自身の中の【ファンタジー】を統合する

先週中に紹介したかったのですが、いろいろありまして、今日になりました。
お客様のパーソナルゲートの絵です。
パーソナルゲート
そして、お客様に同封したメッセージが印象的だったので、(送ると忘れてしまうので)スマホでメッセージの写真を撮っておきました。
私は、以下のように書いておりました。

描き始めはパステルカラーに水玉がいくつもあるかわいらしい絵だったのですが、
水玉の1つが輝き出すと、他の光の玉は消えていき、最終的には太陽のような絵になりました。
もしかすると、ご自身の中にある”ファンタジー”を1つに統合することで、次の世界が始まるのかもしれませんね。


私はよく「物語」という言葉を使いますが、このお客様へ送るメッセージとしては「物語」ではなくて「ファンタジー」という言葉の方がしっくりきたのでした。
そして、自身の中にある”ファンタジー”を1つに統合することの重要さ、というのは、多かれ少なかれ誰にでも当てはまることなのかもしれない、もちろん私にも当てはまることなのかもしれない、と強く感じました。
……で、その意味を今ここで書こうと思ったのですが、うまく言葉にできません。
もうねー、絵に表現されてるので、その意味を、そのニュアンスを、絵から感じてください、としか言えません~。
言葉による表現力が私には足りないからなんですが、すみません……。
*****
それからですね。
ちょっとお知らせです。
先月からですね、民絵屋のシステムでちょっと変更がありました。
今までは、描き上がった絵をお客様にお送りしてから、お客様にご入金いただいてましたが、
「描き上がりました」というメールをお客様に差し上げまして、そのメールに記載します振込先にご入金をいただきまして、
それを確認してから絵を発送する
、という順番にさせてもらっております。
入金が先の方が良くないですか?と、お客様がご心配してくださってご指摘してくださることも何度かありましたが、
民絵屋を始めた時に、まだどうしても自分に自信が無かったために、作品を先にお届けしたかったのです。
「もし、民絵屋の商品を先にお届けして、お振り込みをしてもらえない…という事態が発生したら、それからご入金を先にしてもらうシステムにしよう。」
と、お店を始めた当初に決めたのでした。
そしたらですね、ありがたいことに民絵屋のお客様はちゃんとした方ばかりで、そのような事態になることもなく、ずーーーっと過ぎてきました。
しかし、今年になってから、ポストカード1セットなんですが、お届けしてからご入金を確認できない方がお1人いらっしゃいまして、
催促のメールを数回出させてもらったのですが、何もお返事をいただけませんでした。
ああ、これは、システムを変更する時期になったということなんだなぁ~。
と、思いまして、先月になってからようやくそのように変更した、という次第であります。
ですので、なんでかそのお客様に申し訳ないような気持ちにすらなっちゃいましてねぇぇぇぇ。
私が自分で決められないからと、あんなふうにお店を始める時に決めてしまったが故に、そういう役割をすることになってしまった方がお1人出てしまった……ということですからね。
やはり、自分の行動は自分で決めるようにしないとダメですね。他人任せはアカンです。
または、他人にシグナルになってもらうなら、そのシグナルの内容は良いものにしないとアカンですね。
反省です。
*****
先週いろいろあった、と、冒頭で書きましたが、こういうことだったんです。


いろんな人にお世話になってきたんですから、求められた時に自分のできる範囲で多少なりともお返しができたらいいなー、と思うわけでしてねぇぇぇ。
もう数年で50歳ですし、歳取りましたねぇぇぇぇぇぇ。
ふふふ♪

やむにやまれぬ『好き』が湧きあがってしまった理由

おれは好きや
ここ数週間におよぶアレコレとその内観について、やっとまとめるタイミングになったみたいなので、まとめました。
若干長いです。
良かったら読んでみてください。
*****
私は20年以上前に占星術の本とソフトを買って、占星術の基本の基本の基本を学んだ程度なので、
ちゃんとした先生に師事して学んだ経験のある月子さんのようにはホロスコープを解読することは全くもってできませんが、
彼女の説明を聞いて「なるほど。」と理解することができるくらいの基本知識はなんとかあります。
が。
やはりそこはシロウトが本を読んで学んだ程度なので、とある占星術に特化したサイトを知った時にも「敷居が高いなー。」と思い、ずーっとアクセスをしていませんでした。
それがですね、何かを検索していてたまたま引っかかって、そのサイトだと気づかずに読んだのがキッカケで、ちょいちょいと読むようになりました。
いろいろ考えさせてもらっとります。
そのサイトの中に、男性におけるある惑星とある惑星のアスペクト(意味のある角度)について書かれているのを読みまして、
もしかして……と、おとーちゃんのホロスコープを確認したところ、それが在ったんです。
それはパートナーの女性にとってはマイナスに作用すると言えばそうなんですが、
でもですね、それはそうなんでしょうけど、その作用自体のことよりも、『薄々そうなんじゃないか?と思ってたことが、そうだよと言われた』ことに、どこか「やっぱりかー。」と納得できたことの方が大きかったのです。
別におとーちゃんが意識的にやってることじゃないし、
振り返った時に観える人生というのは(フラットに捉えて)「運命」でしかないと私は思っていまして、私とおとーちゃんが夫婦になって息子と娘を授かったというのは、すでに私の中では「運命」となっておりますので、
「その惑星と惑星のアスペクトに示されるような我々夫婦間のエネルギーの流れというのは、運命でしかない」と受け止めております。
その上で、私がどう意識したらいいのか、を考えていけばいいのかな、と思ったのです。
と、そんなことを月子さんに報告したところ、さらにいろいろ分析してくれまして、
その流れで、私が今まで考えもしなかったことを指摘してくれました。
ホロスコープにおいて私の月は、海王星とも冥王星ともハードアスペクトを形成していますが、逆に太陽は海王星とも冥王星ともソフトアスペクトを形成しております。(さらに言えばキロンともソフトアスペクトを取ってます。)
しかし、そんな太陽を私は旦那さんに預け続けていて、私自身の太陽としては活かしていなくて、私自身は月としてしか生きていない、という指摘でした。
これは、先に書いたことも大きく影響してなるべくしてなっていること、まさに「運命」だと思いますし、
私が太陽をおとーちゃんに預けて、嫁と母という「月そのもの」として生きてること自体に問題があるわけではありません。
実際に、我が家に何度も遊びに来てくれていて、我が家のことをよく知っている月子さんも、私が月をフル稼働して生きていることで、我が家のバランスが上手に取れていることを有り難いことに高く評価してくれています。
しかし、です。
私の太陽は、その意味合いとしては、めっちゃざっくり言えば「仕事バリバリすることで自己実現を目指す太陽」なのです。
それを、海王星も冥王星もバックアップしてるよ、という程度にしか思っていなかったのですが、
月子さん曰く、
『ソフトアスペクトだらけの太陽で、箱入り太陽』なのだそうです。
資質としては仕事バリバリなのに、おとーちゃんに預けてる上に箱入りの太陽ですから、使えてない度がハンパない太陽ということになります。
それを指摘されて、ぐうの音も出ませんでした。ぐう。
月子さんによると、ソフトアスペクトは意識しづらく、ハードアスペクトの方が意識しやすいのだそうです。
困難さを伴う方が意識しやすいというわけですね。
確かに私は自分の水瓶座の月の方が山羊座の太陽より何倍も意識しやすいですし、自分らしさを月に感じることの方がうんと多いのです。
海王星と冥王星のハードアスペクトで意識せざるを得ない月をフル稼働して10年以上ずーっと生きてきたために、太陽のことをすっかり忘れてしまっていたような、そんな状態にある、ということなんですね。
さらに、私の場合はココに書いたように、14歳で夢を諦めてから夢らしい夢を抱くことができなかった、というのも大きいのです。
太陽を使う時の目標がどうにも定まらなかった、ということでもあるからです。
月子さんとのやりとりを通して、やはりどうしてもここに行き着くのでした。
あ。
ちなみに、占星術における太陽の意味についてイマイチ分からない方はコレとかコレとかどうぞ。
ざっくりしてますがー。
……それに、さっきから海王星と冥王星のアスペクトが~ってサラっと書いてますけど、これがなっかなかの案件だったりするんですけどねぇぇぇぇぇぇぇ。
や、もちろんですね、使えてない太陽をこれから使うのか、このままで行くのか、は、私次第なので、月子さんはとやかく言いません。
ただ彼女は占星術の智慧を使って私が気づいていなかった状態を教えてくれた、だけです。
そして、もしも月だけフル稼働という状態ではなく、(子供たちの成長につれて)これから太陽も使いたいと思うのならば、まずはこうしたら?とアドバイスをくれました。
そのアドバイスに従って、太陽や冥王星の度数のサビアンを何度も読んでおりました。
しかし、頭ではなんとなく分かっても、ちっともお腹に落ちてきません。
夢を諦めた時に傷ついたであろう「14歳の私」にアクセスしてみようとしても、どうしても感覚が散漫になり拒まれ続けましたし。
そうこうしているうちに、ひょんなことから現在住んでいる土地の由来を知ることとなりました。
思いがけず、それには持統天皇が関係しておりました。
この流れで持統天皇です。
私からすると持統天皇は「自身の太陽をバリバリに使っていた女性」として映ります。
太陽を使うということがテーマとして浮上している時に、こういうシンクロって起こるものなんだよなぁ~、とどこか他人事のように感心しつつ、「奥さん奥さん、ちょっと聞いておくれよ~。持統天皇が~、持統天皇がぁぁ~…。」と、じぇいど♪さんに現状を報告しました。
すると、何往復かのやりとりの後、じぇいど♪さんが実に興味深いことを教えてくれました。
私が以前、このような記事を書きましたが、この「カラフルな波」と「つぶつぶ」の寄せ集め、というのがミソだと言うのです。
とりあえず、「つぶつぶ」として簡略化して考えると、
今のこの肉体でのこの生で、何らかのブループリントを遂行していく(生きていく)ためには、
大小様々な「つぶつぶ」が必要となるわけです。
誰かとの巡り合わせの縁や、何かの資質・才能を備えるために、です。
それを、「魂の構成要素」と呼ぶこともできるでしょうし、守護神霊の霊団と呼ぶこともできるでしょうし、前世やご先祖と呼ぶこともできるでしょうし、宿命と呼ぶことも、生まれた時のホロスコープと呼ぶことも、親につけてもらった名前と呼ぶこともできるでしょうし……まぁ、そこらへんは切り口によって変わるものなんでしょう。
それで、です。
「大小様々なつぶつぶ」を寄せ集めて1つの「個」として機能するようになると、その「つぶつぶ」の1つ1つの違いがその人の生まれ持っての性格や得意不得意などの「個性」ということになるのだそうですが、
寄せ集めの1つの「個」として機能させるための配慮をしても、やむにやまれぬ内側から湧き上がる『好き』というのは、完全に処理することができないのだそうです。
「やむにやまれぬ『好き』が内側から湧き上がるのって、いいことじゃない?』
……と、思う方もいらっしゃるでしょうが、
それが今生のブループリントにおいて必要不可欠なものだったら、もちろん良いことに決まってますが、
今生においてメインで遂行することにおいてそれが必要ではないケースも割と頻繁に起こるのだそうです。
つまり、その処理しきれなかったやむにやまれぬ『好き』に翻弄されてしまうこともちょいちょい起こることなのだそうです。
私が、7歳の時に子供用百科事典でプレアデス星団やアンドロメダ星雲の写真を見て、魂を掴まれてしまったのも、この「処理しきれなかったもの」の働きだったのか…。
そして、私みたいな事例は、そこそこ頻繁に起こることなのか…。
頭で理解しただけでも、何か憑き物の(ほんの)一部が落ちたような、そんな感覚になりました。
しかし、それだけでは足りないと、じぇいど♪さんは続けて教えてくれました。
14歳の私にアクセスできないというのなら、『夢を叶えて科学者になっている自分』にアクセスしてみろ、と言うのです。
平行世界の自分…というのか、何度目かのやり直しの自分…というのか、とにかくそんな自分にアクセスしてみる、という発想は全く無かったので驚きましたし、これがなかなか『自分が整う』に至らなくて数日間悶々としましたけど、3日前に突然すーっと繋がったのでした。
その翌日、じぇいど♪さんに送ったメールを転機します。
これをベースに書き直そうと思ったんですけど、臨場感が削げちゃうので、このままで。

おはよーーーー
なっかなか例のアレにアクセスできへんかったんやけど、
昨日はイレギュラーで息子がデイサービス入れてもらってて、迎えに行かなくてもいいから、午後からだら~っとしてたら、アクセスできたっぽいわー。
目つぶってたら、眉間がうにょうにょしてきて、
紫の模様がもあんもあんと見えてきたから、あー、イケるかもー、ってなってさ。
体感もちょっと軽くなってきたし。
で。
やったことなかったけど、
「天文学とか宇宙物理学とか、そーゆー系の研究者になってる自分」
っての、居るー?って探しに(?)行ったら、おってさ。
やー、おるんやー、ってビックリしたけど、
私……なんやろうけど、私やないんよ。当たり前やけど。
もうね、全然違うの。
背も低めやし、ちょっと丸っこいし、でもって、私よりうんとマイペースでのんびりな性格に感じられたんよ。
基本的には好きなことしかせーへん、って感じの。
多分、旦那さんもおって、同じ大学の生物系の研究してる人っぽくて、イケメンから遠くハズれてる人なのよ~~~。
でも、いい人っぽくてさ、
その旦那さんの実家に住んでて、子供も1人おるけど、お義母さんが子供の世話をしてくれてるから、研究に支障はほとんどなくてさー。
なんちゅー幸せな奴や、こいつーー、って思うんやけど、
もちろんさ、彼女なりの悩みとか苦労とかはあるみたいで、頑張ってるんやろうけど、でも、端(っても私だけど)から見たら、良すぎるくらいの人生やろー、って思うんよ。
でね。
じゃあ、こういう「私」がおるなら、「美人に生まれた私」もおるんちゃう?と探しに行ったら、おってさー。
当然ながら見た目は全然違うんやけど、これまた性格も全く違っててねぇ。
あまり深く物事を考えない…というか、楽天的というか。
結婚して、子供もいて、これまた彼女なりに悩みとか苦労はあるんやろうけど、恵まれてる人特有の「毒の無さ」みたいな感じがあって、そんなに深く考えてないんやけど、なんかええ感じになっとる…みたいなんよ。
美人で鼻持ちならない人間、ではないのよね。
なんかねー、それこそ「お花」みたい。
と、こんな2人を見てたら、今のこの自分ってのは、それこそ「いろんなつぶつぶがいっぱいありすぎるくらいある」んやろうな、って思ったんよ。
彼女たちは、頭がいいとか美人であるとか、非常に特徴的ではあるんやけど、
私ほど雑味が無いというかなんというか…。
彼女たちに比べたら、私はオールラウンダーなんやなー、と思ったんよね。
いろんなつぶつぶをちょっとずつたくさん寄せ集めてみた、みたいな。
だから抜きんでてるものは無いんやけど、(もともと優劣なんてないけど)彼女たちより私が劣ってるかってゆーと、そんなこともないよなー、って感じてさ~。
でさ。
じぇいど♪さんが教えてくれたように、つぶつぶの寄せ集めの、そのつぶの1つから強烈な太陽のような「好き」が、私が7歳の時に子供辞典の「宇宙」を見た瞬間から湧き出てしまった……がために、
14歳で「科学者になる。」という夢を諦めて以降、それに代わる強烈な太陽の姿を見つけられない自分にずーーーーっとダメ出しをし続けてたんやなー…って分かってねぇ。
あの夢が消えて、あの太陽が沈んでしまっても、私の世界は別に闇に没したわけでもなんでもないんやけど、あまりにあの光が強烈過ぎたんやな、って分かったんよ。
14歳で夢をあきらめたことに自分が傷ついてる、んやなくて、その後ずーーっと自分で自分にダメ出しをし続けてたんや、って。
じゃあ、あんな強烈な太陽のような光なんて私の人生の初期に無ければ良かったのか、と言えば、やっぱりそんなことはなくて、
あの太陽があったというのは、やっぱりギフトやなー、と思えるんよね。
人生の初期に、まだ無垢さがたくさん残ってる時期から何年もの間、あんな強烈な太陽のような光を全身に浴びていられた、なんて、そんなたくさんの人に起こることやないやろうし。


毎日毎日ちまちまと絵を描いてて、絵を描くことが好きだった…というギフトは、思いがけず仕事に繋がっていますけど、
宇宙のことが大好き…というギフトは、仕事には繋がってはいません。
……繋がってはいませんが、
それが「科学的思考」を私に教えてくれましたし、宗教やスピリチュアルを学ぶにつれ、科学的思考をする自分がいることの大切さをひしひしと感じています。私にとっては「両輪」なのです。
やっぱり、無駄な「つぶ」は1つも無いってことです。
それも愛やで
そして。
頭で分かっただけでなく、「自分ではない自分」を垣間見たことで、お腹の方にもかなり落ちてきてくれました。
キラキラに輝く太陽のような「好き」が湧いてこないことにダメ出しを続ける意味が無くなりました。
すると、
金星や火星といった個人天体ではなく、トランスサタニアンである海王星と冥王星が太陽の背中を押してくれている、ということは、個人のエゴを超えたところで太陽を使え、ということなんだな、ということも、今までよりもすーーーっと自然と自分の中で「分かる」ような、そんな感じにすらなりました。
まー、それが具体的にどういうことなのか、は未だちっともさっぱり浮かんできませんけど、アウトラインとして絶対にそれを忘れるな、ってことなんだろうな、と思います。
あ。
「エイト大好きー♡」は、また別ですからねーーーー!

ラファエルの炎の剣

おかげさまで、民絵屋のお客様にはリピーターの方も少なくないのですが、
今回のお客様は、リピートしてくださるごとにサイズを大きくしてくださっておりまして、
とうとう4倍サイズの絵をご注文してくださいました。
ほんっっっっとにありがたいことです。
ラファエル指定というご注文でした。
描き始めから、ぐあああああああああ、と押し出されるような強い圧力を感じておりました。
「癒しの天使」と言われますが、今回のラファエルは「優しいだけ癒し」ではないなー、とは感じておりました。
ぐいぐいきました。
そして、やっとラファエルの姿を描いた……のですが、
何かピンと来ないといいますか、何か足りないような、何か見落としてるような、そんな感覚になったのです。
でもやっぱりよく分からなかったので、一晩置いてみることにしました。
すると翌朝。
絵をパッと見たら、分かりました。
剣だ。
剣を差し出してるんだ。
単に腕を拡げているのではなくて、剣を差し出しているのだと分かりました。
そんなわけで、最後に剣を入念に描きました。
大天使ラファエル
ラファエルの剣は「炎の剣」と呼ばれているそうですね。
(ちなみにミカエルの剣は「光の剣」で、ウリエルの剣は「焔の剣」らしいです。)
子供の頃、祖母が膿を出すのに針でちょんちょんと突き刺す、ということをしていたのを見ていたのですが、
その時にガスコンロの火で針先を焼いていたんです。
消毒のためですね。
ラファエルの剣を描いていて、そのことを思い出しました。
もしかしたら、ラファエルの剣は膿を出すために患部を切るような、そんな役割があるのかもしれません。
剣で患部を切る時は痛いかもしれません。
でも、膿がずーっと溜まっていて、じくじく痛み続けているのなら、炎の剣で切ってもらうことで早く癒しが訪れるかもしれませんよね。
もしも、この剣が必要だと思う方は、ラファエルから剣を受け取るイメージをしてみたら良いかもです。
さて。
お客様のご要望もあり、今回の額はいつもの4倍サイズの絵の額よりも豪華なものにしてもらいました。
額入りラファエル
額
でもですね、
丁度、額屋さんがセール中ということで、3割引きのお値段で作ってくださったんですよ♪
なんてツイてるお客様なんでしょう~♪♪
ラファエルの守護もバッチリですね♪♪♪

自分の中には「エゴエゴしいもの」が散乱してる

1つ前の日記の補足…になりますかね。
先月末のことです。
朝から首肩がパンパンで頭痛があり、湿布を貼ってなんとか朝の家事はしたのですが、
どんどん調子が悪くなり、とうとう「しんどくてアカンわ。今日の息子くんのお迎えできへん。」と、おとーちゃんにSOSのメールをしたほどでした。
おとーちゃんが一時帰宅をしてくれて、縁起が良くて健康にもいいと言われる今年の梅干し(申梅)と白湯を用意してくれたおかげか、しんどくて眠ることもできなかったのが、うとうとと小一時間ほど眠ることができました。
(そしてその後、なんとか体調がだんだんと持ち直してきました。)
その時に見た夢です。
家の外に、糸みたいなのに引っかかってる蛇みたいなのがいました。
それはもがきにもがいてて、
それをよく見てみると、なんともグロテスクで怪物みたいな姿をしていました。
叫んでる口の中に蜂が密集しているのが印象的でした。
怖いので、その蛇のようなワニのような生物に、窓を開けて、そこから殺虫剤を噴霧しようかとも思ったのですが、
家にある殺虫剤くらいでは殺せんな、と思い、静観しかできずにおりました。
すると、怪物はもがいてもがいて、やっとこさ針金のような糸から自由になって、ぽとりと地面に落ちたのでした。
地面に落ちた怪物は、小さくて青くて、胸腹が赤いドラゴンの子供の姿になっていました。
ものすごーーーくかわいい姿をしていました。

そこで、娘を呼んで、さっきの怪物はドラゴンだったよー、と、窓越しに見せて、
2人でドラゴンちゃんバイバーイ、と手を振っていたら、
その小さいドラゴンは家の中にぽんっと入ってきて、私の膝の上に頭を乗せてきたのでした。
そのドラゴンをなでなでしてた…ら、目が覚めました。
頭痛を抱えながらも洗濯物を干していた時に、物干し竿の近くに蜘蛛の巣があるのを見つけたのですが、そこにミツバチが1匹かかっていました。
おそらく、それがそのまま夢の中でも流用されたのだろうと思います。
が。
この話を友達にメールする時に、「いと」が「意図」と何度も変換されました。
そういうことなんだろうな、と思いました。
強い意図に絡まって自由を失う。
もがきにもがいて、本来の姿も失う。
そんな状態が多少なりとも自分の中にあるのかもしれないなー、と考えました。
それを分かりやすく言えば「思い込み」なのでしょう。
論語にも「七十而従心所欲、不踰矩。」とありますが、思うままに振る舞っても道を外れないようになるには私の場合はまだ20年以上もかかるわけで、「意図」と言っても「雑味の強い思い込み」でしかないものが多いんだろうなー……と、思ったのです。
つまり、1つ前の日記に書いたように、「(エゴの)欲求を強い意志で精鋭化しレーザービームみたいにすることを『意図すること』と思ってた」んだろうな、ということです。
しかしですね。
それがアカンというわけでもないと思うんです。
「エゴエゴしいもの」があると、それが人生をゴツゴツしたくねくね道にしてしまうので、歩きやすい平らな真っ直ぐな道にしたいと思うと「エゴエゴしいもの」を排除しようということになるとは思いますし、道徳や宗教やスピで言われるようなことも結局はそーゆーことだったりするのかもですけど、
「エゴエゴしいもの」が存在するというのは、それにも意味があると思うんです。
「エゴエゴしいもの」があるから人間、とも言えるし、それが全く無くなってしまったら、他の人たちと全然違う次元で生きることになってしまうと思うんです。
それをアセンションと言うのかもですが、『人付き合いがちゃんとできへん変わり者』では人間社会で生きていくのは難しいですもんね。
……まぁ、全く無くなるということは無いんでしょうけど。
肉体がある限り。
ただ、
「エゴエゴしいもの」が自分の中にあるということを、どこか俯瞰するような目で見ることができるようになれば、ゴツゴツくねくねな道もかなり歩きやすくなるように思います。
自分の中にあるたくさんの「思い込み」を1つずつ見つけていくこと、とも言えるかもしれません。
散らかった部屋みたんなもんですね。
そうやって1つ1つ見つけて整理していく(←捨てるんじゃなくて整理整頓する)と、自分の中に備わっている「クリアな意図」というか、蓮村先生の言う「純粋な思い」というか、そういうものの在り処がだんだんと分かりやすくなってくるんじゃないかなー、と思うんです。
それが「七十而従心所欲、不踰矩。」であり、そうなるには人生全部を使うくらいじゃないとできないことなんでしょう。
「ああ、もういいや。」は、その折り返し地点くらいなのかもしれないですね。

「クリアな意図」とは、何処にあるのか?

お客様からは「天使はおまかせで。」というご注文でしたので、オラクルカードを引いたところミカエルでした。
オラクルカードはCrystal-Clear Intentionsでした。
大天使ミカエル
すると、実はお客様はミカエルとご縁が深いとのことで、絵の注文時にミカエルを指定しようかと思ったけれど、あえてお任せで注文されたのだそうです。
さすがミカエルです。
こういう場合に外しませんね!
さて。
「クリアな意図」についてですが、
お客様の場合なのか、今の私がそうなのか、が実はあまりハッキリしない…と言いますか、それぞれの課題についての構造が部分的にせよお客様の今と私と似ているのかもしれない……のかもしれないのですが、
『強い意志によってクリアな意図を持つ、またはクリアな意図を維持する』
というのではなくて、
『自分の中を少しずつでもクリアにしていくことによって、クリアな意図の在り処がだんだんと見えてくる』
なのではないか、と感じたのでした。
お客様へのメッセージと私へのメッセージをまとめて一緒にミカエルが伝えてきたような、そんな感覚になりました。
「クリアな意図」というものは、もともと備わってるもので、それがこの絵ではミカエルの掲げている光のような気がしました。
それはエゴの生み出す欲求というレベルのものでは無いのだろうと思います。
……てのもですね、「欲求を強い意志で精鋭化しレーザービームみたいにすることを『意図すること』と思ってたフシがある」んです。
私は。つい最近まで。
違いますよねぇぇぇ。それって。

つぶつぶでもあり波でもある「魂」


いきなり季節が進んだので、お猫様も少し寒いのか、私がブランケットにくるまっていたら、その中にもぞもぞと入りこんできました。
今年の冬はどうなんでしょうね?
寒いのかな?
さて。
数週間前のことですが、
おとーちゃんも一緒にたまたま見ていたテレビ番組で、大塚国際美術館を取り上げてまして、
再現したシスティーナ礼拝堂の天井画が映っていました。
http://o-museum.or.jp/publics/index/49/&anchor_link=page49

私はぼーっと見てただけなのですが、おとーちゃんが突然、
「あんた、こーゆーところで模写してたんだったよねー。過去世で。」
と、言いました。
あれ?
そうだっけー?
すっかり忘れております。
「豊橋の(霊能師の)先生がそう言っとったやん。」
あれー?
そうだっけーー?
すっかり忘れて………あ、なんか薄っすら思い出したかも。
そんなようなことを言われた覚えがあるかも。
その話になった時にぽんと思い浮かんだイメージが蘇ってきたのでした。
その時の私は男性でした。
上手というわけでもなく、それを生業としているわけでもないのですが、模写してたようです。
そんなイメージでした。
好きで模写してたんですかねぇ…。
過去世で習得した技術というのは現世でも活かせることが多いそうですが、思いがけず中年期になってから絵を描く仕事をしているというのも、そういうモノがあったからなのかもしれません。
実際、今の私が描いてるのも天使なので、礼拝堂などの絵を模写してた、というのも納得ではあります。
それで、
そんな会話をしていたのなら、ブログ記事に書いてあるんじゃないかー?と検索をかけてみましたが、ひっかかりませんでした。
mixiの日記に書いておいただけかもしれません。(←でも検索できないので諦めました。日記の量がハンパないので。)
しかし、探してる時にこんな記事を発掘しました。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-345.html
息子が小1で娘が年少さんの時です。
これもすっかり忘れていました。
もちろん、ミカエルの守護の元で描いているという意識はずーっとありますけど、久々に読み返してみて何とも不思議な気持ちになりました。
魂というものは、ひとつのかたまりというイメージを以前は持っていたのですが、どうやらそうではないようで、
2008年の春先に、観音様に私自身の魂のイメージ映像を見せてもらったのですが、
小さな光るつぶつぶの集まりで、その中に3つほど大きい丸い玉がありました。
どの本だったかは忘れちゃってすぐに探せないのですが、五井先生も、
魂というのは分離するし、集合するし……みたいなことをおっしゃっていたように記憶してます。
他にもいろんな人が似たようなことを言ってますよね。
「光」は、物理学の本にも書いてありますが、粒子でもあり波でもあります。
粒子としてイメージすれば、観音様が見せてくれたようなものになり、
波として見れば、さまざまな波長の波を合わせたもの、みたいなイメージなんでしょうね。


さっきPCを立ち上げたら、この画面になったので、写メ撮ってみましたー。
このイメージって近いかも。
このように、さまざまな粒子の集まりでもあり、さまざまな波の集まりでもあるのが魂だとすると、
「時間」の枠を取り払えば、「私」という存在の「魂的要素」は、その要素の配分もさまざまな上に、さまざまな時空間でさまざまな人生を「誰か」として【平行して】経験しているところなんだろうなー、と思ったりするわけです。
今の「私」の魂的要素の3つの大きなカタマリは、おそらくタミエルとファウとミルラ・ム姉さんだと感じるのですが、
その他にも「今の私」であるために、たくさんのつぶつぶが「この私の人生にとって必要不可欠」だとして参加してくれてるように感じるのです。
その1つの小さなつぶが、礼拝堂で模写をしていた男性の「魂的要素」の中の1つでもあるんだろうと思うのです。
そう考えると、
「私」という意識は、実は非常に特異なものなんだろうなー……なんて思っちゃったりして、
さらにとても不思議な感覚に陥るのでした。
「私」なんてものは、その意識を含めて、まるでホログラフィーですね。
あるようで無い。
でも目の前にはやっぱりあるようにしか見えない…ので、あるとしても構わない。
ならば、より美しいホログラフィーにしていこうという想いが、良い道標になりえるかもしれませんね。
というわけで、「魂」という絵を描いてみました。

神社の本と漢方薬の本

本屋に寄るたびに何かしらの本を買ってしまってます。
このところ。
というわけで、まずはコレ。

平積みになってたので、売れてるんでしょうね。
帯に「科学者 × 霊能者」と著者のことが書かれていたので、興味を持ちました。
プロフィールには富士通研究所にもお勤めしてたと書かれてあったので、さらに興味を持ってしまいました。
理系頭を持っていて霊能があるというのは、説明が分かりやすいんだろうなー、と期待しながら読み始めました。
ええ。
分かりやすいと思います。
しかし当然ですが、おそらくものすごーく「端折って」「近似値のところで丸めて」書くことで、分かりやすくなってるんだろうな、思いました。
そこらへんを分かった上で読むと面白い本だと思いました。
最近ですね、ちょいちょい近くの神社にお参りに行くんです。
今年になってから顕著です。
それまでも、お正月はもちろん「ちのわぐぐり」もしてたんですけど、そんなに日本の神様に対して親近感というかそういうものが深かったというわけじゃないんです。
どっちかというと、キリスト教の神様(というかイエス様)の方がうんと近い感じがしてましたねぇ…。
これは小学生の時にプロテスタントの日曜学校に通ってたからかもしれません。
それが、今年になってから何故か今までよりぐっと距離感が縮まったような感覚がありまして、
お参りにちょいちょい行くようになったから距離感が縮まったように感じるのか、距離感が縮まったような感じがするからお参りにちょいちょ行くようになったのか、は自分でもよく分からんのですがーーー。
というわけで、こんな私には丁度いい本だったと思います。
それからですね、個人的にはですね、『50歳から見えないエネルギーの転換が起こる』という部分が面白かったですねぇ。
あと数年で50ですからね。私も。気になりますわ~。
で。
二冊目はコレです。

子供の本コーナーにありました。
漢方薬初心者向けではありますが、長年漢方薬に親しんでる私でも勉強になりました~。
分かりやすいって大事!

こんな感じなので、娘が喜んで読んでました♪
「あたしが前に飲んでたのって、どれ?」と興味津々の様子でした。

第三の目にしか見えなくて。

今日のお昼過ぎ、お客様の絵を描いた後に、またしても残った絵の具で描いてみました。
100均で買ってみた「ミニ・キャンバス&イーゼルセット」というやつにです。

背景を描いて、何か描いてみようかなー……と思ってたのですが、
背景でおしまい。
だって、これ以上描けなくてててててててててて。
第三の目にしか見えなくてててててててててて。

画像だとちょっと微妙に色合いが違うんですけど、実物はもっと「重い!」です。
実物をじーっと見てると、何か出てきそうです…。
いや、吸い込まれそう……。
いやいや、語りかけてきそう……です。
とは言え、「双方向」な感覚です。
画像だと、一方通行な感じかなぁぁぁぁ。
でね。
私の場合は、どうしても「みぞおち」辺りが弱いせいか、
描いた直後は「第三の目ぐりぐり」という印象だったんですけど、今はじーっと見てると「みぞおちぐりぐり」されてる印象です…。
や、でもやっぱり「第三の目」にしか見えんですすすすすす。
何か描いたら蛇足になりそうですすすすすす。
そうそう。
第三の目って、透視とか霊視とか「見えないものを観る目」という解釈をずーっとしていたのですけど、
ちょっと前に知り合いとの会話の中で、自分自身がそういう解釈をしていないということに気づいたのです。
それはそうなんだけど、それだけじゃないかも…みたいな感じですね。
「見えないものを観る目」であることは確かなんでしょうけど、「自分の外を観る」だけではなくて、同時に「自分の深いところを観る」なのだろう……と、いつの間にかそんな解釈に変化していたことに気づいたのでした。
するとこういう記事とか目に入るんですよね。
中年以降のイロイロを通じて、私の場合は「アンタはすぐに脇道に逸れるだろうから、使えると邪魔になり得る能力は閉じとくね♪」とスイッチをアレコレとOFFにされて生まれてきたんだなぁ~……と、理解できたのですが、
中途半端に霊視ができると、これまた私は明後日の方向に行っちゃってたんだろうなー、と思います。
今なら分かります。
なので、ちゃんと蓋がされてるというのも理解できますし、(怖がりのため)そもそも霊視の能力をことさら望んでるわけでもないのですが、民絵屋として絵を描くようになってからは、もう少しだけ具体的に「分かる」といいなぁ~、と考える時もありました。
「お客様にもっと具体的に伝えたい。役に立ちたい。」というのも私の場合は純粋な想いというよりも、きっとエゴなんでしょうけどねー。
自己顕示欲とリンクしてそうな香りがプンプンしますよー。
そういうこともあり、(いろんな意味で)怖くて「第三の目を開こう!」とはしていなかったのですが、
自分の中の解釈が変化していることに気づいてからは、怖くないかもー、と思うようになりました。
なるようにしかならないし、必要ならONになるでしょうし、ONになったらなったで今なら使用方法を間違えないかもなー、と思えたのです。
「怖くなくなった」というのは、楽ですねぇぇぇ~。
「受け入れる」は「怖がらない」とかなり近いことなのかもしれないですね。

小さなファンにプレゼントを。

娘の親友ちゃんが、愛用の栞を学校で失くしたそうで、とてもガッカリしてるということを娘から聞いたので、
娘とおそろいになるような絵を描いて、ラミネートして、マスキングテープを貼って、栞を作ってあげました。
で、
その時に、娘から、クラスメイトのAちゃんにもそのうち絵を描いてあげてね、と言われました。
これで何度目ですかねぇぇ。娘にそう言われるのって。
娘がクラスメイトの女子たちに、私のポストカードを1枚ずつプレゼントしたことがありまして、
Aちゃんはとても気に入ってくれたらしいのです。
じゃあ、今描いちゃうかー、と、描きました。

翌日、娘がAちゃんに手渡したら、『ふなっしーみたいに飛んで喜んでた』とのことでした。
そんなふうに喜んでくれて、おばちゃんも嬉しいなっしー♪
と。
小さなファンにプレゼントをしたところ、
その翌日にTOMOKOさんからプレゼントが届きました♪♪

TOMOKOさん手作りの石のネットと、カルサイトです♪
飴みたいなカルサイトです。
ググってみると、カルサイトは「身体と精神、感情のバランスを保ちエネルギー不足を補う」とかとか。
なので、普段使ってるカバンの中に入れてみました。
持ち歩いちゃうぞー。
TOMOKOさん、いつもありがとう♡

満月と新月のハニエル

お客さまにお届けしたハニエルです。
オラクルカードはMoon Cyclesでした。
大天使ハニエル
カードのまんま!という絵になりました。
満月と新月の真ん中にハニエルが浮かんでいます。
私自身が更年期にあるため、以前よりも排卵や生理の時期のサイクルを(体調不良という形ではありますが)意識させられております。
ずーーーーーっと長い間、生理はほぼほぽ28日の周期でしたが、それが乱れ初めてから、「ああ、私って女性だったのねぇぇぇ…。月のサイクルで生きていたのね…。」としみじみ感じ入りました。
お客様も、女性であるご自身を労り、より深く愛するようになっていくといいなぁ、と感じました。
なんとなくですね、お客様も、そして多くの女性も、ご自身の女性的な面を労ることを疎かにしやすいのかも、と思ったりもしたのです。
あ、私も含めて、ですね。
少し前に、アーユルヴェーダの蓮村先生が、以下のような連続ツイートをしておられました。


興味深いのは、最後の2つですよね。
男性と女性では、意識の持ち方を正反対にしろ、と先生は言っているのです。
男性的な面というのは、どこまでもストイックに理想を追い求めることで、その力を発揮し続けるものなのかもしれません。
しかし、女性的な面というのは、自分も他者も「受容する」ことで、その力を発揮するものなのかもしれませんね。
現代社会で、性別関係なく学業や仕事で成果を出していくことが求められるとなると、どうしてもその人の女性的な面が萎縮しやすいのかもしれません。
誰もがどちらも持ち合わせているものなのでしょうけど、やはり男性は男性的な面が、女性は女性的な面が強く出やすい傾向はあると思います……が、もちろんそうじゃないパターンの人もいますよね~。
どのようなパターンにせよ、強い方の特性を特に上手に活かすことが、人生を生きやすくする1つのポイントかもしれませんね。