人の悪口を言ってるという自覚がとても薄いと感じます。
モロモロのエピソードから類推して、メタ認知がすごく未熟なんだろうな、と感じるのです。
なので、前頭葉をバリバリ使ってこれからそーゆー部分を鍛えていってくれたらいいんですが………、それを待ってると性格形成および周囲への影響という点で手遅れなこともいろいろ発生しそうだよなぁ~、とも思うんです。
なんてったって、これからどんどん難しい年代になっていきますからね……。
思春期は目の前なんだよぉぉぉ!
というわけで。
いろいろ考えさせられる今日この頃であります。
あ。
でも、娘は元気に学校に行ってるので大丈夫です~♪
一番の友達の存在がとても大きいです。ありがたいです~♪♪
なにより、時々イヤなことについて泣きながらも話してくれて毒出ししてくれるので、親としてはこれまたほんとにありがたいです。
言わずに一人で悩んでたらかわいそうだもんね。
……ってか、私は言わなかったな。オカンに。そいえば。(と、今気がついた。)

「メタ認知ってなに?おいしいの?」

夏至の太陽が沈む前に、サングラスをかけてその光を眺めてみた。

夏至ですね。
今日は。
朝はざーざー降りで、子供たちも登校がえらいこっちゃだったと思いますが、
お昼前から晴れてきまして、おかげさまで洗濯物も乾きました。
や、でも、ダムの水が心配なので、まだまだ雨は必要ですなぁぁぁぁ。

先週中にお客様の絵を描こうと予定していたのですが、なにかとあって今日にズレこみました。
準備を始めて「ああ、夏至だからかー…。」と気づきました。
パーソナル・ゲートの絵なので、当然お客様のゲートの絵ですが、やはり夏至の日に描いた絵というのはアレですね。
ごごごごごごごー!って感じでした。

「なにかとあって」のうちのひとつが、頼まれ記事を書くというものだったのですが、これがなかなか難産でした。
4000文字程度ですし、書く内容もほぼほぼ決まってますし、元ネタも昔のブログから引っ張ってきてありましたし、すぐに書けるかと思ってたのですが、取り組みだしてみるとそうは問屋が卸してくれませんでした。
しかし、そういう時こそ面白いもので、自分でも把握しきれていなかった自分のアレコレが文字として浮かび上がってくる場合が多くて、それを見つけるためのクエストだったのかと思うくらいです。
とにもかくにも、満月の夜に書き上がって、ホッとしました。

頼まれ記事を書き終えて、さぁ寝るぞーー……というところで、ああ満月だったっけ、と思い出して窓の外を眺めてみたのですが、どこにもお月さまは見当たりませんでした。
すっかり曇ってました。ちょっと残念。
まぁ、もともと天体観測そのものはあまり好きじゃないので満月を見ると言ってもほんの数十秒なんですがね。
子供の頃から苦手なのですよ。夜空を眺めるのって。
なんだか「持ってかれそう」で。
いや、もしもずーーーっと眺めていたら確実に「持ってかれる」と思います。私の中の何かを。
天文学は大好物なので、もしも頭が良くて天文学者になってたらヤバかった……ってこともなくててですね。
観測はモニター見て行いますからね。それはOK。
生がダメなのです。
木星の大赤斑は写真でもダメだけど~。
こわい。

先週、近所の一宮にお参りに行ってきました。
輪っかもくぐってきました。
神様からのお手紙も大吉でした。

これ、この時と同じ御神籤でした。
4月の時と同じってことは、私の状況が変わってなくて、神様から同じこと言われてるってことなんでしょうね。
あー、まだ「待人 さわりあり 来らず」のままかーー。
(待猫はあの後に帰ってきたけどね♪)
初めは危ない谷の小川を渡る様な心配事があるが驚き迷うことはありません。
後には何も彼も平和に収まります
凡て小さい事も用心してすればよろしい

ありがたいお手紙です。

絵を描いたのは私だけれども、絵を生み出したのは私一人じゃない。

先日紹介したこのパーソナル・ゲートの絵なんですけども。
星が輝くその直前
お客様から許可をいただきましたので、一部転載します。

絵を受け取り、対面しまして、高揚と動悸が止まりませんでした。
あぁ、本当にこれは自分のゲートなんだな、という実感と同時に、いただいたメッセージを噛み締めながら、幾日か過ごしておりました。
三月に絵の依頼をし、四月の熊本地震、また五月の末に父が急逝し、落ち着いた頃合いに、まるで意図されたかのように届いたパーソナル・ゲートの絵は、私が大好きな色合い、柔らかな雰囲気とは裏腹に、やりたいことをやるのならば、覚悟を決める時ですよ、と伝えてくれているのだと思いました。
チリやガスのようなもので構成された混沌としたものの中から、必要なもの不要なものを選り分けて、集約して形を作っていくことが課されてるんだなぁと思います。
パーソナルゲートの絵、本当にありがとうございました。おかげで、この一年が人生の頑張りどころなんだと実感を得ることが出来ました。やるべきことをやっていきます。
また、おまけの星のハガキも愛らしく、合わせて御礼申し上げます。
それから、震災に関しては、私の住んでいる地域は、ほぼ無傷でした。仕事も失うことなく、生活出来ております。まだまだ県全体で考えると、復興には時間がかかりますが、頑張ろう熊本を合言葉に県民それぞれにやっていくことと思います。お心遣いありがとうございました。


「よし。絵を描くぞ。」と、お客様ノートを開いてみたら、ご住所が熊本県でした。
地震の影響がお客様にとってどれくらいのものかはさっぱり分かりませんでしたので、このまま描いて送っても大丈夫かな…、と思ったのですが、もしも避難していらっしゃるならば、避難先に(郵便屋さんがうまいこと)届けてくださるだろうし、もしも代金が今は払えないということならば、それも支援のひとつとして待たせてもらえばいいし……と、考えまして、描いて送らせてもらいました。
すると、お客様のお住まいの地域は被害がほとんど無いとのことで良かったです。
しかし、地震の後にお父様が急逝されたと書かれていて、胸がきゅっとしました。
「落ち着いた頃」というのは、寂しさがじわじわじわじわ……と深まっている頃という意味でもありますから、そんなタイミングであの絵がお客様のところに届いたのか、と、描いた本人も不思議な気持ちでいっぱいになりました。
そんな状況の中で、お客様がこの絵をとてもポジティブに解釈してくださったことが、とても嬉しかったです。
いえ、「とても有り難い」と思いました。
お客様にこの絵は「生かされた」んだなぁ、と感じたからです。
大げさな言い方ですが、『描いた私と、受け取ったお客様で、この絵を生み出した』という感覚になったのです。

もちろん、他のお客様との交流の中で、同じような感覚になったことは何度もありましたが、今まではこのように明確に言葉にはできませんでした。
なんていい仕事をさせてもらってるんだ、と素直に思えました。
いろんな人がいろんなスピリチュアルな絵を描いていて、絵の技術にしてもスピリチュアルな能力にしても、私よりうんと高いものを提供している人がたくさんいる現実に、無力感に近いものを感じることすらあります。
しおしおのほうれん草みたいな気分になります。
それでも、こうやってお客様とのやりとりを通じて多くの気づきをもらえて、お客様に「こちらこそありがとうですわ~。」と感謝していると、やれることをしっかりやればいいんだ、と前向きになれます。
しゃきっとしたほうれん草に戻ります。
今まで描かせてくださったお客様全員に、あらためて「ありがとうございます。」と伝えたいです。

星が光り輝くその直前

お客様からご注文のパーソナル・ゲートの絵、3枚目です。
星が輝くその直前
宇宙空間のチリやガスが集まって、ぐるぐる回転し、どんどん凝縮していって、とうとう核融合反応が起こり、やっと星は光り輝くわけですが、
その核融合反応が起こる手前、という感じがしました。
それをどう解釈するか、は人によってまちまちだと思うのですが、
『すでに準備はほぼ整っている』と解釈することもできるでしょうし、
『圧力(自重)が苦しくて、今ここですべてを投げ出してしまったら、輝くことはできない』と解釈することもできるでしょう。
未だ自分は何もコトを成していない、未だ自分は何者にもなれていない、と虚しく感じている人にこそ、この絵の解釈をご自身のためにしていただきたいな、と思います。

買った紙パックの野菜ジュースに穴が空いていた。

先日、夕方の…もう19時頃でしたかね。
ちょっとお出かけした日で、いつものスーパーではないスーパーでお買い物したんです。
買った商品の中に、とある野菜ジュースの200mlのがありまして、帰宅したらすぐに息子が飲むつもりでした。
しかし。
帰宅してすぐに買ったものを冷蔵庫に入れたりしてる時に、あれ?ってなりまして。
カゴの一番下にあったハムの包装がちょっと濡れてるんです。
あれれ?ってよく見てみたら、野菜ジュースの色をしてたので、紙パックのジュースを手にしたのですが、ちょっと濡れてるけれど、どこかが破れてる感じがしない……ので、ぎゅっと握ってみたら、角の1箇所から細い線のようにぴゅ~っとジュースが出てきました。
「ありゃー、こりゃあかん~。」と、とにかく息子が間違って飲むといけないので、飲み口にストローを突っ込んで、そこからジュースを絞り出して捨てました。
息子、しょげてました。すげぇぇぇしょげてました。
が。
この時にちょっとした違和感があったんですよね。
それで、後からよくよく考えてみたらですよ、
もしも出荷時にすでに小さな穴が開いていたら、やはりちょっと漏れるでしょうから陳列の時にお店の人が気づくハズです。
そして、紙パックは落としたような感じはありませんでした。
パッと見では穴が開いてるなんてちっっとも分からなかったのです。
それも小さな穴。
針で開けたような穴。
これは、故意にやったやつじゃないのか?
と、ハッとしまして、翌日にそのお店に電話しました。
すると店長さんがすぐに我が家にやってきまして、その紙パックを回収していきました。
「これは、故意にやったっぽいですよねぇ。」
「ですよねぇ……。」
「異物混入されていたら非常に危険ですねぇ。」
「ですよねぇ……。」
「お店の方でも監視を強化します。」
「はい。そうしてください。」
と、そんな会話をしまして、そして野菜ジュースを2本くださいました。
買ったのは1本でしたけどサービスで1本余分にいただいて、息子が店長さんにお礼を言ってました。
息子にそのまま渡して飲ませなくてほんとーーーに良かったです。
お店のレジの人がmyカゴの中に野菜ジュースを横にして、それも穴の開いた方を下にして置いてくれたのが幸いでした。
レジのおねーさん、Good Job!
というわけで。
困った人ってのはどこにいるか分からないので、みなさんもお買い物の時には十分に気をつけてください。

私が、カタチを与えたモノたちが。

TOMOKOさんからお手紙と絵が届きました。

この絵については、TOMOKOさんがブログでも紹介しています。
http://tomoko7art.blog85.fc2.com/blog-entry-1120.html
TOMOKOさんから絵が届くというのはですね………こう………なんてか………身が引き締まるのですよ。
こういうこともありましたし。
必ずしもスパルタな課題が発動する、というわけではないのですが、ちょっとした節目の合図だったり、停滞していたことが動き出したり……と、変化が起こることが多いのです。

あなたが、カタチを与えたモノ達は、
今、世界を、どんな風に遊んでいる?


言葉も深いですよねぇぇぇぇぇぇぇ。
今、ちまちまと読んでる本というのが、MITで理論物理学を修め、臨床心理学も修めた人が、量子力学と(タオやインド哲学やオーストラリアのアボリジニーのドリームタイムなど)昔から語られている世界観を結びつけて、世界とは人間とは人間の身体とは……を語っているものなんですが、
それを読んでいると、まさにね、「カタチを与えてる」んだなぁ、と思うんですよ。私が。私の意識が。
「量子レベルの意識」が。
別にこれといって悩みがあるとか、解決すべき問題があるとかじゃないんですけど……あ、学校に提出しなきゃいけない書類とか、役所に出さないといけない書類とか、息子と娘のスクール水着を新調しないといけないとか、日常の細々したことはあるんですけど、大きな悩みってのがあるわけじゃないんです。
でも、なんだか「壁にぶち当たってる感」がこのところありまして、それを突破していくヒントがこの絵に隠されてるのかもしれません。
TOMOKOさん、どうもありがとう♪

ユニクロのデザインTシャツやトートバッグを作ってみました~♪

ユニクロのUTme!という、スマホアプリを使ってTシャツやトートバッグに図柄をデザインして販売できる、というものがありまして、
TEATROのteruさんが素敵な作品をアップされています。
https://utme.uniqlo.com/jp/front/mkt/show?id=201336&locale=ja
そしたらですね、teruさんが「たみえさんも、くまえるで作ってみたらいかが?」と言ってくださいまして、
めんどくさがり屋のたみえかーさんですが、やってみました!
アプリなんて、Johnny’s webとか頭痛~るとかamazonとか天気予報とか、そーゆーのしか普段使いをしていないおばちゃんなので、やりたいことをするためのアプリの操作をクリアするまでに、なんだかんだで丸一日くらいかかっちゃいましたが、なんとかできました~♪
https://utme.uniqlo.com/jp/front/mkt/show?id=205548&locale=ja
こんな感じです~。
(画像がボヤけててごめんなさい。上記リンク先で確認してね♪)


ちょっと面白かったので、もう数点作ってみようかなー、と思ってます。
うさえる好きの娘にはうさえるトートバッグを作れ~と言われますしねん。

娘と自分の違いを考えてみると。

娘のクラスメイトの1人に、とっても天真爛漫で人気者な子がいます。
優しいところももちろんあるし、娘の兄が知的障害児であることについても、子供なりにすごく理解を示してくれています。
でも、その天真爛漫さという長所がネガティブな方向に表出することもあるのが、おばちゃんはちょっと気になっていました。
ざっくり言えば、気分でコロコロ言うことが変わり、その場にいない子の悪口を言うことが少なくない、と。
いえ、悪口を言ってるという意識はあまり無く、思ったことをそのまま言ってるだけのような部分が多いように感じます。
で、ちょっと彼女について考えさせられる案件(うちの娘とは全く関係ないところでなんですが)が発生しまして、残念ながらどうやらその部分が以前より助長されてるように感じました。
それで娘に訊いてみました。
「○○ちゃんに、人の悪口を言っちゃダメだよ、って娘ちゃんは(意を決して)注意したことがあったやんね?」
「うん。でもアカンよ。あの後何回もダメだよって言ったけど、直らんもん。もうあきらめた。」
「直らんかー…。」
「うん。直らんよ。一緒にいる時は仲良くしてるけど、ちょっと離れるとすぐに悪口言うもん。2人だけで遊んでる時はすっごく楽しいけど、3人4人ってなってくるとアカンわ~。」
「そっかーー…。じゃあ娘ちゃんも○○ちゃんに悪口言われてるんかなぁ~。」
「言われてるに決まってるやん!てか言われてるし!」
「そうなん?」
「そうだよ~。ついこの前も(事情を説明して)…で、後ろで私の名前が聞こえたもん。あー私の悪口を○○ちゃんが他の3人に言ってるなーって分かったし。バレバレ。」
「えー。それはすっごいイヤやったねぇぇぇ。」
「確かにイヤだけどさ~、でも気にせん。」
「ほんとに?」
「うん。だってそんなこと気にしてたって仕方ないやん?どうせいつも誰かの悪口言ってんだしさ。あの子たち。」
「そっかー……。すごいなぁ。娘ちゃんは。」
「そうかなー????」
「それにそうやってイヤなところがある子たちとも普通に仲良くしてるやん?」
「うん。それはそれやし。」
「すごいなぁぁぁ。娘ちゃんは。」
「そうかーーーーー?????」
本気で我が子ながら尊敬してしまいました。
観察と分析ができるだけでなく、自分の感情のコントロールもできています。
小さい頃の娘は癇が強くて、泣き始めるとなかなか自分の気持ちをおさめられなくて、泣きながら「自分の気持ちをおさめられないの~。」とずーっと言ってるような子でした。
それが、この変わりようですからね。
よく育ってくれました。
ひるがえって。
私はというと、頭では分かっているのにイヤな気持ちに引きずられてどよーんとするというのが、40代後半になっても改善できずにいます。
それなりにいろいろ試したんですけどね、どうにも難しいのです。
頭では切り替えができても、感情の方が切り替えることができなくて片隅に残り、いつの間にかまたイヤな気持ちに支配されて、気づいたらまた考えている……ということの繰り返しで、正直とても疲れます。
これ、ほんとに弱点です。私の。
ウィーク・ポイントですのん。
豊かさについて考える時、今までどうにももやーんとしたひっかかりがあったのですが、
どうもそれはこの「イヤな気持ちの切り替えが下手すぎる」ということが大きな原因なんだろうな…と、思ったのでした。
どのような経路でもって豊かになっていくのかは人それぞれですが、経済的豊かさについて考えてみると、どうしても人とのやりとりは増える方向になり、イヤな気持ちになるような出来事が起こる確率も増えるだろう……と、なると、イヤな気持ちの切り替えが下手くそすぎる私には辛いから、本気で豊かになりたいとはいま一つ真剣に思い切れないんだろうなぁぁぁぁぁ……というところまでは、最近ようやく自覚したのです。
そして、娘との会話の後に、「なんで娘ちゃんと私はこんなに違うんだろう?」とふと思ったのでした。
すると、娘との会話の前日に弟2号から送られてきた写真が頭に浮かびました。

(オカンだけ正面向きなので、オカンのプライバシー保護のためにちょいと消しておきました。)
………んー。
やはり、土台の一部がどこかちゃんとしてへんのかなぁ。
どっか部分的に不具合が残ってんのかなぁ。
バグがあるんやろうなぁ。
と思いました。
こんな記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1051.html
を以前に書いてますけど、自分の中の怒りを再発見しただけでは、まだまだアカンようです。
でも、だからといって実際にどうしたらいいのか、イマイチよく分からんのです。
インナーチャイルドと向き合えばいい……んでしょうけど、何故かそれがピンポイントでは無いような気もしますし。
その辺りなのは間違いないと思うんですが。
いや、ウィーク・ポイントってのは長所のひっくり返し………って、この場合は違うかなぁ~~~。
分からんなぁぁぁぁ。
(オチが無くてごめんなさい。)

まるで冥王星のような重い影、または闇

お仕事として描いたパーソナル・ゲートの絵、2枚目です。
食または合

いつも短いメッセージのようなものを手書きで書いて同封するのですが、
だいたいそれについてはスパーンと忘れてしまいます。
しかし今回のは忘れちゃアカンやろ~、と思いまして、書いてすぐにメモしておきました。
それが以下です。

この度はご注文ありがとうございます。
パーソナル・ゲートの絵をお届けします。
輝く星に影が映る【食】のようにも見えますし、
または、月や金星などに冥王星が重なっている(占星術用語の)【合】のようにも見えます。(←もちろん天文学的にはこのような図にはなりません。)
どちらにしろ、輝かしいご自身の光に重い影や闇がかかり、本来の輝きが半減している状態なのだと思います。
しかしそれはマイナスなことなのでしょうか?
果たして、ゲートは輝く星の方なのでしょうか?
それとも闇の星(または影)の方なのでしょうか?
これはとても深い問いだと感じました。
感謝をこめて


9cm四方の小さい絵なのですが、すごくすごく「重い」絵でした。
重く、容赦なく、そして美しい……そんな絵だなぁ、と描き上がってからしみじみ眺めておりました。
あ。
「美しい」というのは、お客様の中の神聖さを美しさとして感じる、という意味です。
人生は重く、容赦なく、そして美しい。
そんなふうにも言い替えられるのかもしれませんね。
今「しんどいなぁ…。」という人にもじーっと眺めて何かを感じてとってもらえたら、と思います。
というわけで。
パーソナル・ゲートの絵も商品化してくださいという有り難いお声に応える形でしたが、前回の絵と今回の絵と合わせて、『お金をいただく絵』としてちょっとだけ自信がつきました。
天使の絵とは違ってエグられるような場合もあるかと思いますが、パーソナル・ゲートの絵もおすすめしたいです。(←売り込みが苦手な私がこんなこと言うのも珍しいですが。)
海に深く潜って描いてますからね~。

「ディスレクシアなのは辛い。悔しい。悲しい。」と娘が泣いた。


ディスレクシアというハンデがありつつも、娘は漢字の練習を日々頑張っております。
今年の担任の先生は教師になって2年目の新人さんで、国語専攻だったようなので、ディスレクシアの子がどのように漢字を覚えていくのかを興味深く観察しているようです。
「先生ねぇ、私が漢字テストやってる時にじーーーーっと見てるんだよ~。」と娘が笑ってました。
なかなか100点は取れませんし、どうしても棒が一本抜けたり多かったりして間違うことが多いのですが、娘なりに頑張ってるのは十分伝わってきますし、
書いて覚えるのが苦手ですから、文字を分解してパーツごとにし、そこからまた再構築するという手順を娘と一緒におしゃべりしながら手伝うこともちょいちょいあります。
ですが、
やはり娘としてはしんどいのでしょうね。
昨日は宿題の漢字練習をした後に泣きだしました。
「みんな100点取れるのに、私は全然取れなくて、ダメな時は30点とかになっちゃう。
みんなすぐに漢字を覚えられるのに、私は覚えるのも苦手だし忘れちゃうし。
凸凹の凹だってのは分かってるし、凸があるから凹があるってのも分かるけど、
でも、やっぱりディスレクシアなのは辛い。すごく悔しい。すごく悲しい。」

と、私に抱きついてわんわん泣きだしたのでした。
娘をぎゅっと抱きしめて、「そうやね。辛いよねぇ。辛いに決まっとるよねぇ。悔しいよねぇ。悲しいよねぇ…。」と、背中を撫でてあげました。
娘は割と長い時間泣いていたのですが、その間ずーっと背中を撫でてやりました。
そして、ちょっと落ち着いたかな、というところで、こうなふうに話してみました。
「お母さんのお友達にさ、勉強もできてピアノもお習字も上手で、なんでもできる子がいたって前に言ったやろ?
お母さんもあの子くらい勉強ができたら、ほんとうにやりたかった勉強がもっとできただろうにって、悔しかったし悲しかったから、娘ちゃんの気持ちも少しは分かるんよ。お母さんは。
でもね、あの子ね、結婚しとらんの。
すごい入るのが難しいとこに入ってすごい難しいお仕事をバリバリしてるくらい頭も良くて性格もいいし元気やし何でもできるのに、結婚のご縁だけは今まで無かったんやろうねぇ。
別に結婚せんでもいいんやけどさ、多分あの子はずっと結婚せんと仕事を頑張る!とか思ってたんではないと思うんよ。
きっと好きな人もおったやろうけど、ただ単に結婚のご縁が無かったんやろうなー、って思うんよね。
何でも持ってるように見えても、人間は何でも持ってるんやないってことなんやよね。
あの子ももしかしたらこれからご縁があって結婚するかもしれんけど、結婚したとしてもさすがに子供は産めんやんね。
お母さんと同い年なんやから。もう難しいやろうね。
あの子とお母さんで、どっちがいいかってことやないのは分かるよね?
お母さんの持ってないものをあの子は持ってて、あの子が持ってないものをお母さんは持ってる、ってことなだけやんね。
みんなそうなんよ。
何かを持ってなくてしんどかったり辛かったりするかもしれんけど、どれだけ恵まれてるなーって思える人でも同じなんよ。
みんな何かを持ってて、何かを持ってないんよ。」
娘は、涙をいっぱいに溜めた目を見開いて、真剣な顔で私の話を聞いていました。
そこでちょうど「アイカツ」が始まったので、娘はテレビを見始めました。
まぁそれでいいかー、と思った私は、夕飯の準備をするために台所に行きました。
わーっと泣いて、きっと少しはスッキリしたと思いますし。娘の心も。
そいえば、
しんどい辛い悲しい、と母親に泣きついたことって、4年生にもなるともう無かったんじゃないかなー……と、自分のことをちょっと振り返って、そう思いました。
そういうことができなかったのです。
そういう意味では、溜まったものを母親に泣いて吐き出すことができている娘は、素直でいいなぁ~、と少し羨ましさすら感じました。
ありがたいことですね。
こうやって泣いてくれるってのは。